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20:青錆の夢

 階下へ降る道を探す内、ロアはずっと不機嫌だった。誰の所為かと言われたら僕の仕業なのだけど。


(仕方ないなぁ)


 優しい僕は、彼の求める情報を……少し与えることにした。養殖には良い餌が必要だから。


「君の姉さんの目は、赤領王と白領王が分け合った。レインの目は知らないけど」

「マリス……何故それを知っている」

「見てたから。まぁ、目の記憶なんて引き出す方法僕には解らないから。今回魔書に聞いたのはそういうことだね」


 “この目が何年前の何月何日に見た記憶を知りたい”……そんな願いでも、魔書は要望通りの魔法を実行させる。


「【鏡の魔書】が多くを知るのは、訊ねる本人が忘れた情報も引き出せるってこと。後はその情報を蓄積している。となると僕は、その情報が余所に行く前に手を打ちたい」

「……マリス、何を見た。…………いや、何をした?」

「昔の君はレインに勝るとも劣らず、可愛らしかったねぇ? 性格は昔の君の方が好みかな」

「……貴様の片目は、そういうことか」

「角膜については本当に無実さ。僕の師匠の物を使ってある。あの人のもう片目は……君に心当たりがあるんじゃない? 君は魔法が本当に得意だから」


 ロアが嫌がる話題に触れれば、それ以上の追究はない。会話は此処で終わり……のつもりでいた僕に、ロアは微かに声を震わせる。


「……何処まで、視た」


 へぇ、珍しい。ロアがそれ以上を聞いて来た。


「君については視たと言うよりしっくり来たよ。何だかんだで殺し合うこともなく、君と僕がこうしてパーティを組んでいるのが全ての答えさ」

「…………」

「もっとも、僕を旅立たせた人と……君を勇者にした人は別の思惑があるようだけどね。ああ、それから」


 恩着せがましく僕は彼に教えてあげた。僕が如何に善意の固まりであるのかを。


「さっき、何をしたって言ったよね? これは貸し一つなんだけど、前にレインを影に引き込んだ時に細工をしておいた。アデルの件は何とかなったと思うよ」


 魔力を込め直した《召喚手紙(サモンレター)》。彼がピンチの時に彼の味方が召喚されるように。《魔女の入り江》の時は、発動前にアデルが来てしまったが……今回は発動しているはずだ。


「アデルが本気で裏切ったなら、この【誓約呪術】で彼は今頃焼け死んでいるところだけれど……この誓約書が燃えていない以上、彼は僕らを裏切ってはいない」

「……お前程、敵に回したくない相手もいない。その装飾すべてが契約文か? 古代語で追加項目を書くとはふざけた男だ」


 最高の賛辞と共にロアは深く息を吐く。ロアも呆れる程、僕は根回しを十分に行っている。そんな僕でもあの“腐術”絡みの騒動には、少々出し抜かれ気味だ。


(……これはちょっと、予想外だったな)


 何者かの魔力が爆発し、魔法書庫の結界をぶち破るだなんて……誰が想像しただろう?


「む……妙だな。場の元素に乱れが生じている」

「へぇ。誰の仕業かな? 空間が……書庫の結界魔法が解けたようだ。それなら、君が彼に付けた精霊とも連絡が付くんじゃない?」

「レインんんんんんんんんっっ!!!!」


 魔法書庫の結界が破られた。事実を告げればロアはすぐさま移動魔法で消え去った。ロアは馬鹿ではないのに時々クソ単純な所が、あいつと似ていて少し良い。

 そんな有能で馬鹿なロアでも出来ないことを、一時的でも“助っ人”がやってのけたなんて本当に規格外の魔法だ。だからこそ、“奴ら”に目を付けられたのだ。


(この魔力……来たのは、アリュエットか。彼女にはここまで魔法の才能は無いのに)


 アリュエットとミザリーに、腐術を学ばせて正解だった。エロと言えば聞こえは悪いが、生命の本能や欲求に関与する力。その術を使いこなせば、……今のように、己の魔力を越えた力を引き出せる。取るに足らない術士でも、それが可能であるならば、“腐術”は召喚術よりも恐ろしい存在だ。格下に足下を掬われては話にならない。そのためには僕も“腐術”の心得を会得しておくべき。

 そんな訳で魔女キャロットの本を熟読した。あの本が独特の魔力を発しているのは解ったが……“腐術”のコツはなかなか掴めない。魔族側も腐術に興味を示している。後れを取ることは出来ない。一刻も早く腐術をマスターしなければ。


(ああ、そうだ……アニュエスを探さなきゃ)


 食事に夢中になり過ぎた。彼女は凄まじい魔力を持ちながら、魔法を使いこなせていない。結界が解けた今も、書庫内で彷徨っているかもしれない。

 彼女自身は単純に好みと任務という他に、腐術への手掛かりでもある。僕は腐術について学ぶ内、腐術によって生み出される魔力と、それ以外の魔力の区別が出来るようになっていた。アニュエスに出会った時は驚いた。彼女は何者なのだろう? 彼女の魔力を吸収したら、僕は何処まで強くなれるだろう?


(僕には力が必要だ)



「【鏡の広間】?」

「ああ。赤と白の王が使った悪巧みよ。勇者はそれを逆手に取って、鏡魔法でお前を逃がした」

「それじゃあ貴方は僕の味方?」

「…………お前が人間で在る限りはな」


 説明を聞いても、理解できないことは多い。僕の記憶は止まっている。

 勇者の知人という男の許に送られた後……目覚めて思い出せたのは、騎士にこの眼を刺された所まで。


(どうして僕はこんな所にいるのやら)


 こんな所――……【青領国(アズルスク)】。白領国より遙か北方、【30・40連合王領国(トランカランド)】でも最北に位置する国。窓の外は冷たく吹雪き、故郷よりも真っ白だ。遠方に微かに見える河が、あれが白領国との国境。青領国は魔法元素が少なく、侵攻するのも難しい氷の楽園。極寒の地故他領から攻められることは少ないが、実りの土地とは程遠い。けれども追っ手を撒くには好都合。

 目覚めた場所は男の家か? 魔術書に魔法書、魔法素材に薬品、触媒。そんな物は山ほど在るのに、生活用品は最低限。孤独な隠居魔術師の暮らす家…………そんなイメージ通りの小さな屋敷。


「僕は島流しにでも遭ったのか?」


 強い力で握りしめた手鏡を、男は鋭い視線で睨む。彼の手鏡を通り抜け、僕は異国へ飛んで来たと言う。


「…………そんなようなものだ」


 付き添いの男は酷く無愛想。黒い外套に身を包んだ男は常に、影のように陰鬱な顔。顔と言っても目にすることが出来るのは白い鼻筋と不機嫌な口元のみ。絵に描いたような黒魔術師。深く被った頭巾の所為で、顔の大部分が隠れている。


「あいつの頼みでもなきゃ、誰がこんなガキ」……なんて、何度も彼はぼやいていた。


「【白領国】は無くなった。今在るのは【灰領国】。お前が滅ぼしたんだ」

「…………父上以外が権力を握ったと?」

「剣も勇者も失った。お前さんが追った背中は、領国外に尻尾を振らなきゃ生きてもいけねぇ寄生虫さ」


 祖国は領国外の傀儡。支援を断ち切られれば、領国内より攻められ滅ぶ。その前に……新しい勇者を作らなければならないと彼は言う。


「ヴォルクが、死んだのか?」

「……ああ、くたばった。何処ぞの馬鹿な殿下を助けた所為でな」


 どんな嫌味を言われても、勇者に救われた記憶が無い。僕が覚えているのは、やはり片目を失う瞬間。あの時感じた痛みまで。新たな目を得た今でも、目の奥が酷く痛む。


「だが……詮無きこと。白領王の企みがお前にまで及ぼうとは。周りも当人も気付かぬさ。後継者の有力候補が鞘に使われるなんぞ……正気とは思えん」


 【武具】は場に封じられる。一度封じれば、場を動かすことは出来ない。だから継承者が必要だ。【武具】の継承者がその鞘となり、魔の封印を場所から者へと移し……【武具】を奪われぬようにする。その鞘として……僕は利用されたらしい。


 “剣を引き抜けば王になれる”


 父の忠臣からの言葉に僕は踊らされた。他の兄が試さなかったはずがない。恐らくは……生まれた順に試されたのだ。腑抜けの兄達には資格がなかった、或いは怖じ気づいて武具に触れることも叶わなかった。魔王の力を宿し封じるだけの力が奴らには無かった。

 直面する現実……父の裏切りは、僕を深く傷付けた。かけられた言葉の全てが謀のためと、思い知るのが辛かった。父は悪魔のような男だ。言葉通り、嘘ではない。王にはなれる……“魔王”には。


「ヴォルクの代わりに…………。勇者にでも……なれと言うのか?」

「あいつの代わりになれとは言わん。なれるとも思わんよ。だがお前は、お前が逃がした魔を取り戻さにゃならん。それが償いだ」


 ラクトナイトは魔の宿る目さえ潰せばと考え、片目を壊すことで僕の肉体を救いはしたが、魔王の力…………災いを外へ逃がしてしまった。力を悪用される前に封じる必要があるのだと、男は語気を荒げる。


「魔王の力を取り込むのか? また暴走したら……」

「そいつは問題ない。既に“水晶封印”を施した」


 “水晶封印(クラルクローズ)”――……水晶病者(クラルハイター)が魔を、己の瞳に封じ込めること。強力な魔族が相手なら、一人で封じることは不可能。大勢の水晶病者を使って、少しずつ魔を封じていかなければならない。僕の片目もそうやって、視力を回復させたらしい。


「並の相手ならまるごと行けるが、それ以上は眠らせるのが定石よ。人の内に閉じ込めきれぬ化け物をを刺激し、本体が目覚めては本末転倒。此度の件で魔王の目覚めは近付いた。お前はその償いをしろ」


 硝子に映る左瞳は眺める度七色(虹色)に移ろうが、鏡に映せば赤いまま。右目は光も宿さぬ漆黒。闇が此方を覗いているよう。

 僕の赤目には水晶病の角膜を、結界が植え付けられた。水晶病者の水晶体は、魔を封じる檻。その角膜は結界となる。しかし魔王ともなれば、魔力は檻の水晶体から体中に溢れ……血肉全てが檻になる。

 それならば……失った眼の代わりに僕へと植え付けた黒い目は、何のために植えられたのか。罪を思い出せという事か? 鏡を見る度罪悪感に苛まれろと? 


「その色は……半身のヴォルクが死んでそうなった。だがそいつは魔王の目。魔を内に留める蓋にはなる」


 魔王の体の一部があれば、魔王の力も僕の体が居場所だと誤認し回収し易くなる? 存在ではなく高位の魔力のみこの眼は集められると言う。だが、それが何になる?


「…………回収したら、僕は城に戻れるのか?」

「【武具】使いなんぞ、魔王の檻よ。人柱だ。水晶病者が封じきれない魔を閉じ込めておく檻だ。魔王の力の一端を得ることは出来ても、人はお前を王とは認めんよ」

「強き王がいれば、国は守れる。領国外からの介入も阻める」

「……王とは何だ? 冠を得てご立派な椅子に座る人形か? 民を守ればそれが王か?」


 身分と椅子か。それとも行動と結果か。どちらでもない。存在理由で存在証明。僕は王になるために生まれた。それは僕の本能なのだ。


「死んだんだよ、王子としてのお前は。こいつを見ろ」


 男が投げ捨てた新聞には、僕の訃報が大きく取り上げられていた。【魔王の武具】の封印を解いたなど表向きは公表出来ず、魔物に襲われて死んだと記載され……ラクトナイトは。コントは僕を守れなかった罪で家を追われ、立場上……【選帝】の資格も失った。


「……母様、は?」

「……目覚めたが、錯乱して幽閉された」

「僕の……所為、か?」

「………………お前が剣を抜いた所為だ」


 変わってしまった二つの目。それでもまだ涙を流せるのか。他人事のように冷徹な心と、変わらず母を思う心。相反する二つの心に戸惑いながら、その日は一日中泣いた。

 男もそれ以上僕を責めることはせず、僕を一人にしてくれた。


(お前は何も、悪くない…………だが)

(…………どうして一思いに、殺してくれなかったのか)


 瞼を閉じて思い出すのは、友の姿。使命のため魔を討つ覚悟がありながら、土壇場で躊躇ったあの男。こんな惨めな姿にして、そこまで僕を生かしたかったのか!? 魔に飲まれるなど、この身を魔王に明け渡すなど王失格だ。片目と言わず、両目を潰して首も落としてしまえば良いのだ。

 赤く輝く魔王の目。黒く濁った勇者の目。魔と人の、二つの心が体の内で暴れ続ける。

 僕を生かした優しさに感謝しよう。全ては自分の咎だ。そう言い聞かせたところで、声は言う。いつものように、傍に居る……共に背負うと。ならば何故、お前は今此処に居ないのだ!? 何も知らぬまま、脚色された事実を受け入れ……騙され続ける傀儡か!! 何故疑わない! この俺が死んだなどっ……容易に認め受け入れ、諦めるのか!? お前が俺の剣ならば……何故、この手で触れられる場所に居ないんだ!!


(【選定の竜】よ…………何故お前は、人間なんかになったんだ!)



「アニュエス! しっかりするんだ!!」

「!!」


 名前を呼ばれて飛び起きる。俺は眠っていた? 魔法書庫の床に倒れていたところをマリスと起こされる。


(俺は……今、何を。何を見せられていた?)


 傍に【鏡の魔書】は見当たらない。体内の竜も今は落ち着いている。口早に状況を説明されるが、目の前にあの方がいると思うと胸に熱い物が込み上げる。無事であったならどうして教えてくれなかったのか。


(貴方にそこまで憎まれて……俺が守った物は、何なのだ?)


 一時的に世界を救った功績と、主の行動を止められなかった罪と。行方知れずの貴方を城は死んだ者とし…………家も主も失い、俺には唯……罪だけが残された。

 貴方の目を斬ることで逃した魔。それを討つため勇者になれと陛下は俺に命ぜられたのに。マリスは逃した魔を再び体内に戻すよう使命を受けていた。話が食い違っている。

 どちらが正しい? 何が正しい? 俺とマリーの命を狙ったのは誰……その、どちらの手の者だ? 嗚呼、そんな思いも貴方を見ると忘れてしまいそうになる。


「書庫の結界に異変が生じたようなんだ。レインの所にはロアが行った。彼らも出口に向かったはずだよ。僕らもすぐに脱出しよう…………アニュエス?」


 マリスの顔を直視できない。垣間見た記憶が、情報が真実であるならば。俺が見たのは勇者の、そして魔王の目……ヴォルク=ニムロッドが見た記憶。そして、マリスの歪みの始まりだ。

 誰に咎められても傍に居るべきだった。貴方の死をこの目で確認し、貴方が葬られる瞬間まで。貴方の苦しみを傍で支えることが出来なかった。だから貴方はそんなにも……悲しい目をしている。


「……急にどうしたんだい? レインなら無事……」


 顔を背けた俺に、マリスは戸惑っている。泣いているのを見られてしまった。

 話したいことが沢山ある。聞きたいことも山のように。けれどそれは……“コント”が貴方に聞きたいことで、“アニュエス”じゃない。今何かを聞き出しても、俺と貴方の問題は……何も解決しない。

 俺がマリスの記憶を見たように、貴方に見せられたらどんなに良いか。書庫内の魔法が解けたことで、魔書も現れない。言葉を交わす以外に、何も伝えることは出来ない。

 嘘に嘘を重ねれば、いずれ取り返しが付かないことになる。俺は深く息を吸い、マリスと目を合わせる。


「マリス――……私は、信じて貰えないだろうが…………私は、貴方の――……」

「大丈夫だよアニュエス。僕は君のことはちゃんと解っているよ。無理に話すことはない」

「いいや! 貴方は何も解っていなっ……」


 俺の言葉を遮るように、マリスの顔が近付いた。変わってしまった目の色を、吸い込まれるよう見つめる内に……再び口付けられてしまった。しかも、今度は長い。


(なっ……何だ、これは!?)


 動揺や放心とも違う。緊張、恐怖? それでもない。ちょっと待て! 冷静になれ。冷静になるんだコント=ラクトナイト! この動悸息切れ目眩は何だ!? 早く元の体に戻らなければ大変なことになる――……レインが言っていたのはこのことか!?

 解放された直後に、急な脱力感に襲われてその場に座り混んでしまった。マリスは優しく笑いかけ……書庫の窓を指差した。手を差し伸べることもなく。


「うーん、ロアにはやる気がしないけど……やっぱりこの方法が効率的か。ああ、何でもないよ。僕これから用事があるから、そこの窓からでも脱出してくれないかな?」

「……はい?」


 魔法手段の他に、入出手段のない魔法書庫。魔法が解けても物理的な入出口は、高さのある窓だけだ。そのまま飛び降りれば無傷とはいかない。それでもマリスは笑うだけ。


「…………“ご馳走様”? ごめんねアニュエス、移動魔法に使う魔力が勿体なくて」


 やることやったら用済みみたいなその冷めた視線はなんだ貴様っ! 此方が動揺している内に、マリスは移動魔法で何処かへ消えた。

 魔力が勿体ないのではなかったのか!? お前は使うのかっ!! 私のために使う魔力が勿体ないと!? つい先程まで、此方に惚れているような素振りをしておいて何だその人を舐め腐った態度は!! あんな奴に抱えていた罪悪感を後悔する。やはり、私が敬愛していた殿下はとうに亡くなられたのだ。あんなもの、魔王の残りカスだっ!! キャロットのように人の心を弄ぶ極悪人だっ!! 嗚呼、しかし。未来の王をあんな男に変えてしまったのも、偏に俺の罪であるのだ。そう思うと胸の痛みが増すのを感じた。



 魔法書庫は実際の建物と、入室先が別であるらしい。アリュエットが破った結界は、自動修復を始め……俺達が退出する頃には元通り、書庫を魔法で満たしていた。ロアの反射魔法がなければ、俺達はまた夢に囚われていたところだ。


「アリュエット、血は止まった?」


 ロアに抱えられたアリュエットは、一度目を覚まし……そのまま目を開けたまま気を失った。昇天しかけた精神をロアの回復魔法で引き戻されて、今し方落ち着いてくれた。


「あ。ああ! 君の薬はよく効くな。感謝する」


 止血薬が効いたのだろう。鼻血が止まり、階段からアリュエットは立ち上がる。兜を血染めにした大鼻血…………あれは大がかりな腐術を使った反動なのだとか。腐術って色々タイプがあるようだけど、場合によっては諸刃の剣なんだなぁ。


「ロアとかマリーねーちゃん程じゃないけどね。俺は回復魔法使えないから、薬草の知識くらいないと」

「君は幼く見えるがしっかりしているな。ロアのようだ」

「あんまり似てないと思うけど? ……ありがと」


 アリュエット的には褒め言葉なんだろうけど、そこまで嬉しくも何ともない。ロアは強いし魔法とか戦闘能力で似てるって言われるなら嬉しいけど。


「アニュエスとマリス……大丈夫かなぁ」


 魔法書庫の入出許可証はアデルが持っていた。魔法で外へは逃れられても、魔法が復活した今は……再び中へは入れない。アニュエスの腐術でもう一度……という手もあるけれど。


「“腐術”は確立されて日が浅い。閉じた赤領国には鬼門であろう。しかしこの手の魔法は内は脆くも外から破るは難い。内も魔封じを施し、大がかりな術は使えぬように細工されていたが…………」

「こんなに早く結界が復活するとは。どこから魔力を得ているのか……大がかりな設備も見えないが? 地下に埋めているのだろうか?」


 俺の不安に対し、二人は誠実な言葉をくれる。要約すると「お手上げだ、信じよう」と言うのが悲しい。


「彼女はあれが連れて来る。お前が不安に思うことはない。マリスの強さは我が保証しよう」

「強いのは解ってるしそこは心配ないんだけど……違う意味で心配」


 マリスとにーちゃんを怪しげな場所に二人きりで残してしまった。俺もねーちゃんの本に感化されているのかな。時間が経てば経つ程不安が増して行く。ねーちゃんの本みたいになっているんじゃないかななんて……思う俺もどうかしてるよ。


(でも相手はあのマリスだ……)


 思い出す悪意溢れるあの笑顔。悪意が服を着て歩いているようなあの男。そんな男が我も忘れてにーちゃんを追いかけ回す愛情深さ。…………どう転んでもろくなことにはならない。どうしたら穏便に和解できるか考えても、良い言い訳が思い浮かばない。全てを知られた時のため、死闘の覚悟は出来ている。


「……案ずるな。来たぞ」

「え?」


 ロアに声を掛けられて顔を上げた。飛び込んで来るのは朝日を受けて輝く半裸甲冑と流れる金髪! 痴女めいたあの出で立ちは間違いない!


「ああっ!! にー……アニュエス! 良かった、無事だったんだね!」


 魔法書庫の外に脱出してから数十分が過ぎた頃? ようやくにーちゃんも書庫の外へとやって来た。豪快に窓をぶち破って落下という演出付きで。ロアが精霊を使い衝撃を和らげてくれたから、大きな怪我は無いみたい。それなのににーちゃんは始終暗い顔だった。


「マリスはどうした? あれが居れば移動魔法が出来ただろうに、窓から飛び降りて来るとは面妖な」

「ロアはマリスの心配もするのだな。ふふふ」

「あんな男でもパーティメンバーだ」


 不思議がるロアと機嫌が良いアリュエット。疲れ切った俺には、人の心配をしている余裕はないけど、にーちゃんなら話は別だ。


(どうしたのにーちゃん? 凄く顔色悪いけど……?)

(……レイン!!)


 駆け寄る俺をにーちゃんが思いきり抱き締める。にーちゃんは、泣いていた。


「聞いてくれレイン!! 何なんだあの男は!! 解っているのに解らないっ!! 釣った魚に餌をやらないタイプかっ!! 昔はあんなんじゃなかったのにっ……あんな男に動揺させられるなど、生涯の恥だっ!! 悔しいっ!!」

「と、とりあえず落ち着いて」


 にーちゃんは極度の混乱状態にあった。マリスに状態異常でもかけられたか? 原因を探るべく、彼の感情と心を読んだ……俺の意識も遠くなる。なんだこれは。本格的にまずいことになった。何がまずいって――……俺もちょっと、今のにーちゃんの気持ちが解るのが非常にまずい。


「えっと……マリスは所用で消えちゃった、ってこと?」

「ふむ……謎は増える一方だな。まぁ良い。奴が居ないなら話は早い。ラクトナイト、何故そのような愉快なことになっている?」


 いきなりロアが問題発言。俺もにーちゃんもアリュエットも目を見開いて彼を見る。


「我との再戦に向けた何かの修行法なのか? 魔力は増しているようだが」

「ろ、ロア!? 気付いてたの!?」

「気付くも何も、剣筋を見れば自ずと知れることだろう? マリスの阿呆はお前の魔力を舐め回すように観察していたようだから知らんがな。いやそのようなことより、だ。中身が貴様であろうと女人の体でレインに抱き付くにはレインの情操教育的な観点から一日三分までにして欲しい。それ以上抱き付く場合は、その都度適切な理由を添えて申請書を我にまで」


 にーちゃんはショックのあまり立ったまま気を失っている。俺はにーちゃんの体を支え、ロアのおかしな発言は無視をして弁解をした。


「にーちゃんは、俺と同じだよ。色々あって呪われちゃったんだ」

「誤解だロア! 私達は無実だ!!」


 それまで呆然としていたアリュエット。話に割り込んで来た言葉からは怪しい感じしかしない。


「……アリュエット? 何故お前までマリスのような事を言う?」


 アリュエットは気まずそうにロアの視線を躱している。いや、若干喜んでいるような……? ロアから強く睨まれて、視線を独り占めしているのが嬉しいのだろう。難儀な人だ。


「えっと……にーちゃんの方が誤解って言うと、まさか俺の方は…………」

「その、な…………任務のための原稿作りで使用していたがゴーレムが、暴走してな…………私達の命令とは違うことをやり始めたのだ」


 色々聞きたいところはあるけれど、畳みかけるようアリュエットの謝罪が始まった。


「すまないレイン! 其方の傭兵の正体を知らない私とミザリーは……彼女を呪って男にしようと近隣諸国から素材を買い占めた。その買い付け作業中に、ゴーレムが素材をいくつか使ってしまったようなのだ」

「…………」

「まぁまぁ、俺はあんまり気にしてないし……」


 ロアがアリュエットを鬼の形相で睨んでいたので、俺はアリュエットの側に付く。さっきは助けて貰ったし。


「それに、ゴーレム……? アデルは誰かに操られていたみたいなこと、言ってたよね?」

「ああ。あれは……暴走ではないのかもしれない。何者かが我が家のゴーレム鎧を乗っ取り……それをアデルに与えた」

「それが、“赤領王”?」

「恐らくは、その手の者だろう。赤の陛下はレインを狙っていた。このまま赤領国に留まるのは得策ではない」

「ならばすぐに移動を――……」


 話の続きは安全な場所に移動してからと、ロアが移動魔法の魔方陣を展開させるが。大地に記した魔力の文字は、作動せずに消えてしまった。


「出来ぬと、あの男が言っていたな」


 アデルを思い出しロアは忌々しげに舌打ち。本当に厄介な国だ……書庫内へ飛べないどころか、国外にも逃れられない。

 “赤領国は設置された移動ゲート以外では、移動魔法は使えぬよう結界が施されてあります”だったっけ? 俺もその話は聞いていた。話を知らないアリュエットへの説明を考えたが、彼女は赤領国事情に通じているらしい。俺達よりも詳しいくらいだ。


「母から聞いたことがある、……赤領国内では移動魔法が使えない。その代わり、国内の至る所に交通の便を図るべく……国内移動用の魔方陣が敷かれているとか」

「でも俺達書庫から外まで飛んだし、マリスも居なくなったんだろ?」

「…………魔法書庫は赤領国にあって、赤領国にない場所なのやもしれぬ。入室許可証は……奴が持っていたか。仕方ない。ラクトナイトが破った窓から再度突入する」


 浮遊魔法は使えるから、物理的ににーちゃんが破った場所は入れると言うのがロアの見解。にーちゃんの【防具】は魔法に強いから、体当たりすることで結界を物理的に破ったらしい。窓自体を直すまで、あの箇所は書庫の結界が作用しない。


「俺やマリーが狙われている話はあったが、レインまでとはどういうことだ?」

「ふっ、それでその変装かラクトナイト。……ならば恐らく逆だ。貴様と姫を狙うことで、魔女とレインは本気になる。お前達の力を知りたい者がいた。そうはならないか? 現にレインは、“マリー姫の影武者”として赤領国の騎士に近付いた」


 にーちゃんの疑問をロアが切り捨てる。彼の言葉に俺はぞっとした。なんでいつもそういう話になるのかなぁ!? むくれる俺の頭を、気遣わしげにロアが触れて来る。安心させたいみたいだ。そんなロアの手がぎこちなくて、安心感はこれっぽっちもない。


「俺とダイヤねーちゃんを、ここに誘い込みたかった奴が居る……?」

「マリス並に性格の悪い奴が敵にいるようだ。気を引き締めねば」


 アリュエットの言葉に俺も賛同するけどしたくない。純粋に強い敵とかそういうの居ないの? そんなマリスみたいな何考えてるか解らない悪巧みする奴とやり合うなんて最悪だ。


「腐術に夢魔法……それに本。これは魔族絡みの話である線もある。ならば陛下からの任務にも繋がって来るか」

「腐術と夢魔法……? それって俺の呪いに関係するの?」

「ラクトナイト……君は彼の保護者だろう。これを。レインとロアは控えてくれ。これはエルフには即死魔法だ」


 俺から目を逸らしつつ、アリュエットは目隠しカバーを付けた薄い本をにーちゃんに手渡した。見るなと言われると見たくなる。俺とロアがにーちゃんの背後に回り込もうとするのをアリュエットが邪魔をする。その間に読み終えたにーちゃんは、険しい顔で頷いた。


「犯行にはキャヴァリエレの言う通り、魔族も絡んでいるだろう。大凡、夢魔だ」

「夢魔? ……まだ戦ったことないなぁ。どういう奴ら? ロア知ってる?」


 話題を振った先では、にーちゃんよりも険しい顔でロアが赤面中。空気の精霊を本の間に潜り込ませて内容を聞いてしまったらしい。


「……効率的な、呪いだ」

「効率的!?」


 俺の呪いは失敗の産物ではなかったのか?


「レイン……インキュバスやサキュバスは知っているか?」

「ああ。名前は聞いたことあるなー! 学園の授業でやったよ。確かそいつらがやることって寝てる人を襲って…………あ」


 今回の事件には、とんでもない者が一枚噛んでいることを俺も知る。それでもやっぱり解らない。


「な、……何で俺なの?」


 俺何か悪いことした? なんでいつも変な奴に狙われるの? 大体いつも性的な話絡みになるのが納得出来ない。泣きそうになる俺の顔を、にーちゃんが覗き込む。真剣な目だ。嘘を吐かずに、俺に話せるところだけを話そうとしてくれている。


「レイン…………お前の両親は、偉大な勇者だった。だからお前を。お前の血を求める者が大勢いる。今はそれだけ覚えておいてくれ」

「にーちゃん……それって、……」


 言えないのは悪い話なんだろ? 言葉にしなくても解るよ。俺を傷付けたくないって言う優しさも。でも俺は真実を知りたい。そう伝える前に……にーちゃんは俺に真実を語ってくれた。


「それから。何があろうと俺がお前を守るという事も、絶対に忘れないでくれ」


 俺が何者であっても。そう誓われた言葉。

 アニュエスじゃない、コントにーちゃんの表情で……にーちゃんが俺に約束してくれた。大事な過去に引きずられていたにーちゃんが、完全に立ち直った! 傍に居て安心する……いつものコントにーちゃんだ!!


「うんっ……! にーちゃん大好きっ!!」


 思いきり抱き付いた、感触はいつもと違うけど。前みたいにドキドキしない。どんな姿になったって、やっぱりにーちゃんはにーちゃんだ。

マリス回。掌返しは基本。

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