10 いざウェルリオへ
エリックも一緒に魔術の練習をするようになり、数日が経過した。そんなある日、私はエリックに座学の進捗状況を聞いてみた。彼は「魔術ほどはやってないかな」と言った。私は驚いた。私とシュリは死に物狂いで頑張っているというのに……その程度の勉強量では、到底合格できるとは思えなかった。
不安に思った私は「一度、うちに来て勉強してみない?」と誘った。そして、今。私は、にわかに信じ難いものを目にしている。
「エリック……こ、これ……」
それは、全てにマルが付けられた解答用紙。なんと、エリックは私たちの参考書をパラパラと流し読みしただけで、この成績を取ったのだ。
元々知っていた内容だったんでしょ? と、疑うことなかれ。彼はこう言っていた。
『へー、こんなこと勉強してんのか。初めて知ることばっかりだ』
エリックは、そんなしょうもない嘘を吐くような人間ではない。私たちに、魔術を教えてくれと頭を下げることができる人なのだから。
解答用紙を見た私は、思った。
――救世主が現れた。
まさか、こんなに身近に救世主がいたなんて!これも神の思し召しなの!? 神様、ありがとう!
私は浮かれた。この機会を逃すわけにはいかない。断固として、逃すわけにはいかないのだ!!
それから私は、魔術のみならず座学も一緒に勉強させてもらえるよう、お母様とミレイユに頼み込んだ。私よりもシュリの方が熱心に頼んでいたように思う。2人は私たちの勢いに圧倒されつつも、それを快く承諾してくれた。
ナタリアとエリックによる座学講義と、お母様とミレイユ、そしてシュリによる魔術指導。至れり尽くせりである。
そんな生活を続けているうちに、私の記憶が戻り、また、シュリがこの世界に来てからおよそ50日が経過した。
今、私たちは魔術学校のある街、ウェルリオに来ている。
「中央に近いだけあって、人もお店も多いね!」
「そうですね。アリスの行動範囲しか覗いてなかったので、この街は初めて見ました」
馬車から外を眺めると、活気のある街並みに心が踊るのを感じた。
領都は領の中心にあることから、ホーヴィッツでは領都のことを中央と呼んでいる。ウェルリオは中央の隣に位置しているため、ホーヴィッツよりも都会なのだ。
馬車には私、シュリ、エリック、そしてナタリアの4人が同乗している。なぜ、私たちがここに来ているのかというと――いよいよ、入学試験を2日後に控えているからだ。
ホーヴィッツを出発し武術学校のあるドリナスを通過して、2日かけてここまでやってきた。今日は休養日、明日は最終確認を行い、明後日はいよいよ本番だ。
「いやぁ、俺まで乗せてもらえて助かったよ」
「同じ場所へ向かうのに、乗せない方がおかしいでしょ」
平民の主な移動手段が馬と徒歩に限られているこの世界では、馬車を借りるには決して安くない額のお金が必要らしい。この程度の距離であれば乗合馬車で向かうのが一般的だが、そこは平民ながら住みこみのメイドを雇っているクレール家。我が家はなかなかに裕福であった。
「本当、ありがとな!」
エリックの笑顔をにつられ、私まで笑顔になる。決して快適とは言えない馬車の旅で、彼には何度も救われた。
一緒に過ごして知ったのだが、彼は年相応に奔放な面もあるものの、とてもしっかりした少年だった。私とシュリの仲裁役を買って出てくれたり、叱ってくれたり。私たちが大人げないというのもあるが……ともかく、彼の良いところは沢山あった。
役所へ到着し、馬車を降りる。ここは郵便局や銀行なんかも兼ねているらしい。分からないことや困ったことは、とりあえずここに来ればなんとかなる。ここでは馬車を預かってもらった。
ついでに宿についても聞いたところ、魔術学校の近くに、今だけ遠方からの受験者用となっている宿があると教えてくれた。
「それでは宿へ参りましょうか」
「はーい」
「はい」
「おうっ」
三者三様の返事が聞こえると、なんだか旅行みたいだな、と気持ちが浮き立った。前世ではあまりできなかった経験だ。
宿は小綺麗な洋館といった雰囲気だった。ここに居る子はみんな受験者なんだと思うと、自然と気が引き締まる。
部屋の間取りは4LDKといったところで、内装も綺麗でお洒落だった。各々の部屋に荷物を置いた後、居間に集まる。
馬車から見えたあのお店に行ってみたいだとか、お洒落なローブを着ていた子は魔術学校の生徒なのかな、とか…馬車でもずっと話していたのに、話が途切れることはなかった。皆興奮しているようだ。
しばらく休憩した後「せっかくだから散策しようぜ!」というエリックの提案により、皆で出掛けることにした。
「ここが魔術学校ね……」
――ヴェンガルデン領立魔術学校 ウェルリオ学園
宿から徒歩10分の場所に、それはあった。門に刻まれたその文字に心が震えた。ここはお母様の母校でもある。話に聞いていたとおり、重厚な門とその後ろにそびえ立つ建物は圧巻の一言。前世で見たどこかのお城のようだと思った。この敷地内に、校舎は勿論、寮や練習場、研究棟なんかもあるらしい。
ヴェンガルデン領唯一の魔術学校であり、国内でも10本の指には入るであろう、優秀な卒業生を数多く輩出した学校――。
空気が少し、張り詰めたのを感じた。
「緊張してきたな」
「うん……」
「そうですね」
ずっと見ていると、なんだか不安に押しつぶされそうになった。ネガティブな感情を払うように頭を振り、前を見据える。
「行こう」
私の言葉に二人が大きく頷いた。
「お腹空いたから、美味しいものがありそうなとこがいいなぁ」
「そっちかよ……」
エリックの呆れた声が聞こえた……
「おいしー」
「おいひいです」
「うめーな、これ」
私たちは初めての食べ物に舌鼓を打っていた。ウェルリオ名物、オークの串焼きである。豚肉に似たオーク肉を串に刺しただけのシンプルな食べ物。前世で見た、焼き鳥の豚バラに似ている。焼き鳥なのに、豚なんて…と思ったものだが、こんな感じだったのだろうか。食べておけばよかったな、と少し後悔した。
驚いたことに、このオーク肉は魔術学校の生徒が狩ってきたものらしい。
ホーヴィッツには魔獣はほぼ生息しておらず、たまに出現しても街にいる兵士や魔術師によってすぐに駆除される。その為、子供だけで街を出歩いたり広場に行ったりすることが許されていたのだ。
しかし、ここは違う。串焼き店のおじさんによると、それほど強くはないものの、この街には多数の魔物が生息しているらしい。それを訓練や練習と称して狩ってくるのが、魔術学校の生徒たちだ。特にオークの数が多いことから、この街の名物となっているそうだ。
私と同年代の子が魔物を狩る……この学校のレベルの高さを痛感し、身震いした。しかし、それと同時に口元が緩んだのが分かった。不安と期待が混じり合った、不思議な気持ちだった。
「絶対、みんなで合格しようね」
「はい」
「ああ」
そんな私たちを、ナタリアが微笑ましそうに見ていた。
翌日は、最終日の見直しとして一通り魔術を練習し、参考書を読み耽った。
ここはホーヴィッツよりも魔素が濃いのか、普段より魔力が扱いやすいように感じた。これならいつも以上の実力が発揮できるかもしれない。手のひらを見つめ、ぐっと強く握った。
魔術よりも心配なのは座学だが、これも何となく大丈夫なんじゃないか、という気がしてきた。教わってないことが出たらアウトだが……これに関しては、もう祈るしかないというのが現実だった。
――神様! 私に知識をっ!
その日の夜のこと。私はベッドに寝転び、うとうとしていた。
『アリス。まだ起きてますか』
「うぎゃああ!」
突然聞こえたその声に驚き、思わず声を上げる。ここには私以外誰も居ないはず……と思った瞬間、思い出した。固有スキル【健康体】が発動した日以来のことで、存在すら忘れていた。
『びっくりした……念話ね。』
『いよいよ明日ですね』
『うん……頑張ろう』
今までの日々を思い返す。長いようで短かった。一人で黙々と特訓していたのに、いつの間にか三人になっていて、そのうちの一人は双子の妹とか言い出して―――思わずクスリと笑みがこぼれる。
転生してから、楽しいと思うことが増えた。明日いい結果が残せたら、もっと楽しくなるかもしれない。休みの日には、シュリとエリックと一緒にアンナの武術学校に遊びに行くのもいいなぁ……
『…………ス! アリス!!』
『え? ……あ、何?』
妄想に夢中になるあまり、念話のことを忘れていた。
『まったく……私は気分が優れないというのに……』
『体調が悪いの?』
シュリは私と違って治癒魔術が使えるんだから、使えばいいのに、と思った。
結局のところ、私は治癒魔術を習得できなかった。魔術の適正は遺伝に大きく影響を受けるため、お母様の血を引く私に適性がないとは考え難いのだが……とはいえ、自分の怪我に関しては【健康体】が作動するので問題ない。最近ではそれを気にすることも減っていた。
『違います! 座学試験のことです。私、どうなることか……』
シュリの成績を思い出す。……確かに、多少不安が残るかもしれない。だが、今更どうしようもなかった。
『今までの努力を信じて、やり切るだけよ』
『それもそうですが……私、良い事を思いついたのです』
『良い事?』
『はい!』
先程までと一転して、シュリの声に力が籠っていく。
『念話で、答えを教え合えば良いのです!』
「はあぁぁぁぁ!?!?!?」
余りに突拍子もないことを言い出すものだから、またしても声を上げてしまった。その事に気付いたときには、既に扉がノックされていた。
「アリスお嬢様、先程からどうなさいましたか?」
「ゆ、夢に驚いてしまって……」
ナタリアが扉越しに声をかけた。2度も大声が聞こえたため、心配してくれたのだろう。おやすみなさい、と言って彼女との会話を終えた。
『ちょっと! なんて事言うのよ! それでも天使見習い!? そういうのはねえ、カンニングっていって、してはいけないことなのよ!』
『……ですが、やむを得ません』
――こいつ、クズだ。
シュリの実態は、天使見習いとかいう仰々しい肩書をもつだけの、只のクズだった。
『それはダメです。自分で頑張りなさい』
『アリスぅぅ』
『おやすみ』
私は思考を強制的に閉ざした。念話?そんなの聞こえない、聞こえない。……そう思っていたら、本当に聞こえなくなった。不思議だ。