30 中央の商業区 2
私はブーツを作ってもらうことにした。お爺さんはデザイン画をいくつも描いてくれたため、デザインはすぐに決まった。履き口付近に入れてもらう刺繍は私が描いた。大天使様の杖に施されている装飾をイメージしたものだ。使用する革なんかは全てお爺さんにお任せすることにした。
ふと足元に目を落とす。今履いているものはほんの少し窮屈になっていた。それでもまだ綺麗だからと、そのまま履き続けていたのだ。少し勿体ない気がしたが、新しい制服と新しい靴を纏う自分の姿を想像すると自然と頬が緩んだ。満足そうに戻ってきたエリックの気持ちが分かった気がした。
「よし、最後はシュリだ。行ってこい!」
私が戻ると、お父様がシュリの背を押した。セシルがポツリと「いいなぁ」と呟いたのを聞いて、私のお古でよければあげるよ、と言うと彼女は満面の笑みで頷いた。彼女の履いている、膝下まで木のつるで編み上げられたサンダルの方が妖精らしくて可愛いのだが、それとこれとは別らしい。
暫くすると、シュリも採寸を終え満足そうな顔で戻ってきた。
「ま、合格祝いみたいなもんだ。魔術師の卵にふさわしい靴を作ってくれるさ」
お父様の気持ちが嬉しくて、何度もお礼を言った。完成次第、お父様が家へと送ってくれるらしい。お爺さんにも楽しみにしていると伝えて店を出た。
「ここに入ろう」
大通りに戻ると、お父様が店の前で立ち止まった。その言葉に頷き、お父様に続いて中へ入る。喫茶店のような店内は人が多く賑わっていた。奥の席に座り飲み物を注文すると、お父様が小声で話し始めた。
「さて。風の噂で聞いたんだが…エリック、お前も無詠唱魔術が使えるのか?」
「いや、オレは使えないよ。練習中だ」
エリックが首を振った。とはいえ、それも時間の問題だろう。エリックの成長は目を見張るものがある。これも彼の努力の賜物だ。うかうかしていると追い付かれかねない。
「そうか。二人には言ったが、もし無詠唱魔術が使えるようになったとしても、卒業するまで人前で使うのは止めておけ」
「…うん、聞いてる。分かってるよ」
お父様はエリックの言葉を聞いて、大きく頷いた。
直後、外から大きな音が聞こえた。何かが壊されたような、ぶつかったような、そんな音だった。その音に反応したのか、兵士と思しき男性が数名店を飛び出していった。
「俺も様子を見てくる。お前たちはここから動くなよ」
お父様はそう言うと、男たちの後を追うように店を出て行った。そんなお父様を追うように、セシルが「あたしも見てくるね!」と飛び立った。何が起きたのか気になって外をチラチラと覗いていると、一人の男性が私たちの元へやってきた。
「君たち、ガヴェインの知り合いかな?」
その言葉に、私たちは凍り付いた。今朝、宿の食堂でお父様から言われていたことがあったのだ。――俺の名を出されても何も言ってはいけない、と。
ガヴェイン・クレール。それがお父様の名だ。
この男は、お父様が居なくなったのを見計らって話しかけてきたに違いない。お父様から口止めされていることもあり、私は何も言えなかった。
「隠そうとしなくていいんだよ。一緒に居たことは分かっているんだ。ちょっとだけ、おじさんについてきてもらえないかな?」
分かりやすすぎる誘拐犯の言葉に眉をしかめる。知らない人に付いて行ってはいけません、とは前世でも口を酸っぱくして言われていたことだ。何と言って断ろうかと考えていると、シュリが口を開いた。
「いつから見ていたんですか」
言葉が返ってきたことに気を良くしたのか、男がニタァと気持ち悪い笑みを浮かべた。
「この店に入ってきたときからだよ」
「そうですか」
シュリはそう言うと、男に向けて人差し指でくるくると小さな円を描いた。指先から出たマナが男の額へ吸い込まれていく。全てが吸い込まれたと思った直後、男は私達を見て首を傾げ、何事もなかったかのようにその場を立ち去った。
「シュリ、何したの?」
「少しだけ記憶を消しました。面倒なことには関わりたくないので」
「おお、すげーな」
なんという荒業か。天使とは思えぬその所業と発言に呆れたが、彼女のおかげで巻き込まれずに済んだことには違いない。再び三人で話していると、お父様が僅かに息を切らせて戻ってきた。セシルはその少し後ろを飛んでいる。
「馬が暴走したのか、馬車が商店に突っ込んでる。兵士に任せてきたが、ここも危ない。宿に戻ろう」
お父様の焦ったような口ぶりに不安を覚えながらも、大人しくそれに従った。
外に出ると店の前まで窓ガラスの破片が飛んできていた。どうやら2つ隣の店が被害に遭ったようだ。馬車は横転し、窓ガラスの破片や商品が飛び散り、そこには人が群がっていた。
兵士が制止するのも構わず、続々と人が増えていく。裕福な街の一角が、まるでスラムのように感じた。その光景に恐怖を覚え、速足で歩く。お父様とシュリと繋いだ手を離さないようにしっかりと握りしめた。
直後、どこからか人波が押し寄せ――小さな手が、離れた。
「シュリ!」
即座に名前を呼んだが、この喧騒の中では届いたかどうかも分からなかった。彼女の声も聞こえない。念話をしようにも、大人たちに蹴られて倒れないようにするのがやっとだった。お父様に手を引かれ、なんとか人波を脱出した。
『シュリ! 聞こえる!?』
『アリス、どこに――』
『……シュリ? ねぇ返事して!』
ようやくできた念話も、すぐに途切れてしまった。
「お父様! シュリがいない!」
「何だと!?」
「手が、手が、離れて…」
繋いでいたはずの左手を見つめる。するりと抜けていった感触を思い出し、涙が溢れた。震える私の頭を、大きな手が撫でる。
「あの辺りにいるだろう。探してくるから、お前たちは宿に向かえ。道は覚えてるか?」
「オレ、覚えてる」
お父様はエリックを見て、大きく頷いた。
「頼んだぞ」
「お父様!」
「ここは危ない。早く行きなさい」
お父様はそう言うと、喧騒の中に飛び込んで行った。お父様には言えなかったが、シュリと念話が繋がらない。こんな事は初めてで、私は不安に押しつぶされそうだった。私のせいでシュリに何かあったら――
「アリス! しっかりしろ!」
エリックが私の肩を掴んだ。
「おじさんはああ言ったけど、俺らも探そう。姉貴とおばさんと合流するんだ」
「でも…」
「やるしかないだろ!」
エリックに喝を入れられ、ハッとした。そうだ、やるしかない。私は魔術師の卵なのだ。涙を拭い、大きく頷く。
お母様とミレイユが居るのは魔術師団本部だ。その大きさに圧倒されたのは記憶に新しい。そこなら私の視力強化も役立つかもしれない。一昨日のように宿で大人しくしているだけなんて、耐えられそうになかった。
エリックに手を引かれて走る。その間ずっとシュリに念話し続けていたが、返事はなかった。お願いだから無事で居て欲しい。私は歯を食いしばり、涙を拭った。
息を整え、重い扉を開く。中に入ると、好奇の眼差しを一斉に浴びて足がすくんだ。そんな私を庇うように、エリックが一歩前へ出た。
「ホーヴィッツから来た、エレナとミレイユは居ますか」
周囲が僅かにざわつく。そんな中、一人の少女がこちらに歩いてきた。
「その二人に、何の用?」
「お、オレらは家族です。ここに行くと言っていたので、探しに来ました」
「ふぅん」
少女は私たちを見定めるように下から上へと視線を動かした。
年齢は私たちより少し上だろうか。気の強そうな釣り上がった目、馬鹿にするように吊り上げられた口、その全てが癪に障った。
ニヤニヤするだけで何も言おうとしない彼女に対し、ふつふつと怒りが沸き上がる。こんなところで足止めを喰らっている暇はない。拳を握る手に力が入った。
「ちょ、ちょっと! 何しようとしてるのよ!? ここが何処だか分かってんの!?」
少女が急に顔色を変え、後ずさった。言葉は強気だが、目には恐怖の色が浮かんでいた。
「早く居場所を――」
「貴女が意地悪するからでしょう」
私の言葉を遮るように、背後から声が聞こえた。声の主がコツコツとヒールの音を響かせて近付いて来るのが分かる。背中がゾクリとして、その場から動けなくなった。今までに感じたことのない強大な魔力が、私を捉える。
現れたのは、タイトな黒いワンピースを身に纏った女性だった。その服と真っ黒な長い髪が、彼女の肌の白さを際立たせていた。
「あら。ごめんなさいね」
彼女は私の様子に気付いたのか、放出していた魔力を緩めて微笑んだ。色気のあるその姿からは、禍々しいような毒々しいような、危険なものを感じた。
「二人ならこっちに居るわ。ついて来なさい」
動揺しながらも、彼女の後ろを歩く。時たま振り返るようにこちらを見たが、彼女は何も聞かなかった。私たちも何も聞けなかった。だだっ広い建物の中を真っすぐ進む。
「この部屋よ」
扉の上には《処置室》と書かれていた。彼女が扉を開くと、得も言われぬ異臭が漂ってきた。耐えることができず、鼻を摘む。あまりの臭さに涙が浮かんだ。
扉の先にいたのは、重症患者ばかりだった。腕や足を欠損している者、内臓が飛び出ている者、酷い火傷を負った者……強烈な吐き気がこみ上げる。私は、このような状態の人間を見るのは初めてだった。
呆然としていると、エリックが「あれを見ろ」と部屋の奥を指さした。
「あっ……」
そこには、見覚えのある白いローブを纏う人たちがいた。その中でも、煌びやかな光を放つ者に目が釘付けになった。その姿は、正しく聖女――
「どうする? エレナを呼ぶ?」
その問いに、私は小さく首を振る事しかできなかった。私が見ていたのは治癒魔術を使うお母様の姿。その近くでは治癒魔術が使えないミレイユも忙しなく動いていた。表情までは見えないが、その真剣な様子から邪魔をすることはできないと察した。
「そう。じゃあ、話を聞くのは私でもいいかしら?」
エリックと顔を見合わせ、コクリと頷いた。