3 白い髪の少女
カーテンの隙間から朝日が差し込む。薄らと目を開けると、外から鐘の音が聞こえた。それを合図にあちこちから声が聞こえ始める。街が目覚める時間だ。
ベッドからのそりと起き上がり、カーテンを開けると同時に空を見上げた。
「今日もいい天気」
私は大きく伸びをした。――さあ、行動開始よ!
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ナタリア」
階段を下りて食堂へ向かうと、彼女が朝食を準備してくれていた。毎朝の光景にも関わらず、前世は病院食ばかりだったな、と無意識のうちに思い出してしまう。
ベーコンをナイフで切って口へと運ぶ。前世のものに比べると味は劣るな、と今まで一度も抱いたことのない感想が浮かんだ。どうやら記憶が味覚にも影響を与えたようだ。それでも、食べ慣れた食事は美味しく感じた。
部屋へと戻り、身支度を整える。ナタリアがいつものように髪を結ってくれた。金色の長い髪を高い位置で二つに結う。所謂、金髪ツインテである。私のお決まりの髪型だが、前世の記憶と照らし合わせると少し恥ずかしくなった。
ナタリアに見送られて外へ出る。門の前には一人の後ろ姿が見えた。ふわふわの茶色い髪が、風に吹かれて揺れている。
「アンナ! おはよう!」
「アリス、おはよう」
挨拶を交わし、一緒に広場へ向かう。住宅街といえば聞こえはいいが、ただ家が密集しているだけの場所を抜け、森の中の一本道をただひたすら歩いていく。
ふと、昨日の事を思い出した。慌ててポシェットを漁る。私の様子を不思議そうに見つめるアンナの顔が視界の端に見えた。
「アンナ、昨日遅くまで私について居てくれたでしょ? これ、お礼に」
昨日から準備していたのだ。忘れるわけにはいかない。アンナに手のひらを差し出す。そこには小さな虹色の石――魔石が光っていた。
魔石にはいくつか種類がある。魔物と呼ばれる魔力を持った生物の核であるもの、魔力を持つ人間が生成するもの、魔素の濃い地で自然に生成されるもの等が代表的だ。
魔術が存在するこの世界では、何をするにも魔力が必要となる。魔力の多い者は自らの魔力を使い、少ない者は魔石で補う。
我が家は両親ともに魔力が多い。魔力量は遺伝することが多く、娘である私も同年代の中では多い方だ。魔石を生成できるということが、その証でもある。
「そんな、気にしなくていいのに」
「いいのいいの、もらってよ! これ、昨日私が作ったんだ。初めての魔石だよ! だから、アンナに持っててもらいたくて」
昨日の課題で作った魔石。お母様に合格をもらった魔石。今の私には小さなものしか作れないけれど、それでも魔力が少ないアンナには、きっと役に立つだろう。
「すごいわ、アリス! ありがとう。宝物にする」
ふふっとアンナが笑った。彼女は両手で大事に受け取った後、親指と人差し指で掴み、空へとかざした。
太陽の光を受けて、小さな魔石がキラリと輝く。「綺麗」と呟くのが聞こえた。その姿を見た私もつられて笑顔になった。
そうこうしているうちに、あっという間に目的地が見えてきた。森を抜けたところにある、だだっ広い場所。通称、広場。ここは子供たちの練習場だ。
この広場は武術用と魔術用に分かれている。柵があるわけではないので厳密な区切りはないのだが、昔からそうなっているらしい。ここに来ている子供たちは皆、武術・魔術学校を目指して日々奮闘している。
「それじゃあ、また後でね」
アンナが手を振り駆けていく。志望校が違うため、ここでお別れだ。普段はおっとりしているアンナだが、実は騎士志望だ。騎士には、魔術を使って戦う魔術騎士と魔術を使わずに戦う正騎士とがあり、魔力の少ない彼女は正騎士を目指している。
魔術という優位性がある魔術騎士に比べ、正騎士にはより高度な技術・強さが求められる。そんな中で頑張るアンナは、可愛いとかっこいいを兼ね備えた素晴らしい女の子なのだ!
アンナと別れ、私もいつもの場所へと向かう。広場の隅にある大きな木の下が私の定位置。多少の雨風は凌げるし、木陰で休憩もできるし、我ながらとてもいい場所を見つけたと思う。
到着すると、休む間もなく準備を始める。とはいえ、持ってきた布を足元に置き、四隅を石で押さえるだけなのだが。
今日の課題は、およそ30センチ四方の白い布に火属性魔術で穴をあけることだ。
燃やす、ではなく、穴をあけるというのがポイントである。
――よしっ。気合いを入れて……
「玲様ー! れーいーさーまー!!」
「……ん?」
遠くから、少女のような少し高めの声が……って、この声は――
声のする方に顔を向けると、こっちに向かって走ってくる姿が目に入った。見覚えのあるその少女は、清々しい笑顔で大きく手を振っている。
息を切らしながら目の前にやってきたのは、昨夜見たばかりの白い髪の少女だった。
「シュリエル!?」
「やはりここに居たのですね! 玲様! お会いしたかったです!」
確かに『明日には行けると思う』とは言っていたが、まさか早朝からやってくるとは……。顔の前で手を組み、感無量といった様子で涙ぐむ少女を見てそんな事を思った。その容姿と相まって、聖女のように見えなくもない。事実、天使見習いだし。だが、その姿は記憶にあるものとはどこか違うように感じた。
「……あ、翼がない」
大きな白い翼。天使だと一目で分かるような、神々しさを感じさせるもの。それが、今の彼女には見当たらなかった。
「あれは天使見習いのときだけです。今は人間ですから」
「……そうなんだ」
確かに、あれがあったら人間とは言えないもんな、と妙に納得した。ついでに金色のもやもなくなっているようだ。翼が消え、長い髪をポニーテールにして私と似たような服を着ている姿は、確かにとても人間らしく見える。
「どこから走ってきたの? 昨日みたいに目の前に現れればよかったのに」
「人間の姿のときはそんなことはできません。天界とは色々違うんですよ。私もこの世界に降り立ったのは初めてなので、また全てを把握しているわけではないのですが……今日は、神に玲様の家まで送っていただいたので、そこから走ってきました」
「そ、そう……」
「いつもは飛んで移動するので、走ったのは久しぶりです」
そう言ったシュリエルは、なんとなく嬉しそうに見えた。あの翼は飾りじゃないんだ、とどうでもいい考えが頭に浮かんだ。
「ふーん……それで、よくここが分かったね」
「気配感知は多少できるようです。それと、日頃の観察の成果ですね」
元々興味のあった世界だが、私の監視役が決まってからは暇さえあれば覗き見していたらしい。私の行動範囲は既に把握しているようだ。
……ねぇ、それってストーカーじゃない? プライバシーって知ってる?
「それと、この世界に着いてから、ちょちょいっと皆様の記憶をいじらせていただいたので、今日から私は玲様の双子の妹です。顔が似ていないので二卵性とでも言っておきましょうか。まぁ、玲様だけでなくご家族の誰にも似ていませんが、誰も不審に思ったりはしません。ご安心を」
……さらりと何か重大なことを言ったような……え? 双子?
「双子の妹!? いやいや、要らないから。急にそんなこと言われても困るから。しかもなによ、ちょちょい、って。天使がそんなことしていいの!?」
「問題ありません。そして私は天使ではなく、天使見習いです」
「そんなのどっちでもいい!」
「ともかく決定事項です。受け入れていただく他ありません」
彼女がニッコリ笑って言った。それは、有無を言わせぬ笑顔。目の前にいる天使見習いの慈悲深い笑顔が、なぜか悪魔の笑顔に見えた。思わずぶるり、と身震いをする。
「記憶をいじるって、双子って、そんな――」
めちゃくちゃな、と言いかけたところではたと気付いた。そうだ、天使見習いって何でもアリだった。……というより、神様が何でもアリなんだろうけど。
天界の決定事項を覆す力など、もちろん私は持っていない。神の決定には大人しく従うしかないのだ。
「……もういいや。それで、私の双子の妹ということは、もしかしてうちに住むんじゃないでしょうね?」
「察しが良くて助かります。玲様のお部屋の隣が使われていないことは既に調査済みなのです。私はそこをお借りすることになっております」
「げっ」
確かにその部屋は空いている。いつかできるであろう妹や弟のためにとっておいたのだ。まさかこんな経緯で使われることになろうとは。
「あのお部屋なら、玲様のお部屋と行き来も容易ですから。監視役の部屋として不足はありません」
彼女なら壁を『にゅっ』とすり抜けて来れそうな気がして怖くなる。彼女はお化けじゃないけれど。そして人間の姿でそんなことができるのかなんて分からないけれど。
がくりと項垂れると、弾んだ声が聞こえた。
「お姉様」
「……は?」
「今後、人前では玲様のことをお姉様とお呼びしますので」
「えぇぇ……」
確かに人前で"玲"と呼ばれるのはマズい。でも、お姉様と呼ばれるのも何だかむず痒い。今後の生活を想像すると、なんだか憂鬱になってきた。
「私のことはシュリと呼んでください。人間の姿のときの名を神につけていただいたのです」
……シュリエルだからシュリね。つけていただいた、と言う程でもないような。
こんな安直な名前でもどことなく嬉しそうなので、余計なことは言わないでおく。
「私、家族というものを知らないので楽しみです!」
笑顔でシュリエル―――シュリが言った。彼女が何気なく発したその言葉が、私の心に突き刺さる。
前世は家族が心のよりどころだった私。現世でも家族が大事な存在。それを知らないなんて……神の使いって、一体何者なんだろう。どんな生活をしているんだろう。彼女の笑顔の裏には、どれほどの闇が……
少し憐れむような、心配しているような、そんな心情が顔に出ていたのだろうか。彼女が笑顔で言った。
「あぁ、知らないのは"人間の"家族ですよ。天界にはもちろん家族がいますから」
「あ、そう……」
……心配して損した。
なんだか一気に疲れた。まだ一日は始まったばかりだというのに、今すぐ帰って休みたい。帰ったところで、この天使見習いも着いてくるんだろうけど。
「さあさあ、雑談は終わりです! 課題とやらをしなければならないんですよね? もちろん天界から見ておりましたので知ってますよ。今日からは私もご一緒します!」
「えー……」
「えー、じゃないですよ。お姉様!」
私の平穏な日々が、終わりを告げそうな気がした……