1 ようこそ、死後の世界へ
気が付くと青白い空間に立っていた。
頭がぼうっとして思考がまとまらない。
「病室で寝てたはず……」
着ているのは、いつもの小花柄の寝間着。
「ここはどこ……?」
見回すと、何もなかった。ただ青白い空間が広がっているだけ。
『黒崎 玲様。ようこそ、死後の世界へ』
「ひゃあ!」
少女のような、少し高めの声が響く。誰も居ないはずの空間から突然声がしたものだから、思わず驚いてしまった。
声の出処を探すように視線を彷徨わせると、私の2メートル先に金色の粒子が集まっているのが目に入る。直後、そこには一人の少女が立っていた。見た感じ、10歳位だろうか。幼いけれどしっかりとした顔つき、腰まで伸びた長くて白い髪、真っ白のワンピース、そして真っ白な翼。全身に金色のもやを纏う、神秘的な少女。
「え……?」
突然現れた人間らしからぬ少女に戸惑う。そんな私を意にも介さず、少女は言葉を発した。
「私は、天使見習いのシュリエルと申します」
「天使、見習い……?」
「はい。先程申し上げましたように、ここは死後の世界。即ち、魂の還る場所です」
シュリエルと名乗った少女が、淡々と言葉を発した。
……この子、何言ってるんだろう。もしかして、これは、夢?
私は間違いなく病室に居た。今日はお母さんが久しぶりに泊まりでお見舞いに来てくれて、寝る直前まで話せるようにって病室のベッドに横たわって話していたのだ。こんなところに居るはずがない。
単純なもので、夢だと分かった途端、色々と腑に落ちた。夢の世界はなんでもアリなのだ。
「シュリエル、さん? ここって何なの? 見学していい?」
「ですから、死後の世界だと…そんなことに時間を割いていたら私が神に叱られてしまいます。勝手なことは許可できません。」
彼女は怪訝な表情を隠すことなく、きっぱりと言い放った。その言葉に、少々ムッとする。何度も入退院を繰り返している私には、できない事がとても多い。実生活では不自由が多すぎるのだから、夢の中くらい自由でいたいと思うのは当然ともいえた。
「夢のくせに、融通利かないなぁ。ここは私の夢なんだから、私の好きなようにしてもいいでしょう?」
「……夢? いえ、ここは夢の世界ではありませんよ。まさか、玲様……死んだ自覚がないのですか?」
シュリエルは少し驚いたように目を見開いた後、透明のガラス板のようなものを展開した。その周囲を金色の粒子が舞う。
「……え? 死ん――」
「こちらをご覧ください」
私の言葉を遮り、ガラス板を見るよう促す。透明な板を徐々に色が染めていく。そこに映しだされたのは、見慣れた病室のベッドに横たわる人の姿だった。
「私……?」
周囲には、忙しなく動く人たちの姿。看護士さん、主治医の近藤先生……
『玲! しっかりして! 目を、開けて!』
突如、耳をつんざくような悲壮感に満ちた声が聞こえた。それと同時に目に入ったのは、泣き叫ぶ母の姿。
『嫌、いやよ、いやあぁぁぁぁぁ』
いくら声をかけても揺すっても、ピクリともしない私。
「これは、玲様の最期です。死因は虚血性心不全。寝ている間の出来事だったので、恐らく死んだことに気付く間もなかったのでしょう」
……なんですと!?
黒崎 玲、享年21歳。
私は病室で死んだ。寝ている間に、死んだ。生まれつき体が弱くて幼い頃から入退院を繰り返していた私にとって、今回もよくある入院のうちの1回で、またすぐに退院できるはずだった。それなのに……
「死ん、だ……?」
何言ってるの、これは夢よ。そう、悪夢。信じられない。信じる必要もない。無理矢理自分に言い聞かせるが、体の震えは止まらない。
――これは、事実だ。
認めたくないけど、根拠はないけど、一目見た瞬間に確信してしまった。これは現実に起きたことなんだと。もう皆に会うことはできないのだと。その事実が、私に重くのしかかる。頭が急速に冷えていく。体温まで奪われたような気がした。
……死んでるってことは、私、魂なんだっけ。体温なんて元からなかった。
自嘲気味に笑うと、それを見計らったようにシュリエルが口を開いた。
「理解していただけたようですね。改めまして、私は玲様の担当としてこの後の人生を有意義に過ごせるよう、お力添えに参りました」
「……この後の人生?」
「はい。この後に向かう場所での生活のことです」
死を受け入れたばかりだというのに、彼女は悲しむ時間すら与えてくれない。まるで業務連絡かのように淡々と説明を始めた。
死後の処遇は、生前の行いによって決まるらしい。悪い行いをした者は地獄課へ、それ以外の者は天国課へ向かうという、とてもシンプルなものだった。ここでしばらく過ごした後、再び生まれ変わるそうだ。輪廻転生のようなものかな、と思った。
「そしてもう1つ。転生課です」
「てんせい、か?」
「はい。天国にも地獄にも行かず、このまま転生できるのが転生課です」
「はぁ……」
「結論から申し上げますと、玲様は転生課に決定しました」
「……ちょっと待って。思考が追い付かない」
まるで配属先を指示されるかのような軽い口ぶりに、不信感が増す。そんなノリで地獄へと送られる人に同情すらした。送られるのは悪人であるため、そんなことを思う必要はないのだが。
「おや? 嬉しくないのですか? 『生まれ変わったらこれがしたい、あれがしたい』と頻繁に仰っていたじゃないですか」
「確かに口癖だったけど……それが何か関係ある?」
「ええ。そういった感情が強い者を、転生課へ向かわせているのです」
「……ふぅん」
思わず眉をひそめる。初対面なのに、何故私の口癖を知っているのか。先程の映像も含め、地球の情報を得る術でもあるのだろうか。
ちなみにここは転生課の窓口との事だが……何が何やら分からない私は、どうでもいいや、と思考を放棄することにした。
「ですので、玲様はすぐに生まれ変わることができます」
「へぇ」
……うまれかわる、ねぇ……ん? 生まれ変わる?
「い、いま、生まれ変わるって言った!?」
放棄したばかりの思考を慌てて手繰り寄せる。予想外の言葉に、思わず自分の耳を疑った。どうやら、あまりにも現実味がなさすぎて"転生"という言葉を理解できていなかったようだ。シュリエルの「ええ、言いましたよ」という言葉で、それが聞き間違いじゃないことを知った。
「ほ、本当に!? それなら、また私の家族の元に生まれ変わらせてよ! 両親の子供は年齢的に無理だろうから……お兄ちゃんの子でも、お姉ちゃんの子でもいい。それが無理なら従姉妹の子としてだって……とにかく家族には迷惑かけっぱなしで、あげく、お礼も言えずに死んでしまって……だから……」
もう一度、と言いかけたところで涙が一筋頬を伝った。急死してしまったから、私、皆にちゃんとお礼言ってない。身体が弱くて不自由の多い生活だったけど、家族のおかげでここまで生きてこれたのに。狭い狭い私の世界では、家族が唯一の拠り所だったのだ。たとえ別人に生まれ変わっても、大好きな家族の元でならきっと幸せに暮らせるはず。
「転生先は、先ほどまで生きていた世界とは別の世界になります」
真顔でぴしゃりと言われ、思わず涙も引っ込んだ。
「転生課へと決めたのは神ですが、決定権があるのはそこまでなのです。その後のことはくじで決めることになっておりまして。その結果、地球とは別の世界――異世界となりましたので」
「く、くじ? なんでそんなもので……」
「そこまで考えて決めていたら、時間がいくらあっても足りません」
唖然として、言葉が出てこなかった。神様って、そんな感じでいいのだろうか……
家族の元に還れないなら、この先のことに興味はない。前世の記憶が全くない私にとって、来世のことなどどうでも良かった。生まれ変わったら、なんて本気で言っていたわけじゃない。
「比較的安全な世界なので、ご安心を。私たち天使見習いの中でも観察するのに人気で……おっと、今のは聞かなかったことに。ともかく、転生先は決定事項です。さ、手続きに移行しますよ」
観察って、虫や花じゃないんだから……と不快に感じた半面、天界に住む者にとって下界とは、その程度の認識なのだろうと妙に納得した。
「何か要望はありますか? 神は、健康な身体だけは必ず授けるようにと申しておりましたが」
健康な、身体――それは、私がずっと望んでいたものだ。
「えっ? ……それ、本当?」
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「では、最終確認です。性別は女。健康体。そして前世の記憶を引き継ぎたい、と。お間違えないですか?」
「はい」
来世に興味は持てなかったが、くれるというのならば健康な身体は貰っておこう、という程度の気持ちでシュリエルとの話を進めたのだが……話を進めるうちに、私の興味関心をくすぐるワードが飛び出したのである。
「転生先の世界は、この世界や私の住む天界と同様、魔術というものが存在します」
「ま、魔術!?」
――そう、魔術。入院生活とは、本ッッ当に暇なのだ。そんな私がハマったもの、それは異世界もののラノベやアニメだった。まだハマったばかりで大した知識はないのだが。
異世界、魔術、転生。これらのワードから想像できるものと言えば――そう、【前世の記憶を持つ異世界転生者】しかあるまい。……これ、交渉しないと損じゃない?
通常、記憶を持ったままの転生というのは、あまり許可が下りないそうだ。昔、その知識を利用して世界を混乱に陥れた者がいたそうで、それ以来神様も慎重になっているらしい。しかし、どうしても家族の事を忘れたくない(もちろん本音!)と泣き喚いたところ、特別に許可を頂けることになった。神曰く『あまりにも虚弱で不憫だったからね、そのくらいおまけしとくよ』とのこと。そんな適当でいいのだろうか、と思わなくもないが、要望が通ったのだから文句はない。
それにしても、私の人生、そこまで不憫なものだったのだろうか。手続きの最中、あまりにも不憫だと言われるものだから悲しくなってしまった。しかし、そんなことはもうどうでもいい。虚弱な玲はもう死んだのだ。
シュリエル、そして彼女を通じて神様と『あーでもない、こーでもない』と希望や条件のすり合わせを行う中で、これからの生活が楽しみになってきたようだ。先程までとはまるで別人である。
――お父さん、お母さん、皆、地球から見守っていてね。まさか異世界で生きることになったなんて思ってもいないだろうけど。
「それではいきますよ。私の目線まで屈んでください」
最終確認を終えたため、私がこの世界に居られるのはあと僅からしい。
「シュリエル、ありがとう。あなたのおかげで来世は有意義に過ごせそうよ」
「それは、何よりです」
シュリエルの身長に合わせて少し屈む。直後、彼女が私の額に手を当てた途端、視界が真っ白になった。次いで、意識が遠のいていく。
「黒崎 玲様、天界から観察……失礼。見守っております。いってらっしゃいませ」
そんな声が頭に響くのを最後に、私の意識は途切れた。