15:魔法書庫
(何が、何があった!?)
我に返ったら、地獄だった。酒を飲み過ぎて一夜の過ちを犯し、隣に裸の人間が寝ていたシチュエーションの方がまだ、多少は記憶が残っているに違いない。
俺には何が何やらさっぱりだ。記憶は薬を飲んだところから何もかもが途切れている。その間一人無事だったマリスと一線越えていやしないかと不安になる。あの腐れ魔法使いが常日頃から俺に、変な本を読ませるからだ。
(いいや、俺のことはどうでもいい! 大事なのはレインだ!!)
アデルと夫婦を演じるために……レインは暗示薬の他、惚れ薬まで飲まされていた。暗示はもう切れているだろうに惚れ薬の効果が切れておらず、普段の彼をよく知る俺には耐えがたい光景だった。
腐れ魔法使いがいつぞや置いて行った、何故か俺と付き合っているレインがオークに寝取られる薄い本が思い起こされる。変な本を俺の屋敷に置いて行くな。不可抗力だが嫌な想像をしてしまうだろうが!
鬼のような形相の俺の隣で、ロアも同様の鬼になっていた。そりゃあそうだろう!?
明るく元気、それでも普段は誰より冷静に物事を判断できるレインが、脳味噌を何処かに置き忘れたかのよう笑顔ばかりを振りまいて……その相手は一人の男に限定される光景は地獄だ。恐らく俺以上に隣に居る男には、それ以上の何かだろう。
「……ロア殿、覚えているか?」
「いや…………しかしアニュエス殿、一つだけは解っている。我はあの男を斬らねばならんと言うことを」
「マリス殿、彼を止めてくれ。……そうだ、貴方は薬を飲まなかったな。事情を説明して頂きたい」
「アニュエスからのお願いなら、仕方ないね」
勿体ぶった口調でマリスが話す。
「君達の暗示薬の効き目は切れたようだよ。効果は一日って所かな。君達は覚えていないと思うけど、ここは赤領国の魔法書庫へと続く道。登り切ったら入り口だ」
もうここが赤領国の王都だと言うのか。石段を登り振り返る景色は既に夜。丸一日、記憶がすっぽり抜けている。
(……信じられん)
あの壁から王都まで三日ではなかったのか? 魔法で移動した? その仕組みも明かさぬつもりかアデルめ。マリスを問い質したところで、真実を語るかどうか。……とは言え、此処が本当に赤領国であるのなら揉め事は避けたい。ロアを宥めなければ。アデルを疑うわけではないが、簡単に信用してもいけない。他領で他領の人間にレインを預ける訳にもいかないだろう。
「マリー、ほら……私が手を引いてやるからこっちに」
レインに此方へ来るよう促すが、彼は嫌々と首を横に振る。どうも様子がおかしい。口も聞いてくれないとは、かなり傷つく。ロアも同様の反応をされ絶望していた。それ程までにレインはアデルに惚れているのに、アデルの様子はいたって普通……薬の効果は抜けていた。
「マリス殿」
「何かなアニュエス」
「何があった。あれも薬の副作用ですか?」
「心配する必要は無いさ。あれは僕の判断で口が開かないように呪っていてね……惚れた弱みでお姫様に色々喋られてはまずいだろう?」
(また貴様が元凶か!)
説明には納得したが、この男のことだから他にも理由が在るのではと邪推してしまう。信用できない相手と組むパーティが、こんなにも疲れるものだとは。
「ははは、君は本当に……あの子が大事なんだね」
「それ以外は何もしていないのですね?」
「勿論、何も? 単純にあの子は薬の効きが強いというだけじゃないかな。毒とかも結構簡単に喰らってたよね?」
それに関しては心当たりがある。唯の不運と思っていたが、レインは状態異常に掛かりやすい体質なのか。
「姫は小柄ですから、同じ量でも身体への影響が大きいのかもしれませんね」
「アデル殿、そういうのは飲ませる前に言ってくれ」
「失礼、服用年齢を参照していました。情報ではマリー姫は十七歳。俺と同じ分量で問題ないかと考えましたが……」
人間ならばそれで問題は無いが、レインはエルフの血を引いている。その分成長も遅く、薬の摂取量が多過ぎたため影響が出た。ならば正体を隠した此方の問題だ。これ以上この話を掘り下げられてはボロが出る。余計なことを言われる前に、先に進むよう話題を変えた。
「次からは気をつけてくれ。それでアデル殿、例の書はすぐに閲覧できるのか?」
「日中でしたら順番待ちで向こう一年は無理でしょう。夜間入室は、金とコネで潜り込めます。順番待ちで世界の危機が訪れても馬鹿げていますから。今回は俺の名前で許可を得ました」
「そうか……では礼を言わせて欲しい」
「いえお気になさらず。貴女のような露出狂が傍を彷徨いていては、姫様の評判も下がりますからやむを得ません。早くまともな装備が出来るようになれば良いですね」
礼を言った矢先に嫌味が飛んで来る。アデルは完全に本調子。下らない話をしている内に、会談の終わりが見えて来た。ここがルジェアの魔法書庫か。城に併設されているだけあって、書庫も城と変わらぬ荘厳な造り。だが、妙だ。非常に警備は非常に手薄。書庫へと通じる石階段の上下に数人兵士が置かれるのみ。国宝を管理するには不用心。
妙だと言えば……不思議な点は他にもあった。アデルが入り口と案内する扉には、鍵穴もドアノブもない。それ自体が反射する鏡に見える。
「入り口は此方ですよ」
「勝手に入ってしまって構わないのか? 入り口で確認などは?」
「アニュエス殿、これは物理的に破壊する扉ではありません。此方をどうぞ」
「へぇ、それが昼間君が貰ってきた“入室許可証”か。それがないと駄目なんだっけ?」
「夜間入室でしたらそうですね」
許可証として手渡されるは小さな手鏡。彼が入り口に鏡を翳すと、鏡扉に魔方陣が浮き上がる。ゲート魔法の一種。
「他人事ながら、不用意なのでは……? 許可証を持つ者が来ても、本人確認を満足に行わないとは」
「そもそも怪しげな者は入国できません。赤領国は魔法での管理社会です」
アデルは自信満々に語っているが、すぐ横に悪意と不審の化身たるマリスが立っている。純粋にマリスが規格外であるのだろうが、こうも容易く入国できたとなると……魔法研究に胡座をかいた慢心ザル警備だとしか思えなかった。
城壁の中……魔法書庫の入り口からも、宮殿の灯りは届く。無論警備は厳重だろうが。、庭園を進めばすぐにでもルジェア王に殴り込みに行ける距離。その気になれば他国の者が、赤領王を手に掛けることも可能?
「これは万に一つの話ですが、国内に不審者が入り込んだとしても……生きて帰るのは容易ではありません。赤領国は設置された移動ゲート以外では、移動魔法は使えぬよう結界が施されてあります」
国内で悪さをするなら覚悟をしろと釘を刺された。俺にはそんなつもりもないが、マリスとロアは心許ない。
「赤領国は入ることも困難ですが、抜け出すことはその何倍も難しい。国民はこの国こそが最高の安住の地だと信じています。国外へ出ることは不名誉なこと。追放された罪人や、や王命を受け国外へ出ようと言う者以外は、徹底的に調べ上げられます。それこそ入国時の比ではありません」
「それじゃあ君は、そんな不名誉な人なんだ?」
「マリス殿……! 仮にもパーティメンバーに、言って良いことと悪いことが!」
マリスがまたマウントを取りに来た。同じ【魔王の武具】継承者同士、意識してしまうのは仕方が無いが……これでは会話が進まない。俺が止めに入ったところ、珍しくアデルがマリスの誘いを躱す。
「ええ、お忘れ無きよう。俺と供に行動するからこそ、貴方がたは入国と出国が可能なのだと」
レインだけではない。アデルも少し……様子がおかしい。冷静と言えば聞こえが良いが…………言葉や態度に感情がない、冷徹さを感じるような。
(俺の記憶が無い一日の間に……一体何が?)
マリスを軽く睨んでも、奴は嬉しそうに笑うだけ。状況の変化を察し、ロアがシスコン甥コンから勇者の顔になる。
「アデル殿……貴殿は入口と出口が違うとでも言うのか?」
「その通りですよロア殿。入国口は融通が利かず手っ取り早い嘘が有効ですが、出国口は真実が全てです。魔書に聞くまでもありません。もし貴方がたに嘘偽りがあるのなら、全てが明らかになることでしょう」
厄介な場所へ来てしまった。泳いだ俺の視線の先で、マリスの唇は弧を描く。貴方は本当に、面倒事がお好きだな。
「さて……夜は短い。話は書庫でも出来るでしょう。許可証は時間経過で消滅しますから、早めに入りましょう。警備の件も入室すれば解りますよ。例え暗殺者が書庫から王の閨に向かおうと思っても、遂行出来はしません」
扉の前で歓談することこそ不審だろうと、アデルはゲートに身体を進ませる。そのまま置いて行かれては堪らない! 俺達も彼の後を追う。アデルの自信の訳は、扉を潜った直後に理解した。
「空間が……歪んでいる?」
辺りの場に歪みを感じる。ダンジョンの中に入った時のよう。魔法書庫は結界? 封印された、隔離された場所の用に思える。俺の疑問にアデルは応じてくれた。口も満足に聞いてくれないかと思ったが、薬が抜けたら心全てが抜け落ちたよう。今の彼はとても落ち着いている。
「ええ。城の扉、窓から侵入しようとも……招かれざる者は王には決して会えません。書庫を含め、王城の進入口全てがゲート魔法に等しいのです」
城自体は確かにここにある。それでも入り口を別の何処かに繋げている。故に、魔法書庫の位置も問題とはならない。そういうことか。
「赤領国は、移動魔法の研究をここまで極めたか……」
「移動ゲートは各都市に点在しています。仕様には許可が入りますが、短時間で壁から王都まで飛べたのもゲートのお陰です」
「閉鎖的であるが故、独自の魔法技術……その水準の高さは目を見張る物があるな。問題が片付いたならば我も見て回りたいものだ」
珍しくロアがレイン以外に興味を示した。あのロアが興味を持つ程だ。剣術メインの俺には理解が及ばぬが、赤領国の魔法水準は遙かに高いものなのだろう。
「ふーん。招く側が選別しているとなると、【鏡の魔書】も盗めない訳だね。手にしたところで、持ち出してここから逃れることは出来なさそうだ」
マリスに至っては書庫の魔法解析を楽しんでいる。……やがてマリスは手を打って、悪意溢れる笑顔を振りまく。
「よし、皆それぞれ聞きたいこと沢山あるだろうし……競争でもしようか? 君達が来る前に僕が君達の秘密を洗いざらい聞いてくるよ! 先に主導権握っておかないと、どんな質問されるか解ったものじゃないからね」
「魔書の場所を知っている、私が普通に有利なのでは」
「それもそうだ。じゃあ君はマリーの薬の効果が切れてからでどうだい? お荷物とは言わないけれど、どうせそのままじゃろくな質問出来ないだろう? うちのお姫様が君にべったりで」
上手い。アデルの揚げ足取りを利用して、しばらくの間アデルの行動を縛った。マリスのことだ、考え無しとは思えない。アデルに納得させた以上、奴には確信がある。……などと褒めた時間が無駄だった。アデルへの牽制以前に、マリスの奴は俺達よりも先魔書に辿り着くつもりだ!
「ま、待てマリス……殿!」
「あはははは! たまには追われるのも愉快だね!!」
全力で走り出す奴があるか! 俺も全力で後を追う。奴の楽しげな笑い声が不愉快だ。
(俺より先にマリスが魔書と接触するのは阻止しなければ!! 俺のことを質問されたら全てが終わる!! 終わってしまう!!)
先に魔書へと辿り着き、万が一マリスに正体を知られた場合どうすれば穏便に事を収めることが出来るかを聞かなければならない。装備の外し方も大事だが、同じくらいそれも大事だ。
「貴様等、書庫で遊ぶな。貸し切りとは言え品がない」
呆れたロアの声が遠くから聞こえた。かと思いきや、語尾に近付くにつれロアの声が近くなる!
(まさかロアまで!?)
歩みを進めレインの視界から外れた瞬間、奴は品もすてマリスの後を追いかけた! おまけに無数の精霊を飛ばし本の探索を同時に行う。
(ど……どうすればいいんだ!?)
何て奴らだ。己の目的のためなら常に全力……女子供にも容赦はしない。それでも貴様等勇者か! 今の俺は筋力も低下した女の身で、魔法も満足に扱えない。少しは手心を加えるとかそういう概念はないのか! しばらく全力で走ったが追いつけない。奴らとの差はドンドン広がるばかり。むしろ追いかけない方が良いのでは無いか? この場からどうやって脱するか、どうすればマリスを長くこの場に閉じ込めておけるかを考えるべきでは? アニュエスの正体が俺だと知れれば、その瞬間があの日の再来だ。今度こそ俺は両眼を抉られ殺される!!
『お困りですか?』
「……アデル!」
俺を嫌いながら、声を掛けてくれるか。良い奴なのかも。声の主へと振り返る。そこにアデルの姿はない。書庫の螺旋階段、下の方を覗いてみれば……律儀に入口付近で待って居るようだ。では俺に声を掛けたのは何者だ? 目にした者を信じられず、俺は何度か目を擦る。
『貴方が一番困っているようだったので、声を掛けましたが間違いでしたか?』
似て居ると思った。アデルの声に。俺がそう思ったから、魔書は彼の声を模したのだろう。俺が声のイメージを変えるとその通りの声で魔書は喋り始める。実際に声が発せられていない。この声は、俺の意識に語りかけているのだ。他人に知られては困る質問にも対応したプライバシー配慮パーフェクト国宝、素晴らしい。俺も声には出さず、魔書と会話をすることにした。
(い、いや! では貴方が……【鏡の魔書】!?)
『如何にも。貴方は何を知ろうとしているのですか?』
それは一見すると宙に浮いた鏡。俺が質問者であることを認めると、魔書は自らを開く。魔書の中身……全ての頁が鏡で出来ている。片頁は曇り何も映らず、もう片頁は俺の姿を映していたが。
(では、単刀直入に。【魔妃の防具】の外し方を聞きたい)
『防具が与える試練を乗り越えれば、着脱が可能になります』
魔書が回答すると、曇った鏡に言葉が刻まれる。寒さで曇った硝子窓に、指で文字を記すかのよう、回答だけが鏡の光を取り戻していた。光は文字以外にも図を浮かび上がらせて、七つの防具全ての詳細情報まで明かし始めた。
(じ、情報量が多すぎる! とてもじゃないが覚えきれない!! 大事そうな所だけ…魔妃の防具とは、鎧に指輪、髪飾りに外套! それから靴、盾……香水?)
防具の性能についての記述もあるが多機能すぎて記憶するのは不可能だ。そもそも、真名に関しては映し出される言葉が読めない。何語だこれは。
(くそっ……読めない。いつもだったら……)
これが古代語であるのなら、宿した竜が読めるだろう。しかし彼は今眠っている。ラクトナイトの男でなければ竜との契約が無効となり、呪われた姿では彼を目覚めさせることも出来ない。
(鏡の魔書……記述を現代語に表示し直して貰えないか?)
『概要の説明は可能です。しかし私は知りうる情報の提供が職能。質問には答えますが、尋ねられぬ事柄には答えようがありません』
(滅茶苦茶な……)
此処に何が書いてあるかを推測し、その上で質問をしなければ回答が得られない。魔書は融通が利かない。予め考えていた質問以外を口にしよう物ならこうなる。順番待ちにもなるはずだ。鏡は情報のチラ見せをして、次から次へと知識欲を煽るのだ。
防具の種類だけでも把握出来たら及第点。現在地や所有者までは流石に解らないようだが、手掛かりにはなるだろう。全知全能というのは多少話を盛ってはいるが、確かにこれは……恐ろしい。
(…………質問の虜になって、餓死した者がいるのでは?)
『正確な人数詳細を知りたいですか?』
(結構だ)
否定しない魔書に俺は薄気味悪さを感じた。こいつには必要に迫られての質問は有意義だが、本当に……心の奥底から知りたいことを聞いてはならない。要点を絞り俺は聞き方を変えてみる。
(その、試練とは? 指輪と鎧について詳しく知りたい。それから【魔王の武具】……その剣の解呪についても)
『対象となる武具・防具自身に、持ち主を認めさせれば良い。両者は相反する存在。防具であれば自身の正義と善なる心を。武具であるなら支払う代償と強き覚悟を』
武具は魔王となるために必要な物。力を得るためにどんな犠牲を払えるか。魔の器としての大きさを計られる。
防具は魔王を止めるために必要な物。どれ程絶望的な状況であっても、立ち向かう意思を示せるか。魔に抗う素質を求められると魔書は言う。
それを知れたのは喜ばしいが、全体的に魔書の言葉は抽象的。俺自身の武具防具に対する情報量の少なさのため? だから魔書は鏡に俺をも映すのか。魔書と武具防具について多少の知識があるアデルを質問者に据えるべきだった。後ほど彼にも頼んでみるか。
(では俺やレインは、既に試練の中にあると?)
『そのようです。信じた道を、正義を示しなさい……貴方が真に勇者であるのなら』
(あっ! 待ってくれ!! もう一つ知りたい! 俺やマリーを狙った相手の事を教えてくれ……!)
他にも聞きたいことがある。移動魔法を紡ぎ始めた魔書を引き留めようとするが、他の者の求めに応じて姿を消した。俺の次に願いが強い者の元へ向かったのだろう。それがマリスでないことを祈るばかりだ。
(ここから視認できるのはアデル達か)
魔書は其方へ向かっていないか? 階下をのぞき込む。当たりだ。魔書はアデルの傍に浮いていた。
「魔書よ。試練を終えて尚、俺は欠けている。薬さえ俺を変えることは出来なかった。俺は、どうすれば良い……?」
アデルが魔書に話しかけている。彼は直接声に出して質問を迫っている。言葉だけならば悲痛な叫び……けれども声は心を伴わない。そんな彼の歯がゆさを感じるような…………物悲しさが辺りに響いた。
「魔妃をこうして手にしたが、俺には魔王が解らない。魔書よ……愛とは心とは何だ? お前は魔妃を手に入れればそれが解ると俺に言ったな。俺は未だに解らぬままだ」
*
これってどういう状況かな。我に返った俺は凄い言葉を聞いていた。二方向から聞こえる、魔書を名乗る者の声を。
(な、何だろうこれ!?)
呼吸をするのも大変だ。口が開かない。全部腹式呼吸にしなきゃ。
一体何があったんだ? どうして俺はアデルに抱きかかえられたまま、魔書と相対する場面に同席しているのか。聞きたいことはあったけど、一つの声はぷっつり途切れ、後にはアデルと会話をする方だけが残された。
『騎士アデル……貴方の過去と未来は辛く苦しく、険しい道のり。使命を果たすためには愛がなければなりません。愛する心を知らぬままでは武具の力を完全に引き出すことも出来ず、貴方は犬死にするでしょう』
思い詰めたアデルの悲しげな顔。感情を、心を読まずとも彼の辛さが伝わってくる。そんなに悲しいのに、涙を流せないことがとても可哀想に思えた。
「解っている。以前も聞いた。貴方は俺にマリー姫を見つけろと言った。彼女は防具を手にする運命にあると。同じ使命と運命を背負う彼女とならば……俺は望むものを取り戻せる。俺は姫を見つけた! なのに何故、俺は壊れたままなのだ?」
それは多分、俺が本当のマリーねーちゃんじゃないからだ。アデルは何も悪くない。よく分からないけど、俺が正体を偽ったためにアデルは苦しんでいる。俺は彼の腕から飛び降りて、魔女から貰った水で作った薬を取り出した。魔女の薬は“呪いを解く”。薄めたけれど、それでも効果は強過ぎる。それなら喋ることが出来ない呪いも解くことが出来るかも!
「待てレイン! 早まるなっ!!」
上からにーちゃんの声が聞こえたが従えない。これ以上、彼に嘘を吐いていられなかった。
「……姫?」
「…………」
違うよと、俺は首を横に振る。でもこの薬液体だから今飲もうとすると、目か鼻か下からかになるんだけどどうしよう。どれも格好が付かない。焦った俺は、薬を頭から全身へと振りかけた。服用よりは速度が遅く、一瞬でとは行かないが……彼の目の前で俺の姿は変わっていった。外見の違いは大して無いけれど、胸部の減少と俺の口調で彼は真実を知ることになる。
「ごめんなアデル。俺は……あんたが探してた人じゃないんだ」
「!?」
「俺はレイン。レイン=ニムロッド。命を狙われているマリーねーちゃんの影武者をしてた」
「く、あははははは! 俺を騙していたと!? 俺を信頼していると……よくもまぁ、あのようなことを口に出来たな!!」
怒り狂ったアデルが薙ぎ払った一閃。俺の首を落とす勢いのそれを、アデルは寸前で止める。……怖い。首筋に触れた冷たさ。【魔王の武具】……赤の王が俺の首へと触れている。何か一言、彼に気に入らない言葉を発したならば。俺の首は床へと落ちることになる。
「…………これが遺言なら、俺の話を聞いてくれないか?」
アデルも騎士だ。情に訴えればまだ俺を殺さない。そう信じてる。
「マリー姫は、俺にとって大事な人だ。……本当の家族みたいに大事な人だ。そんな人達が、誰かに命を狙われた。俺はねーちゃん達を守りたい。だから俺は此処にいる」
過ごした時間は短くても、俺はお前を知ろうとした。騙すためには近付かなきゃ。もっとお前のことを知ろうとしなきゃ駄目だった。アデルだって本当はおかしいと思っていただろ。気付いていたはずだ。でもそれを認めたくなかったんだ。俺もそうだよ。
「ここで殺されても俺は本望だ。ねーちゃんとかにーちゃんは、自分の命に価値がないと思っているけど。死ななきゃ何も果たせないと思ってるけど。そんな人のために死んでも良いって思っている奴が此処にいる! アデル! お前だってそうだ!!」
一回お前に助けられた。死んでしまったかもしれない俺が。それなら別に、お前に殺されても俺はお前を恨まない。好きにしろよ、幾らでも! これが最後になるならと、俺は好き放題アデルに訴えかけてやる。
「使命のあるなしじゃない。使命が無きゃ一緒にいちゃ駄目なのか!? 仲間になれないのか!? 同じ境遇じゃ無きゃ絶対に解り合えないのか!? そんなの、何が勇者だよ! 仲間一人助けられない奴が、世界なんか救えるか!」
ここでアデルを救えなければ俺はその程度、親父やお袋を越える勇者になれなかった能無しと言うだけ。そんな能無しでも、マリーねーちゃんを危険な場所から遠ざけられたなら大往生だ!
にーちゃんが階段を駆け下りる音がする、ロアの精霊が此方へ向かって来るのも見える。それでもアデルが武器を降ろすまで、彼らはきっと近づけない。戦えるのは俺だけだ。マリスの助力は期待するな。
「…………レイン」
初めてアデルが俺の名前を口にした。夜の書庫を精霊洋燈が妖しく照らす。薄暗がりではアデルの表情も正しく読めない。それでも聞こえる。はっきりと。これまで殆ど聞こえなかったお前の声が……心が俺に届いた。
(アデルの望みは――……)
彼の願いを知った時、俺の指輪が光り出す。突然の光にアデルは武具を退け、再び俺に向かって構えて見せた。
「俺と戦え。弱き者に姫を守れるはずがない。俺が勝った暁には、マリー姫を渡して貰う!」
「…………それが、あんたの望みなら。騙した分は、付き合うよ」
俺も武器を構える。相手は【魔王の武具】使い。封印指定の魔女を一撃で倒した男――……。
「逃げろレインっ! 接近戦ではお前が不利だ!! 俺が其方へ行くまで時間を稼げ!!」
階上から響くにーちゃんの声。理路整然で全くもって異論は無い。正にその通りではあるけれど、彼には俺が笑ってしまったのが見えただろうか?
(やだなぁ……にーちゃん。逃げてるだけじゃ、本当の勇者になれないよ。此処で死ぬのなら俺はその程度だったってことだ!)
ゆっくりと息を吸う。引き絞る矢に力を込める。指先から魔力を注ぎ込むイメージで。
近くに魔書がやって来た時、俺も聞いたんだ。面白いよな、あの魔書って同時に何人かと会話が出来るんだ。“まだ、喋れなかった”間にさ。
*
『勇者ヴォルク=フェアとセレノア=ニムロッドは、謀殺されました。犯人の名を口にすることは許可されていません』
頭に響く魔書の言葉は、俺を突き放すようそう言った。すぐ傍ではアデルが声を荒げて魔書と会話を行っていた。
『万物は鏡。表裏一体裏表。有益は有害であり無益は無害。毒は薬で勇者は魔王。意味の無いものが尊ばれ、価値あるものが迫害されることも起こり得る。それが世の理です』
俺の頭に響いた声は言葉数を増やし誤魔化そうと企んだ。俺の両親の事から、二つの病の話へと話題をすり替え答えを濁す。それ自体がもはや答えに等しい。魔書は性質上、嘘が吐けない存在なのだ。
『《水晶病》と《魔違病》が病と言われるのは……一代発現したなら、それ以降は子孫に受け継がれる呪いです。国によってはどちらも一代限りで始末されることもあります。赤領国も例外ではありません』
魔法で栄華を誇る赤領国は、他国も知らない真実へと辿り着いた。便利な《水晶病者》は増やしたいが、異形である《魔違病者》は要らない。いや、水晶病者も一定数保持できればそれでいい。便利な物が他国で増えては問題だ。隔離し管理する……檻が必要だ。
魔違病者はその力を利用し勇者にし、危険な仕事で命を落とさせる。魔物同士を潰し合わせる妙案だ。水晶病者は由緒正しい家柄以外は、魔物を封じさせ即刻始末する。どちらも危険な者として、勇者にするよう他国へ働きかける。偉大な勇者が生まれた時、同じ病の者も思うだろう。彼らに憧れて。虐げられるのではなく、勇者として崇められたいと。
それが答えなのだろう。“ルジェアの赤い盾”は、敵を入れないため以外の理由も在った。逃さないため。《水晶病者》の力を他国へ与えないための――……!
でも目の魔違病者と水晶病者に子供が生まれたら、そいつの目はどうなるだろう? きっと、とんでもなく凄い瞳が仕上がった。なのに俺の目には何もない。
『貴方の母親は確かに水晶病。貴方の目の中に、魔物は封じられていません。貴方の目は魔物を封じられません』
魔書は嘘は吐かない。上から封印された情報については、断片的な言葉でしか語れない。それでも推測することは出来る。質問を重ねれば真実に近づける。
目に見えているもの全てが、自分にとって真実かどうかは解らない。今俺が見ている物はきっと……代わりに埋め込まれた魔物の目が、見ている光景なのだから。
(……俺の瞳は、どうなった?)
『貴方のことを、見てますよ』




