11 入学試験と胸騒ぎ
昨夜のシュリの妙な発言はなんのその。ぐっすり眠れた私は、清々しい朝を迎えた。シュリの目の下にはうっすらと黒い影があるような気もするが……気にしないことにした。
血反吐を吐くような勉強期間を乗り越え、遂に今日は入学試験当日だ。……というのは些か、否、かなり大袈裟であるが、私たちは本当に本当に頑張った。
「アリスお嬢様、落ち着いて、普段通りに行うのですよ」
「分かってるよ。ありがとう」
ナタリアが私たちの手を一人ずつしっかり握り、それぞれに声を掛けてくれた。ほんの少し緊張していたのだが、私よりも彼女の方が緊張している様子を見て体の力が抜けた気がする。
彼女に見送られ、試験会場である魔術学校へと向かう。この街に着いて早々、皆でここにやって来たのだ。道はしっかり覚えている。……エリックが。
「お前らホントしっかりしろよなー」
呆れたようにエリックが言った。彼にそう言われるのも無理はない。彼が居なかったら、私たちは会場にすら辿り着けなかったかもしれないのだから。
宿を出発して早々、私とシュリは揃って逆方向へと歩いて行った。……エリックとナタリアが慌てて呼び止めたのは言うまでもない。その後も何度も同じ事をやらかし、「オレの後ろを付いて来ること!いいな!」と釘を刺されたところだ。徒歩10分程度の間に一体何度間違える気なのか、と自分に辟易する。
「へーい」
「はーい」
「……まったく。ま、おかげで緊張が解れたわ」
ポンコツな私たちの相手をしているうちに、肩の力が抜けたらしい。呆れて見捨てるでもなく、怒るでもなく、忍耐強く接してくれるエリックはとても9歳とは思えない。年齢詐称でもしているんじゃなかろうか。いずれにせよ、エリックが一緒で本当に助かった。
「ほら、着いたぞ」
その言葉を受け視線を前方に向けると、昨日見た門が目に入った。前を見据え、力強く一歩一歩前へ進む。門の前に立つと、強風が私を煽った。まるで魔王城へとやってきた勇者になった気分だ。
――やってやるんだ。今までの努力を、今日、ここで発揮する。
決意を固め、拳に力を込めた。一歩を踏み出そうとした、その時。
「あー、そこの方、受付はこちらに並んでくださいねー」
「え? ……あ、ハイ」
声のした方へ顔を向けると、門の端にはずらりと並ぶ人の姿があった。全く目に入っていなかった……
変に注目を浴びたことにより、次第に顔が熱を帯びていく。そそくさと最後尾へ向かうと、白けた顔の二人が並んでいた。
「ちょっと! 教えてくれたっていいのに!」
「ちゃんと声かけたからな? それを無視して進んでいったのはアリスだからな?」
「やれやれ、です」
……そんな、白い目で見ないでっ!
受付では番号の書かれた木札を受け取った。整理券のようなものかと思ったが、木札の番号はランダムのようで、3人とも番号が離れていた。どんな意味があるのだろうかと思いつつ、貼りだされている試験要項に目を通した。
・実技試験は全部で5回行う。
・木札に書かれた番号順に5人1組で会場へ入り、同時に試験を始める。その後会場を移動し、同様に試験を行う。
・実技試験が終了した組から座学試験の会場へと移り、6組が集まり次第、座学試験を始める。
「私は5番、エリックは21番、シュリは74番かぁ。シュリとは座学試験の会場も別になりそうね」
『早く終わらせて、私に教えてください』
『ナチュラルに念話してこないで』
まだ念話に慣れていないため、いきなり使われると心臓に悪い。声を上げなくなっただけ進歩した方なのだが。ちらりとシュリを一瞥すると、彼女は不満そうに口を尖らせていた。200歳の表情とは思えない。
「ほら、行くぞ」
エリックに促され、敷地に足を踏み入れた。
――いよいよ、始まる。
=====
赤い空に、赤みを帯びた雲が広がっている。
実技、座学、共に試験が終了した。今は3人で宿へと向かっているところだ。なんだか言葉を交わす気になれず、ただただ呆然としてしまう。それは2人も同じようで、全員が口を噤んでいた。
周囲の喧騒から切り離されたような空間に、何故か「グゲェー」という変な鳥の鳴き声が響いた。
結論を言おう。試験は、簡単だった。
……もう一度言おう。実技、座学、共にめちゃくちゃ簡単だった。
何故、こんな簡単な試験を難しいものだと思っていたのか……甚だ疑問である。
目を閉じると、鮮明に思い出す。実技の試験官の、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を。試験官が他の4人の魔術を全く見ていなかったことにより、私抜きで再度試験が行われたことを。……それも、5回全部。そして、そんな私を怖いものでも見るような、不気味なものでも見るような、そんな恐怖心と嫌悪感がみっちり詰まった4人の表情を……
彼らには、きっと何らかのトラウマを植え付けてしまったのだろう。私も存分に植え付けられた。人の視線、コワイ。
「試験、終わったね」
「……だな」
「……ですね」
帰り道での会話は、これだけだった。
宿に着くと、ナタリアがロビーで出迎えてくれた。気になって、部屋では待っていられなかったらしい。同じような保護者がちらほら見受けられた。
居間へ入りナタリアが淹れてくれた紅茶を飲むと、身体が温まると同時に心も少し解れた気がした。ようやく周囲に目を向ける余裕ができると、ナタリアが不安気な表情をしていることに気が付いた。戻ってからずっと私たちの表情が"無"であるため、困惑しているようだ。
「……オレ、多分上位クラスだわ」
一番に口を開いたのはエリックだった。その言葉を聞いて、やっぱりな、と思った。二人が呆然としていたのは、おそらく私と同じ『え? こんな簡単でいいの? 簡単すぎて逆に不安なんだけど?』という理由によるものだろう。二人の実力は十分知っているのだから、間違いないと思う。
「多分、私も」
「私もです」
ナタリアはようやく安心できたのか、ほっと胸を撫でおろすと、珍しく黄色い声を上げた。
「皆様頑張っておられましたからね。良い報せをいただけるでしょう」
その言葉で、先程までの出来事が急に現実味を帯びてきた。
――そうだ、私は同じグループの誰よりも上手く魔術が使えた。座学だっていつもの問題より簡単だった。それは、私たちが今まで頑張ってきた成果なんだ。
まだ結果が出てもいないのに、あんなに頑張る必要なかったな、なんて事を少しでも思った自分が恥ずかしくなった。魔術学校ってもしかして大したことないんじゃ……なんて、勘違いも甚だしい。
何と言っても、お母様の母校なのだ。私たちが知らないだけで、すごい人は沢山いたかもしれない。己惚れるのはまだ早い。今は、無事に試験を終えることができたこと、実力を発揮できたことを素直に喜ぼう。
「……うん!楽しみ!」
私の顔がパッと晴れると、ナタリアが優しく微笑み返してくれた。
「そうか、そうだよな……オレも楽しみ!」
「私も、です」
合格すればあの学校に通える……そんなことすら頭から抜けていたようだ。
「ナタリア、今までありがとう」
「その言葉はまだ早いですよ。入学準備の講義も行いましょう」
「そ、それは必要ないかも……」
座学の試験内容が簡単な読み書き算術だけだったということは、さすがに言えなかった……もちろん、念話の出番もなかったのであった。
その夜、ベッドに寝転んでいると、シュリから念話が届いた。
『アリス。今、神から念話がありました』
『何かあったの?』
『詳細はまた後で念話する、との事ですが……どうやら大変な事が起きているようです』
『大変なこと? 何だろう……』
『一先ず、覚悟しておいた方が宜しいかと』
『……分かった。ありがとう』
神様が大変な事と言うくらいだから、余程のことが起きたのだろう。なんだか胸騒ぎがする。色々な想像をしていたら、嫌な考えが脳を支配して、眠れなくなってしまった。
翌朝、さすがに早すぎるかな……と思いつつ居間へ向かうと、そこには既にシュリが居た。私と同じように彼女も眠れなかったのだろうか。顔色が悪く、疲れているように見える。以前のような寝不足による怠さはあまり感じないものの、私も気分が優れなかった。
「神様からの念話は?」
「今のところは、まだ……」
「そう……」
何と言えば良いのか分からず、言葉が続かなかった。神様の言う『大変なこと』とは、この世界のことなのか。はたまた天界のことなのか。
シュリの家族は天界に居る。下界で暮らす彼女は、滅多に家族の元に帰ることができない。何かあっても直ぐに向かうことができないのは、とてもつらいことだろう。
中途半端な念話をしてきた神様に少し苛立っていると、部屋の扉が勢いよく開いた。沈黙をかき消したのは、エリックだった。
「ナタリア、おはよう! ……あれ?居ないのか。おっ、二人とも早起きだな。どうした?」
「……エリックは能天気でいいね」
「はぁ?」
そうは言ったものの、その能天気さが今は有難く感じた。「どういうことだよ」と言う彼を適当にいなし、ソファに体を沈める。直後、キィッと扉の開く音が聞こえた。目を向けると、入ってきたのはナタリアだった。どうやら外出していたようだ。
「あら、皆様お揃いで。おはようございます」
「おはよう、ナタリア。どこに行ってたの?」
「ちょっと、そこまで」
私の視線に気付くと、ナタリアは「お嬢様が気にされるようなことではありませんよ」と微笑んだ。彼女が言葉を濁すのは珍しい。昨夜から続く胸騒ぎが増した気がした。
「本日はどうなさいますか?」
「うーん……」
昨日の疲れを取るため、今日は休養日としている。どうするかは試験が終わってから決めるつもりだったのだが、昨日はとてもそんな気分になれなかった。
……二人は、どうしたいだろう。
シュリは相変わらず表情が優れない。エリックはどうしようか考えているように見えた。ここに居ても悪い考えが消えることはないだろう。神様からの念話はどこでも聞けるのだから、今は気分を変えた方がいいかもしれない。
「私は何処かに出掛けようかな。二人はどうする?」
「じゃあオレも」
「では、私も……」
「それでは、お出掛けの前に朝食にいたしましょう」
気分が優れなくても、ナタリアの食事は美味しく感じた。こんなときだからこそ、食べ慣れた味は有難かった。