12 大天使様の杖 1
「どこに行くんだ?」
「うーん」
持ってきていた地図をテーブルに広げ、四人でそれを見つめる。ここから近いところで何かないかな、と考えを巡らせていると、以前お母様から聞いた場所が頭に浮かんだ。
……確か、魔術学校の近く……あった!
「ここにしよう!」
エリックが身を乗り出す。私が指さす先を、食い入るように見つめた。
「アメルヒ商店街?」
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私は、この世界で初めて目にする光景に思わず息を飲んだ。石畳の道、その両側に所狭しと並ぶ商店、ローブを着た学生と思しき者たち……
――ここはまるで、"あの"魔法の世界。
私たちは、ウェルリオの二大商店街の一つ、アメルヒ商店街へやってきた。ここは、お母様が学生時代に足繁く通っていたそうで、私もいつか行ってみたいと、思いを馳せていたのだ。
ウェルリオは田舎のホーヴィッツと違い、魔術道具が数多く売られているらしい。中央に近いというのも理由の一つだが、魔術学校があることが主な理由だとナタリアが教えてくれた。生徒にとって、魔術道具は授業にも使う身近なものだ。
――まさか、これほど素晴らしいところだったなんて! 魔術があって、こんな街並みがあって……もしかして、魔術学校も"あの"映画のような……ああっ! 夢みたい! 神様、ありがとう!!
私は震えた。まるで"夢の国"に来た子供のように、胸の高鳴りを抑えることができなかった。……"あの"テーマパークは別の場所にあるのだけれど。
感激のあまりその場から動けずにいると、そんな私を無視して、赤と白の二人組が一番手前のお店へと入っていくのが見えた。
「アリスお嬢様、私たちも参りましょう」
「あ、ハイ」
二人を追うように店の中へと入る。店内は薄暗く、商品と思しき物が所狭しと並んでいた。
「おい、アリス見てみろよ! 魔術通信機だ!」
「本当だね、家にある物より小さい」
「アリスんちには、そんなモンまであんのかよ!?」
「え?」
家にあるのは、置型の魔術通信機――固定電話みたいなものだ。ここにあるものは子機のような形をしていた。携帯電話と言える程小さくはないが、使いやすそうに見えた。
お母様の帰りが遅くなるときや、急な仕事で数日帰れない、なんてことがあったらその魔術通信機に連絡がくるため、我が家では必須アイテムで、あって当然のものだ。エリックが驚く意味が分からなかった。前世ではスマホが当然のように普及していたのだ。連絡手段がないのは困る。
「これ、めっちゃ高ぇんだぞ! しかもホーヴィッツには売ってないし」
「えー? どれどれ……」
値札を見ると、そこにはT200,000と書いてあった。Tというのが、この国の通貨単位なのだろうか。初めて見る単語に首を傾げる。そういえば、私はこの世界で買い物をしたことがなかった。それどころか、まともにお金を見たこともない。他の家庭では子供がお遣いをすることもあるだろうが、我が家では全てナタリアがしてくれている。そのため、物価も何も知らなかった。
「これが高いかどうかなんて、分からないよ……」
「アリスってホント世間知らずだなぁ」
精神年齢はずいぶん下のはずのエリックに言われ、少しムッとする。それに気付いたのか、ナタリアが「近いうち、お金についてもお勉強しましょう」と言ってくれた。まだまだ学ぶことは多そうだ。
『―――――』
ふと、店の奥から何か聞こえた気がした。すぐに振り返ったものの、それが何だったのかは分からなかった。人の声かもしれないし、ただの物音かもしれない。普段なら気にも留めないが、何故だか無性に気になった。
キョロキョロと見回しながら歩く。店内はそれほど広くはないものの、ガラクタのようなものから新品のものまで所狭しと並んでいるため、どこから聞こえたのか分からなかった。
気のせいか、と引き返そうした瞬間、視界の端に金色の粒子が映った。見慣れた粒子には違いないが、何が起こるでもなく、誰かが現れるでもなく、ただ漂うだけのそれに僅かに違和感を感じる。ぐるりと店内を見渡すと、何処かに続いているかのように点々と漂っているのが目についた。先程までなかったはずのそれを不審に思いつつ、眼で追った。
そして――私は、部屋の隅から目が離せなくなった。こんなものがここにあっただろうか。これ程存在感のあるものを見落とすはずはない。多くの商品が並ぶ中で、それだけが明らかに他のものとは違った。
神々しく光り、煌びやかな装飾を纏う、威圧感すら感じる杖――。
「お嬢ちゃん、お目が高いねぇ」
目が釘付けになっていると、背後から人の声がした。ハッと我に返って振り向くと、そこには優しく微笑むお婆さんが立っていた。
「これは……」
「お嬢ちゃんには、どう見えるかい?」
「すごく、綺麗な杖……」
「その様子だと、ちゃんと見えていると思ったよ」
お婆さんが満足気に頷いた。意味が分からず首を傾げる。
「普通の人には、何の変哲もないただの杖に見えるんだよ」
「いやいや、そんな、まさか……」
「その、まさかだよ。これはね、余程の魔術師にしか本来の姿を見ることができない杖なんだと。こんなに煌びやかなのに、それを知る者は少ないなんてねぇ……珍しいだろう?」
「はぁ……」
その見た目からして、貴重なものであることは容易に想像できたが、そんな不思議なものだとは思えなかった。何せ、私には綺麗な杖にしか見えないのだから。
「お婆さんは魔術師なの?」
「いいや、私はただの商人だよ。これを売りに来た魔術師が、この杖の素晴らしさを見せてやるから買い取ってくれ、と言ってきかなくてねぇ。私にも見えるようにしてくれたのさ」
「へぇ……」
そんなことができるのかと思うと同時に、一瞬、お婆さんがニヤリと口角を上げたのが分かった。その不敵な笑みに、心臓がドクンと波打つ。
「そいつは、大天使シュリュシエル様の御加護を受けた杖だ、と言っていたよ。私には本当かなんて分からないけどねぇ」
「大天使……?」
天使、という言葉には聞き覚えがある。もしかしたら、シュリなら知っているかもしれない。僅かに鳥肌の立つ腕をさすりつつ、彼女を呼ぼうと振り返った。
「ぎゃっ!!!」
目の前には、顔があった。驚いた拍子に倒れそうになったが、どうにか踏ん張り事なきを得た。どうやら、彼女は私の背にぴったり沿うようにして立っていたようだ。
「びっくりしたぁ……居るならそう言ってよ……」
心臓が止まるかと思った。何故そんなところに居るのかと改めてシュリを見ると、彼女の顔は青ざめ、身体はガクガクと震えていた。
「ど、どうしたの?」
シュリが私の袖を掴む。そして、小さく呟いた。
「大天使シュリュシエルは……私の、母です……」
……ええええええ!?!?
心の中は大騒ぎなのに、現実には声が出なかった。口をパクパク動かすのが精一杯で、何も発することができない。
――お母さんが大天使!?え!?もしかしてシュリってサラブレッドなの!?
天界の勢力図は知らないが、何となくそう思った。大天使様って偉そうだし。
「何で、これがこんな所に……もしお母様に知られたら大変な……あっ……」
私の服を掴む手に、力が籠るのを感じた。
「もしかして、神様の、念話……?」
シュリが青い顔でコクリと頷く。
「一先ず、ここを出よう」
お婆さんにお礼を言うと、彼女は少し残念そうに「またおいで」と言った。シュリの手を取って歩き出す。
ナタリアとエリックは、店主と思しき男性と商品を見ていた。シュリと外に居るね、とだけ伝えて店を出る。「お嬢様?」と呼ぶナタリアの声が聞こえたものの、追いかけてくる様子はない。もしかしたら、エリックが止めてくれたのかもしれない。
私たちは近くのベンチに並んで座った。
「神様に念話してみたら?」
「そうですね……では、アリスも念話できるように、同期します」
シュリが私の額に手をかざす。同期とはなんぞや、と思っていたら、シュリの声が頭に響いた。
『神、聞こえますか。シュリエルです』
暫しの沈黙の後、男性の声が頭に響いた。それは、間違いなく先日聞いた神様の声だった。なるほど、これが同期かと、感心した。
『やあ、シュリエル。ちょっと今は忙しくてね。後にしてもらえるかい?』
『昨夜の念話の件です』
『それは、また後で念話すると言っただろう?』
神様は、駄々をこねる子供を宥めるように言った。シュリが食い下がる。
『母の加護を受けた杖を見つけました』
『……そうか、見つけてくれたか』
神様が静かに言葉を発した。その口ぶりから、やはりこの件だったかと悟った。
『神様、アリスです。私も見ました』
『そうか、君にも見えたのか。それは良かった』
一体、何が良かったのだろうか。シュリを見ると、彼女は知らないとでもいうように肩をすくめた。神様が言葉を続ける。
『その杖を、買い取ってくれないか?』
『え……?』
――大天使様の加護を受けた杖を、買い取る?
見つけたのは商店なのだから、おかしなことではない。だが、天使や神に関するものを"買い取る"というのがなんだかピンとこなかった。
『どういうこと――』
『シュリエル! 見つけたのね!』
突然響いた大声に、思わず頭を押さえる。シュリの目が大きく開いた。
『その声は、お母様!? どうしてそこに……』
『神に文句を言いに来たのよ!』
元気の良すぎるその声は、先日夫の愚痴を言っていたシュリの母親――大天使リュシュシエル様のものだった。