妹と魔法
「魔法……だと……?」
妹の口から出てきた非現実染みた言葉に、正直結構心がときめいた。
だって魔法だ。ゲームやアニメにしか出てこない、憧れの存在。魔法や超能力、青い狸の秘密道具の存在は何歳になっても少年心を滾らせる。
そんな俺の心の内が表情に出ていたのか、火音は目を細めて嬉しそうに笑った。
「えへへ、男の子って魔法とか好きだよねー。よーし、お兄ちゃんそこでちょっと見ててね」
「え? ここでやるのか? 危なくないのか? ほら、火事とか」
魔法と言えば何となく炎を出すイメージが最初に浮かんでしまった俺は、部屋が火事にならないか心配だった。
唯でさええエアコンが壊れてクソ暑いのに、火付けられて部屋がアチアチになった日には今度こそマジで熱中症で倒れることになるだろう。
「だいじょーぶだいじょーぶ。心配しなくていーよ」
火音が言う『だいじょーぶ』ほど安心できない言葉はない。
適当かつガサツで後先考えない火音の行動によって、引き起こされた出来事に被害を被るのはいつも俺だ。このぶっ壊れたエアコンだってその『だいじょーぶだって』の一言のすぐ後に大破したからな。そりゃ心配にもなる。
「むぅ、本当に大丈夫だって。別に火をゴーッて出したり、氷でカチンコチンにしたり、雷がコラーッとか、そういう魔法じゃないから。そもそも私、魔法の適正? っていうの? そういうのが低いみたいで、今から使う物体召喚の魔法しか使えないんだ」
「物体召喚?」
どうやら今から披露されるのは、俺が想像していたような魔法では無いらしい。あと雷の擬音がアレなのは、近所のガンコ爺さんにしょっちゅう怒られているからか。
火音の説明を聞くに『物体召喚魔法』とは、契約をした物体一つをどんな時でも手元に呼びだせる魔法らしい。
オブジェクトと化している剣を指す。
「あの剣ね、わたしが旅を始めた時、最初に偉い人から貰ったんだ。でもわたしって凄く忘れっぽいじゃん? 泊ってた部屋に置き忘れたり、戦闘中にぶん投げてそのまま忘れてたりで……しょっちゅう無くしちゃって。で、お友達の魔法使いの子が『この魔法さえ覚えとけば、とりあえず大丈夫でしょ』って教えてくれたんだー」
「なるほど」
誰かは知らんが、その魔法使いの子には火音がお世話になったらしい。
本人が言うように火音はとても忘れっぽく、日常生活でも家の鍵や教科書を学校に忘れて行ったり、パンツを履くのを忘れてノーパンで過ごしたりするのはしょっちゅうだ。異世界で過ごしてもその辺は変わらなかったらしい。
しかし物体召喚か……剣がどこからともなく現れて、手元に収まる。
「ムジョ〇ニアみたいでカッケーな」
「でしょー♪」
個人的に何もない所から武器を取り出すのは結構好きなタイプのシチュエーションだ。
ぶっちゃけ、そういう妄想をしたこともある。
「な、なぁ早く見せてくれよ」
「ふっふっふ、おーけーおーけー」
火音は部屋の奥に歩いて行き、俺に見えやすいように剣の向こう側に立った。
そのまま深く息を吸い、虚空に向かって右手を突き出す。
俺が立たずを飲んで見守っていると、火音は裂帛の呼気と共にその言葉を吐き出した。
「――来いッ!!!」
物理的に重さを伴ったように錯覚してしまうほど厚みにある言葉が、部屋を駆け巡る。
あまりの迫力に、俺は一歩仰け反ってしまった。
これが……魔法の呪文。
シンプルだが力強い言葉だ。
さて、どうなるんだ……ドキドキ。
「……」
「……」
どきどき。
「……あれー? おかしいなぁ? もう一回! 来い!」
「……」
「あ、あれ? こ、来い! ……んん? ちょ、ちょっと? 来いって! 来て! お願い! ほら! 来いこいこい! 来ーい!」
何やら様子がおかしい。
火音は困った表情で、何度も来いという言葉を連呼する。
「ね、ねえってば! 来てよ! もーっ! 来てってばぁ! お願い! 来てください!」
遂にはさっきのカッコいいポーズを止めて、剣に向かって拝み始めた。
だが――剣はそれでも動きません。
「うぅ……なんでぇ?」
火音が泣きそうな顔でこちらを見る。
そんな顔されても。
「お兄ちゃん……何で来ないの?」
「いや、俺に聞くなよ。え? 失敗? 本当にその魔法使えるのか?」
「使えるよ! 向こうじゃ毎日使ってたもん!」
「毎日どっかに忘れてたのか……」
火音は首を傾げながら剣の近くに屈みこみ、柄をコンコン叩き出した。
「おーい。ポチー。ポチーやーい」
「その剣の名前ポチなの?」
「んーん。何か、長くてすごーく言いにくい名前だったから、勝手に変えた」
だと思ったわ。
「いや、それ国宝なんだろ? 勝手に変えちゃ不味いんじゃないか?」
「だって本当に言いにくい名前だったんだもん! 渡してくれた偉い人も、名前言う途中に3回も噛んだんだよ!? 3回だよ3回!」
逆に気になるわ本当の名前。
「ねーポチってばー。……何で無視するの? 今まで私が困ったときにはすぐに飛んできてくれたのに……わたしが嫌いになっちゃったの?」
剣の柄を撫でながら、悲しそうに呟く火音。
俺には唯の剣にしか見えないが、火音にとっては何度も命を助けられた相棒のような存在なんだろう。
「あの時――四天王の風の何とかって人と戦った時……剣を弾き飛ばされて、もう死んじゃうって思ったあの瞬間、わたし怖くて頭がいっぱいで呪文なんて唱えてなかったのに……ポチ、来てくれたよね? すごく嬉しかった」
剣――ポチを撫でながら向こうでの思い出を語る火音。
「わたしが四天王の炎の何とかさんに捕まった時も、封印されて動けなかったはずなのに……来てくれたよね?」
語られるのは4年の空白。俺が知らない火音の旅の思い出。
「土の何とかさんとのお料理バトルの時は、包丁が無くて困ってたけど、ポチのお陰で助かったよ?」
異世界での日々。
「水の何とかちゃんの屋敷でメイドをする事になった時、凄く高い壺を割っちゃって、でもポチのせいにしたお陰……あ、いやポチが庇ってくれおかげで、怒られなくて済んだよ」
何か思ってたより異世界ライフ、緩いな。
あと四天王の名前を誰一人として覚えてない辺り、コイツの忘れっぽさは筋金入りだろ思う。
「ポチのお陰で……ポチがいなかったらわたし、こうやってお兄ちゃんの所に帰れなかったと思う」
その後も語られる、火音とポチの絆。
やれ、物干し竿が無くて困ったオバさんに1週間ほど竿代わりに貸し出した。釣り竿代わりに使用した。発情したオークの巣の中に3日ほど放置した。魔物にぶん投げてそのまま池ポチャしたのを忘れて宿屋に帰った。仲間のナルシストな戦士に鏡代わりに使用された。
などなど、聞いていて何だか哀れになってしまうエピソードが語られた。
「色々……あったよね? なのに、どうして?」
「どうもこうも無いんじゃ……」
もし俺がその剣なら、あまりの過酷かつ雑な扱いに耐えきれず、労基に駆け込むと思う。異世界に労基があるか分からんが。
なおもポチに語り掛ける火音。
「……ね? ね? ちょっとだけ、ちょっとだけシュンって消えて、パッてわたしの手に戻ってくればいいから? ほら、お兄ちゃん驚かせたいでしょ? お兄ちゃん凄いよ? 物凄くビックリした時、目玉が飛び出て顎も外れて心臓も前に飛び出すんだよ? 見たいでしょ?」
「お前の兄ちゃんジムキ〇リーーか何かなのか?」
そんなリアクションする人間が居たら俺だって見てみたいわ。
「ほらほらお菓子! お菓子あげるから! おいしーよー? 上手く行ったらもう一個あげるよ!」
そう言いつつ、剣の柄に上手いことクッキーを乗せる。
お供え物かな?
「上手く行けばお兄ちゃんに褒められるよ? もしかしたら『火音すごいぞー』ってぎゅーって抱き締められちゃうかも……ね? ねー……ねーってばぁ! 無視しないでよー! お兄ちゃんにカッコいい所見せたいのー! おーねーがーいー! 見てよお兄ちゃんのあの目! すっごい期待してる目じゃん! もしポチが動いてくれなかったらきっと泣いちゃうよ?」
お菓子を買ってもらう子供のように地団太を踏む火音。
この状況から魔法が成功しても、既にカッコよさを感じるのは難しい。
あとそんな事で俺は泣かない。
「……もーいい加減にしないとわたし怒るよ? 絶交だよ? 二度と口利かないよ? もう磨いてあげないよ? ……フーン、そういう態度とるんだ。じゃあいいもん。ポチなんか知らない!」
プイっと剣に背を向ける火音。
そのまま部屋を出ていこうとする。
「いや、待てや。魔法が失敗して気まずいのは分かるけど、何とかしていってくれよ」
「だって呼んでも来ないんだもん。もう知らんし。ポチなんか相棒じゃないもん。フーンだ」
そのまま部屋を出ていく。
「おいおいおい! どこ行くんだよ!」
「雉! 撃ち! に!」
「そうっすか」
そして残されたのは俺と、部屋の中心でオブジェクトと化している剣の柄。
これ、どうすればいいんだ?
こんなもんが部屋の真ん中に生えてたら、邪魔でしょうがない。朝トイレに起きたときに、確実に足をぶつける自信がある。
「……あ、そうだ」
俺はある事を思い出し、物置になっている部屋に向かった。
そこにしまってあった低めのテーブルを部屋に運ぶ。
「捨ててなくてよかった」
持ってきたのは4脚のテーブルだ。
といっても、足が一つ壊れてしまっているので3脚しかない。
去年、火音が『中学生になったんだし、無敵時間付きのスライディングの一つでも使えないとね!』とか面白い事を言い出して、家の中でスライディングの練習をしていたが、当然のように誤爆し、このテーブルの足を一つぶっ壊してしまった。
「さて、もしかすると……」
俺はテーブルを組み立てた。
足が1本折れているので、かなりバランスが悪い。
だが――
途中から折れてしまった一脚。その部分を床から生えている剣の柄に載せてみると……何という事でしょう。
「す、すげぇ……びったりだ」
奇跡が起こった。起こってしまった。
折れてしまった足と、剣の柄は驚くほどマッチングしていた。
あとはつなぎ目をガムテープで補強して、と。
「できた……」
完成したテーブルに本やらお菓子を乗せてみる。
驚きの安定感だ。
まるで、この為に生まれてきたとしか思えない。
こうして匠は、今日もまた見捨てられてしまった家具を再利用することで新たな活躍の場を与えたのでした。
おしまい。