16:架空ギルド魔王印の薄い本
「まず皆に確認したい。Twin Beloteの目的は、魔王の完全討伐に変わりはないか?」
先の事件の後、Twin Beloteの存続について我々は話し合った。
「えっとぉ、ミザリーちゃんはー……」
「お前は名声のために勇者を続けるのが解っている。問題は他の二人だ」
アリュエットは言葉にするのが辛い様子。それでもマリスと私を見つめて話す。
「魔王を討ち滅ぼすこと――……それは我がキャヴァリエレ家の悲願。だがマリス、貴様…………貴方は何処まで“王家の使命”に本気なのかが解らない。貴方は本当に魔王を倒す意思はあるのか? ロア……貴方もだ。貴方は最強の勇者だが、目的であった復讐は果たされた。今後も勇者として陛下のため……世界のために働くつもりはあるのか?」
「心外だねアリュエット? 僕はこの窮屈で惨めな境遇から逃れるために、この手に全てを取り戻すために何としても魔王は討つ。それで漸く魔王の卵であった僕が、英雄として城に迎えられるんだ」
「……我も変わらぬ。我の復讐はまだ終わっていない。魔王は討たねばならん」
私が答えるより早く、マリスがいつもの調子で言葉を返す。マリスに便乗することで、詳細を省き同意を示せた。意味深さと心の闇的な空気を醸し出すことで、アリュエットもそれ以上深くは尋ねられない。
「我々は向いている方向はどうあれ……同じ目的を持って今後も戦うことが出来る。それでは早速次の仕事だ。魔族の動向を探るため、本を作れという話が来ている」
「……本作り? 頭逝かれたんですかアリュエット? どーしてミザリーちゃん達がそんなことしなきゃいけないんです?」
「陛下からのお達しだ」
Twin Beloteに仕事を持って来るのは主にアリュエット。マリスとミザリーは自主的に働こうとはしない。今回も当初はやる気の無い様子であった。
「領国内外共に……異常性癖・異常犯罪が増えている。予てより魔族の介入が報告されていたが……」
「俺は魔王印の色本なんか買わねー! 魔族に直接手を出してやる!! ……などとほざいた勇者もいたよね」
「翌日死んでいたな。毒で」
勇者死因年鑑を開いたマリスの手元を覗き込む。別段珍しいことではない。毎年同様の事故が年鑑に載るくらい良くある話だ。死因トークで盛り上がる私とマリスにアリュエットは涙目で話を続行させた。少し申し訳ない気持ちになる。
「介入がされていたが!! 最近変化が見られた! 時期としては今年の初め……ロゼンジ=キャロットの帰還と同時期に」
「アリュエット……どういうことですの?」
「あいつは……異界より帰還するや否や…………何を血迷ったのか、これまで魔族が取り仕切っていた色本業界に乗り込んだのだ」
「ふむ……これか」
「ああ、これのこと?」
私とマリスがおもむろに本を取り出すと、女性陣は目を逸らして赤くなる。
「か、かかかか買っていたのか二人とも!?」
「結構面白かったよ。特にこの騎士がオークにガン掘りされるのが良かったね。ねぇロア?」
「いや此方の騎士×エルフ少年の方が純愛で良かった」
「良かった割りにその本引き千切られてるし、騎士の顔全部塗り潰されてない?」
「解らん。朝起きたらこうなっていた」
「君きっと純愛好きの皮被った寝取られ系好きだよ。絶対嵌まるから今度オススメの本紹介してあげるよ。城の禁書なんだけど」
「ロアに禁書を紹介するな!!」
「はーい! ミザリーちゃんもぉ、マリス様のオススメ読みたいですー!! なんなら禁書に書いてあることマリス様と一緒にやっても……」
賑やかになるキャヴァリエレ家別邸。そこで問題の腐術本に私は改めて目を通す。心が満たされていくのを感じた。
(【腐蝕のダイヤ】――……あの女の本は目新しさがある)
魔族の本でなくとも、所謂同性愛の書物は長らく焚書となっていた。魔族の侵攻で減った人口……産めや増やせの時代には不要と判断されたのだろう。魔王が封印され平和が訪れ……法的に問題がなくなった今も、多くの地域でそれはタブー視されている。魔王最盛期の魔族達は、老若男女お構いなしに暴虐の限りを尽くしたことから……通常・正常と定められた事柄以外の性文化。それらは魔族の専売特許・悪徳の代名詞にされたのだ。
“色本”は……所謂成人指定のいかがわしい本。どうしたことか、魔族産業部門の一角である。魔族作の色本は高品質で高価。魔族色本を使用して処理をした場合、色本に精気を吸い取られ……いずれは魔力が枯渇して命を落とす。しかし使用を断ち切るも、禁断症状に陥った者が事件を起こすケースが後を絶たない。
「“魔書が、やったんだ”――……か。良くある言い訳だが」
「……ロア? それは…………あの男が?」
魔書は魔族が作り出した本。先の、神域の森での事件。犯人は無事に捕らえられたが、あの管理人は魔書による心神喪失を訴え無実を主張している。
「管理小屋からは大量の色本――……エルフエロ本が見つかったんだっけ? 魔族架空ギルド産のやばいのが」
「マリス……貴様も一枚噛んでいただろう。知っていることは吐け」
「僕がこうなる以前からのことだから、全ては推測の域だ。僕は唯の悪意と愛ある賑やかしだからねぇ」
「ふん……ほざけ」
「ははは! 口が悪いねロア? 十数年間魔族の色本に触れ続けて、生き続けていた理由なら解るよ。餌にもなれないカスは、傀儡にした方が良いってね。そして――……そういうカス共が、勇者を殺す剣になる」
私の目を覗き込み、マリスは悪意を浮かべて微笑んだ。また悪巧みだろう。パーティを組んでから何度も見た表情だ。マリスは私に手を貸しながら、常に私を試すよう……此方を観察している。
「闇雲に正義や善を追い求めれば、守るべき民に背後から刺される。勇者の質やモラルの低下もそんな時代だからかな」
「マリス。貴方の方が口が過ぎるぞ。貴方は魔に傾倒したことを時折口にする。魔王の器となり、そんな全てを滅ぼしたいと……思っていないと誓えるのですか?」
私とマリスの間に割り込んで、アリュエットが私を庇う。マリスの悪意に、魔王の力に彼女の剣が反応したのだ。アリュエットは《牝牛》を鞘に収めたままマリスへ向ける。
アリュエットが未だマリスと組んでいるのは、奴が魔王として暴走した時に即座に始末できるようにか。マリスもそんな彼女を面白いと思っているのか、アリュエットの無礼を喜んだ。
「残念だなぁ。それも面白そうなんだけど、今の僕にはそこまでの力はないんだ。でもねぇアリュエット? 僕は力ある悪が正義であることは否定する。でも、か弱いから正しいとも限らない。一時、魔王の器であった者からの……ささやかなアドバイスだよ」
「……アリュエット、陛下は何と?」
マリスと遊んでいては時間の無駄だ。話が先に進まない。奴の相手はミザリーに任せようと無視を決め込み、私は彼女に話を聞いた。
「内密に処罰するおつもりだ。英雄の死にも関わっている……生かしていても厄介だからな。彼への贖罪も兼ねて、あの件は私も追おう。新しい情報があったら随時共有しよう」
「ああ、頼む」
私がTwin Beloteにいる理由。アリュエットと行動を共にする理由……それは城の情報を得るため。彼女が情報源として有益である内は、パーティを組んでおきたい。
「…………ごほん、話を戻そう。……ダイヤの本は、命を脅かさない安全な色本として魔族の本を淘汰した。あの女は陰ながら魔族の勢力を排除したのだ。陛下はとても評価していらっしゃる」
「へぇ。あれって僕らを嵌めるための騙し討ちだったんだろう? 脳味噌の養分胸に流れ込んだような子だしそこまでの考えはないにしろ、上手いことやったわけだ」
無視をしても会話に割り込んでくるのだから、マリスは心が強い。精神の強さが魔法の強さ。そのまま無視することも出来ず、アリュエットは根負けだ。奴にも詳細を打ち明ける。
「彼女の腐術本は禁忌の色本。……だが命を吸わず、魔力を増幅させることが証明された」
「なるほど、見えて来たよ。生産者が彼女だけでは供給が間に合わない。人の好みは千差万別。同様の、腐術本の生産者が多いに越したことはない。そういう話?」
魔女に興味を持った風なマリスに、ミザリーは奥歯をギリギリ言わせる。
「その通り。民の健全な精神を守るため! 色本業界を魔族の手から取り返すため! ……陛下は人間の手で健全な色本を作り出したいそうだ」
「…………それ、勇者的に偉業になるんですの?」
むしろ汚名ではないか? ミザリーから疑念の声が上がった。
「君達のセンスで作られた本か……少し興味があるな。君達のことだから、きっとあの魔女なんかより面白い物が作れるんだろう?」
「と、当然ですマリス様!! やりますわアリュエット!!」
先程までの不機嫌も消し飛び、ミザリーは猫のような目をキラキラと輝かせる。相変わらず奴に良いように使われている。マリス次第でミザリーは強くも弱くもなる。ミザリーもアリュエットも、精神状態にムラがある。彼女らの安定性がパーティとしての今後の課題。マリスや私の顔色を窺うばかりでは、何時か足手纏いになる。ミザリーとアリュエット……二人を共に行動させるのは良い刺激となるだろう。
「じゃあ本の方は君達に任せるね。他に受けていたのは防具探しだっけ? 僕は別件の方を当たるよ」
「我も絵など描けん。マリスと共に其方を担当しよう」
こうして二人が名を伏せ売った本は、ロゼンジ=キャロットの著作物を越える人気を得た。売り切れとなったため手元に本はないと言い、中身を見ることは叶わなかったが……彼女らの結び付きは増していた。良い兆候だ。
「マリス、何を読んでいる?」
「ああ、ロア。ちょっと面白い本を見つけてね」
「『ゴーレム鋼の研究書』か……ふむ。興味深い」
ゴーレムは土製が主流だが、金属で作ることも可能。金属ゴーレムの素材となる【ゴーレム鋼】……それを用いて作った武器や防具はゴーレムとなり、簡単な命令を行うことが可能となる。
「アリュエット達は、これに原稿を手伝わせているんじゃないかな?」
レイン達と合流する直前に、屋敷で目にした研究書。それが思わぬ所で結びつく。
我々の前に現れた赤の騎士……アデル。怪しげな男だ。精霊に分析させたところ、彼の纏う鎧は【ゴーレム鋼】製。赤領国に付けられた首輪か? 騎士にそこまでの忠誠を誓わせている?
《君と僕との仲だ。アデルがボロを出したら教えてあげるよ》
薬を飲む直前、私の影その耳元に……マリスの影が囁いた。言葉にしない声が直接頭の奥へと響く。その答えを私はまだ教えられていない。私は魔書ではなくマリスを追った。二人になって話をしなければ。そう思った。
『貴方――……、困っていますね?』
(姉、さん!?)
マリスの背を追う最中、追い求めた声を聞く。振り返る先飛び込んできた風景は…………遠い、遠い記憶であった。
*
「ロアさんはどうして勇者になったんですか?」
Twin Beloteとして活動する中で、何度も投げかけられた問い。それは取材であったり勇者に憧れる子供達からの声であったり様々だ。その問いに対する私の答えは、代わり映えがない。
(“守りたい人がいた”)
始まりは対抗意識。あんな男より自分の方が頼りになって強いのだと――……姉が連れ帰った男をぶちのめした。優しい姉に本気で怒られたのはあの時が初めてだった。
気に入らない男だ。酷い言葉を投げかけてしまったこともある。未だに後悔しているのだ。奴は本当に、気のいい男だったから。姉さんが惹かれるのもよく解る。
「姉さん! どうして僕は行っちゃ駄目なの!?」
幼き頃……僕は何人かの人間と出会い、冒険を共にした。しかし彼らは私を最後まで同行させなかった。
「貴方は確かに強いけど、貴方は立派な目を持っている。今度の旅は本当に危ないの。命に関わるわ」
「だったら尚更僕が行く!」
「こら、そんなに姉さんを困らせたら駄目だろ?」
僕の身を案じた姉さんは、僕を置いて行くことを決めた。あの男もそれと同意見。僕の味方はいなかった。馬鹿げている。僕は立派な戦力だ……そう駄々をこねる姿は幼い子供と変わらない。力があったとしても、僕の中身は本当に子供であったのだ。だから彼らは、僕を戦力ではなく庇護対象に置き換えた。
「兄妹二人とも何かあったら大変だ。家を守る責任が君にはあるんだ。セレノアの辛さも解ってやってくれないか?」
姉さんは病気で巫女だ。恋愛も結婚も許されない。命を有効活用し、戦って死ぬことが義務付けられている。
(姉さんと離れるくらいなら――……僕も【水晶病】に生まれたかった!)
僕の心を聞いてしまった姉さんは、とても悲しい顔をした。違うんだ。そう取り繕う言葉が出て来ない。何を言っても遅かった。代わりに浮かんで来た言葉は……彼らに対する糾弾だ。僕が傷付けたんじゃない。僕が傷付けられたんだ。悲しいのは僕の方だと、姉さんに分かって欲しかった。
「姉さんもお前も! 僕の思ったことは無視するのか!? そんな時代錯誤な話はお断りだ!! 姉さんと僕から自由を奪うような種族、滅びるなら滅びてしまえば良い!! どうせ一回人間の血が入ったところで、僕の血は……本当のエルフになんか戻れないんだ!! 僕が誰と結婚しようと、僕の子供は半端で! どうせ馬鹿にされて育つんだ!!」
「……それは違う。君達は、人間とエルフ……どちらの痛みも理解出来る。二種族の架け橋になれる存在だ」
勇者は僕の高さに視線を合わせ、真っ直ぐに僕を見る。魔物と取り違えられた赤い目で……何も映りやしないのに。
魔物の目を生まれ持った人間なのに、奴の目は澄んでいた。……だが惑わされるものか! この男は僕より弱いのだ。そんな男に姉さんを守れる訳がないじゃないか。
「詭弁を言うな! …………それじゃあお前は、魔物とも魔族とも解り合える存在なのか!?」
「上手く行く保証はない。それでも方法がない訳じゃない。それに――……やる前から諦めるのは、勇者じゃない」
「やって駄目なら?」
「仲間と一緒にやり遂げる。他人を頼ること、信じることが勇者の本当の資格なんだ。君は戦力としては心強いけど……君は俺を信じられるか?」
「そ、それは――……」
土壇場で疑念が芽生えれば、全滅だって起こり得る。あの男が背負っているのは多くの人と仲間達の命だった。僕が力を傲り、勝手な行動をしたのなら――……姉さんが死ぬかもしれない。勇者は僕を騙す甘い嘘ではなく、苦い真実で僕を諭した。
「俺と君の二人旅ならそれでも良い。でも分かって欲しい、今度の旅はそうじゃない。……俺達は全員生きて帰りたい。そのためには魔族を含め、他種族への憎しみを捨てる必要がある。君は他者を愛せるが……種族という物を憎んでいるだろう?」
もっと時間があったなら。もっと早くお前と出会っていたのなら。素直な信頼を寄せられただろうか? 僕はお前を信じていると、口にすることが出来なかった。真実に嘘で答えることになると解っていたから。僕は人間もエルフも魔族も嫌いだ。姉さんとお前という個人なら好きなのに――……。
「俺達は……俺達自身に魔を封じに行く。封印じゃなくて共存、共生なら……セレノアと同じじゃなくても可能なはずだ」
身体の一部が魔物なら、身体に魔を宿らせても耐えられる。あいつは確かそう言った。
「体の一部を間違えられて生まれたこと。意味があるんだ。俺とあいつは解り合える。あいつは俺の目を持っていて、俺はあいつの目を持っている」
その時僕と目が合ったのは勇者であったのか、魔物であったのか。唯とても、澄んだ綺麗な瞳が見えた。それを悪と呼ぶのなら、この世界の何もかもが悪だろう。
「これまで何度も人が俺を、魔族があいつの目を潰そうとして来た。あいつは人間の世界を見て知っていた。それでも――……俺の大事な人達をあいつは決して傷付けなかった。俺の大事な物なんて、あいつは全部見えていたのに」
同族のことを思うなら、自らの目を潰すべき。互いが責められ、守り続けた敵の目。勇者には、俺達には見えないものが見えていた。解り合える確信が彼にはあった。問題は――……そこに辿り着くまでの道のり。目の持ち主以外は人間を忌み嫌う者も大勢いる。
「……魔族も、愛を知っている。大事な相手がいる?」
「ああ。だからきっと……戦う以外の道があるはずなんだ。俺は魔と生きて語らおうと思ってる。それを俺の子孫にも託す。お互いがそうやって長い時間を掛けて、闇を祓う」
「お前……本当に、そんなことが出来ると思っているのか?」
「魔王は一代きりでは祓えない。出来るとしたら、長い時を生きられるエルフの力が必要だ」
「…………お前、そこまでして姉さんと結婚したいのか?」
自分の幸せと世界の幸せを上手く合致させた未来予想図。大層なことを口にしたが、結局こいつは性欲煩悩クソ野郎なのか。見下げたカスだと呆れれば、男は慌てて弁解をする。
「へ、いや! そ、そういう訳じゃなくて……あの、ええと! 無理にとは言わないし、セレノアが他の人を選んでもいい訳だし…………そもそもこの理論だと、純血のエルフの方が彼女の相手には相応しい」
「何を仰ってるのかしら勇者様? 貴方の魔の血が貴方の寿命を延ばしたでしょう? 魔王の檻……いいえ、友となるのは私達の子供以外有り得ません」
姉さんに腕を絡められ、勇者は真っ赤になって伸びてしまう。身の上が身の上で、異性への免疫がなさ過ぎる。
「やめときなよ、今時こんな勇者流行らないよ姉さん」
「ヴォルク様はそこが可愛いんですよ。どこぞのそこいらの勇者共のように浮気でもしようものなら私が魔王になりますわ」
「ね、姉さん…………」
「美しいだけのもの、心地良いだけのもの……そんなものは世には幾らでもあります」
勇者ヴォルクは盲目だ。彼の両眼は魔物が持って生きている。彼に見える景色は魔物が見ている世界。彼が見る景色は魔物に通じる。故に幼き頃に大きな魔術を使わせて、赤眼化を末期まで進ませ……彼から視力を奪ったのだ。人は魔王を恐れる余り、同族に対しても残酷になれる生き物。
馬鹿な奴ら。彼の目は魔族の目なのだから、赤くなったところで……本体には見えているのに。無知な人間は、魔を恐れる余り優しい勇者の視力を奪ってしまった。だから彼には、僕の姉さんの美しさも解らない。
「ですが……ヴォルクは私達に見えるものが見えず、私達に見えないものが見える。彼は人の世の醜さを知り、魔の美しさを見つめ…………それでも人の世に立ってくれる勇者なのです」
「魔の、美しさ……? はっ、どうだか。姉さんの声とか香りとか、触感とか。そういうのに惹かれた変態じゃないの?」
「まぁ! 高潔なヴォルク様が変態なら、私や貴方なんてもっともっと変態よ! 私のヴォルク様専用アルバムに何枚非合法の念写写真が混入しているか貴方は解る? ちなみにこの中のどれが一番使用頻度が高――……」
「おいこら勇者! 貴様の所為で僕の自慢の姉さんがおかしくなった!! どうしてくれるんだ!! 責任取れ!!」
「う……うん。セレノア、この旅が終わったら俺と結婚してくれないか?」
「死亡フラグを立てるなクソ馬鹿勇者!! 貴様が死んだら僕が死霊魔術で甦らせてもう一回殺してやる!! 姉さんに傷一つ付けずに帰って来なきゃ許さないからな!!」
「うん、行ってきます――“ ”」
僕らと違って心を読めない。身体に魔を宿した男。そんな男が僕の心を読み取った。姉さんと僕の拗れた蟠りを、あいつが綺麗に解いて行った。
「冷たいことを言ってごめんね“ ”、……貴方に家を、血を守れとは言いません。でもどうか……自由に生きて。それが私達の願いなの」
旅立つ前に抱き締められた感触は、もう思い出せない。思い出すのはあの男の背を追って、追い付き支える姉さんの後ろ姿だけ。その冒険の後、奴と結婚して故郷を去った姉さんよりも深く記憶に残っている。あれが二人との、今生の別れだと思い込んだ僕は目に焼き付けようと……二人が見えなくなるまでずっとずっと見つめていたのだ。
(【魔妃の防具】だけで魔王とやり合うなんて、絶対無茶だ――……)
勇者ヴォルクは防具以外、一切の武器を持たない。持たないからこそ【魔妃の防具】の存在を知り、入手することが出来た。そんな男の無謀さに運命の女神は微笑んで、彼は全ての仲間と生還――……妻と共に教職に就き魔との共存を訴えた。そして、そして…………二人は人の悪意によって、殺されたのだ!!
*
(本当は……そんなつもりはなかったんだ)
唯、何でも知っているのなら何を聞きたい? そう言われたら――……俺が知りたいのは両親のこと。それは“惚れ薬状態異常中”の俺にとっても例外じゃなかったらしい。我に返った時、俺には記憶だけが残った。にーちゃん達は暗示薬が効いている間の記憶が無い。それならこれは、暗示薬と惚れ薬を併用した副作用。アデルの様子を見る限り、彼は服用中の記憶を保持するために自分も惚れ薬を使ったんだ。
喋れなかった俺は、魔書に両親のことを聞き――…… 《水晶病者》と《魔違病者》についてをより深く知った。同時に……両親が死ななければならなかった、本当の理由も。
「……あんたを恨んだりしない。にーちゃんを、ねーちゃん達を守って死ぬなら俺の勇者冥利に尽きる。でも――……まだ死ねない理由が出来た」
魔書が言った、言えないと。言えないって事は――……それは赤領国に大きく関わることだろう。真実が俺の知る情報と違っているなら、何も知らないまま俺は死ねない。
「それで……全力か?」
俺が放った炎の矢をあっさり斧で弾いたアデル。俺が込めた魔力に失望したよう、今度こそ俺の首を切り落とすため近付いて来る。
「威勢だけは良いな、灰の勇者! この俺に一撃でも喰らわせたなら、マリー姫の騎士の座を認めてやる!!」
「それはねーちゃんが決めることだ! 第一俺は騎士じゃなくて……ねーちゃんの仲間だよ!!」
素早く降らせた矢の雨は、アデルの間合いに入った瞬間全てが弾き落とされた。一本たりとも彼の元には届かない。
「その程度かレイン=ニムロッド!」
「まだまだっ! 俺の必殺技はこれからだ!」
「甘いっ!」
近付かれ……殴りかかると見せかけ発射した切り札、毒矢《眠り娘》をもアデルは軽々躱し、僅かに後退……態勢を整える。その間に本命の矢を構えるところまでは間に合った。この必殺技に必要なのは……時間。ここからどう引き延ばすか。間合いを計りジリジリ後退させられる。このまま行けば階段まで辿り着く。そうすれば……!
「うわぁ……やるなぁ」
アデルが斧を投げつけ階段を粉砕。資格を遮りながら距離を取れる良い手段だと思ったのに、読まれていた。辛うじて上数階部分は残ったが、俺が飛び上がれない飛び降りられる高さではなくなった。
「くそっ! 待っていろレイン!!」
途中まで下ってきていたにーちゃんも悔しげに別の通路を探しに向かう。
「接近戦の覚えもないのか? それで姫を守れると思ったか!」
「守れる守れないじゃない。守るか守らないか、守りたいか守りたくないかだろ!?」
矢の先に付けた煙幕瓶がアデルに命中。これで時間を稼げ……ない。迷わず彼は俺に向かって直進している。でもこれで……確信を得た。次に俺が番えるは形のない矢。魔力で作った魔法の矢。攻撃魔法を囓った成果。矢を使い切ってもまだ戦える。アデルは今、【武具】が手元にない。これはチャンスだ。
(魔法は、心の強さ。気持ちの大きさが強さ)
より強く、より大きな魔力を生み出すために……感情を膨れ上がらせる。それが俺には難しかった。自分の中の感情を、自分で読み取ってしまって気持ちが悪くなるんだ。強い魔力を生み出そうとすればするほど。どうすれば俺にもっと強い魔法が使えるのか。…………偶然、その答えに辿り着いた。彼を知ろうとしたことで。
(俺がアデルの感情を読む。彼と交感することで、自分自身の感情を感じないようにすれば良い。そうすれば……)
指先から感じる魔力の強さに体に電気が走ったようだ。アデルがそこで足を止めた。俺なんか素手で簡単に首をへし折れると思っていたのだろうに。
「……戻れっ!」
アデルの呼び声に、武具が応じる。魔方陣も使わず斧は彼の下へと戻った。武具自身に意思があるみたい? よく分からないけど便利だな。
「…………何の真似だ? 何故待った。俺の手元に武具が戻れば、魔法矢であれ叩き斬る」
「いやぁ。まだ魔力込められそうだし。全力で行かなきゃあんたには届かないだろきっと」
俺が射る瞬間を、アデルは捉えようとする。武具が纏う魔力も凄い。ぶつかり合ったらどうなるか。これ以上睨み合ったら俺の弓の限界が来る。その前にやらないと。
「何故、【七瞳】でもないお前がそこまでの魔力を……?」
「同じじゃないと、同じ所がないと……話を聞いて貰えない」
指輪から流れ込む記憶。母さんの声、母さんの変わる表情……父さんのこと。【魔妃の防具】から情報が流れ込んで来る。俺は【防具】の試練を越えたのか? 解らないけど、力が増していくのが解る。魔力で作った矢を、今放とう……!
指を放したその刹那、魔法矢は空気に溶けて消えて行く。矢を透明にしたと判断し、アデルは魔力の漂う場所を目がけて斧を振り下ろすが。
「!?」
背後から、彼の頬を掠めた矢。驚愕しながら己の頬を撫で、アデルは血の感触を確かめている。
「魔王の目……凄い魔力を得る代わりに、“光を失う”。普通の景色が見えなくなるんだ」
「…………」
魔王の目には……俺達に見える物が見えなくて、俺達に見えない物が見える。両眼が赤眼であることに、マリスが驚いたのはそういう理由? 魔王の狂気を通して世界を見つめ続けて何故、正常でいられるのかと。
わざわざ弱体化する必要は無い。完全に制御できるなら、魔王の目を失う意味は無い。暴走しないよう、魔に傾かぬよう“心を封じてしまえば良い”。そうやってアデルは、そういう風に作り替えられてしまった。
「アデル、あんたが俺とねーちゃんを間違えたのは……見えてなかったからだろう?」
正気はそこに在った。本物の俺が魔力を込めてあんたを攻撃する。俺の分身が魔力を込めない矢でアデルを狙う。“目が見えない”アデルは、魔力を出した俺本体に注意を取られ、気配のない精霊人形の攻撃をかわせなかった。
出会った時もそう。ロアとにーちゃんを止めに行った人形に、アデルは何も言及しなかった。精霊人形をアデルは感知出来なかったんだ。人形が魔法を使わない限り。
(俺の精霊人形は――……多分、ロアのとは違う。魔法じゃないんだ)
理屈は解らない。でもアデルが感知できないならば、魔力で生み出された存在ではない。それじゃあ何か? 考えて思い当たるのは【魔妃の防具】の力。俺のが精霊人形が指輪の力で変質したのだと思う。マリスは両眼が赤くないから見ることは出来たけど、魔王に感知されない力は防具として役立つはず。
「猛毒を塗っていたなら今のであんたは終わりだよ。俺と精霊人形が逆の矢を射っていたなら」
「……………………」
「俺の勝ち……で良い? 駄目なら続けても良いけど。続きは言葉にしよう? 話をしよう。声にしなくても、しても良い。攻撃したいならそうしろよ。そこから全部読み取ってやる。思ったこと、全部教えてよ」
“何故……お前は”
……それが、“俺の使命”なんだ。俺の言葉にアデルが驚く声を聞く。違う、彼が驚いたのは……俺の目を見て。
(“俺の目”――……?)
そんな馬鹿なことがあるか。だってアデルは……此方が見えていないのに?! 驚きながら、俺は一つ思い出す。アデルは確かに、見えていなければおかしい言動をしていた。
(……そうか! アデルはまだ…………失明していない。完全に赤眼化していないのか?)
彼に見えていないのは……色だ。だから俺をマリーねーちゃんと間違え、にーちゃんの痴女鎧にも近付くまで解らなかった。肌の色と服の色の違いさえ、そうするまで解らないのだ。
「ならば答えよ。レイン…………何故お前の中に……魔王の血が? 武具の継承者でもない、王家の一員でもない、【七瞳】でもないお前に」
再び突き付けられた斧。アデルの問いは俺の予想を超えていた。当然、答えようもない。
「…………え?」
俺達は互いの顔をじっと見つめて、暫し硬直した。




