13 大天使様の杖 2
『はぁ。だから、忙しいと言っただろう?』
神様の呆れた声が響いた。
曰く、自分が加護を授けた杖が売りに出されていることに気付いた大天使様が、怒り心頭で『許せない!どうにかしなさいよ!』と連日神様に文句を言いに来ているのだという。昨夜はシュリにそのことを伝えようと念話した矢先、またしても大天使様が現れたため、彼女に矛先が向かないように念話を切らざるを得なかったそうだ。『落ち着いたら話そうと思っていたのに、なかなか落ち着いてくれなくて』と言った神様の声色からは、その苦労が伺えた。
……神様ってただ偉いだけの方だと思ってたけど、大変なんだなぁ。
『そんな話はどうだっていいわ! シュリエル、それを手に入れるのよ!』
神様の話をぶった切り、大天使様が捲し立てるように言った。神様が『矛先が向かないように』と気遣ってくれたのも納得の勢いだ。
『そう言われても……ここは下界ですよ。天界と同様に、とはいきません』
『あのお婆さんの記憶をいじって持ち出せばいいじゃない』
『私は今、大勢の記憶を変えているのですよ。これ以上は無理です』
記憶を変えるのにも限度があるのか。新情報である。しかしそれ以上に強烈な言葉が聞こえた気がした。
私の脳裏に、座学の答えを念話で教え合えばいい、と言ったシュリの言葉が蘇る。カンニングしようと言う娘と、万引きしろという母。……なるほど、母娘である。天界と下界の常識の違いを垣間見た気がした。
『ああもう! じゃあ一体誰が取り返してくれるっていうのよ! 早くしないと、別の者の手に渡ってしまうじゃない! 私は、私が認めた者にしか加護を授けたくないのよ!』
大天使様が痺れを切らしたように声を上げた。その認めた者に売られて怒っているんじゃないのか……なんてことは怖いので言わないが、彼女なりに事情があるようだ。
神様は私に買い取ってくれと言ったけど、できれば関わりたくはない……そう思っていると、神様の声が頭に響いた。
『アリスに頼めば良いじゃないか』
『アリス? あぁ、シュリエルの監視対象?』
監視対象――それは、なかなかにパンチの効いたワードであった……
やはり神様は私に買い取らせたいのね、と思うと同時に、天界ではそう呼ばれているんだな、と悟り言葉を失った。もう少しマシな呼び名はないものか……
『アリスには、その権限はありませんよ』
『どうして?』
『手に入れるには、買い取るしかありません。それにはお金が必要なのです』
『それがなんだっていうの? お金くらい、用意すればいいじゃない!』
『私はこちらではまだ子供です。ご家族の協力が必要です』
『なによ協力って! それに、いずれは必要になるでしょう!?』
大天使様はこの世界のことをどこまで知っているのだろうか。お金のことはピンときていないようだが、魔術師に杖が必要なのは知っているらしい。
正確には、上位の魔術師以外には必要だ。私も入学する前に買ってもらうことになっているため、"いずれ必要になる"というのは間違っていない。
ちらりとシュリを見ると、未だに青い顔で狼狽えていた。気丈に振舞ってはいたものの、母親に口で勝てることはないと分かっているのか、戦意喪失しかけている。彼女がこの状態では仕方がない。先程のダメージは残っているものの、意を決して話しかけることにした。
『あのぅ……大天使様。アリスと申します』
『あら、監視対象ちゃん。居たのね』
監視対象ちゃん……再び心に何かがグサリと突き刺さる。そんな私を見たシュリが『お母様、アリスと呼んでください』と言ってくれた。シュリが救世主に見えた。
『では、アリス。私のことはリュシュシエル、と呼んでちょうだい』
『ええと……リュシュシエル様。あの素晴らしい杖は、私には分不相応と存じます』
『あら。どうして?』
『杖は、使用者の能力に見合ったものでないと能力を発揮できないのです』
……そう。杖は自分に合ったものでなければ意味がない。分不相応のものを使うと能力を存分に発揮できないばかりか、魔力が暴走してしまう。……いつかの私のように。
自分に合ったものがどういうものなのか、私にはまだ分からない。それでも、大天使様の杖が私に見合うとは到底思えなかった。
『その心配は無用よ』
『何故ですか?』
『貴女はあの杖を"素晴らしい"と言ってくれた。それが答えよ』
さらりと紡がれたその言葉からは、先程までの荒々しさは微塵も感じられなかった。キョトンとしていると、シュリが補足してくれた。
『お婆さんのように認識させられた場合は別ですが、誰の力にもよらずに真実の姿を見ることができたということは、それを使うに値する能力があるということです』
――神様が私に見えたことを『良かった』と言ったのは、そういうことだったのか。
『それに、見習いからも聞いているわ。貴女は優秀のようだ、ってね。……ほら、幼い子、覚えてない?』
『幼い子、ですか?』
そんな子を知っているような、知らないような。前世の記憶と綯い交ぜになり、急に言われても思い出せない。うーん、と首を捻っていると、神様が助言をくれた。
『私が君たちの元に現れたときに、同行していた子だよ。彼女が君の暴走の予兆に気付いたんだ』
……あ、思い出した。あのときの幼女だ。
いつの間にか現れて、紅茶を淹れてくれた幼女。シュリを真顔で見ていた幼女。
『彼女が優秀だと言うのなら、間違いないわ。それに、貴女は私の大事な娘が選んだ子だもの。貴女になら加護を授けてもいいわよ』
『か、加護!? いや、そんな滅相もない……』
それが何なのかは知らないが、大天使様の加護というだけで恐れ多い。私なんかがそんなものを貰っていいはずが……あれ?
『シュリが、選んだ……?』
確かにリュシュシエル様はそう言った。どういうことだろうか。彼女は神様に選ばれて監視役になったはずだ。
『ええ、そうよ。シュリエルったらすごかったんだから。私を是非監視役に! って、ね。あの子が自分の意見を言うことなんて滅多にないから、驚いたもの』
リュシュシエル様がうふふ、と笑うと、シュリが赤い顔で俯いた。
『お母様、それは言わないでください……』
彼女のか細い声が響く。そんな風に思っていたんだと思うと、なんだか心が温かくなった。
『それで、アリス。その役目を引き受けてくれるかい?』
『ええと、それは……家族に聞いてからじゃないと……』
お金のことは、私ではどうしようもない。大天使様の加護を受けた杖なのだ。きっと、すこぶるお高いのだろう。それに、大天使様は心配無用と言ったものの、やはり私にはふさわしくないように感じた。
困惑していると、ふぅっ、と短いため息が聞こえた。
『今日のところは、もういいわ。どうせあの杖の価値に気付く者なんてそうそう現れないんだもの。貴女たちが見つけてくれて、嬉しかったわ』
『お母様……』
シュリがホッと胸を撫でおろした。
『アリス。家族と話した結果は、また教えてちょうだい』
『はい』
リュシュシエル様は本当に落ち着いたようで、『じゃ、またねー』と言ったのを最後に、声が途切れた。
『シュリエル、アリス。助かったよ。これで通常通り業務が行える』
どうやら神様も安堵しているようだ。心なしか、声色が明るい気がする。余程リュシュシエル様が手に負えなかったのだろう。神様も『吉報を待っているよ』と言ったのを最後に、声が途切れた。
シュリと二人で安堵の溜息を吐く。どうやら無事に解決したようだ。
「アリス、ありがとうございます」
「いいえ。良かったね」
シュリが笑顔ではい、と言った。
「ねぇ、神様とリュシュシエル様はああ言ってたけど、あの杖はシュリが使った方がいいんじゃ……」
「お母様の杖をですか? 勘弁してくださいよ……」
シュリは心底嫌そうな表情をした。曰く、加護を受けた杖を使う者は、授けた者と意思の疎通を取ることができるらしい。その者の力を借りることもできるようだ。
「小言はもう沢山です。それに、私はお母様の力を借りるようなことはしたくありません。早く一人前にならなくては」
そう言った彼女の眼には、強い意志が宿っているように見えた。そして「この数日間、母からの思念映像がなかった理由が分かりました」と呟いた。おそらく、怒りでそれどころではなかったのだろう。彼女は母親から連絡がないことを寂しく感じていたようだ。小言はたくさん、と言いつつもなくなると寂しいなんて。可愛いところもあるものだ。
「お母様があの杖を選ぶことに賛成してくれるといいんだけど」
「そうですね」
お母様にあの杖の真実の姿が見えるのだろうか……という心配はしてないが、大天使様の加護を受けた杖、なんて説明で伝わるものだろうか。
そんな話をしていると、ナタリアとエリックが店から出てくるのが目に入った。なかなか戻ってこない私たちに、とうとう痺れを切らしたようだ。
「ナタリア、心配かけてごめんね」
「いえ、何事もなければ良いのです」
ナタリアに心配かけるのも控えなきゃな、と思うと同時に、エリックの興奮した声が聞こえた。
「なぁ、あの店すごいんだぜ! ナタリアは分かってくれなかったけど、すんごい杖があってさ! アリスかシュリにぴったりだと思うぞ! 大天使がどーのこーのって店の婆ちゃんが言ってた! オレもあんな感じのカッケー杖、欲しいなー」
どうやら、さっそく杖の価値が分かる者が現れたようだ。
……お母様とここに来る日まで、残ってるのかな……?
私は、些か不安を覚えたのだった……
シュリの顔色が良くなったため、お店巡りを続けることにした。次に入ったお店は装飾品型の魔術道具を取り扱っていたし、その次のお店はポーションや薬草、その次のお店には魔術書……他にも魅力的なお店が沢山あって、一日では時間が足りなかった。
「合格して、またここに来れたらいいね」
「オレたちなら合格間違いねぇだろ! 楽しみだな!」
「そうですね、楽しみです」
私たち三人を見て、ナタリアが微笑んでいた。