妹と妹の親友
火音が異世界から戻って来て、1週間が経った。
その1週間の間、波乱万丈のイベントが………特にこれといって無かった。
てっきり異世界関連で何かしらのトラブルやらが起こるだろうと想像していたが、なんて事はない普通の日常だった。
異世界帰りの火音も最初こそ時差ボケならぬ異世界ボケが頻繁に見られたが、今はもうすっかり元の生活に慣れた様子だ。
異世界に行く前と変わらない日常をダラダラ過ごしている。
もし、今が夏休みでなければ、もっと色々考えるべき事があったのだろう。学校が始まる前に新しい制服を買わないといけないなとか、そもそもこの見た目で今まで通り中学校に通えるのかとか、戸籍とかどうしようとか……色々あるが、放置している。だって夏休みだし。可能な限り面倒臭いことは後回しにしておきたい。ただ、そろそろ親くらいには相談しておきべきだろう。説明の難易度が高すぎて今から憂鬱だ。
「おにーちゃん、もっと詰めてよー」
頭痛の種こと妹の火音は、いつも通りベッドに横になった俺の腹を枕に寝転んでいる。
だが体がデカくなったので、ベッドに入りきらずはみ出てしまって、ブーブー文句を言ってくる。
つーか文句言いたいのはこっちだし。
「無理だっつーの。つーか重いんだよ。重い上に暑いし、汗でべちょべちょだし……俺のお腹、馬鹿になったらどうしてくれんの?」
「お兄ちゃんのお腹は大丈夫! 私が守るから!」
グッとサムズアップしてくる。
「うっせぇ! どけ!」
腹筋の力を使って、火音の頭を弾こうとする。
だが――動かない。空間に固定されてしまっているかのように、火音の頭はピクリとも動かない。
「ふははー、むだむだー! そんな力じゃ私の頭を動かすことは出来ないぞー!」
「ぐっ……」
ケラケラ笑いながら頭を押し付けて来る。
な、なんてパワーだ……信じられん。全く動かないとか、どう考えても物理的におかしい。
空間固定のスタンドでも使ってんのか?
「あれー? もう諦めちゃった? じゃあここ私の場所ねー」
今更だがコイツ……異世界に行って、尋常じゃないくらい強くなってないか?
近所のヤンキー相手に無双したのもそうだし、今も俺が全力で体を押しのけようとしてもビクともしない。
昨日だって庭でシズカさんと鬼ごっこをしてて、木を伝って屋根に逃げるシズカさんを追いかけてジャンプ1回で屋根まで登ってたし。今朝も食事中にゴキブリが出て、ノールックで爪楊枝飛ばして仕留めてたし。たまには掃除手伝えって言ったら、片手で冷蔵庫持ち上げてたし……。
ヤベーなコイツ。
「いいか火音。――大いなる力には大いなる責任が伴う。分かるか?」
「お、おう……なんで急にベンおじさんのセリフ?」
こうやって情操教育しとかないと、ヤバイ事にこの力を使われたら適わないからな。
あと今コイツとガチで喧嘩したら、普通にボコボコにされそうだし。
まあ、今まで口喧嘩は何度かした事があるが、殴り合いの喧嘩になったことは無いし、その点は大丈夫か。
夏休みのなんてことない日を目的もなくダラダラ過ごしていると、唐突に火音が言った。
「あ、そーだそーだ。今日ね、ポメちゃん遊びに来るから」
「へー、そうか」
ポメちゃん――誉ちゃんは火音の親友だ。
夏休み中はほとんど火音と一緒に過ごしていて、ウチにもよく遊びに来ている。
ただ、この一週間は姿を見ていない。
「昨日旅行から帰ってきたんだってー。お土産いっぱい持ってきてくれるってさ。楽しみー」
旅行かぁ。
この夏休み、家でゴロゴロしてるだけでどこにも出かけてないし、日帰りでどっかに遊びに行くのもいいかもなぁ。
ただ今の火音が外出先で何かやらかさないかが心配だ。
「俺たちもどっか出かけるか? あんま遠出は出来ないけど」
「んー……別にいいかな」
火音の返答に少し驚く。
てっきりノリノリで「行く行くー! 今からゴー!」みたいに急かしてくると思ったが。
「向こうでずっと旅してたからねー。暫くはこうしてお兄ちゃんと家でダラダラしてたいかなー」
「……そうか」
火音がそう言うならそれでいいか。
正直、人混みってあんまり好きじゃないし助かる。
しかし、旅……か。きっと向こうで俺が見たことのないような場所を色々旅したんだろうな。
多分、火音に聞いても飯関係の事しか覚えてないだろうけど。
「つーか誉ちゃん来るんだったら、部屋の掃除しろよ」
火音は典型的な掃除苦手系女子なので、部屋の荒れっぷりが凄まじい。
初見の人が見たら、小さめの台風が部屋の中を通過したか泥棒でも入ったんじゃないかと思ってしまうほどだ。
俺の指摘に火音は足をバタバタさせながら答えた。
「えー……面倒臭いよぉ」
「お前、あんな足の踏み場もない部屋に友達招く気かよ」
「大丈夫! お兄ちゃんの部屋で一緒に遊ぶから!」
「気まずくなるからやめて」
流石に女子中学生同士の遊びに混ざるのは恥ずかしい。
ていうか、妹の友達を俺の部屋に入れたくない。集めてる漫画とか見られるの何かやだし。
というわけでさっさと火音を部屋に追い返す。
抵抗してきたので「飯作らんぞ」と言い放つと、即座に飛び上がって部屋に駆けて行った。
「か、片付けるからご飯抜きはやだー!」
図体はデカくなったが、中身は本当に子どものままだ。
このまま胃袋を掴んでいる内は火音に負けることはないだろう。
■■■
暫くしてから火音の部屋を覗くと、面倒臭がりながらもダラダラ部屋の片付けをしていた。
「そういえば誉ちゃん、いつ頃来るんだ?」
「んー、お昼前に来るって言ってた」
「じゃあ誉ちゃんの分も昼飯作った方がいいか」
「そうしたげてー。誉ちゃんね、お兄ちゃんのごはん大好きだからねー。家でお手伝いさんが作ってくれるご飯よりも好きって言ってた」
サラっとお手伝いさんって言葉が出てきたな。
やっぱりいいとこのお嬢ちゃんか。
着てる服もそうだけど、凄く礼儀正しいし。さり気ない所作も綺麗で、家でちゃんと教育を受けているのだろう。
そうなるとやっぱり何でガサツで適当なウチの妹と友達をやってるのかが気になるけど……まあ、色々あるんだろう。
1階に降りて昼食の準備を始める。
ミシェルさんから貰った卵も余ってるし、野菜もあるし……冷やし中華でいいか。
麺を湯がきながら、適当に野菜をカットする。
そうこうしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「おーい火音! 出てくれー」
2階に向かって呼びかけるも、返事は無い。型付けに夢中で聞こえてねーのか?
仕方ないので、火を消して玄関に向かう。
玄関の扉を開けると、小柄な少女――誉ちゃんがそこにいた。
「こ、こんにちは……お兄さん」
「お、久しぶり。どうぞ」
「し、失礼します……!」
綺麗に靴を揃えて家に上がる誉ちゃん。
見ただけで結構なお値段がすると思われる薄青色のワンピース。丁寧に手入れされた綺麗な黒髪を守るようにお洒落な帽子を被っている。
「火音なら2階にいるよ」
「あ、はい。えっと、その……れ、冷蔵庫をお借りしてもいいですか?」
「いいけど、どうかした?」
「途中のケーキ屋さんでケーキを買ってきました……」
もじもじと俯きながら言う誉ちゃん。
この子はいつもこんな感じだ。何度家に来ても慣れないのか、俺と喋る時はいつも恥ずかしそうに目を逸らしながら喋る。
火音と喋る時は落ち着いているので、俺にだけ緊張しているのだろう。
まあ、友達の兄とか姉、親相手に緊張するのは分かる。
「悪いな。でも、いつもいつもそんな気使わなくていいんだぞ?」
「い、いつも美味しいご飯ご馳走になってるので……! さ、細やかなお礼です……!」
恥ずかしそうに目をギュッと瞑りながら言う誉ちゃん。
本当に出来た子だ。
この年でこんな気遣いが出来るとか、親御さんも鼻が高いだろう。
火音にこの子の爪の垢を飲ませてあげたいものだ。
しかし――
「誉ちゃん、旅行行ってたんだって? かなり焼けたなぁ」
最後に会った時は、真っ白だった肌がこんがり健康的に焼けている。
「は、はい……家族でハワイに。うっかり日焼け止めを塗り忘れてこうなっちゃって……あ、あの……変でしょうか?」
「いや、健康的でいいと思うよ」
清楚な恰好と活発な肌の色にギャップがあって、なかなかグッと来るものがある。
これがいわゆるギャップ萌えというヤツだろうか。
「そ、そうですか……ふぅ、よかったぁ、えへへ」
頬に手を当て、ほにゃりと微笑みながら安堵の溜息を吐く。
そのまま鞄から何やらメモを取り出した。
「え、えっと――『お兄さん、褐色系ロリもあり、と』……めもめも」
……今、何か謎のワードが聞こえたんだが。
気のせいか。
誉ちゃんから頂いたケーキを冷蔵庫に入れながら、一応聞いておく。
「今日、冷やし中華作るんだけど、食べられない物とかある?」
「だ、大丈夫です。……冷やし中華かぁ……えへへ、お兄さんの冷やし中華、楽しみだなぁ……」
何か期待されてるな……ちょっと盛り付け頑張ってみるか。
「万全の状態で味わう為に、きょ、今日は朝食を抜いてきました……えへへ。でも、火音ちゃんがもっと早く言ってくれたら、3日前からごはん抜いて調子を整えられたんですけど……残念えす」
ハードル上げ過ぎて首がいてーわ。
この子もちょこちょこ変なところあるんだよなぁ。たまにこうして謎の発言を冗談抜きで言うことがある。
「出来たら呼びに行くわ。今、火音は部屋の片づけしてるから」
「じゃあ手伝ってきますね」
「悪いな。30分くらいで昼飯出来るから、火音にもそう言っといて」
「分かりました。えっと、じゃあ……お兄さんは30分は2階に上がってこないってことですよね」
これは一体何の質問だろうか。
とりあえず火から離れられないので「そうだな」と答える。
「あ、いや別に何でもないんです。……30分あれば……お兄さんの……部屋……お兄さん分…………補充……フフフ」
誉ちゃんは声が小さい。
声量に加えて緊張のせいかぼそぼそ喋るので、言葉が聞き取れないことが多い。
誉ちゃんは何やら期待感を込めた笑みを浮かべ、2階へ上がって行った。
暫くすると、2階から突然、誉ちゃんのものらしき悲鳴が聞こえた。
「お兄さんの部屋に知らない女の人がいるーっ!?」
俺は初めて聞いた誉ちゃんの叫びにギョッとしつつ、火音この野郎誉ちゃんに自分のこと説明してなかったんかいと呆れたのだった。