19:はじまりとおわりの記憶
(何だ、この気配は……)
感じる妙な肌寒さ。痴女鎧こと【魔妃の防具】のためではあるまい。悪寒……違う、違和感だ。魔法書庫はとりわけ寒くなどない。漂う魔力に惑わされ、それを気味悪いと感じているが的確な表現。
例えばそう。明らかにおかしいこと。階下へ下るもう一つの階段を見つけたは良いが、上った以上を下っている。そんな気がしてならない。下の階へつながる道が見当たらない。ならば上り直そうと振り返るも、階段は果てしなく続き終わりが見えない。おかしな場所に囚われた。魔法書庫自体が歪んだ空間であることは間違いない。
『お困りですか?』
再び魔書が俺の前へと現れる。その声は、今度はレインを模していた。
「助かった……教えてくれ。レインの所へ行きたい」
『レインとは何ですか?』
どういうことだ? 場のみならず、今度は魔書の様子もおかしい。質問に答えるのではなく、質問を返して来た。
「レインは――……」
答えて良いのか本当に? 【鏡の魔書】が何物か、正確なところを俺は知らない。魔書と冠する以上、魔が絡んだ存在であろう。赤領国は何らかの手段を講じて魔書を管理・利用しているが、その本質が善であるとは限らない。
多くを知り、答えてくれる魔書。何の代償もなしに? そうであるなら他の名で呼ばれるはずだ。本当に魔族が生み出した本であっても。
「質問を変える。貴様は何だ?」
『……………………』
魔書は何も答えない。魔書について、魔法書庫について……赤領国について。俺の知る多くの情報は、アデル発のもの。彼を信じれば、疑えば。話は大きく違って来る。空間が歪んでいるのなら。戻れないのは何者かの介入。それを排除しない限り、俺はレインの元まで戻れない。アデルに何らかの目的があり、俺たちを赤領国……その魔法書庫に連れ込んだ。
「答えられぬなら先に俺が名乗ってやる。我が名はコント、コント=ラクトナイト!」
魔書に必要な代償は、偽りか真実か。仲間の名では試せない。差し出すならば自分自身でなければならない。
『私は……ニムロッド』
「ニムロッド……!?」
『……セレノア、ニムロッド』
魔書の名乗りに驚かされる。魔書の声はまた変わり……今度は覚えのない女性の声。彼女が名乗るは、レインと同じ苗字。レインの関係者か? 何故魔書が、そんな名前を口にする?
『どうか、あの人を。ヴォルク様の目を――……』
「ヴォルク……? あの、勇者ヴォルクか!?」
勇者ヴォルク。その名は俺も知っている。魔王が健在だった頃――……俺達より一世代前の英雄だ。俺の先代が、彼に付き従ったと聞いた。だからだろう。勇者の名を聞いた瞬間、眠っていた竜が俺の内で暴れ出す。顕現しようとしているのだ。
だが、今の俺は女の体。宿した竜に姿を変えることが出来ない。怒る竜の感情に、内に留めきれない魔力だけが湯水のように溢れ出す。
(鎮まれ! 鎮まってくれ! 友よ、私の声が聞こえないのか!?)
我が家が継ぐのは雄竜だ。故に竜を受け継げるのは男だけ。互いの半身として、生涯と友として……自分自身として。互いに契約を果たす関係。それが今では呪いの所為で別の存在だ。契約が無効となり、最悪の場合……俺の身を食い破り竜が逃れる。先祖代々受け継いできた力が。勘当された挙げ句、そのような失態。
『陛下に、渡さないで――……っ』
俺は倒れる直前に、【鏡の魔書】に亀裂が入るのを見た。砕け散った鏡の頁は輝いて……辺りを光で包み込む。
*
(ここ、何処だろう……?)
見知らぬ建物の中、私は一人歩いている。感覚としては精神分離をした時のよう。壁も扉もその気になれば簡単にすり抜けられる。ここも夢の世界の続き? 他の皆は目覚めたのだろうか?
(早乙女さんの夢は終わりそうだったのに、どうして私だけ……)
答えるように、私の手が光る。掴んでいたのか、短剣を。青く輝くそれは、自分の使命を終えたよう……もう何も語らない。立派な建物の中、私が一人だけ。こんなに広いのに、師との日々を思い出す。ここは閉じ込められた塔よりも、ずっと寒くて……ずっと寂しい。
(誰かの、泣き声……)
他に誰かの気配はないか。探った耳に届く音。その声の方に私は向かう。夢の出口はそこにあるのだと思ったから。
「ひっく……ひっく」
パーティ会場だろうか? 沢山の机には食べきれないほどのご馳走。そんな楽しそうな場所で……両手で目を隠し泣いている女の子。
会場の中央には祭壇。ここで牛か羊か切り分けて、焼いて振る舞う? 違う。祭壇に寝かせられていたのは少年だ。少年は目を開けたまま動かない。死体のようにも見えた。彼の目は不思議な……不気味な目。深淵のように眼球まるごと全てが漆黒で、大きな黒曜石を目のくぼみに入れているみたい。ああ、片側は本当に窪んでいる。
「こいつももう駄目だ。次のを寄越せ!」
「ああ、これももう吸い取れない。次のだ次!」
二人の他の人間達も見えて来た。身なりからして魔術師か。彼らは透明な目の子供達に、布の下……少年の顔を覗き込ませる。
「やめ、やめてくれっ! 誰かっ! 誰か助けて!!」
眠る少年を見せられ続ける内、彼らの透明な瞳は見る見る赤く染まって……最後は白目が黒くなり、この頃に彼らは苦痛に呻き騒ぎ出す。それからもう間も無くし、魔法薬が弾けるくらいの軽い音で、彼らの眼球が破裂する。次々と増える残骸。眼窩から血を流し続ける無数の死体。眼球がない亡骸達。酷いものだと頭部毎、上半身ごと吹き飛んでいる。
「やはり子供の目では、脆い。留めることは叶わぬか」
「無茶言うな。生きて育った水晶持ちは中身入りだ。始末されずにいる奴は、関わってはならないレベルの魔を封じているのだ。それを吐き出させるなど恐ろしい!」
「ご冗談を! 今我々が相手にしている者より怖いものなどないでしょう!」
「はっはっは! 相違ない!」
「しかし大分薄まりましたね。白目は元に戻っている。あと少し封じれば……視力も取り戻せる。そうなれば覚醒も近い。片目が無事なだけでも御の字です」
「ああ。次で赤目に戻せるかもな」
「偉大な研究に携われたこと、幸運に思います」
女の子は恐怖で動けないのか。泣いているだけで、他の子供達と違い逃げようとしない。だからだろう。捕まえる必要が無くいつでも使えると、結果的に彼女が最後に残された。
「そいつで最後か。また仕入れないと……ん? おお! お目覚めになったぞ!! 実験は成功だ!!」
白目まで真っ黒だった少年の目が開いた。身を起こした少年は、まず泣いている少女を気に掛けた。まだ見えていなくとも、泣き声は聞こえていたのだ。
「……どうして、泣いているの?」
それは私が……状況を理解する前に、その子に掛けようとした言葉。私は彼らに見えておらず、声など勿論届かない。見ていることしか出来ない。
片目の潰れた少年に、話しかけられても怖いだろう。少年の優しい声の問いかけにも、少女は答えられない。
「おお、おお……あのお優しさ! あのお姿! 間違いありません!!」
「素晴らしい……彼奴の意識を退けて、殿下を取り戻したぞ!!」
「やった! 私達は成し遂げたのだ!!」
大歓喜の大人達には目もくれず、彼はその子に再び問いかける。少年の声に少女はそっと……両目を塞ぐ手を下げる。彼女の両目は、死んでしまった子達のように色がなかった。
「泣かなくて良い。大丈夫だよ……辛いことも、悲しいこともみんな無くなるんだ――……“死んでしまえば”」
広間から歓声が止む。一瞬にして誰しもが、恐怖で口が利けなくなった。少年が発したおぞましい魔力のために。
「……何もかも。君も僕も、こいつらも。皆そうさ。最初から死んでいれば。生まれなければ良かったのにねぇ!!」
少年は魔に支配され、死こそ救いと信じていた。死の淵から自身を引きずり戻した魔術師共に、強い憎悪を抱いていた。
「可哀想な君だけを、殺してあげる。こいつらは、生かし続けて永遠に! 苦しみを与え続けよう!! ははは、あははははっ!!」
少女は見た。少年が喚んだ獣に、生きながら食い千切られる魔術師達を。彼らは強力な再生魔法を付与されて、失った体すら……肉片から復活させられる。そうして何度も何度も……喰われ、魔族の糧とされたのだ。そんなものを見る内に、少女も惑わされて行く。あんな目に遭うくらいなら、本当に死は救いであるのかも。泣きながら目を伏せて、訪れる死を待ち望む。
《私の手土産は如何ですか、我が王よ?》
これまで黙りっぱなしの短剣が、ここで再び声を発した。短剣の声と同時に、景色の時は止まったよう。誰もが身動き一つしなくなる。彼がこの空間を支配している存在なのか。
(……貴方が私に見せたんですか?)
《続きをご覧になりますか? 私は魔に通じる記憶なら、どんな物でも貴女に与えられる》
(必要ありません。あれがロットちゃんと兄様なら……二人は無事。今だって生きている)
これは、良くない物だ。惑わされてはならない。兄様が魔に魅入られたのと同じ事をしては駄目。このまま短剣の誘いに乗れば、私は取り返しの付かないことをしてしまう。
《そうでしょうか? 貴女は結末を知ってはいても、そこへ至る道筋が解らない。だから貴女は彼らと解り合えないのです。私を制御したいのなら、尚のこと。貴女にはこの先の記憶が必要でしょう》
私の返答を待たず、短剣は記憶の再生を始める。目を伏せても私の姿が消えるだけ、瞼の内で同じ景色が浮かび上がった。
(あ、あれは――……!?)
「俺に感知させぬよう…………壁の中。赤領国の魔術師を使い、同盟国でお遊びですか? ……お戯れが過ぎます、陛下! 殿下から魔王の力を引き出そうとは何事ですか!」
少女を救ったのは、【武具】の剣を手にした男。赤い瞳をした青年。小さな子供を背に庇い、彼が見据える方向は――……少年の背後。誰も居ない空間だった。
虚空を睨み彼が剣を掲げると、魔物は魔方陣へと引きずり戻され……魔術師達は癒やしの力を失い事切れる。彼の手腕を賞賛し、少年は手を叩く。
「ほぅ、……耄碌したか、勇者。勘が鈍ったのではないか? 眠った目など無意味だな! これ程傷付けるまで気付かんとは! なれば今度こそ、彼奴を滅ぼせるというものよ」
少年の口調が変わった? 声色まで別人だ。そうだ別人。その場にはまだ一人……傍観する第三者がいた。姿は見えないが、使われた魔法の痕跡は私がよく知るものだ。
勇者に居場所を見破られ、姿を現したのは……【白の魔女】。
(……“精神分離”!? ……お師匠様!? でも今……、“陛下”って……)
精神分離で彼女自身が抜けている。そこに入り込んだ者…………それこそが、白領王…………お父様!? 私の師は私の父に利用され、あのように狂人と化した? 兄と友の過去を見ているはずが、とんでもない記憶を見せられている。
白の魔女が肉体まで完全に姿を現すと、少年は人形のように力を失い倒れ込む。勇者が走り彼を支えたところ……少年はゆっくりと黒色の瞳を開いた。男と旧知の仲のよう、複雑な感情をそこに宿して。
「無駄ですよ、ヴォルク」
「…………殿下の中に入ったか、ブランカ殿」
勇者は少年をブランカと呼ぶ。白の魔女、その当人を呼ばずに。
(兄様の中にお師匠様が……、お師匠様の中に父様が!?)
魔として目覚めた王子の中に白の魔女の精神が入り込み、暴走を食い止める。空いた魔女の体に、白領王がすかさず入る。白の魔女は自身の体を人質にされた。だから王に従っている? そんな私の浅い推理はすぐに覆された。
「人と魔族は解り合える! なのに何故!! 俺に、あいつにこんな物を見せるのですか!? 殿下の魔を祓うことなど……俺を使えば簡単にっ! こんなに大勢が、犠牲になる必要は無かった!!」
「…………幼いですね、貴方は。本当に、変わらない。……子が生まれても親心が解りませんか? 愛しい我が子のため! 私はこの子を王にするためなら、魔にも鬼にもなりましょう!! 他人の命で、この子を死から救えるなら安い!! この子が目覚めるまで。誰であろうと、この子を殺させるものですかっ!!」
「水晶の子供達にも親はいる! それを貴女はっ!!」
「何の問題が? 水晶病を嫌う赤領国から頂いたものですよ」
「だとしてもっ! 彼らが死なねばならぬ道理はないっ!!」
「感情的で話にならん。其方等勇者に政は勤まらぬ」
二人の勇者を王は落胆して眺めた。
「如何に魔族が変わろうと、人はそう簡単には変われない。其方が魔に肩入れする以上、人の側につく同等の者が必要なのだ。魔王の力を持ち、人の下僕となる者が」
「……陛下っ! 幾ら魔を汲み取った所で、封じる手立てがなければ何の意味も……、――……!?」
「漸く気が付いたか? 水晶より離れぬから困っておったのだ」
「あ、貴方は……っ!!」
「流石だ勇者よ? 見上げた心がけだ。妻子の傍を離れ、異国の民草共を救うため馳せ参じようとは。セレノアの目だけではない。其方の目も人のために役立ててやろうぞ」
王の企みを知り、勇者は怒りに打ち震える。それでも自分のやるべき事を、彼は見失わなかった。
「殿下、今……お救い致します」
感情を押し殺した声で、勇者は【武具】を構える。
*
《こうして勇者の活躍で、王子と少女は救われました。嗚呼、しかし哀れ……勇者が勇者であるが故、彼はまもなく命を落とすことになりました。可哀想な勇者……ヴォルク=ニムロッド》
見たくない。拒んだはずの記憶に私は魅入ってしまっていた。昔の兄様とロットちゃん。二人を救ったのがレー君のお父さん。レー君が両親を失ったのは、ヴォルクさんが兄様達を救うため……駆けつけて、間に合わなかったから。そして、お師匠様は……兄様の。
《如何でしたか、姫君? めでたしめでたし……と言うには、大勢人が死にましたがね》
(……貴方は何が、言いたいんですか?)
《彼らの因縁は深い。可哀想な姫君、貴女に入り込む余地はない。所詮貴女は、彼の代用品なのです。勇者としても、王族としても……兄君には及ばない》
お師匠様にとって、我が子の代わりになれない。本当の“私”の目は何の力も無くて、誰かを助けたり封じるたりすることも出来ない。私は誰にも。誰の過去にも関わらない。お姫様だなんて言われても、私はずっと人形だった。私だって、早乙女さんと何も変わらない。
《私を解放するのです。兄君と同じものになるのです。全てを塗り替えましょう、青に! 貴女の治世を敷くのです!! それとも、貴女の大事な人々を傷付けた王に! 元凶のため命を捨てて戦うのですか? 何と愚かな!!》
自分を受け入れ魔王の器になれと短剣は言う。傍観者から主人公になれと。強き力が、特別な力が欲しいだろうと。それでも頷かない私に、短剣は別のカードを持ち出した。
《貴女もお気づきでしょう。赤き瞳の女……あれは我らが王を封じている》
今見た記憶の中での彼女は、まだ透明な眼をしていた。ヴォルクさんが兄様を止めた時、ロットちゃんの“水晶封印”が使われた? それが、ロットちゃんが勇者を志した切っ掛け? 私が知りたいこと、一番見たい所を短剣は公開しない。見たいならばと私を惑わす。
《人格も心も、兄君同様魔に傾いているのです。故に、人間には理解されない。最初こそ持て囃されはしますが……人の世には属さぬ輩。いずれは排斥され、破滅が待ち受ける》
思い出すのは悔しがるロットちゃん。復讐のための手段が、彼女の幸せに変わっていた。それがアリュエットとミザリーに負け、ボロボロになったプライド。……私一人じゃ駄目だった。【魔王の武具】は、私のそんな気持ちに近付いた。
《ご冗談ではありますまい。“王になって、あれが受け入れられる世を作る”と。貴女が言った言葉です。貴女には王の資格がお有りです。我らが、王としての偉大な器が!》
「……………………」
《我々なら彼女を歓迎できる。彼女の作り出す物は、我々にこそ相応しい。貴女が我々の新たな王に。そしてあれを配下になさいませ》
私とロットちゃんだけが楽しい世界。私とロットちゃん……そして全ての魔族が楽しい世界。人間のために戦っても、人間の所為で命を落とす哀れな勇者を見ただろう? 人間の方が我々魔族より残酷な生き物ではないか。語りかける短剣の声に、否定の言葉が浮かばなくなる。
《お優しい貴女に死は不要。眠りこそが救いです。夢を見続ければ良いだけなのです、我らが王。貴女の夢が続く限り――……》
*
「魔王の、血――……? 俺の親父は【魔違病】らしいけど……」
アデルからの追究は、俺には知る由もない話。父の目が、魔王と魔違えられたなんて話は知らない。そもそも両親について知っていることの方が少ないのだけれども。
「もしそうだとしても、それっとアデルに何か関係すること?」
「…………」
「にーちゃ……アニュエスも心配してるしさ、気が収まったんなら終わりにしない? 気になることがあるなら魔書に聞いたら良いよ」
「…………」
戦意喪失中ではあるが、アデルは武具を持ったまま……深く考え込んでいた。何時気が変わるか解らない。降ろした弓を再び構えアデルへ向ける。
「勇者として、どうしても此処で俺を殺さなきゃいけないとか? そういう話なら――……」
「…………これも、さだめか」
「……アデル?」
俺の足下に、アデルが跪く。俺がマリーねーちゃんとは別人と知っているのに。
「……《赤の女王》」
アデルの呟きを受けて、俺の指輪――……【魔妃の防具】が輝き、宝石も無色から赤へと変化した。
「へ……?」
「…………【防具】の真名は、【武具】の継承者が名付けられる。名付けることで初めて二つは対の存在となるのです。逆の事例は初めて見ましたが……それで外せるはずです。貴方は指輪の試練を乗り越えた」
「……俺を試したの? 武具の継承者と戦うことが、防具の継承に必要とか?」
「良い眼をしている。防具の継承は武具とは手法が異なり、概ねその通りです。貴方は俺を退けた……防具の主人に相応しい」
「そっか……」
「精々大事にすることです。外れるようになった防具を、狙う輩も現れる…………どうしました?」
立ち上がったアデルは、書庫の床に座り込み放心状態の俺を不審がる。理由を話すと笑われた。
「何か安心したら、腰が抜けちゃって……」
「何と情けない……」
「だってアデル、本気で俺のこと殺すつもりだっただろー? 一歩間違ったら死んでたよもう!」
マリスと同格以上の存在と、よく戦えたなぁ俺。今回は騙し討ちが決まったけど、次は難しい。アデルがあそこで諦めてくれて本当に良かった。遅れて体が震えている。恐怖を思い出したんだ。アデルの感情と同調しなければ、あの局面で敗れていた。
「レイン、手を」
「え、何?」
「俺に悪意があったなら、貴方の手は吹き飛んでいた」
助け起こそうと差し出してくれた手を、何の疑いもなく掴んだ俺。アデルは呆れと心配を織り交ぜた溜め息を吐く。
「……貴方は私が探した姫ではない。おまけに貴方は頼りない。ですが……貴方は」」
「アデル?」
手を掴んだまま、アデルの動きが止まる。彼は石に固まって、俺の手を掴んだまま動かない。腕を引き抜こうとしても痛みを感じるだけで、抜ける気配が一向になく……それどころか――……
(まただ。心が読めない……感情が、ない?)
こんな風に急速に、感情が途切れることは本来あり得ないのに。辺りの静寂に、俺の感情ばかりが強くなる。
(落ち着け、落ち着け……)
ゆっくりと呼吸をする。さっきは話が出来た。それならもう一度だってやれる! アデルが何者だとしても、心を通わすことは不可能じゃない。
「どうしたんだよアデル? そんな思いっきり掴まれたら、手が痛い」
掴まれているのは指輪が嵌まった左手。嫌な予感が脳裏を過る。
「アデル――……!?」
彼の片手が持ち上げる、武具【赤の王】。禍々しい魔力を宿したそれは高く振り上げられて……俺の左腕を目がけて振り下ろされる!
もう駄目だ。恐怖から目を固く瞑った俺は、続く痛みと衝撃に覚悟を決めることしか出来なかった。
「…………レインを、泣かせたな」
痛みの代わりに感じたのは風。薄目を開けて俺が見たのは、二人分の甲冑。アデルの斧を防いでいるのは剣を構えた女騎士。
「あ、……アリュエット!?」
何処から入って来たのだろう? 驚く俺の傍らには、焼け焦げた《召喚手紙》。色々あって、捨てるのを忘れていた。……かつてロアから貰った、Twin Beloteへの誘いの手紙。彼女はこれを頼りに、ここまでやって来たのだろうか?
「レインを傷付け……ロアを悲しませる不届き者は、このキャヴァリエーレが成敗する!」
*
召喚ゲートを潜り抜けた先――……殺気を感じて反射的に剣を抜く。硬い感触だったが、相手は魔に属していた。キャヴァリエレ家家宝《牝牛》》の一撃が見事に決まる。
相手は切り落とされた腕を残し、飛び退いた。その頃には次第に目も慣れて来る。暗がりで襲われていたのはエルフの少年。襲っていたのは地下室の鎧! 鎧は右手で器用に斧を掴んで警戒態勢。此方との間合いを計っている様子。
(偶然だが、良いところに出会した)
私は私の幸運に感謝する。ロアの寵愛を受けるレインを助けられると同時に、探していた鎧の所へ飛べたのだから。
「その鎧、八つ裂きにしてくれる……!! 我が愛剣《牝牛》》は、魔にはよく効くぞ! 下がっていろレイン!」
「でも俺の腕……あっ!」
撤退しようがないと弱音を吐く少年に、私は良く見ろと言う。彼の手には鎧の籠手だけが残っている。邪魔だろうが逃げる分には問題ないだろう。
(いや……この籠手もゴーレム鋼であるならば)
我が剣《牝牛》》であれば容易に傷を付けられる。この腕も奴の一部。
「レイン、左手を貸してくれ!」
私はすぐさま彼の手を取り、残った籠手に“真理”の文字を刻み、声を張り上げた。
「ゴーレムよ“止まれ”っ!!」
強奪者の命令と、私の新たに下した命令。ゴーレムに同時に二つの命令をぶつければ……良くて停止、悪くても暴走状態に追い込める!
「アデルっ……!」
「私が確認する! 君は辺りを警戒していてくれ! 魔法感知は君の方が優れている! 反応があったらすぐに知らせて欲しい!」
「……解った」
目論見通り動きを止めたゴーレム……駆け寄ろうとするレインを呼び止め、私が少しずつ鎧の方へと近寄った。
(ゴーレムであるのは鎧だけ。アデルが何者なのかが解らない……)
彼が人間ならば、鎧を脱ぎ捨てれば自由に動けるはずだ。鎧を捨てて移動魔法を使うなら、消える瞬間の反応を捉えられる。痕跡を辿れば彼の正体に一歩近づける。だが、兜から流れ出す長い金髪…………まだ、鎧の中身はそこにいた。
「アデル。貴様は何者だ? 何故、我が家の鎧を身に纏う?」
剣を突き付け問いかける。鎧の内から返って来るは、嗄れた老人の声。それは私を殴りつけるような大声で一喝する!
「……王の御前だ。控えろ灰の女騎士!! 先祖の徳と栄光を地まで落とすか? 白領の犬め、盟友への無礼をいつまで続けるつもりだ!?」
(この物言い……まさか、赤領国王!?)
灰領国の盟友、赤領国の王に剣を向けるなど決して許されない。ならば見過ごせというのか? レインが傷付けられるのを。私が一度傷付けて――……辛い目に遭わせたのに。私に一度も恨み言を口にしなかった少年を! 彼から許しを受けた身で……仇で返せと貴方は言うのか!?
「陛下……畏れながら、私は誇り高きキャヴァリエーレ。腐っても“勇者”の端くれ! 罪無き幼子の危機を、見過ごすことは出来ませぬ!」
ラクトナイトを笑えぬな。誇りと口にした家名を捨てる日が来ようとは。自嘲しながら剣を構え直す。
「余計なことを。ただ眠らせるだけじゃ」
「眠、らせる……?」
「左様。如何に勇者で在ろうと、死を錯覚させれば勝手に気を失う」
「…………こんな幼子を眠らせて、何をするというのです!」
「騎士風情が思い上がるな。従僕は端女は命令だけをこなしていろ! 王の真意など知る必要などないわ!」
理由を語ろうとしない赤領王。彼のその物言いが、私に強い既視感を抱かせる。
「まさか……貴方は!」
「……ほう、気付いたか。やはり犬は鼻が良い」
「こ、この本のようなことをするおつもりかっ!! 眠っている隙に彼の体に貴方の味を覚えさせっ! 嫌がりながらも貴方なしでは生きられない体にした挙げ句っ!! 一国の王とも在ろうお方が!! 妻子のいる貴方が!? けしからんっ!! ロアという人がいながら、醜い小太りの中年赤領王に汚されるレイン!! いや、陛下の顔知らないが恐らくそんな顔だろう。兎も角そんな男に睡眠姦された挙げ句、妄想するのも憚られるようなマニアックでハードなプレイをするつもりなのだろう!! ロアを悲しませる畜生鬼畜王がっ!! 死ねぇええええええええええええ!!!」
「な、なんじゃこの女は! くだらん言いがかりで魔力を爆発させた!? くっ、結界がっ……」
私が赤領王に薄い本を投げつけると、パンと何かが弾ける音がして……目の前が真っ白な光に包まれる。
目を開けると……そこは同じ場所の床。しかし空間の歪みを感じない。この場所を包んでいた結界が、解除されたのか?
こんなことになるとは思わなかった。一時的に最大MPが爆発的に上昇している。
「凄い……腐術ってこんな使い方もあるのか。ねーちゃんのとも、また違う感じ……?」
「れ、レイン! ぶ、無事か?」
「うん、ありがと」
私の傍でレインも目を覚ます。突然召喚された身としては、聞きたいこともあるのだが……再び赤領王が来る前に、撤退するべきだろう。
「他には誰が来ている? 早く合流してここから退却しよう」
「えっと、アニュエスとロアとマリスと……アデル」
「ああ、彼は……」
辺りを見回してみたが、レインを掴んでいた鎧も腕も現実には存在せず……残っていたのは色の変わった指輪だけ。赤い宝石を悲しげに見つめるレイン……見ていると此方まで悲しくなる。
(こ、これは……!! 伝説の腐術……“サンド”というものか!? キャロットの本で見た展開だ!!)
ロアとアデルがレインを取り合うレインサンド!! ロアは受けだと思っていたが、こういう三角関係になってくると…………レイン受け、ありかもしれない。いや、であるならば……ラクトナイトとロアでレインを挟んだ勇者サンド! ラクトナイトとアデルで挟んだ騎士サンド!! 次の本はとりあえずロア本の他この三冊で…………
「レインんんんんんっっっっ!!!!!!!!」
「うわっ!」
結界が解け、精霊魔法が機能したのか。はたまた私の妄想からレインに対する第六感が働いたのか、移動魔法でロアが飛来。問答無用でレインを抱き締める! 余裕のない表情……いけない、今はシリアスな流れなのに顔がにやける。私は兜を装備して、顔の緩みをガードした。
「何だよ、痛いなロア」
「う、すまん! だが……お前が無事で良かった」
「いつもはもっと早いのに。今回は遅いから……何かあったの?」
「その……いや、少々道に迷ってな」
いけない。視界まで兜で隠した所為で、いかがわしい会話に思えて来た。このままでは兜と鎧の中が鼻血で埋まり窒息死する。
「あ、そうだ。アリュエットが助けに来てくれたんだ」
「む……? レインの危機に駆けつけてくれたのか。こんな所まで来てくれるとは……礼を言うぞアリュエット」
私が脱出を提案する前に、レインが話題を振ってくれた。気が利く子だ。しかしそういう気遣いは要らぬのだ。だって直視できない!! ロアの笑顔がこっちに向いたら……私は、私はっ!!
「あ、アリュエット!?」
腐術の直後にロアの微笑みは刺激が強すぎた。床へと伸びた私は、至福を胸に意識を手放した。




