友達以上
「なあ、もうどっちにするか決めたか?」
高校最後の冬、古い暖房から生温い風を送り続ける教室で前の席の幼馴染が僕の席に肩肘を置き問うてきた。行儀が悪いのはいつものこと、僕らはそういう仲だ。
「何年も前から考えるように義務付けられてるし、流石に考えてるよ」
少し間を置き落ち着かせてから僕は気付かれないように発する。決めたか? という質問には答えていない。
「男の定員決まってるもんなぁ、倍率高いらしいし適性テストで決まるってのも嫌だよなぁ」
幼馴染には悟られずに済んだ。逸らされた事には気付かれているのかもしれないが、正直、今日まで決めきれていない。一晩煩悶としていたが答えは出てこなかった。
進路はすでに決まっている。大多数の生徒と同様に大学進学をし、幼馴染は部活動での実績が認められ推薦入学だ。
胸の内を灼く焦燥は年々高まるばかりで、自分と向き合う時間ばかりが増えてきた。ここ最近、僕の元気が無いことに鈍感な幼馴染でも気付いているらしく、何かと声をかけてくれる。幼馴染は適性テストの結果を何かと話題にする。
「まあ今日から一週間は提出期間だし、部活も休みだから早く帰れてラッキーだわ」
単純に知りたいのだ。僕がどっちかを。
大学に進学すれば会う機会が減るのは明白。共学ともあればお付き合いする女性も出てくるのだろう。
身を捩り両頬にできた笑窪を見せる幼馴染に、表情筋だけで作った笑みを返し、僕は机の下で腿を握る手に力を込めた。
問われたのは進路ではなく、性別だ。
祖父の祖父がまだ生まれる前の話。
右肩上がりに増え続けていた人口はその勢いを急速に衰えさせた。
人口過密による居住可能域の減少や食糧難などの人類滅亡のプロセスをたどらず、人口が減りだしたのだ。
出生率の低下。人類の約半数を担うはずの女性の出生率が極端に減りだした。男ばかり産まれるという奇異な状況下に人類は置かれ、その流れに逆らおうと人類は女性が生まれるように人工授精技術、染色体工学、人工子宮の開発など様々な分野の技術を推進させていたことから必死さが伺える。どれも実を結ばなかったのは不遇ともいえる。原因は不明であり、今でも明らかになっていない。
女性の出生率は上がることはなかった。激減した女性の出生率は今では0となり、男性しか生まれない。
性急なものは数少ない女性を奪おうと暴力に任せようともしたが、女性が減り続けるとそれもなくなり緩やかな衰退が人類に訪れようとしていた。
にじり寄る死を人類が受け入れようとした時、ある技術者がとある開発をし、声明した。
「男性の女性化に成功した」
生物の中には環境に応じ、性別を変えることが出来る種がいるらしい。その能力を人間に応用しようというのだ。
反発は尋常ではなく、安全性や残存する女性への軽視、神に対する冒涜など様々な声が上がり、一部ではこの技術者を誅せんとする危険思想者までも現れ、一時は混乱の一途をたどるも、肉薄する人類としての死が間近に迫った状況では答えは決まっているようなものだった。人類は女性を生むのではなく、成るものとして受け入れ人口のピーク時からはかなり減少はしたが、人類としては存続しており、維持できている。
男性に施術し、女性化させることとなった対象は未成年の学生たち。男性枠、女性枠に定員を設け、教育機関では対象者である未成年者たちに各性別においての授業を徹底。対象者の意志を尊重し施術を行うかの可否をきめるが、適性テストで志望する性別の条件を満たさず、定員を超えてしまっていた場合は、異性として生きることを強いられる者もいる。
施術への恐怖心と、生まれ持った性を手放す忌避があるのだろう。男性枠の倍率は非常に高い。
授業で嫌という程聞かされた話だが、いざ自身へと降りかかると、矮小な自尊心が焦りと不安と恐怖で押し潰される。
「今日から一週間は受付中だ。じっくり悩んで決めたものもいれば、適性テストで自分の性がほぼ確定した者もいるだろう。施術は一度しか出来ない。くれぐれも悔いのないように」
いつも上滑りする先生の言葉が響き、突き刺さる。担任の先生は女性、元男性だ。苦い思いもあっただろうが今では家庭をも持つ立派な主婦であり教師だ。
教室ではプリントを配られる。内容は男か女かを選べというもの。
前の席の幼馴染は後ろの僕にプリントを回すや否や、自分のプリントに向き合いさっさと記入し始めた。
幼馴染はきっと男を選んだのだろう。推薦入学をする身でもあり、適性テストも高得点だと豪語していたので決まりきっていたようなものだった。
僕はプリントを回し、向き合い固まる。僕はどちらにマルをするのか未だ決めていない。
適性テストでは男性としての検査は高得点だったので、男性枠に入ることができる。だが、男性枠として高得点といえど、定員割れしている女性枠に入るのも容易だ。未だ人類は人口の維持に躍起で、適性が男性であろうと声を上げれば喜んで施術してくれるだろう。
まだ一週間ある、もう少し考えよう。問題の先延ばしが明日明後日の自分を苦しめるのはわかっている。けど、今は逃げ出したい。誰にも相談できない。家族は成りたい性を選ぶようにと息子の判断を尊重すると言う、ある種の放任主義に僕は半ば呆れてさえいる。友達にも相談できない。ましてや幼馴染になんて……。
教卓では幼馴染と先生が短いやり取りをしている。既に決めている者は提出しだしているのだ。チラと見えた幼馴染のプリントにはデカデカと「男性」にマルが書かれている。提出期限まではまだ期間があるにもかかわらず、周りがワラワラと教卓に提出し始め、幼馴染が見えなくなる。孤島で一人取り残され、対岸の群衆を見ているかのように一人となり、同じ教室にいるのにとても遠い存在のように感じた。
小学生の頃を思い出す。学校の帰り、突然の夕立に歓喜し、土砂降りの中走り回った。酷く興奮しながら奇声をあげるズブ濡れの小学生は滑稽に見えただろう。幼馴染はケラケラと笑いながら笑窪を作り、別れ際、いつまでも友達でいような!と高らかに言った。幼馴染はもう覚えていないかもしれないが、あの時の曇天に負けない笑顔の晴れやかさが、幼馴染を意識し始めた最初だったのかもしれない。
遠い記憶に思いを馳せ、時間を忘れていたことに気付く。
自席でいつまでも悩んでいると周りから男女どちらにするか決めかねていると悟られる。プリントを破りさって学校から逃げ出したかった。今まで何年という時間を貰っていたにもかかわらず、足らない。時間が欲しい。
幼馴染のにこやかな横顔が不意に見える。目を細めながら快活に笑うあいつの笑顔が好きだった。笑窪ができる頬にいつも指でつつきじゃれ合うのが好きだった。あいつの事が好きだった。プリントに向き直る。
友達でいようと決めた。それ以下にはなりたくないし、それ以上は望んではいけない。
僕は涙を堪えながら男にマルをした。震える手を抑えながら書いた円は、酷く歪んでいた。
その日からの一週間は幼馴染と一緒に学校から帰った。部活動もなく、提出期間は早帰りできるため二人で帰り一緒に遊ぶ毎日だった。煩悶としていた日々が嘘のように晴れやかになり、自然と笑みもこぼれる。幼馴染も元気が無かった僕を心配していたのだろう。明るくなった僕を優しく受け入れいつもの笑窪をより深まらせていた。
今日も校門で幼馴染を待つ。何やら担任の先生に用があるらしい。少し待っていて欲しいと言われ、今ここにいる。
今日が提出期間の最終日だが、これからもずっと友達でいれるのなら男のままでも悪くないと思った。進学しても会うことはできる。そうだお互い彼女が出来たらダブルデートなんてのも悪くない。どちらかしか恋人が出来なかったらもう一方に惚気てねたませるのもいいかもしれない。お互い出来なかったらその時はヤケ酒だ。大学生の特権でもある宅飲みもいいだろう。目頭が熱くなりついこぼれそうになる。もう決めたことだ。そう決めたんだ。
明日からの連休が終えれば通常授業に戻り、半数の生徒はほぼ別人になっているのだろう。きっと教室は賑やかになるだろうし、華やかにもなるのだろう。目の前を通り過ぎていく生徒たちを横目にあの背の高い生徒は男のままかもしれない。その隣の生徒は女になるのかなと無想に耽っていた。どこか他人事のようにも感じている自分がいることに気付く。諦念はある種の楽になるための一つの手段なのかもしれない。
校舎から出てくる幼馴染が見える。校門から校舎まではさほど距離はないものの、その時の幼馴染はひどく小さく、か弱い生き物のように見えた。体調でも悪いのだろうか? どこか思い詰めてる様子さえ伺える。
幼馴染は僕を目で捉えると目線を外さず、一歩一歩踏み締めるように歩いてきた。少しずつ近づいてくる幼馴染は一歩進むごとに力強さが増し、校舎から出て来たばかりの小男と同じ人間とは思えないほど大きく、決意に満ち満ちている。
「お前は……どっちなんだよ?」
「どっちって……?な、なにがだよ?」
幼馴染の眼はじっと僕を見据え、目線を外すことを許さないかのようだった。体が一回り大きくさえ見える。突然の問いと凄みに全身が強ばる。
「さっき先生に聞いてみた。まだ提出受付の訂正はできるのかとか、なんで先生は女になることを選んだのとかいろいろ……」
言葉は途切れ途切れで要領は得ていないものの何が言いたいのか見えてくる。
「どっちなんだよ」
また問われる。この時期での二択なんて一つしかない。言葉に詰まり、言い出せず思わず目線を外す。怒られているわけでも攻められているわけでもないのに罪悪感を覚える。
「この一週間ずっと待ってたんだよ。お前から言い出すの」
幼馴染から嫌われたくない一心でずっと逃げていた。自分の気持ちからも、幼馴染の気持ちからも。
「俺は、お前と一緒にいると楽しい。幼馴染としてずっと一緒だったからかもしれないけど、これからも続いていって欲しいと思っている。だから……これは、好きって感情なのかもしれない」
震えてはいたが一つ一つ紡ぐように出てきた言葉たちに、僕は嗚咽を抑えるのに必死で目から溢れるものは堪え切れなかった。
「お前は……男にしたんだよな……?」
泣きじゃくりながら言葉を振り絞る、幼馴染は黙って頷き、いつもの笑窪を見せた。僕は笑窪に指を差し込み二人で小さく笑うと。
「わかった。すぐ行く、待っててすぐ戻るから」
校舎に向けて走り出す。涙を流しながら笑みを湛え走る姿はひどく奇妙だろう。周囲の生徒たちからは奇異の目で見られているかもしれない。職員室に着いたらぐちゃぐちゃの顔を曝け出すことになるのだろうし、連休明けには噂されているかもしれない。
でも構わない。もう決めたんだ。
階段を駆け足で登りながら、家に着いたら母に料理を教えて貰おうとふと思いついた。