28 お母様の行方
身を乗り出していたことが仇となり、身体が前に倒れていく。魔石が手の中からするりと飛び出た。落下していくそれに慌てて手を伸ばしたが、僅かに届かなかった。頭の片隅で、借り物なのに…と思った。
もう、力が入らな――
「アリス!」
その声にハッとし、ぎりぎりのところで意識を保つ。名を呼ばれると同時に両足を強く握られ、何かが私の横をシュンッと通り過ぎて行ったのが分かった。「頑張れ!」と言うエリックの声と、私を呼び続けるシュリの声が聞こえる。二人には申し訳ないと思いつつも、再び意識が遠ざかる。
「アリスぅ! これ、取ったから! 大丈夫だよ!」
瞼を閉じる寸前、下から魔石を抱えたセシルが飛んできたのが目に入った。だらりと力なく垂れ下がった指が、その魔石に触れる。そこからほんの僅かなマナが漏れ出し――
心臓が、ドクンと強く波打った。
体の芯から徐々に熱が広がる。それが指先まで行き渡ったのを感じた。
両腕に力を込め、手のひらを大きく広げる。
――ウィンド・バースト
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はぁ、はぁ、と荒い息が響く。一体、どのくらいの間そうしていたのだろうか。僅かな間だった気もするが、とてつもなく長かったような気もする。
ようやく息が整い始めた頃、最初に口を開いたのはエリックだった。
「だからオレは止めようとしたんだ! 危ねぇって!」
彼の視線がシュリを捕える。まぁまぁ、と宥めると、その矛先が私に向いた。
「アリスが悪ぃんだからな!」
鋭い視線に射貫かれ、ひぃっ、と声が漏れる。ごめん、と言うと、睨んでいたはずの橙色の瞳が徐々に潤み始めたのが分かった。私から目を逸らし、俯く。
「良かった……怖かった……」
ポツリと呟かれたその言葉で、先程までの出来事が急に現実味を帯びた。足がガタガタと震え始める。無我夢中であったため、頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていたようだ。
――そうだ、私は窓から落ちるところだったんだ。
私は最後の力を振り絞り、どうにか魔術を使うことができた。両の手のひらからまるでロケットの噴射口のように空気を噴出させ、少しだけ体が浮き上がった隙に二人が引っ張り上げてくれたのだ。
もう少し遅ければ、二人の力も尽きていただろう。僅か3階とはいえ、この身体で落ちれば――。
……ん? この身体?
ここまで考えてハッとした。確かこの下には植え込みがあったはず。魔石が落ちていくのを見ながら、あんなとこに落ちたら探すの面倒だな、と呑気なことを考えていたのだ。落ちたとしても擦り傷程度で済むだろう。
【健康体】のおかげで、即死しない限り私の身体は瞬時に自動治癒が働く。勿論痛みは感じるが、治ってしまえばそれも無くなる。
ちらりとシュリを見ると、胸を撫でおろし心底安心しているように見えた。どうやら彼女の頭からもすっぽり抜け落ちているようだ。小さく丸まったエリックの身体は僅かに震え、セシルも目に涙を浮かべている。この状況でそれを思い出させるのは野暮というものだろう。
…と、ここまで考えて再び気付いた。私の魔力は切れかかっていたのだ。もしかしたら自動治癒は作動しなかったかもしれない。
真実は不明だが、痛い思いをせずに済んだことには違いない。私は安堵の息を吐いた。
……なにか、大事なことを忘れているような。
「あーっ! お母様!」
急に聞こえた大声に、エリックがビクッと身体を震わせ、瞬時に顔を上げた。
「な、なんだって!?」
「さっき、お母様、見えた!」
「えぇっ!? 何処に居たんだ!?」
彼が私の両肩を掴み、前後に大きく揺すった。先程感じた吐き気が再び私を襲う。
「ちょ、ま、吐き……」
もう無理、と盛大なリバースを覚悟した瞬間、ガチャリと音が響いた。エリックが動きを止める。私はギリギリのところで事なきを得た。
ふぅっ、と息を吐くと、頭上から声が聞こえた。
「あら、どうかしたの?」
見上げると、そこには疲れ果てた様子の私たちを不思議そうに見下ろすお母様と、扉を閉めるミレイユの姿があった。
「お母様……」
何処に行ってたの、心配したよ、と言ったつもりだったが、果たして声になっていただろうか。それすら分からないまま、私の意識は遠のいていった――
目覚めると、見知らぬ天井があった。
「知らない天井だ」
私の中のお決まりフレーズを呟く。ふざける余裕があるなら大丈夫だろう。僅かに痛む頭を押さえつつ、起き上がった。
部屋の中は真っ暗だった。おそらく気絶したのだろう。前世ではしょっちゅうぶっ倒れていたため、そのあたりは冷静に考えることができた。
ふと、足元に視線を動かす。何かがベッドに突っ伏していた。
「ゆ、ゆ……」
幽霊!と叫ぼうとした瞬間、それがむくりと顔を上げた。
「あぁ、アリス。目が覚めましたか」
「シュリ……」
脅かさないでよ、と言おうとしたが、付き添っていてくれたのだろうと察して口を噤んだ。
……前世ではお母さんがよくここに居てくれたな。
一度目に気絶した時に見た夢のせいか、ひどく懐かしく感じた。
「気分はどうですか?」
「頭が痛いけど、大丈夫」
カーテンの隙間から差す月明りが、シュリの顔を照らす。白い髪が輝いてとても綺麗だ。見惚れていると、彼女が「そうですか」と微笑んだ。
「ずっとここに居てくれたんでしょう。ありがとう」
「いいえ。アリスが目を覚ましたらすぐに聞きたいこともあったので」
私が、なに?と首を傾げると、彼女は姿勢を正し真っすぐ私を見つめた。その真剣な瞳に、ゴクリと息を飲む。
「先程、何が見えたのか教えて下さい」
「えっと……最後の最後に一瞬しか見えなかったんだけど…」
シュリがコクリと頷き、続きを促す。
「お母様が、魔術学校の門から出てきた」
雲が月を隠す。彼女はそうですか、と呟いたきり口を噤んだ。それは私にとっても好都合だった。私はまだ気持ちの整理がついていない。
お母様はミレイユと一緒に戻ってきたが、あのとき見えたのはお母様だけだった。魔術学校に行くのであれば、そう言えばいい。それなのに「魔術師団へ行く」と言って出て行った。もしかしたらその後向かったのかも、と自分に言い聞かせても、何故だか胸騒ぎは治まらなかった。
嫌な考えを追い出すように頭を振り、私もシュリに問いかけた。
「私も聞きたいことがあったんだ。一度魔力が尽きた後、少しだけ魔力が復活してウィンド・バーストが使えたの。こんな短時間で復活するなんて変だよね。……ねぇ、何でだと思う?」
彼女が肩の力を抜いたのが見て取れた。
「…そんなことですか。視力強化に使ったのはマナ、その後に使ったのは魔素だからですよ」
どうやら私は二つの魔力回路を持っているらしい。一つは固有スキルを始め、天界の魔術を使うためのもの、もう一つはこの世界の魔術を使うためのものだ。
マナと魔素は互いに干渉しないため、マナによる魔力が枯渇しても、魔素による魔力が残っていれば普段通り魔術が使えるらしい。
……そんなこと、さも当然のように言われましても。
天界の魔術の情報源は、シュリしか居ないのだ。彼女から聞いていないことが分かるわけもない。暗くて見えないとは思うが、シュリをジト目で見ておいた。
他には、と聞かれ首を振ると、彼女は「ゆっくり休んでください」と言って部屋から出て行った。
翌朝目覚めると、皆は既に準備を終えていた。何度も起こされたようだが、全く記憶にない。「馬車の中で食べなさい」と、お母様がサンドウィッチを手渡してくれた。急いで身支度を整え、魔術師団ウェルリオ支部へと向かう。
今日はこれから中央へと出発する。今から出ると夕方には到着するそうだ。ミレイユに促され、私たちは昨日と同じ馬車へ乗り込んだ。
ぐっすり眠ったはずなのに、あまり疲れが取れていないような気がする。ただの疲労は【健康体】が治してくれるため、これは精神的なものなのだろう。
ぼうっとする頭で先程貰ったサンドウィッチを食べる。少しパサついた固めのパンは食べ慣れているはずなのに、白いふわふわの食パンが恋しく感じた。
馬車は私たちを乗せ、何事もなく中央へと進んで行く。お母様とミレイユは楽し気に談笑していたが、私たち子ども組は静かだった。その空気に呑まれたのか、セシルまで大人しく私の肩に座っている。
昨日までは中央に行けることを楽しみにしていたのに、何故だか気分が乗らない。お母様も私たちの様子に気付いているはずだが、何も聞くことはなかった。連日の馬車移動で疲れていると思ったのかもしれない。
「もうすぐ着くわよ」
お母様の一言で外に目を向けると、高い城壁と、その奥にある建物の屋根が見えた。
「あれが領主様の館よ。あの人もそこで暮らしてるわ」
「お父様が……」
その一言で、お父様は本当にラピスラズリなんだと実感した。館の頂で靡く旗は、お父様のマントと同じ瑠璃色だった。
お母様の言葉通り、魔術師団本部はすぐ近くにあった。馬車を停めるため、ここで一度降りる。
「わぁ……」
ウェルリオ支部の三倍はあろうかという程の大きな建物を見ると、少しだけ憂鬱な気分も吹き飛んだ。どうやら私は大きな建物を見ると気分が上がるようだ。前世と現世に共通する、田舎者の性なのだろうか。それでも昨日ほど高揚することはなかった。
「手続きをしてくるから、そこで待ってて」
コクリと頷き、近くに設置されたベンチに座る。
「皆元気ないね。疲れちゃった?」
「……うん」
「今日はもう休んで、明日色々見て回ろうか」
ミレイユの言葉にコクリと頷き、天を仰いだ。空はいつの間にか茜色に染まっていた。
お母様と合流し、宿へと向かう。今日も魔術師団御用達の宿にお世話になるらしい。団員がいると宿にも困らないのかと感心した。宿までは歩いてすぐだった。昨日と同様、とても綺麗な建物だ。
夕食は一階の食堂で簡単に済ませた。普段より良い食事のはずなのに、味はあまり感じなかった。
……あぁ、お母さんのお味噌汁が食べたい。
昨日からやけに前世がちらつく。変な夢を見たせいなのだろう。それでも誰にも悟られないよう、平然を装った。
すぐに湯浴みを済ませ、早々と眠りについた。
明日は楽しく過ごせることを願って――




