24 杖の購入
魔術学校を出た私たちは、そのままアメルヒ商店街へと向かった。石畳の道と両側に並ぶ商店を目にすると、自然と頬が緩む。最初の目的地は、勿論一番手前のお店だ。
「あのお店だよ!」
「あそこは――」
お母様が何か言った気がしたが、走り出していたため聞こえなかった。入口の前に立ち、早く、と手招きする。歩いてやって来たお母様が足を止め、お店の看板を見上げた。懐かしそうに目を細める姿から、学生時代に来たことがあるのかもしれないな、と思った。
扉を開くと同時に、カランカラン、と来客を知らせる鐘の音が響く。奥から「いらっしゃい」と姿を現したのは先日のお婆さんだった。
「おや、あんたはあのときの……」
お婆さんは私を見るなり細い目を薄らと開いてポツリと呟いた。軽く会釈をする私に続き、お母様とシュリが店中へと入ってきた。
「ご無沙汰してます」
お母様の口から出た言葉に、やっぱり、と思った直後、お婆さんの目が更に開いたのが分かった。
「……もしかして、エレナちゃんかい?」
「ええ」
「まぁ、よく来てくれたね」
お婆さんの顔が綻んだ。まさか名前まで知っているとは思わなかった。しかも憶えているなんて――。前回は見ることのなかった表情に少しだけ驚くと同時に、お母様との親密さが伺えた。
「もしかして、この子は……」
「ええ。二人とも私の娘です」
「そうかい。それじゃあ、あのときのことも納得だよ」
一つ頷いた後、「ついておいで」と言うお婆さんの後を追うように店の奥へと入って行く。
「お母様、お婆さんと知り合いなの?」
「ええ。学生時代に、ね」
ふぅん、と呟いてお婆さんに視線を向ける。私と同じ年頃のお母様ってどんな感じだったのかな、と思いを馳せた。私が聞いても面白い話はないわよ、とあまり話そうとしてくれないのだ。もしかしたら当時の話が聞けるかもしれないな、と少し心が躍った。
「お嬢ちゃん、この杖だろう?」
そう言うとお婆さんは大天使様の杖を指さした。前回と全く変わらないその杖に、私は再び目が釘付けになった。きっと何度見てもその神々しさに目を奪われることだろう。
目を輝かせ、これが欲しいの、と言いかけたがお母様を見て思わず口を噤んだ。「これは……」と呟く顔が僅かに青ざめていたのだ。もしかして、その威圧感に当てられでもしたのだろうかと思っていると、お母様が私に視線を合わせるようにしゃがんだ。
「アリス、貴女にはもっと良い杖があるんじゃない?」
そう言ったお母様の口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。初めて目にするその表情に、背筋が少しヒヤリとしたのを感じた。
「お母様、この杖はね――」
「いい? アリスには、この杖を使いこなすことはできないのよ」
有無を言わせぬその表情に言葉を続けることができなかった。この杖を買うことを許してくれるかな、と少し心配していたものの、即座に反対されるなんて微塵も思っていなかったのだ。私の意見を聞いて、その上で反対する理由を私が納得できるように話してくれるのがお母様だ。私がどれ程欲しいと思っているのかを話せば、きっと分かってくれると思っていた。それなのに――
この様子だと、お母様も本来の姿を視認しているのだろう。その神々しさから私には早いと思ったのは納得だが、お母様がそう言うのは他にも理由があるとしか思えなかった。
「私もそれが良いと思います」
「アリスにはまだ早いわ」
何も言えなくなった私を見かねたシュリが助け舟を出してくれたが、彼女にも私と同じ表情を向け、諭すように告げた。
「何故ですか」
シュリが珍しく食い下がる。それもそのはず、これを手に入れられなければ一番に大目玉を食らうのはシュリなのだ。リュシュシエル様の執念深さをよく知る彼女にとっては大問題だろう。
困惑している私と強気なシュリを見比べて、お母様が大きな溜息を吐いた。
「いい? この杖、貴女たちには普通の杖に見えているでしょう? でもね、違うのよ。もう少し大きくなったら分かるようになるかもしれないわ」
「でも、私には――」
ちゃんと真実の姿が見えてるよ、と言いかけた私の言葉を遮るように、お婆さんが口を開いた。
「その子は言ったんだよ。綺麗な杖だ、とね」
お母様が、信じられないとでもいうように目を見開いた。そのままお婆さんに視線を移す。
「アシアさん、この子に何か言ったんですか!?」
お母様が珍しく声を上げた。滅多に見ないその姿に、私は唖然とした。
「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。私は何もしちゃいないさ。この子が自ら気付いたんだ」
「そんな……!」
「きっとこの杖を使いこなせるさ」
お婆さんはそう言うと、お母様に何か耳打ちした。お母様の顔が僅かに歪む。その異様な空気に「欲しい」なんて言えなくなった。そんな私を見透かしたかのように、シュリが声を上げる。
「お母様! アリスにこの杖を! お願いします!」
シュリが頭を下げた。強く握られた拳が震えている。何たって、神様に『買い取ってくれ』と頼まれているのだ。この機会を逃すわけにはいかない、と思っているのだろう。彼女の姿で正気に戻った私も続けて頭を下げた。
「お、お願いします…」
「貴女たち……」
「二人ともこう言っているんだ。与えてあげればいいじゃないか」
私の頭上から大きな溜息が聞こえた。少しだけ顔を上げると、お母様と目が合った。その菫色の瞳はどこか悲し気に見えた。
「仕方ないわね」
その言葉に私とシュリは顔を見合わせ、姿勢を正した。
「……でも、条件があるわ。この杖のことは一切口外しないこと」
「どういうこと……?」
勿論大天使様の杖だと周囲に言いふらすつもりはなかったが、お母様がそれを条件として提示する理由が分からなかった。
「貴女たちには、この杖が"綺麗な杖"に見えているのね?」
私とシュリは揃ってコクリと頷いた。
「……そう。でもね、他の者には普通の杖に見えるという変わったものなのよ。だから、綺麗な杖だって言うのも思うのも駄目なの」
何故お母様がそんな事まで知っているのか、と思うと同時に、なぜそこまで言う必要があるのか理解できなかった。言うのがダメだというのは分かるが、思うのもダメだというのは一体どういうことなのだろうか。
「勿論です」
シュリはそう言うと、答えあぐねている私を咎めるようにこちらを見た。私にはお母様の真意が理解できなかったが、それは後でシュリやリュシュシエル様に聞けば良いことなのだろう。
私が大きく頷くと、お母様はお婆さんに「これにするわ」と告げた。その言葉を聞いたお婆さんは一瞬、ニヤリと口角を上げた。見覚えのあるその笑みに、心臓がドクンと波打つ。私の中に、一つの疑問が芽生えた。
――このお婆さん、一体何者なの……?
私の杖が決まったため、次はシュリのものを選ぶことにした。彼女は杖なんて何でもいいとでも言うかのように、適当にその辺に置いてある普通の杖を選んだ。お婆さんから「こっちのお嬢ちゃんと違って拘りがないんだねぇ」と言われていたが、彼女は全く気にしたそぶりは見せなかった。
シュリの性格上、本当に何でも構わないんだろうと思っていたが、念話で『私はこの世界の魔術に関しては赤子同然ですから』と聞いて納得した。
そうこうしているうちに、店の入り口の方から私たちを呼ぶエリックの声が聞こえた。どうやら彼も自分の杖を決めたようだ。カッケー杖が欲しい、と言っていた通り、彼の手には控え目に装飾が施された杖が握られていた。
「おっ、アリスがその杖にしたのか。カッケ――」
エリックが何を言おうとしているのか瞬時に察した私は、慌ててシーッと人差し指を口にあてた。即座に彼が口を噤んだことでその場は事なきを得たものの、エリックにも見えていることがお母様に知られるのはあまり良くない気がした。
セシルが私の横で「すごそうなの手に入れたね!」と言った。ここに居る半数以上がその真実の姿が見えているという状況に、本当に他の人にはそう見えていないのか、些か疑問に感じた。
「アリスもシュリも結構普通のにしたんだね。エリックなんて格好良いのがいいって聞かなくてさぁ。使いこなせなかったらどうするんだろうね、全く……」
ミレイユが頭を抱えた。私たちからはハハハ、と乾いた笑みが漏れた。
杖を使う機会は当分ないため、店主のおじさんに布袋に入れてもらった。お婆さんはこの杖を大天使様の杖だと知っているため、さぞ高額な請求をするんだろうと身構えていたが、シュリの杖と同額で売ってくれた。
その後はお店を数軒回り、必要なものを購入していった。他のお店では先程のような事は一切なく、私たちに全て選ばせてくれた。
お母様は、他のお店の方とは親しい様子は見られなかった。お婆さんとの関係が益々気になったが、エリックとミレイユの前では聞きづらく、また、何となく聞かない方が良さそうだと察した。
必要なものは全て揃えたため、宿へと戻ることにした。特に私の背丈とほぼ同じ長さの杖は重く、このまま持ち歩くのはしんどかったため助かった。
宿に着くとミレイユが紅茶を淹れてくれた。ナタリアのものには敵わないものの、とても美味しかった。お母様は魔術師団に用があるらしく、荷物を置いた後すぐにウェルリオ支部へと出掛けて行った。私もついて行きたかったが、お仕事だと言われれば仕方がない。
四人でソファに座り、ゆっくり過ごすことにした。
「皆も知ってると思うけど、軽く説明しとこうか」
そう言うと、ミレイユは魔術学校について教えてくれた。この世界も、地球同様に1年間は12か月で構成されている。大まかな流れは、1月に入学式・始業式、5月に選抜大会、9月に総合大会、10月に卒業式・終業式、11・12月が長期休暇だ。
5月に行われる選抜大会とは、9月に行われる領対抗の総合大会に出場する生徒を決めるためのものだ。これは学園の一大イベントで、生徒はこの為に一年間努力を重ねる。
選抜大会で良い成績を残せば領内での知名度も上がり、また、総合大会で良い成績を残せば領全体の地位向上に貢献できる。つまり、その後の将来にも大きく影響するということだ。
お母様とミレイユは最終学年である三年時に選抜メンバーに選ばれ、総合大会に出場したらしい。彼女は「そんなに良い成績は残せなかったけどね」と言っていたが、出場できるだけでも名誉なことだ。選抜メンバーに選ばれたことにより魔術師団からの打診を受け、今に至るそうだ。
「エレナさんは当時のことをあまり話してくれないんだけど、本当にすごかったみたいだよ。エレナさんが選抜で出た年は国内で3位の成績を残したの。それも、ほとんどエレナさんの功績だったって噂よ」
「ほぇー」
「これは私の予想なんだけど、王都からの打診もあったんじゃないかな。二人のお母様は、それだけすごい方なんだよ」
「ひゃー」
ミレイユの言葉に、私は変な相槌しか打てなかった。お母様のあまりのすごさに、目標だなんて軽々しく言っていた自分が恥ずかしくなった。
「ま、大きな行事はそれくらいかな。後は細々した学園内での催しもあるけど、その二つが断然盛り上がるからね。他のことは正直覚えてないかも」
彼女がハハッと笑った。彼女はエリックと同様に真っすぐな性格をしている。たまに大雑把すぎないか?と思うところもあるが、それもまた彼女の魅力だ。
私たちはひと月後には学園に入学することになる。ミレイユの話を聞いて、ますます学園生活が楽しみになった。




