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32 爽やかな朝

 一体、どのくらい寝ていたのだろうか。目が覚めると、疲れは大分取れているように感じた。隣のベッドを見ると、そこはもぬけの殻だった。

 ここが何処なのか分からなかったが、部屋を出たところで気付いた。扉の上には《第二保護室》と書かれている。見覚えのあるルームプレートから、魔術師団本部であると察した。


 誰か居ないかと彷徨っていると、広々としたロビーのような場所へ辿り着いた。奥の窓からは、木々の隙間から漏れる陽の光が見える。思わず駆け寄り、窓を開けた。冷たい風が頬を撫でる。昨日のことが、まるで嘘のように爽やかな朝だ。

 しばらくその景色を眺めていると、後ろから声が聞こえた。


「アリス、探したわよ」

「お母様」


 手を引かれ、保護室へと戻る。シュリは既に戻ってきていた。彼女もお母様に連れ戻されたようで、「適当に進んでいたら迷ってしまったので、助かりました」と言っていた。

 お母様は、宿に置いたままだった私たちの荷物も持ってきてくれていた。


「お父様は?」

「領主様の館に戻っているわよ」

「そう……」


 私たちは今日、この街を出る。帰る前にもう一度会いたかったが、それは叶いそうになかった。


「さぁ、エリックとミレイユが来る前に、支度を済ませて」


 お母様はそう言ったが、この部屋で出来ることは"清浄"くらいだ。これは治癒魔術の一種であるため、私には使えない。シュリは自分で済ませていたが、私はお母様にかけてもらった。その最中、【健康体】で出来るようになれば便利なのにな、とぼんやり考えた。


 馬車に荷物を積み込み、エリックとミレイユを待った。その間、お母様はシュリに昨日のことを聞いていた。調書として纏め、後日魔術師団本部へ送るそうだ。その様子をぼうっと見ながら、私は先日の事を反省した。行き先が違うというだけで、お母様に対して少し不信感を抱いたのだ。昨日の処置室での姿を見た今となっては、そんなことはどうでも良く感じていた。

 以前、重症患者の治療をしたと聞いたことはあったが、現実は想像を遥かに超える惨状だった。人の怪我や病気に関わることが、こんなにも重く、過酷なことだったなんて――

 前世の入院生活を思い出し、お世話になった看護士と医師に深く感謝した。


 帰りの馬車は、ここへ来た時とは違って賑やかだった。

 お父様が抱えていたのは誘拐された子供だったそうだ。シュリが誘拐されたと踏んだお父様は、怪しい者を探して捕らえていったらしい。私が見たのは、その最中で保護した子供を連れて魔術師団本部へと向かっている姿だったようだ。私たちが寝ていた部屋は、そんな子供を保護するためにある、とお母様は言った。


「シュリの居場所はエリックが教えてくれたのよ。あの森が怪しい、って」


 エリックはきっとセシルから聞いたのだろう。彼は苦笑いをしているが、セシルは彼の肩に座り満足そうに頷いている。


「エルフリーデさんが居てくれてよかったよな! 最初は怖かったけど――」


 エリックが目を見開き、口を噤んだ。

 彼女が居てくれてよかった、というのは私も思っていた事だった。彼女の存在は本当に心強かった。大人が居てくれる安心感とでもいうのだろうか。シュリの居場所を見つけることができたのも、部屋へと連れて行ってくれた彼女のおかげであったし、本当に感謝している。

 だが――不思議なことに、私たちは『最初は怖かった』と思っていたことを今頃思い出したのだ。

 頭を捻る私たちの姿に、お母様がクスリと笑った。


「それは彼女の召喚体の仕業ね。彼女が使役する召喚体の中には、人の心を懐柔する能力を持つ者がいるの。彼女はその能力を使って、罪人の取り調べをすることもあるのよ」


 私たちが今頃思い出したのは、時間の経過とともにその効果が薄れてきたのが理由のようだ。彼女の質問に答える際、妙にスラスラと言葉が出てきたのはそういうことか、と納得すると同時に、やはり彼女は末恐ろしい人だと感じた。

 あの魔力から考えても、相当な実力の持ち主であることは想像に難くない。だが、きっと悪い人ではないのだろう。お母様の口ぶりからも、それを察した。


「お母様は、エルフリーデさんと親しいの?」

「そうね。彼女とは学園の同期だから。昨日も貴方たちのことを話していたのよ。途中から、それどころではなくなってしまったけれど」


 お母様が目を伏せた。私もあの光景を思い出し、胸が痛んだ。


 馬車の事故についても聞いたが、あの程度の事は中央では日常茶飯事らしい。馬車を利用する者の多くは貴族であり、商店を営む者の多くは平民だ。そのため、事故を起こした者が責任を問われることはほぼ無いのだという。

 その喧騒に紛れて窃盗や誘拐をする者も多く、お父様はそれを危惧して私たちを宿へ戻そうとしたようだ。


 ……なにそれ。中央、コワイ。


 そして、もう一つ。お父様が保護した子供たちの誘拐犯はその場で捕らえたものの、シュリを攫った犯人は未だ見つかっていないようだ。


 シュリは、自身が雷を落としたことについてはお母様に伝えていないのだろう。お母様の口からは、それに関する事は一切語られなかった。

 私はあの時、雷が落ちたことには気付かなかった。ゴロゴロという音も、落ちた後の音も、聞いた記憶はない。


『ねぇ。シュリが落とした雷って、音がしなかったよね?』

『そんなの消したに決まってるじゃないですか。煩いですから』

『じゃあ、なんで光は消さなかったの?』

『雷ですから、それは消せませんよ』


 シュリは隣に座る私の顔を見ることはなかったが、脳に響く声からは少し呆れている様子が感じられた。私にはさっぱり分からないが、彼女がそう言うのならばきっとそうなのだろう。いずれにせよ、あの閃光がなければシュリの発見は遅れていたと思う。


 ……結果オーライ、かな。


 私は遠ざかる中央の街並みを見つめた。

 この街に住むお父様の身を案じつつ、ハイオークの串焼きだけはまた食べたいな、と思った。




 =====




 中央を出発して三日後の朝――私たちは、ホーヴィッツへ帰ってきた。

 家の前で馬車を降り、エリックとミレイユと別れる。去っていく馬車を見ながら、色々あったなと感慨深く感じた。そんなはずはないのだが、何だかお尻が痛む気がする。あまりにも長時間揺られていたことで、脳が"痛い"と勘違いでもしたのだろうか。


 それから数日間は、穏やかな日々を過ごした。ナタリアにはネックレスを、アンナには髪留めをお土産として渡すと、二人はとても喜んでくれた。

 ナタリアは、私達が不在の間に入寮の手続きを済ませていてくれたし、事前に寮に送れる荷物は全て送ってくれた。他の家庭と違い、我が家からは同時に二人が入学することになる。きっとナタリアの労力も二倍であっただろう。本当に、彼女には感謝してもしきれない。同時に、今後のナタリアのいない生活を想像すると、些か不安を覚えた。


 ナタリアのおかげで特にすることのない私たちは、制服と靴の到着を待ちつつ、魔術の練習に明け暮れる日々を送っていた。 

 そんな、ある晴れた日のこと――


 私とシュリは、意味もなく庭の芝生に寝そべっていた。


「空が青いねー」

「そうですね」


「雲が白いねー」

「そうですね」


「平和だねー」

「そうですね」


 この生産性のかけらも感じられない会話からも分かるように、私達は暇を持て余していた。いつものように魔術の練習をすればいいのだが、何故だか今日はやる気が出ない。ぼうっと空を眺めていると、雲の形が天使の翼のように見えた。


「今もリュシュシエル様からの思念映像は届いてるの?」

「そういえば、最近はないですね。もうそれが当然になっていて、忘れて――うわぁあっ!」


 シュリが突然頭を抱えて転がり回った。そのただならぬ様子に、一気に血の気が引くのを感じた。


「どうしたの!? 頭が痛いの!?」


 顔を歪めて苦しむシュリに、私ができることは何もなかった。お母様が出掛けている今、治癒魔術が使える者は近くにいない。私は必死で彼女の名を呼び続けた。

 シュリは暫くのたうった後、ピタリと動きを止めた。


「シュリ……?」


 最悪の事態を想像し、声が震える。恐る恐る覗き込むと、彼女は魂を抜かれたかのような表情をしていた。


「だ、大丈夫です……が、暫しお待ちを……」


 絞り出したような声であったが、それでも声が聞こえたことに安心し、その場にへたりと座り込んだ。

 シュリは治癒魔術でも使ったのだろうか。未だ顔色は悪いが、動けるほどには回復したようだ。彼女はすくっと立ち上がると、突然私の手を引いて走り出した。連れて行かれたのは、シュリの部屋だった。


「ねぇ、急にどうしたの?」


 私の言葉に、シュリは僅かに顔をしかめた。


「所有者登録を忘れていました……」


 ……はて?


「わ、わすれてたあぁぁぁぁぁ!!」


 あれからどの位放置しているのだろうか。すぐには思い出せない程度には経過している。リュシュシエル様は、さぞお怒りなんじゃ――

 そこまで考えて、血の気が引くのを感じた。ギギギ、と音を立てそうな硬い動きでシュリを見る。彼女は天使の名に恥じぬ、穏やかで慈愛に満ち溢れた表情をしていた。


「さぁ、アリスも同期しますよ。一緒に叱られようじゃありませんか」

「いやあぁぁぁぁぁぁ!!」


 それから私たちは、先程のシュリと同じように部屋中を転がり回った。脳に響く轟音で、頭が割れるかと思う程だった。……大天使様、おそるべし。

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