17:魔王の目
勇者ヴォルクは最弱の勇者かもしれない。しかし誰より強い心を……強い魔力を持っていた。彼にその気があるのなら、真っ正面から舞おうと渡り合うことも出来ただろう。それでも彼は全ての魔力を防御に回した。彼が魔力を剣に、他者を傷つける力と変えたのは――……生涯ただの一度だけ。
出会ったその日に僕がヴォルクを半殺しにした時でさえ……あいつは一切の反撃を行わなかった。対話の姿勢……無抵抗を示すため、防御魔法を自ら解除するような大馬鹿者。
(どうせ欺し討ちだろう。人間なんか誰が信用するか)
そう思い放った魔法が直撃して、あいつは――……。攻撃魔法を使ったなら相殺……いや、僕を倒すことさえ出来たはずなのに。
*
「…………あいつは?」
「……眠ったわ」
「心配……しているの?」
「…………別に」
「それでもいいわ。でも、反省はしなさい。本当に酷い怪我――……私がいなければ、死んでいたかもしれないのよ。明日、ヴォルク様に謝りなさい」
「嫌だ」
「“ ”っ!!」
治癒魔法で姉さんは男を治療し、事なきを得た。男を怪我させた僕が謝らないことに、姉さんは思わず手を上げた。我に返った姉さんが僕へと謝るが、僕は決して謝らなかった。
「ごめんね“ ”……っ、ごめんなさい……でも、どうして……? どうしてそんなに人間を憎むの? 私達が直接彼らに虐げられた訳ではないでしょう?」
「……僕は認めていない。人間程汚れた種族はいない! 人間を森に入れるなんて姉さんは騙されているんだ! そいつらが僕らに何をしたか忘れたのか!? 人間の所為で混血の僕らがどんなに苦しんだか姉さんは忘れたの!?」
人間の血が半分入っているために、僕らが何を言われて来たか。同族のエルフ族からも馬鹿にされて育ったんだ。「一晩幾らだ?」なんて屈辱的な言葉を何度掛けられたことか! 人間と交わるような奴の子供だ。人間を相手にするような家の子だ。余程金に困っているのだろう。狩りで獲物も獲れないのだろう。汚い人間の血が入っているから!!
「えっと――……それはそうだけど、この人はそんな人じゃありません! 人間だって悪い人ばかりじゃなくて」
「これを見ても同じ事が言えるのか? これはそいつの国で売ってた本だ」
僕が人間共から押収した品々を魔方陣から呼び出すと、姉さんは渇いた笑みで目を泳がせた。
「ええっと…………げ、現実と妄想の区別がきちんと付けられる人って、素敵ですよね」
姉さんの言葉はしどろもどろ。ちょっと人間の住み処に行けば、エルフエロ本が山のように積まれている。僕の怒りの形相に、姉さんはその場に正座。
「豊満な美女系、スレンダー美人系! ロリータ系、美少年系っ!! 最近じゃ人間国家に苦情出した影響の嫌がらせで長老系エロ本まで増えているっ!! 長老ぶち切れて憤死寸前だよ!? 千八百年守り続けた儂の貞操が狙われておるとか言い出して寝たきりになっちゃったんだ!!」
「あらまぁ、被害妄想が強いですね。ふふふ……大丈夫ですよ、長老様は兎も角貴方に何かしようというならお姉ちゃんがぶちのめしてあげますから」
「姉さんだって危ないんだ!! 危機感持ってよ馬鹿ぁっ!!」
「こら、お姉ちゃん相手に馬鹿とは何ですか馬鹿とは。お馬鹿さんくらいにしましょうね? そもそも私みたいな病気持ち、相手にしようなんて思う人いませんから大丈夫大丈夫」
「姉さんのお馬鹿さんっ!! これが姉さんを盗撮していた奴の数。同時に僕がぶちのめした人間の数。そしてこれが、ぶちのめした結果治安維持を評価され僕が表彰された回数。兵士や騎士団にスカウトされた数。人間頭おかしいだろ!! 性欲が服着て歩いてるんじゃねぇええ!! この獣がっ! 区別するため最初から全裸で出歩けそしたら即射殺してやる!! 一思いに喰い殺してくれる分、僕は魔物を見直した!!」
魔物、魔族=性欲の化け物みたいな認識どこから来た!? そういう種類のもいるけど!! 基本は食欲>性欲だからあいつら!!
「困ったわ……ここは平等にと、逆にエルフの里に人間系のそういう本を置いて貰ったんだけど、全然売れなくて」
「当たり前だ! ここのみんなは人間を嫌っているんだから!! 大体何だこれを作ったギルドは! 何処に殴り込みに行っても不在で人の気配もない!!」
「ああ……それは魔王の側近が発行した本なの。年齢制限付きのエッチな本の大半は、魔族印の架空ギルド製ですよ。情報操作も得意なんですよねあの人達」
「売る馬鹿作る馬鹿も悪いけど買う馬鹿がもっと悪い!! こんなモン買うな!! 心を魔王に売り渡しやがって!!」
魔族より一部の人間の方が煩悩の塊じゃないか。ああいう本をばらまくことで、好奇心の誘惑に負けた物好きな人間が魔族の元を訪れる。食料が自ら歩いて来てくれるのだ。狩りの必要もない。実際は食料にされているのに「囚われのくっそエロい美女を魔族の元から救い出す本」を売り出せば、そういう物だと思った輩がいそいそと巣穴に訪れる。食料ゲット。ボロい商売だな!!
人間は馬鹿だ。どうしようもない輩が魔族に食われて死ねば、まともな部類の人間が残るはずなのだが、いつまで経ってもそういう事件が終わらない。魔王が封印後も魔族の勢力が衰えないのは人間の所為である。連中は魔王という魔力発生装置がいなくなり、策を弄し始めた。まんまと欺される人間どもに僕らは辟易している。人間は魔族の手駒くらいに思っているエルフが大半だ。
「おお、魔族の印刷技術また上がりましたね! やっぱり魔族は人の欲望を煽るのが上手いです……」
「……感心しないでよ姉さん」
「見てみる?」
「見ないっ!!」
「嫌ねぇ。そんなところばかり父様に似ては駄目ですよ。興味あることをない振りするのは逆に不健全なのに。魔族に対抗するためやはり、人間や我々も自主的にそういう市場を開拓するべき」
魔族の売る魔書なんか買わずに、普通に恋人を作れば良いのに人間は馬鹿なのか? そう言いかけ、慌てて胸へと言葉を押し戻す。姉さんやあの男のように、恋愛の自由がない者もいるのだと。
「……それは、そうかもしれないけど。僕は反対だ。わざわざエルフ族の品位を貶める必要は無い。それが長老会の決定だ。姉さんはそれに楯突くって言うのか? ますます肩身が狭くなるよ」
僕らは人間なんかと交わった好色だと同族から馬鹿にされる。人間からはエルフだエルフだと……男の僕でもいかがわしい目を向けられる。僕らに味方はいないのか。意思と心のある尊重し合える他者として、普通に接してくれないものか。世の中の全てにうんざりする。外界との交流を避け続けた結果、外は監視無し野放し状態となり……エルフエロ本の大流行という最悪の事態に転じてしまった。隠れ里の外に出れば、これまでとは違う意味の好奇の視線が寄せられる。どちらにせよ、気持ちが良い話ではなかった。おかげでエルフの他種族嫌いに拍車が掛かる。
(いつか大きな争いに繋がるんじゃないか? 魔族は内輪もめを狙っている……)
種族が団結し、魔王完全討伐へ乗り出すことを奴らは恐れている。故に平和ボケした世の中に、不和の種をばらまいた。とても下らない発端と理由だが、現に世界は荒れている。人間とエルフの関係も……過去最低、この上なく険悪だ。
(だから姉さんとあの男は…………エルフと人間の未来、その希望であるのかも)
気に食わないが応援したい気持ちはある。姉さんが幸せになれるなら僕は何だってしよう。唯、見極める必要がある。眼を魔違えられた盲目の勇者に、姉さんを守れる強さがあるのかを。
「姉さん?」
僕が考え込む間、姉さんの顔はにやけていた。何事かと覗き込んだ所、魔法書の陰に別の本を隠していた。
「はっ! こ、これは何でも無いんです! 誤解です!!」
姉さんが人間に、魔族に毒されている。彼女が背に隠した本を押収すると……これまたろくでもない本だった。
「『女エルフ×勇者緊縛目隠し拘束観察日記~奥手な彼をその気にさせる眠れない程熱い夜~』…………?」
「ああああああ! ダメダメ駄目だめぇえええ!! タイトル言っちゃだめ!!」
「姉さん…………そんなの読むと、一角獣に乗れなくなるよ?」
「だ。大丈夫! まだ乗せてくれてます!! 一線越えなきゃ大丈夫ですって!」
「姉さん…………あいつが幾ら見えないからって、罪悪感はないの? 何この本。魔族から買ったの? マジカルクーリングオフして来なよ」
「開封したのは返せないんです。それに……ほら、私…………巫女だし、【水晶病】だから……。妄想くらいさせて貰わなきゃ人生割りに合わないっていうか、その……」
本当に、魔族は心の弱みに付け込むのが上手い。恋愛も結婚も許されない姉さんに、こんな物を読ませるだなんて。
「……没収」
「きゃああああああ! 返して返して私の夜のバイブルをぉおおおおお! 燃やすなんて酷いわ!! 本に使われた元素と精霊達が泣いてるわ!!」
「あはは、朝から元気だな二人とも」
「あ、……お、おはようございますヴォルク様!」
「お姉さんを困らせちゃ駄目だよ“ ”君。セレノアさん、本なら俺が買って来るよ。君にはいつも助けられているし、何かお礼がしたいんだ。タイトルを教えて貰えるかい?」
「い、いいいいえいえいえいえいえいえいいえ!! わ、私が買います買えます!! 勇者様の手を患わせるようなことでは!! ヴォルク様、まだ病み上がりなのですからもっとゆっくりして下さいまし!!」
姉さんは階段を降りて来た男を支え、彼を再び客室へと連れ戻す。魔法で眠らせてきたのだろう。彼に聞かれてはまずい話の自覚はあるらしい。
「あいつと出会ってからの姉さんはおかしい。あいつの所為で姉さんはおかしくなった」
ハーフであるのが勿体ない。生まれさえ良ければ。純血のエルフよりもエルフらしい高貴さ、知性……美しさ。魔力に弓の腕。全てを兼ね揃えていた、そう讃えられた自慢の姉が……人間なんかと関わって変わってしまった。
「あらそう? ……でも私は今の私の方が自分が好きよ。なんでも言葉にして感情を表してくれるようになった貴方も、今の方が素敵だわ。それに――……ここの空気も変わって来ました」
……確かに。昔では考えられないような笑顔を浮かべてくれるようになった。両親を失う以前のように。それは僕一人では出来なかったこと。だから悔しい。
人間らしかぬ人間。勇者らしくない勇者。誰かの力を借りなければ、満足に戦うことも出来ない。あんな男に僕が負けたのか?
「百歩譲って…………人間でも。何も【魔違病】の男なんかに惚れることはないじゃないか。もっとまともな人間はいる」
あんな男の何処が良いんだ。僕の方が強いのに。姉さんはどうしてあんな奴のことばかり気に掛ける?
「姉さんは、弱いからあいつが好きなの? それって哀れみとか母性であって恋とは違うものだよ」
「まぁ、貴方にそんなことを言われるなんて! ふふふ、“ ”? 恋というのはね、落ちたら解るものなんですよ。それ以外の名前が当てはまらないと解るのです。それに――……ヴォルク様は強い。きっと世界の誰よりも」
「……“強い”から、好きなの?」
「…………違うわ。ヴォルク様がヴォルク様だから」
諭されても納得しない僕に、姉さんはティーカップを渡す。並々と注がれた茶の温かさ。そこにあるのが愛情だとは解るけど、姉さんがあいつを思う気持ちは解らない。
「恋と言うのは素直になれないこと。けれど、素直になりたいと思うこと。本当の自分を知ってもらいたい。受け止めて欲しいと思うこと……そんな風に私は思ってます。そして、その人のことを知りたいという気持ち」
「恋は理想を美しいものを追い求め、……そして許せないこと。愛は許せてしまうこと。その人の全てを」
「美しい種族って何なのかしら……? 私達は人からどう見られるかを気にし過ぎて、そういう物に囚われて……自分の心を素直に表すことが出来なくなっている。こうあるべきだという固定概念で生きていて、そうでないものを虐めてばかり。私はそういうのを壊したいんです」
「世の中には、馬鹿で下品なエルフがいても良いじゃない。馬鹿とか下品だって誰かの基準の価値観でしょう? この世界に本当に馬鹿なことも品がないことも、本当なら何一つもないはず」
「全体の質が下げられる。一人そういうのがいる所為で、種族全体が馬鹿で下品と思われる。それで誰かが傷付けられた時、姉さんは責任が取れるの? 取れないだろ。だから僕らはみんな高潔で美しくいなきゃいけないんだ」
「それじゃあもし、本意ではない理由で私が醜い存在になった時――……貴方は私を軽蔑しますか?」
「姉さんは――………………姉さんだよ」
冷めてしまった茶の味を、思い出す。香りを思い出そうとする。思い出せない。
*
「おはよう、ロア。まだ夜中だけど」
立ったまま寝るなんて器用だね。せせら笑う悪意を耳に、我に返って見た物は――……宙に浮かんだ鏡で出来た魔書。恐らくは、赤領国の秘宝【鏡の魔書】。
(これが、……問いに対する答えなのか?)
私が求める情報は、二人の死の真相。見えた記憶の中に手掛かりはない。ならば私の問い自体が間違っていた? 私が魔書に。無意識のうちに願ったのは……二人の記憶を取り戻したいという願い。生きる内……詳細を忘れてしまった愛しい日々を、束の間でも思い出したいと?
私の疑問、思考の内に入り込む肯定の言葉。魔書は記憶の内の、姉と同じ声色で私の内に声を届ける。
「僕はもう終わったよ。君が何も聞かないなら、僕が聞いてあげようか? 君の大事なレインは病気など患っていないかな?」
マリスは直接声にしなければ、魔書と対話できないと思い込んでいた? いや嫌がらせのために、私にも聞こえるようそうしているに違いない。
(マリスは一体何を…………)
古い記憶の余韻から、思考能力が鈍っている。精神が一時的に子供の頃に戻ったようだ。これではいけない。心を強く持たねば。私は呼吸を整え、精神統一へと入る。その間にもマリスと魔書の対話が私の邪魔をする。
『レイン=ニムロッドは、【水晶病】【魔違病】感染者です』
「へぇそうなんだ? それじゃあ今この書庫に、水晶病は彼だけなのかな?」
『その通りです』
「それじゃあこの共鳴は、彼?」
『はい』
魔書の返答を聞き、私は移動魔法を展開させる! レインの傍には精霊を残した。この空間が歪んでいようと、それを目印に瞬時に飛べる! そうして私が飛んだ先。見えたのは……腹を抱えて笑うマリスの姿であった。元の場所に戻された? 否。魔法自体がキャンセルされた。私は中に飛び上がり姿を消して、同じ場所に落下したのだ。
それなら足で向かうのみ。踵を返した所で、足が動かないことを知る。マリスの影が絡みつき、此方の移動を封じている。
「つれないねロア。こんなに暗いんだ。急に走ったら危ないよ」
『書庫内で移動魔法は使えません』
「だってさ」
「邪魔をするな! レインに何かあったら許さんぞ!!」
“水晶封印”!? あり得ない。兎も角レインに何かあったことには違いない。早く助けに行かなければ。
「ここにはアリュエットもミザリーもいない。たまには二人きりで話をしようじゃないかロア? 話題は何が良い? 君が知りたそうなことにしようか。ここでなら魔書がすぐに訂正してくれるし助かるね」
「いい加減にしろ、邪魔立てするならお前ごと俺を斬っても構わない!」
此方の口調が変わったことに、マリスはとてもご満悦。怒り狂う俺の姿が見たかった? 何処までもふざけた男だ。
「レイン相手の馬鹿面も良いけど、今の顔が一番良いねぇ。ご褒美に……こんな話題はどう? 答えろ【鏡の魔書】。水晶病は?」
『遺伝します』
「魔違病は?」
『遺伝します』
「ロアの可愛い可愛いレイン君は?」
『魔王の孵化器』
「赤の騎士アデルは?」
『魔王の力の継承者』
「【水晶封印】を行ったらどうなるの?」
『……未曾有の危機』
「【水晶封印】って水晶病者が水晶体に魔を取り込むことだけど、彼は普通の眼だ。何処に封印するんだろうね」
『彼の体は全てが檻です。生死問わず活用出来る、有効資源であるでしょう』
「わぁすごい。そんな凄い彼のご両親もとっても凄かったんだろうね」
『彼らの目は有効活用されました』
「――……それは誰に?」
『閲覧規制、閲覧規制事項! 【鏡の魔書】、強制終了――……っ!!』
私は何を聞かされたのか。マリスは何故私にその情報を与えたのか。動揺で頭の動きが鈍い。処理速度を追い越し情報ばかり流れ込む。
(姉さん達の目が、狙われた? そのために――……あの男が嗾けられた!?)
では二人の目は何処へ行った? 私が真に復讐すべき相手は誰だ。姿を消した鏡の代わりに、マリスが私を見つめている。なんでも答えてあげようと、溢れんばかりの悪意の笑みで。
魔書を使うには手順がある。こういう物は大概、所有者が規制を設けているものだ。答えられる範囲を探り一つずつ聞き出す。そうすることで、所有者が何を隠したいかが明確になる。マリスはそれを上手く使った。
(姉さんと、ヴォルクの死に――……赤領国が、絡んでいるだと!?)
私と会う前に、マリスは魔書に何を尋ねた? お前は何を、知っている!? 一度魔に飲まれた男は、思考も性格も魔物じみた……理解を越えた存在。マリスには人としての側面と、魔族としての顔がある。であるなら、アデルもマリス同様に?
(アデルは赤領国の騎士。レインの正体を、出生を奴に知られるわけにはっ――……!!)
「ねぇ、ロア。僕の片目には。アデルの両目の封印には、誰の目が使われたのか気にならない? レインの本当の目はどこへいったんだろうねぇ?」
「何故…………レインの目を、お前が知っている!」
レインの体全ての部位が、魔物の檻に使えるならば。当然、瞳も同じはず。レインは水晶病と魔書は断言したが、“普通の目”であることを否定しなかった。例外的に、レインの瞳は魔を封じられない。その理由を、なぜマリスが知っている? 睨み付けた先で黒衣の男は嬉しそうににたりと笑う。
両親が殺された。姉さんがあいつに奪われた。姉さんとあいつが殺された! 私は三度家族を失った。姉さんと同じ顔で、あの男に同じ言葉を語る……レインは私の宝。守りたくて、守れなかった全てがあの子の中にある。レインだけは……死なせない!
「お前の封印に、あの子の眼が……使われたのか!?」
マリスの影を斬り、同じ部位から私も血を流す。奴の影魔法による呪い。マリスを殺せば私も死ぬが、解決方法は既にある! 流れた血は悪用されぬよう火炎魔法で焼き払い、炎で照らし影自体も遠ざける。これで簡単に形勢逆転。一気に距離を詰めてやる。それでもマリスの余裕は崩れない。
「流石はロア。結界である魔法書庫内でそれだけ魔法を使えるのは凄いねぇ」
「言いたいのはそれだけか?」
「折角自由になったんだ。早く行かなくて良いの?」
接近戦で勝てぬ相手に剣を突き付けられて尚、……奴は不敵にそこに在る。一秒で、私はお前の首を落とせるというのに。マリスは言葉で私を絡め取る。欲しい情報、チャンスを見せて……この機を逃せば語らない。マリスに脅しは通用しない。
「姉さん達が死んだのは…………貴様の所為か、マリス!! 赤領王と陛下が貴様のために、姉さんの目を奪ったのか!? そして姉さんに飽き足らず、レインの目まで!!」
二人の最期と無念を思うと、怒りと涙が込み上げる。マリス自身が手を下した訳ではないと解っていても、その目の真実を知れば冷静ではいられない。マリスはこの状況を愉しみ、私を煽る言葉ばかりを返して寄越す。
「嫌だなぁ、僕は無実だよ。知らなかったのかい? 君はお姉さんが命を落とした灰領国に固執する余り、赤領国のことに注意を向けて来なかった」
「レインの目には……既に封印が為されていた。我はそう聞いている!」
レインを故郷に置く条件。それは故郷の脅威を封じること。そうであったはずなのだ。恩人であるレインを、レインが出て行きたいと望む以外の理由で……追い出すことがあってはならない。例え人間の、魔の血が入った厄介者であろうとも。故郷は彼を養う義務があった。
「それは嘘だったってことだね。《水晶病》と《魔違病》の患者……その婚姻なんて誰にとっても魅力的な禁忌だよ」
異性であっても自由な愛が許されない者がいた。
平和のために戦えど、平和な時代に不要な存在。多くの国で、両者は自由を奪われていた。水晶病患者は神職として婚姻を許さず、魔違病は異形の姿と魔の血を次代に引き継がせないよう……自由恋愛も許されず、呪いや拘束具はまだ良い方で酷い時には肉体に手を加えられ、生殖能力を奪われることもある。今のように勇者が名誉職となる以前――……戦って死なせるために、彼らは勇者にされたのだ!
「結構有名な勇者だったよね、君の姉さんと彼の父親は。それでも必要以上に名声を残そうとしなかったのは、関心を持たれることを嫌ってかな?」
勇者として功績を上げることで、彼らは人間になれる。誰かを思い愛する資格も許された……先でのあの事件。義兄と姉のパーティは【魔妃の防具】を見つけ、魔王復活を未然に防いだ。上もそれで掌を返した。偉大な勇者の血筋であれば、是非にも残して貰いたい。勇者同士の婚姻? 願ってもないことだと。
「知れば知る程、君は面白いねぇロア? 幼い君がどれ程傷ついたのか、今尚君の心がどんな傷を抱えているのか。想像するだけで身震いする……あはははは! 君には心から同情するよ、可哀想に」
「哀れみなど不要! 貴様の目についてを答えろマリス!!」
「僕に使われた目は誰の者かはわからない。唯、赤領国の素材を使ったと聞いたから……君の身内の物ではないと思うよ」
「くっ……紛らわしいことを!」
「【七瞳の道化】にとっては些細なこと。全ては見る側の主観によって移ろう。とりわけ色については簡単に、僕らは自在に変えられる。だから僕は簡単に入国できた」
「【七瞳の道化】――……? 何だそれは」
記憶しているどの文献でも覚えのない言葉。魔法が掛けられたのはマリス本人ではなく、相対するもの。門番も入国装置も軽やかに彼に騙された。そんな風にも聞こえるが。
「教えてあげてもいいんだけど、この話は長くなるからレインが死ぬよ? 続きは彼の姿が見える場所でどうかな」
マリスの提案に乗るのは癪だが、移動せざるを得ない。階段側まで来て、遙か階下にレインが見えた。何があったのか、あの子はアデルと戦っている。魔書により、レインの嘘が暴かれたなら状況は良くはない。赤領国はレインの敵だ。
(階段は破壊されたか……結界の妨害で、飛び降りれば無傷では済まないか)
せめてレインの方に精霊を送りたいが、マリスが何を仕掛けてくるか解らない。何時でも対処できるよう万全の状態でいなければ。そんな私の選択さえ、マリスは面白くて仕方が無いようだ。レインほど上手く心が読めない私にも解る。
“どれだけ大事にしてみても、生者より死者が大事なのだろう”……そう、奴は嗤っている。“やっと、隙を見せたね”と。知ってはいたが、こいつは魔書より質が悪い。
(侮るな――……私は、“信じている”のだ。レインを。あの男を!)
小さかった子供は外見こそまだ幼いが、立派な勇者に成長した。全てを助け守ってやりたいが、過度な干渉あの子の自由な成長を阻む。私も変わる。成長するんだ。人を老いぼれ扱いし、何も変わらぬと馬鹿にしているのだろうマリス? お前が此方を知るように、私もお前を知っている。それに気付かぬ愚か者め。
「“信じる”かぁ…………可哀想に。信じられ、信じてしまった結果……レインは君に裏切られる。ロア……僕は知っているんだよ? 君は本当に平和を求めてなんかいないよね? “だからこうして、お前は俺の傍に居るんだ。俺の魔に気付いても、お前に俺は祓えない”」
「!?」
言葉だけの哀れみ。マリスは私の苦悩を、豪勢な食事を見るかのように眺める。
「ふふふ……君は可愛いレインのために、争いが続いてくれなきゃ困るんだ。彼を英雄にしたいんでしょう? 彼が生きている間は魔王復活の危険は保ちたい。魔の脅威がなくなれば、次の化け物として槍玉に挙げられるのは彼だから。君はレインを魔王になんてしたくない。だから彼が勇者として活躍できる世界を保ちたいんだ」
お前の何処が最強の勇者だとマリスが嗤う。
「面白いなぁ。人間とエルフと魔王の血を持っているとんでもない化け物だ。誑かし魅了能力もその辺由来なんだろう」
「あの子は化け物ではない。訂正しろマリス!」
「償いのつもりかい? 幾ら君がレインを甘やかそうと、君がしたことは変わらないのに?」
魔書を閲覧する私の影に入り込み、奴は同じ情報を見聞きした。あの二人について知りたい……古い記憶を鮮明に思い出したい。そんな私の記憶を魔書が呼び起こし、マリスに全てが筒抜けとなる。
勇者ヴォルクは、魔王と瞳を魔違えられた【魔違病者】。マリスは知った。レインは父親から継いだ魔の……、魔王の血を有する事実を。
「どうして黙っていたの勇者ロア? 駄目だろ、勇者の君が……魔王を庇ったりなんかしちゃ」
「黙れっ! あの子は勇者だ!! それに魔王とて……」
「僕と君でさえ平行線なのに? 本当に人と魔族は解り合えると君は思うの? 心か体か。魔族は人を食わなきゃ生きてはいけない」
「…………」
「でも僕は黙っていてあげるよロア、君と僕との仲だからね。全部黙っていてあげるよ君の後悔、隠したいこと全部。そうさ! 君がもっと早く変わっていれば、勇者達は死にはしなかった。君は強いし賢明だ、疑うことも知っている。君が傍に居たならば……レインの両親が死ぬこともなかった」
「……っ、何故私のことなど知ろうとする!」
私の取り乱す姿に、マリスは愉快と笑い頷いた。
「魔書に聞くまでもない。魔王復活の予兆……【武具】が活動を再開したのもそういうことさ。人の世が、魔との共存を夢見た勇者を殺した。武具に触れた僕やアデルは……魔力と引き替えに、魔王の感情の器になった」
「貴様の魔は、ラクトナイトが祓ったはずだ」
「片目はね。魔王の意思や声が僕に介入することはなくなったけど、半分の彼の魔力と感情は……僕の内に宿ったままだ。だから僕の魔力捻出方法も、常人とは異なるのさ。魔族の魔の源は心の強さなどではなく“食事の質”だ」
マリスは何故私に情報を与える? 冥土の土産のつもりかと吐き捨てれば、奴は再び繰り返す。「君と僕の仲じゃないか」と。虫唾が走る!
「あはははは! 諦めて欲しいんだけど、これは食事なんだよ。僕はね、今の君のような顔を見るのが好きなんだ。今君が感じている気持ちが僕の魔力の糧になる」
「貴様の言う……“僕らの仲”とは食事と客人の関係か?」
「料理人とお得意様じゃないかなぁ? 僕は君が最高の料理を出してくれると“信じて”いたよ」
「…………それで、満足したか?」
「今日の所はね。ご馳走様? 君はまだ前菜しか出してくれていないから、フルコースを食べきるまでは君の傍にいてあげる。願いを果たしたいなら、精々僕を上手く使うことだ。見返りの味を期待してるよ?」
マリスは感情を食べる。それは【武具】を使うために必要なこと。であればアデルも何かを喰らい、【魔王の武具】を使用している?
私達が言い合う内に、遙か階下の戦いは終わっていた。勝者は――……レイン! 流石は勇者の息子。武具持ちにすら勝利するとは。感動で胸が熱くなる。隣で私の感情を食べてしまったマリスが吐きかけていた。失敬な。
「げほっ、ごほっ……がはっ! 他人の幸せっぽい感情ってクソまずいから離れてくれないクソ料理人のロア?」
「心とはどうにもならん。諦めろ。何でもかんでも拾って口に入れる方が悪い」
「咀嚼中に味が変わった場合はそっちに非があると思う。まぁいいや、口直しに嫌なことを教えてあげるね」
口元を拭いながら、マリスは下の二人を指差した。
「武具の継承者はそれぞれ別の、魔王の感情を継いでいる。アデルが器にされたのは、彼は感情に引きずられる“心”がないからだ。だから気をつけた方が良いよ」
「ならば安全だろう。何に気をつけろと言うのだ。アデルが“ゴーレム”だとしても、傍に主人がいない限り、命令の更新は出来ない。第一、ゴーレムなのは彼ではなく彼の……」
「本物の勇者は奇跡を起こす。レインは“本物”の子供だろう? もう一度言うよ、化け物だよあれは」
賞用投稿のページ数制限の関係で、前作で掘り下げられなかった部分を書くのは楽しいです。落ちたけどな!! 解せぬ(解せろ)。




