23 馬車の旅
カーテンの隙間から朝日が差し込む。
薄らと目を開けると、外から鐘の音が聞こえた。それを合図にあちこちから声が聞こえ始める。街が目覚める時間だ。
ベッドからのそりと起き上がり、カーテンを開けると同時に空を見上げた。
「朝だー!」
「アリスぅ、うるさい……」
昨日とは打って変わって、私がセシルを起こしてしまったようだ。彼女の不機嫌そうな顔なんて気にしない。だって私はすこぶる機嫌が良いのだ。
階段を下りて食堂へ向かうと、ナタリアが朝食を準備してくれていた。最近ではシュリと朝食を摂ることが多かったが、今日は違った。
「おはよう、アリス」
「おはよう、お母様!」
朝早くから出かけることの多いお母様と、一緒に朝食を摂る。それだけでも私の機嫌はうなぎ上りだった。お行儀が悪いのは分かっているが、自然と鼻歌まで出てきてしまう。
「お嬢様、ご機嫌ですね」
「うん! 楽しみにしてたんだから!」
満面の笑みで返す私にナタリアが微笑んだ。私は今日からの旅を心底楽しみにしていたのだ。学園の寮へ入れば、家に帰ることができるのは年に一度の長期休暇だけとなる。9歳最後の家族との思い出を作らねば、とよく分からない理由もあって張り切っていた。
眠そうにしているシュリを急かし、身支度を整える。外に出るとガラガラと車輪の音が聞こえた。門をくぐり道に飛び出すと、見覚えのある白い馬車が目に入る。私に気付いたらしく、中から顔を覗かせて大きく手を振る姿が見えた。それに応えるように、私も大きく手を振った。
馬車が門の前で止まる。乗客は二名の男女だ。
「エリック、ミレイユ、おはよう!」
笑顔で挨拶すると、二人も笑顔で返してくれた。お母様とミレイユが一緒のため、今回の移動は魔術師団の馬車を使わせてもらうことになっている。私は直ぐに乗り込んだ。前回よりも広くて座り心地の良い馬車に、私の機嫌は最高潮に達していた。
少し遅れてお母様とシュリが乗ってくる。セシルもそれに続いた。
「ミレイユ、数日間よろしくね」
「エレナさん、勿論です!」
――エレナ・クレール。お母様の名だ。
お母様はミレイユの上司にあたる。エリックとは家が近いため、ミレイユのことも勿論昔から知っている。そのためお母様はミレイユを可愛がっているようだ。今回一緒に行くことを提案したのもお母様だった。
今回ナタリアには家の留守を預かってもらうことになっているため、5人での旅となる。前回は役所から紹介された護衛を一名つけていたのだが、今回は魔術師が二人も居るため護衛は雇わなかった。最近は盗賊による被害も数件あったようだが、さすがに魔術師団の馬車を襲撃する者はいないだろう。
「皆様、お気をつけて」
「ナタリア、お土産楽しみにしててね!」
馬車から身を乗り出して言う私に、ナタリアが笑顔で頷いた。
見送ってくれる姿が見えなくなるまで、私は馬車の中から手を振り続けた。
私たちを乗せ、馬車はウェルリオへと進んでいく。セシルは馬車の中を飛び回ったり、「ちょっと外に行ってくる!」と言って飛び出したりと、比較的自由にしていた。彼女の飛行速度は馬車を超えるため、追い付けなくなる心配もなかった。
苦労したのは、飛び回る彼女を目で追ったり、不用意に返事しないようにする、ということだ。危うく話しかけそうになった私をエリックが上手くフォローしてくれたのは助かった。本当に、エリック様様である。
お母様とミレイユにもセシルの姿は見えていないようで、何故エリックに見えているのか、という疑問は深まるばかりだったが、そういうもんだと深く考えることもなかった。
ホーヴィッツを出発して二日後、私たちは予定通りウェルリオに到着した。馬車から外を眺めると、前回同様活気のある街並みに心が踊るのを感じた。
馬車を停めるため、先ずは魔術師団ウェルリオ支部へと向かう。団員は魔術学校の卒業者が殆どであることから、この街との関係は深い。支部には優秀な魔術師も多く在籍していると聞いている。有名な魔術師に会えるかも、と期待を膨らませた。
「着いたわよ」
「わぁ……」
馬車から身を乗り出すと、魔術学校とはまた違ったお城のような雰囲気の建物に目を奪われた。街の中で一際目立つ白い色をしている。馬車を降りて直に見ると、その大きさに圧倒された。
「あそこに居るのが召喚術師のミハイルで、あっちに居るのが同じ治癒術師のローリエルよ」
お母様が遠くに見える魔術師たちを教えてくれる。私はまるで有名人を目撃したかのように目を輝かせた。
「エレナさーん!」
「クリスティーネ」
声の方へ目を向けると、金色でゆるいウェーブがかった髪の女性が走ってくるのが目に入った。大きく手を振り満面の笑みで駆けてくる女性は、この建物と相まってすごく絵になった。
「お久しぶりですぅ。今日ここに来られると聞いて、久しぶりにお会いできるのを楽しみにしていたんですよぉ」
「ありがとう。紹介するわね、私の娘のアリスとシュリよ」
「初めまして」
「クリスティーネですぅ。こんなに可愛らしいお子さんが居らっしゃるなんて、羨ましいですぅ」
彼女が私たちに微笑んだ。彼女はすこぶる美人さんで、そのほわほわした雰囲気はアンナに近いものを感じた。思わず見惚れてしまう。
「彼女は錬金術師よ」
「ほぇー」
「まだまだですけどねぇ」
照れ臭そうに微笑む姿もこれまた絵になる。錬金術は魔術の中でも難易度が高い。美人で高度な魔術が使える上に、この控え目な性格。私が憧れを抱くのに時間はかからなかった。クリスティーネはミレイユと同期であるらしく、ミレイユとも親し気に話していた。
「お母様はこんなにすごいところに所属してるんだね」
「アリスの入団も楽しみにしているわよ」
その言葉に、私は満面の笑みで頷いた。今回は魔術師団御用達の宿にお世話になることが決まっているため、先ずはそこへと向かうことにした。
宿は前回行ったアメルヒ商店街の近くにあった。商店街と同じく"あの"魔法の世界を彷彿とさせる建物に、私の興奮は最高潮に達していた。
宿の部屋も魔術師団御用達というだけあってとても綺麗だった。前世でいうところの星付きのホテルといった雰囲気の広い部屋に、道中の疲れも一気に吹き飛んだ。……星付きホテルなんて行ったことないから分からないけれど。エリックも初めての場所に興奮しているようだ。
各々の部屋に荷物を置き、居間へと集まる。
「お母様! 商店街に素敵な杖があってね!」
「そう。でも、先ずは魔術学校へ向かうわよ」
「魔術学校?」
「そう。制服の採寸よ」
「制服……!」
学校の象徴ともいえる、制服。
――そうだ、私はあの制服に袖を通すんだ!
その事実があまりにも嬉しくて、私は跳び上がって喜んだ。今日は精神年齢も9歳のようである。前世では学校に通えた日数もそれほど多くなく、また可愛いものでもなかったため、私はこの世界の制服を楽しみにしていた。
ソファで寛ぐ皆を急かし、早速魔術学校へと向かうことにした。
――ヴェンガルデン領立魔術学校 ウェルリオ学園
先日の記憶そのままの門に目を輝かせた。今日は入学予定者としてこの門をくぐるのだ。興奮を抑えられるはずもなかった。勢いよく走りだす――のを止めたのは、エリックだった。正確にはセシルも私の横を飛んでいたのだが。首根っこを掴まれ「きゃうっ」と初めての声を上げた。
「今日は一段と落ち着きがないな」
「落ち着いていられるエリックが異常なのよ」
彼が私を掴む手を放して「はいはい」と肩をすくめた。近くに居た職員と思しき女性に名前を告げると、彼女は名簿のようなものと名前を照合し、会場まで案内してくれた。門から一番近い建物で採寸が行われているそうだ。
「ようこそ、ウェルリオ学園へ。合格おめでとうございます」
中へ入ると、一人の女性が出迎えてくれた。採寸は個別に行われるらしく、一人一人ブースのようなところへと案内してくれた。
「それじゃあ、始めるよ」
私の採寸を担当してくれたのは恰幅の良いおばさんだった。彼女はステッキを持って呪文を唱え、私の全身の寸法を測っていった。その様子に、魔術って便利だな、と感心した。
「ここにあるものだと、これが一番近いね」
そう言うと、奥から持ってきた服を私に見えるように並べた。黒のブレザーとスカートには白色の刺繍があしらわれ、ブレザーとブラウスの胸元にはヴェンガルデン領を示すワッペンが縫い付けてある。その制服の可愛さは勿論のこと、私の目が釘付けになったのはえんじ色のマントだった。
学年により刺繍の色が違うという点も含め、総合・武術・魔術学校では同じ制服が使われている。唯一違うのが、このマントだ。
お父様の瑠璃色のマントが近衛騎士を示すように、この国ではマントが所属を示す重要なものとして認識されている。そして、瑠璃色のマントを身に着ける者がラピスラズリと呼ばれているように、それぞれに通称があるのだ。
総合学校は黒色のマント。通称『ブラック』
武術学校は緑色のマント。通称『ビリジアン』
そして、私の入学する魔術学校は濃い赤色。通称『マルーン』
普段はマントを着用する必要はないのだが、公式行事等では着用が義務付けられている。お母様も学生時代身に纏っていたという、その濃い赤色のマントが私の憧れだったのだ。
「マルーン……」
「お嬢ちゃん、よく知っているね」
彼女は微笑むと、私に制服とマントを着せてくれた。鏡の前に立ち自分の姿を確認すると、本当に『マルーン』になるんだと実感が湧いて、頬が緩むのを抑えられなかった。「よく似合っているよ」と褒められたことに気を良くし、鏡の前でくるりと一周する。私の身体に合わせたものは完成次第家へと届けてくれるらしい。そのまま暫く鏡を見て満足した私は元の服へと着替えた。
ブースの外に出ると、既に採寸を終えた二人が待っていた。
「アリス、遅い」
「ご、ごめん……」
エリックに叱られ少しだけしゅんとする。そんなに長い間鏡を見ていた自覚はなかったのだが、いつの間に時間が経っていたのやら。
部屋の外で待っていたお母様とミレイユと合流すると、「次は商店街よ」というお母様の言葉に、しゅんとしていたことも忘れ跳び上がって喜んだ。私にはセシルの切り替えの早さに呆れる資格はないかもな、と頭の隅で思った。
だが、そんなことを考えている暇はない。一刻も早く大天使様の杖を手に入れなければならないのだ。これに失敗したら、リュシュシエル様から大目玉を食らうに違いない。あのときの神様の疲れた様子を思い出し、同じ目には合いたくない、と強く思った。