17 両親の思惑
「お父様は暫くここに帰って来てたけど、昨日戻って行ったよ」
「そう。あの人とは遠征先で会ったわよ」
「遠征!?」
遠征とは、つまるところ抗争のようなものだ。そのことはお父様から一切聞いていなかったため、私はとても驚いた。
お母様と家に入ると、ナタリアとシュリが出迎えてくれた。挨拶を交わし、居間へと向かう。ナタリアが紅茶を淹れてくれた。
「やっぱりナタリアの紅茶が一番ね。ホッとするわ」
「恐縮です」
「この子たちのこと、世話を掛けたわね」
「いえ。私も楽しませていただきましたから」
ナタリアが私とシュリを見て、優しく微笑んだ。私もすごく楽しかった。ナタリアには感謝してもしきれない。私は精一杯の笑顔を返した。
「では、私は席を外します。何かあればお呼びください」
そう言うと、ナタリアは自室へと戻っていった。彼女が席を外すのは珍しい。その行動を疑問に思いつつも、お母様に向き直った。
「お母様、今回のお話を聞かせて」
「あら、アリスがそんなことを言うなんて、珍しいわね」
きょとんと首を傾げたが、思い返して納得した。私はお母様にお仕事の話を聞くこともしていなかったようだ。口を開けば課題のことや魔術のことばかり……少し反省した。取っ手付けたように言葉を返す。
「私は魔術師の卵だからね!」
「そうね。その前に、その卵について報告することがあるんじゃない?」
お母様が私の顔を覗き込み、いたずらっぽく笑った。
「あっ! そうだった!」
コホン、と一つ咳払いをし、姿勢を正す。
「私、魔術学校に合格しました」
「私も合格しました」
「おめでとう。さすが私の娘たちね」
「それ、お父様も言ってた!」
3人で笑うと、シュリも本当に家族のように思えて、幸せを感じた。ふと、地球の家族が頭をよぎる。高校受験に合格したときも、こんな風に喜んでくれたっけ。確実に合格できる高校を受験したのだから当然なのに。クスリと笑みが零れた。目を瞑り、心の中で呟く。
――皆、私、頑張ってるよ。
しみじみしていると、お母様の弾んだ声で現実に引き戻された。
「それじゃあ、今後の準備をしなくちゃね。杖も買わないと。ローブも必要ね。それから……」
楽しみなのは私も同じだが、このままだと話がそっちに流れてしまう。慌ててお母様を引き留めた。
「お母様! 今回のお話!」
「あら。……そうね、先ずはそれから話しましょうか」
そう言うと、今回の長い不在の間のことを話してくれた。お母様は、遠征で怪我をした者たちの治療にあたっていたそうだ。お父様も近衛騎士としてその最前線で戦ったらしい。今回は騎士のみならず、街で働く兵士も駆り出された大規模なものであったため、死者も重傷者もとても多かったようだ。
「騎士の中には平民に治療されたくない、って人も結構いてね。治癒術師である以上、身分や職業に関係なく治療したいと思っているのだけれど……上手くいかないものね」
「そんなことが……」
初めて聞く話に、私は心底驚いた。お母様は魔術師団に属している。それは魔術師を志す者の憧れだ。魔術で華麗に戦い、救い、守る。憧れの的である彼らが邪険に扱われるなんて、想像できなかった。
お母様曰く、貴族の魔術師は代々仕える家が決まっていることが多く、その家のお抱えの魔術師として働くのだそうだ。魔力は遺伝による影響が大きいため、優秀な魔術師を輩出する家系を囲うことは、貴族にとって重要なことらしい。そのため、魔術師団に属する者は自然と平民が多くなる。
騎士はその殆どが貴族であるため、魔術師団の者に対してそのようなことを言ったのだろう。貴族と平民――その格差は、私が思っている以上に大きいようだ。
魔術師団には専門術師と呼ばれる特定の能力に秀でた魔術師も多い。治癒術師もその一つだ。その能力だけを見れば、例え貴族であってもお母様の右に出る者はいない。……というのは私が勝手に思っているだけだが、それ程すごいのだ。そんなお母様を平民というだけで無碍にした騎士に、心底腹が立った。
そんな私の怒りを感じ取ったのだろうか。お母様が話題を変えた。
「そうそう、あの人はホーヴィッツとドリナスから来ていた兵士の訃報を知らせるために、こっちに帰ってきていたのよ」
休みと言っていたのに頻繁に外出していたのはそのためだったのか、と察した。どこかに馬で出掛けて行っては、疲れた顔で帰って来ていたお父様の姿を思い出す。そんな状態でも私たちとの時間をつくってくれていたのだから、超人という他ない。
「家族の訃報を知らせる者につらく当たる者も多いわ。本来は兵士や新人騎士の役目でもあるのだけど……あの人らしいわね」
お母様はため息混じりに言うと、「貴女たちに会いたかった、というのもあるでしょうけど」と笑った。私たちはそんなこと何も聞いていなかった。9歳の娘に聞かせる話ではない、というのもあるだろうが、きっと心配させたくなかったのだろう。お父様はそういう人だ。
「お父様は、どうして騎士になったの?」
「それは、今度直接聞くといいわ。アリスがようやく興味を持ってくれたって、きっと喜ぶわよ」
私は、近衛騎士になったの、と聞いたときのお父様の顔を思い出した。あの複雑な表情には、私が興味を持っていないことの悲しみも含まれていたのかと、申し訳なく感じた。
「それじゃあ、お母様はどうして魔術師団に入ったの?」
「そうねぇ……」
そう言うと、お母様は遠くを見つめた。その顔は、どこか悲し気に見えた。
「治癒魔術が得意だったから、かしらね。それを活かして多くの者を救いたいと思ったの。それには魔術師団に属するのが一番だと思って」
特定の者に仕えたら、多くの者は救えない。……そういうことなのだろう。
魔術師団の主は領主という扱いであるため、要請があれば様々な場所に向かうことになる。それはお母様の理想であったが、そこで先程のような暴言を吐かれることも少なくないらしい。
素敵な動機と厳しい現実のギャップを感じて黙り込んでいると、暗い雰囲気を断ち切るようにお母様がパンッと手を叩いた。
「そんなことより、入学試験の事を聞かせて。楽しみにしていたのよ」
「あ、うん。えーっとね……」
もっとお話を聞きたかったが、入学試験の話も大事だ。私はあの日の事をお母様に話した。魔術の試験が簡単だったこと、私の魔術を見て皆が驚いていたこと、皆の魔術がショボかったこと、等々……話していると、あのときの視線を思い出して泣きそうになったが、ぐっとこらえて話し続けた。
シュリもそれを黙って聞いていた。彼女とは試験のことを改めて話したりはしなかったが、その様子から同じような経験をしたのだろうと思った。
お母様は初めは笑顔で聞いてくれたが、驚いたように目を見開いたかと思うと、徐々に表情が硬くなっていき、最後には頭を抱えてしまった。
「……ってことがあったよ」
「そう……」
私が話し終えると、お母様は大きな溜息を吐いた。そして私たちに「ごめんね」と言った。何故謝られたのか分からず首を傾げると、今までの事を話してくれた。
当時、ホーヴィッツでは数年間魔術学校の合格者が出ていなかった。卒業生であるお母様はそれを不思議に思っていたものの、試験の内容が難しくなったのかしら。受験生は大変ね、と半ば他人事のように思っていたそうだ。
そんなある日、私の『無詠唱魔術が使えるようになりたい』発言をきっかけに、両親の意識が変わった。思えば、私はあの日を境に皆と練習することを止め、1人で練習することになったのだが……それには、両親の思惑も関係していたようだ。
無詠唱魔術を習得するには、魔術学校に通った方が良い。両親は、私たちに相応の実力を身につけさせる計画を練った。今年もホーヴィッツからの合格者はゼロ。それにも関わらず、周囲の街は毎年合格者を輩出している。この街のやり方では、合格することはできない。そこで、あの手この手を使って、私とシュリだけで練習させるように仕向けたのだそうだ。
私は自ら『他の子と肩を並べて練習していたら、いつまで経っても以下略』という道を選んだつもりだったため、心底驚いた。まさか両親に誘導されていたとは……全く記憶にない。同時に、シュリの記憶が本当にナチュラルに織り込まれていることに感心した。天界の魔術、やっぱりすごい。
「それで、あの人と話して『どの程度できれば合格できるのか分からないなら、できるとこまでやらせればいい』という結論に至ったのよ」
「ええぇぇ……」
何という脳筋思考。先程まで、計画を練ったとか仕向けたとか策略家っぽいワードが出ていたにも関わらず、結論がそれとは……私はおそらく、一番驚いた。しかし、少し考えれば分かることだ。魔術師の母と騎士の父――2人は、その実力のみでその地位までのし上がったのだ。策略家とは程遠い。
頬に手をあて、首を傾げて困ったように微笑むお母様の姿は可憐な女性そのものであったが、その口から紡がれる「まだやれる、まだやれるって、つい」という発言、思考は脳筋そのものだった。
「必死だったとはいえ、やりすぎてしまったみたいね。つらかったでしょう」
お母様が私たちの頭を撫でた。眉を八の字にした笑顔が、心に刺さる。
「そんなことないよ!」
気付けば私は立ち上がり、声を上げていた。両親の思惑は確かに驚いたが、それ以上に嬉しさを感じた。魔術に関しては、特につらいと思ったことはない。好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。私は魔術の練習が大好きだった。
「私は二人に感謝してるよ」
同時に、自分がどれほど恵まれているのかを知った。私にやる気があっても、両親がそれを応援してくれなければ、ここまで上達することはなかっただろう。それに、私にはシュリが居る。天使見習いに直接指導してもらえる者なんて、この世界のどこにもいないだろう。
お母様は私の言葉を聞いて安心したように「良かった」と言った。
「私、魔術学校で一番になる!」
するりと口から出た言葉に、自分でも驚いた。思わず口を押えると、隣から声が聞こえた。
「私だって、アリスには負けませんよ」
目を向けると、シュリが妙に大人びた笑顔で私を見ている。私たちを見比べて、お母様が笑った。
「期待しているわ」
私の尊敬するお父様、お母様、そしてナタリアの愛情を存分に受けているのだ。皆の期待に応えたい。たった今できた目標だけど、それに向かって精一杯頑張ろう。何たって、私には無詠唱魔術が――あ。
大事なことを、伝え忘れていた……
「お母様、あのね……」
「どうしたの?」
急にしおらしくなった私の様子を、お母様が不思議そうに見つめた。
「お父様に、無詠唱魔術は使わないように、って言われたの……」
「あら、どうして?」
「悪い奴らに目を付けられるかもしれないから、って」
お母様はそれを聞くと、頬に手を当て思考を巡らせ始めた。無詠唱魔術が使えるようになったことを報告した時は、一緒に喜んでくれたのだ。自分も使えるため、それ程特別な事だとは思わなかったのかもしれない。
「確かに、その可能性はあるわね。この街で使う分には問題ないと思っていたけれど……学園は中央に近いから、変に目立たない方が良いかもしれないわ」
「……わかった」
「そんな顔しないの。二人が優秀なことは、私たちがちゃんと分かっているから」
その言葉にハッとして、両頬に手を添えた。無意識の内に不貞腐れた顔でもしていたのだろうか。視線を動かすと、シュリが呆れた顔で私を見ていた。子供だな、とでも思っているのだろう。
……はいはい、さすがは200歳ですね。
ばつがわるく感じて、心の中でこっそり悪態を吐いた。