31 中央の商業区 3
ついてきて、と言う彼女の後ろを歩く。この時間すらもどかしかったが、先程の魔力を思い出すと何も言えなかった。
彼女が入った部屋の扉の上には、《召喚室》と書かれていた。
「こんな所でごめんなさいね。ここが一番静かなものだから」
彼女の言葉通り、そこには誰も居なかった。部屋の中心には大きな魔法陣が描かれ、壁際には魔法陣が描かれた紙が無造作に積み上げられている。棚の上にはいくつもの使いかけの蝋燭が並べられていた。
奥の椅子に腰かけた彼女は、私の左上を見つめた。
「可愛いおちびさんね」
その言葉に、心臓がドクンと波打つ。彼女の視線の先には、セシルが居る。
「なっ……」
「私は召喚術師だもの。見えて当然でしょう?」
彼女が目を細め、妖艶に笑った。セシルは瞬時にエリックの背に隠れ、恐々といった様子で肩から顔を覗かせている。
「貴方たちのことは知っているわ。金髪がアリス、赤髪がエリック。そして――白髪がシュリ。ここへ来たのは、彼女のことでしょう?」
全てを言い当てられ、背筋が凍った。彼女の深い青色の瞳は、全てを見透かしているように感じた。
「私、人探しは得意なの。貴方たちに協力してあげるわ」
魔術昇降機に乗せられ、上へと昇っていく。この世界で初めて乗るそれは、エレベーターのようなものだった。
本部に属する団員は、本部に隣接された建物に個人の部屋を与えられているらしい。そこに住む者もいれば、仮眠室として使う者、物置として使う者など様々のようだ。彼女は書斎として使用していると言った。
私たちは今、彼女――エルフリーデの部屋へと向かっている。
エルフリーデが何をしたのかは不明だが、私の中からはいつの間にか彼女への恐怖心や猜疑心といったものが綺麗さっぱりなくなっていた。だが、その事実に対して疑問を抱くことはなかった。
聞かれたことには全て答えた。どうやって探すつもりだったのか、という問いには、視力強化が使えるため高所から探すつもりだったと答え、シュリとはぐれた場所、あのときの馬車の事故、お父様もシュリを探していること、そして声を掛けてきた男のことまで話した。不思議なほどスラスラと言葉が出てきたが、これまた疑問を抱くことはなかった。
部屋の中は召喚室とさほど変わらなかったが、真っ黒なカーテンに閉め切られた空間は、まるで異世界のように感じた。
カーテンを開けてバルコニーに出ると、強風が私を煽った。高層ビルには遠く及ばないものの、地上までは遠い。この世界でここまでの高さを経験するのは初めてで、僅かに足がすくんだ。
「ここなら街が見渡せるでしょう?」
エルフリーデの言葉に、私はコクリと頷いた。眩しそうに目を細める姿は恐ろしく美人で、その白さも相まって、まるで吸血鬼のようだと思った。彼女は「何か分かったらすぐに知らせて」と言うと中へと戻って行った。
セシルと顔を見合わせる。彼女は「あたしは空から探す!」と言ったが、念話のような連絡手段がないため、ここから一緒に探すことにした。彼女も視力は良い方らしい。……真偽の程は不明だが。
「私はこっちを探すから、セシルはあっちをお願い」
「わかった!」
ウェルリオから中央へと向かう間、馬車の中で何度も視力強化を使った。遠くが見えるというのは、気分が乗らない中でも良い暇つぶしになった。魔術名を考えないまま『視力強化』と念じて発動していたことにより、すっかりその名称が馴染んでしまったのは悔やまれる。
回数を重ねて分かったのは、遠くを見ようとすればする程魔力を消費するということだ。落ち着いて調整すれば、すぐに魔力が切れることはないだろう。
――視力強化
シュリとはぐれて、およそ一時間が経過しただろうか。馬車が横転していた所には、既に人だかりはなく、壊れた壁と空っぽの商店が残っていた。
先程通った道を辿るように目で追う。ふと、流れる人の中で、隙間を縫うように走る人の姿が目に入った。無性に気になり、更に視力を強化する。カメラのズームのように、対象が徐々に拡大していった。
見えたのは、男性が両腕に何かを抱えて走る姿だった。こんなところで一体何を、と思うと同時に、その姿に既視感を覚えた。
一瞬も見逃さないよう、視線を定める。
両腕に抱えられているのは……子供? 走っているのは――
もしかして、お父様!?
人波を抜けたところで、はっきりと視認した。その男性は、紛れもなくお父様だった。その両腕には、二人の子供が抱えられている。一瞬期待したが、それはすぐに落胆に変わった。抱えられた子供の髪は、白ではなかった。
お父様の行先は――
その瞬間、視界の端に閃光が走った。
「アリス!」
セシルが私の名を呼ぶ。彼女の視線は、森に向いていた。
「シュリ!!」
私は何故、その名を呼んだのだろうか。それすら分からないまま、私の意識は途切れた。
=====
目覚めると、見知らぬ――いや、今は止めよう。ふざける気になれず、思考から追い払った。僅かに痛む頭を押さえ、起き上がる。
「気分はどう?」
聞き慣れた、優しい声がした。
「お母様……」
その顔を見た直後、シュリの顔が浮かんだ。最後に見たあの森からは、何故か彼女の気配を感じた。急いで行かないと――
「アリス、落ち着いて」
「シュリが! シュリが!」
ベッドから降りようとする私を、お母様が制した。
「アリス」
再び、聞き慣れた声がした。
おそるおそる振り返る。そこには――
「シュリ」
彼女は私の隣のベッドにいた。どうやら私の声で目を覚ましたらしく、眠そうに目をこすっている。
「アリス、うるさいです」
不機嫌そうな彼女の姿に心底安心して、私は声をあげて泣いた。
お母様が教えてくれたのだが、どうやら私たちは二人揃って魔力切れを起こして倒れていたらしい。魔力回路はもう一つあるはずだが、まだ上手く切り替えができないようだ。
……っていうか、切り替えって!
『そんな話聞いてないんだけど!』
『おや。先日言いませんでしたか?』
私たちは未だベッドに寝かされている。部屋から出ようとしたところ、お母様から「まだ寝てなさい」と言われてしまった。仕方なく、寝たまま念話をしている。
『とにかく、シュリが無事でよかった』
『ご心配おかけしました』
『ねぇ、あれから何があったの?』
シュリは、私たちとはぐれてからの事を話してくれた。彼女は何者かに頭を殴られ、気絶していたようだ。シュリにしては珍しい失態だが、あの人混みの中では気付かないのも無理はなかった。念話ができなかったのも、気絶していたのが原因のようだ。
目が覚めると、彼女は狭い暗闇の中に閉じ込められていたらしい。魔術を使おうとしても何故か使えず、念話の存在はすっかり忘れていたそうだ。
『……なんで忘れるのよ』
『頭を怪我していたからでしょうか?』
勿論治癒魔術も使えず、痛みに耐えるのに必死だったらしい。しばらくその状態が続いていたが、このままじゃヤバイと本能的に察し、痛みに耐えつつもどうにかできないかと考えていたところ、この中で使えなくても外なら使えるのでは――ということで、自身に小さな雷を落としてみたそうだ。
どうにか脱出できた彼女は、最後の力を振り絞って全身に治癒魔術を施した後、魔力が切れて気を失ったようだ。私が見た閃光は、おそらくその雷だったのだろう。
『色々と、ぶっ飛んでる……』
『そうですか? いやぁ、魔術が使えてよかったですよ』
彼女はあっけらかんと言ったが、天候を操るなんて神の所業――いや、彼女は天使見習いだ。彼女にとっては造作もないことなのだろう。
これ以上のことは、私たちには分からなかった。何故お父様が子供を抱えていたのか、シュリを攫ったのは誰なのか、何故シュリが魔術を使えなかったのか、そして、何故私がシュリの気配を感じたのか…
気になることは山ほどあるが、そんなことは考えたところで分かるはずもなかった。
『一旦、寝よう』
『そうですね』
私は疲れ果てていた。シュリが無事に戻ってきた。それだけで、十分だった。