14:異世界《不明界群(アンノンナンバー)》
「ロットちゃん! 大丈夫ですか!?」
駆け込んだ早乙女さんの部屋。魔方陣の上に倒れていたのは……早乙女さん!?
「ロットちゃん!? ロットちゃんは何処に……」
付近を探してみるが、彼女は見つからない。それどころか……幾ら探ってみても、気配を全く感じない。ロットちゃんが私を置いて、彼方に戻ってしまったと疑うくらいに。
(魔方陣……ゲートの追跡、解析を……)
床へと残る魔方陣を調べて見るが、浮かび上がる情報は。
「……【不明界群】!?」
この異界イケブクロも、異世界【不明界群】の内の一つ。早乙女さんが消え、ロットちゃんが消えたのは広義の意味では同じ世界であり、狭義の意味なら別世界。
そこへは行こうと思って行ける場所ではない。召喚獣との縁がなければ、ロットちゃんだってこの異界イケブクロを再訪することは不可能。それ自体が困難だが、私がこのゲートを発動させられたとしても……今ロットちゃんが居る場所に、私は辿り付けない。
(……手がかりは、この子だけ)
気を失ったままの早乙女さん。彼女から情報を得るしかないけれど、素直に白状してくれる相手ではない。
「マリーさん、心配は解りますが今はこの子を安静に……」
「《全回復》、《睡眠回復》」
「ま。マリーさん!?」
魔法を使った私に先生は驚く。最悪の事態への私の覚悟を知っていて。
腐川先生も人間だ。私の師匠より優れた指導者かつ人格者だが、完璧な人ではない。弟子は二人とも可愛いくとも、自立したロットちゃんより手の掛かる早乙女さんを甘やかしている節がある。マスターであるロットちゃんの窮地であっても、目の前の弟子を優先してしまう程度には。だから私が、こうするしかない。
「早乙女さん、おはようございます。これで起きない人はいません。それでも寝たふりをすると言うのなら……《絞首台の嘘吐き》」
呪文の意味が分からない二人に、私は丁寧に解説をする。
「私達を見ていたなら、私の二つ名もご存知ですよね? 【黒の聖女】の謂われを知りたいですか? 今貴女にかけたのは“条件付即死魔法”。貴女はこれから嘘を吐いてはいけません。心して答えて下さいね? 死ぬのが望みの貴女は喜んで嘘を吐くかもしれませんが、この魔法で死んだ者は転生など出来ません。だって、罪人に救いなんて必要ないでしょう?」
私のとっておきのセリフに、早乙女さんは飛び起きた。
「あ、貴女……回復魔法しか使えないって!」
「嘘じゃないですよ。大まかに分類するなら魔法かも知れませんが、厳密には魔法じゃありませんから。さぁ、それじゃあ何があったか話して頂けますね?」
「ぐ、グォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
私が使ったのは呪いだ。魔法元素とは別の要素により引き起こされる奇跡。魔法元素のない【不明界群】では実に有用。
追い詰められた彼女は真の姿を現した。凶悪な鬼へと変貌した彼女を前に、先生も息を呑む。
「……これは、梦華ちゃんじゃない!?」
「姿が、存在自体が嘘でしたね。オーガは変身能力を持ちます。先生……下がって下さい」
オーガは人食い鬼。凶暴で残忍な癖に臆病。こうして脅してやれば、すぐに逃げ出そうとする。脅えたオーガは逃げ帰ろうと、召喚ゲートを開く! すかさず私はゲートの内へと飛び込んだ。このオーガが使役された者、或いは契約者がいるのなら……【不明界群】内であっても迷わず目的地へと着ける!
「マリーさんっ!」
「せ、先生!?」
魔方陣の光が、ゲートが完全に閉じる前。腐川先生が私の後を追って来る。召喚獣とは言え、彼女に戦闘能力は無い。私は慌てて彼女を掴み、異界の門へと落ちた。
門の先へは土埃に塗れた鉄道跡。この暗さから見て地下世界。
光魔法で辺りと照らすと、先程のオーガの姿は見えない。安全確認を行った後、私は先生を軽く睨んだ。
「先生、なんて危険なことを! 貴女はただの人間なんですよ!? ……先生?」
先生はオーガを見ている。いや、その付近に散らばる人骨。その装飾品? 遺体の持ち物は、おそらく女性なのだと思う。
「マリーさん……この辺りを、もう少し照らして貰えませんか?」
「は、はい」
恐る恐る遺体へ光を近づける。遺体の傍の鞄から、本を取り出し数頁……捲った後、先生はその場に膝をつく。その後……何も言わずに骨を眺めていたが、やがてすっくと立ち上げる。そのまま一人で消えてしまいそうな先生を追いかけて、私は彼女を追い越し引き留めた。
「…………先生、その人は早乙女さんではないと思います。私が最後に見た時と、服も違います! 彼女の気配は独特で……魔力は無いけど、魔を感じるんです! 同じ気配がまだ近くにあります。だからきっと無事です!」
「……マリーちゃん、貴女は優しい子ね」
師としての言葉ではない。上限関係の無い一人の人として先生が私を呼んだ。しかしその響きは私を無知とも唱え、無垢とも讃えるようである。
「貴女の優しさは誰かを深くより救い、誰かを強く傷付ける。でも今日……この時は、ありがとう」
眼鏡を外し涙を拭い、先生が久しぶりの笑顔を向けてくれる。その笑顔を見て、私はこの人を傷付けてしまったのだと気が付いた。でも先生は言う。それは、必要な傷であったのだと。
「……目が覚めました。ありがとうマリーさん。貴方達には本当に。教えるつもりで教わっていて……救うつもりが救われている。ダイヤちゃんの時もそうでした」
先生の笑みを見て私は後悔する。励ましのつもりが、向き合いたくない真実をセンセイの前に突き出した。あの骨は早乙女さんではない。あの亡骸は先生の知り合い? もしそうであるのなら。……早乙女さんが被害者ではなく加害者側であるのなら。何か聞いてしまったら、それこそ先生を傷付けてしまう。
「私が、梦華を甘やかした結果がこれなら……私は責任を取らなければ」
師匠として、弟子を教え導く。そんな使命を取り戻した腐川先生。
羨ましいくらいに、分かり易い愛を持って接してくれる師がいるのに。早乙女さんは何故あんなにも歪んでしまったのか。人の心は本当に……深くて暗いダンジョンのよう。その中には一体どれ程の魔物がいるのだろう?
*
早乙女が喚び出したのは、清楚な感じの黒髪ロングストレート・メイド服姿の少女。手には刃物を持っている。好きな人は好きな感じの性癖化身だろう。
(こいつが女オーガか)
早乙女自身からは魔力を感じない。召喚ではなく、彼女の声を聞きオグレス自身が飛んで来たが正しい。辺りの骨は、オグレスが食い散らかした残骸だろう。
(やっぱり嫌いなタイプだわ)
早乙女は、悪意と言うには純粋だ。良くも悪くも幼く、彼女の世界に他者は存在しない。思い通りになるかならないか。その観点で必要か不要かを考える、圧倒的自分至上主義。
ミザリーより質の悪いミザリー……何かの間違いでマリスとミザリーが添い遂げたら、こんな性格の子が生まれるかもしれない。彼女が抱えているのは“悪意を越えた自己愛”と、“孤独故の承認欲求”。彼女が欲しているのは他人の意思を認めず必要とせず、唯自分一人が肯定される世界。魔王だってもうちょっと、周りのことを考えてるわ。少なくとも“魔妃”という愛する存在が居たのだから。
「ダイヤお姉様ともあろうお方が、恐怖で声も出ませんか?」
「名前の響きが似てるからごっちゃにされがちだけど、やっぱりオークとオーガって別物ねって思っただけよ。うちのオチの方が可愛い!!」
割と本音でオークマウント。煽ってみるが、早乙女はくすくす笑うだけ。不気味な奴。
「この短時間で私の呪いが解けたとみるに、あんたそいつと同調か憑依でもやってるわね? オーク語しか喋れないという体を変身させて、解呪した」
「それこそが、オーガが優れている証明です。貴女のご自慢のオークよりも」
「……まぁ、おかしな話よね。あんたにとって都合が良すぎたわ。腐川先生は、指導者として優れた人。それがあんたみたいな性悪闇病み娘を猫可愛がりするのはおかしい。平等に厳しく優しく接するはず。先生がおかしい時点で何もかもがおかしいの!!」
一年と数ヶ月前……私が異界イケブクロへ落ちた時、腐川先生には私の姉弟子A子というアシスタントがいた。先輩はデビューして先生の元を去り、私も帰還。その後にB美という新アシスタントが入ったと聞いている。しかし今回私達が出会ったのは、更にその後釜であるM華……もとい早乙女梦華!
オーク×女騎士ではなく、手広く色んな者を描くようになった先生の変化を嫌い、逃げ出したB美。その失踪に傷心していた先生は、早乙女に入れ込んでしまったのだ。
「B美は先生の変化を嫌い、先生は過去を求められた。そんな時今の自分を、作品を肯定してくれるあんたが来たら可愛く見えても仕方ないわ。でもここで疑問が生じるの。それじゃあ彼女は何処へ消えたのか? 答えはそうね……」
オーガの変身能力。早乙女はそれを利用し、先生とアシスタントの間に不和をもたらした。本物のB美ではなく、彼女に変身したオグレスを使って……先生を失意の底に叩き落としたのだ!!
「オグレスがB美を食って彼女の姿を奪い……あんたは異界にオグレスを留まらせた」
オーガは何にでも変身出来るが、正確に変身出来るのは食べたことがあるもの。例えば何通りもの人間の女性に変身できるオグレスは、何人もの女を食い殺してきたという事。私達がこの世界で接した女性……気にも留めない相手に成り済ますことがそいつは出来た。
夜の会話で感じた違和感。私の推測がほぼ正解だと奴は言った。そう、あの時早乙女は“肉体と精神が入れ替わる”と口にした。“精神分離”の話を知らなければおかしい。
でもそれは、マリーが部屋で語ったこと。マリーの点検後に、早乙女が盗聴は出来ないはずの会話。それを彼女は知っていた。マリーが見逃した盗聴器が残っていたのだ。
(こいつはマリーの切り札をも盗聴した! 盗聴箇所は……マリーのリボン。オグレスは……あの店の店員になりすましていた!!)
因果応報。リボンに仕掛ける者はリボンに仕掛けられるって奴ね。まさか買った時点で先回りされていたとは。早乙女の“友達”はなかなか厄介な相手のよう。
「でもそんな子供だましみたいなパートナーでこのキャロット様に勝てるとでも?」
「普通のオーガ、オグレスならそうですね」
「ふん、それならどうせ身代わりって言うのも嘘なんでしょ? あんたの狙いはズバリ……“魔王転生系”これよ!! そして、それを為せる者とあんたは出会った」
食人鬼……いや、喰らうのは大量の魔力を持った者だから、魔法使い魔女喰鬼略して【魔食鬼】!
奴らは食ったもの取り込み、己の力へと変える。理論上、魔王を食えば魔王に成り代わることさえ出来る。
「……昔々、十数年前、ある世界で。悪い王様に利用された子供達がいました。子供達は皆、水晶のように透明な瞳を持っていました」
「……っ!」
「赤く赤く染まった王子様の瞳の魔力。それを封印する箱。子供達一人一人に魔を移し替え……王子様の呪いは解けるかと思われました。しかしそれでも、王子様の目は光を取り戻すことはなく、真っ黒に染まってしまいました」
否定して欲しかった。けれど、早乙女は何処までも正直に己の欲望を、願いを語る。
「子供達という箱に閉じ込められた魔。それを全て集めたら、ほら元通り。魔王復活はすぐそこまでやって来る!」
「…………魔食鬼如きが知ってる話じゃないわよね。あんた、それ誰に聞いたの?」
魔食鬼に全ての箱を食わせ、その力を自分が取り込めば。王子様……マリスに代わる魔王になれると早乙女は信じている。
「この子が教えてくれました。ねぇ? 【青の王】!」
「はぁ!?」
待て待て待て待て待て待てよ。なんでこんな小娘が、【魔王の武具】臭のする凶器持ってるのかしらねぇ!? 小娘が掲げたのは、暗闇に青白く輝く短剣。おどろおどろしい気配が、マリス臭を醸し出す。感覚的に、これはヤバイ奴だと解る。
「ダイヤ様は、絵の資料にレプリカを買ったりしませんか? 私はなるべく本物を資料にしたいんです。B美……日美先輩も、そういう人でした」
「…………あんたがB美さんを殺したのは、【武具】を奪うため?」
「生き残り最後まで手にしていた者が主です。死んでしまうようならば、【武具】のマスターに相応しくない。ただそれだけのことですよ」
【魔王の武具】……それはは見る者の心を奪わんばかりの美しい武器だが、災いを呼び寄せる凶器である。武器に認められない所有者は精神を蝕まれ、時代に排除されていく。そうして新たな所有者の元へ【魔王の武具】は流れゆく。
「【魔王の武具】、赤い瞳……過去の接点!! 共に魔王となるかも知れない身!! それにそれにそれにっ、闇を抱えた毒舌ドS王子様VS光の不幸聖人騎士様っ!! 貴女のポジションが圧倒的に愛されヒロイン!! 渦中の人がそこから逃げ出そうなんて許さない! 逃げるくらいなら私が貰うっ!! そう!! 私こそが、マリス様に相応しい!! 私が貴女の身体でマリス様と結ばれる!!」
「…………は?」
私は耳を疑った。こんなことをしでかして、早乙女が語る野望は何処までも……異常な恋愛観オンリー。この女、あろうことかマリスとコントの間に! あのクソ面倒こじらせ三角関係に私の身体で入り込みたいと来やがった。
「嗚呼、あの冷たい瞳!! 全てを呪うかのような溢れ出る悪意!! 同じ宿命を背負った私にしか、私の愛でしかっ……彼の心は癒やせない!」
どんな手段で知ったのか? それは未だ不明だが、早乙女の最推しはあろうことかマリス。 マリス本人の業なのか、あいつどうしてこういう面倒臭い女にばかりモテるのかしら。そりゃ女版コントなんかに惚れるはずだ。
この女……良い人系攻略対象が当て馬になって、たまにデレるだけで美味しいところ持って行く感じの性悪王子がお好きな様だ。だとしても……やはり当事者からすれば、誰この女? の一言だろう。
「蚊帳の外から変な女やって来ても迷惑だと思うんだけど……後それに私巻き込まないでくれないかしら?」
「異界で【魔王の武具】に対抗できる手段を貴女は持たない。彼方へ帰還した時のようにここから逃れられたとしても……お分かりですね? “異世界移動”と“異界間移動”は異なる。標となる召喚獣も……もはや頼りになりません! 貴女は自力でイケブクロへ帰ることは不可能!!」
(私がここから逃れられない? それに異界間移動って……まさか?)
早乙女は勝ち誇っている。私の上を行く絶対の自信があるようだ。
「ここ、イケブクロじゃないの!?」
「はい。ここは“異界アキハバラ”!! 貴女方の言葉では、イケブクロ同様“異世界【不明界群】”に属する異界なのです!!」
*
「先生、はぐれないで下さいね」
腐川先生を連れて来たのは失敗だった。
「マリーさんこそ! ははははは! 構図作りのために習った格闘技通信講座が役に立つとは思いませんでしたよ!」
いや、戦闘能力的な意味では正解。キレキレの動きで、意外なことに接近戦が強い。臆病なオーガを撃退する程度なら、迫力と物理で何とかしてしまう。
「た、頼りにしてます。でもその……【不明界群】内の世界は似て非なるものです。他の異界へ落ちたら、見つけることは本当に難しいんです」
ここは異界アキハバラ。異界イケブクロに近しい異界。私の簡単な説明に、先生は納得したよう呟いた。
「ダイヤさんが此方を異世界ではなく、異界と呼ぶのはそういう訳でしたか」
「はい……異界って異世界の一部を表す言葉なんです」
異界とは異世界とは異なる概念である。異界人には世界の括りを国か惑星と捉える者が多いが、正確には宇宙の端から端まで引っくるめた物が私達の認識における“異世界”である。異世界はそれぞれ名前と番号を振られ、私達の魔法世界に管理されている。
異界とは正確に言うなら“第●世界の異界●●”……というのが正式名称。異界とは異世界における(魔法以外の手段で)往来不可能な限定的な地域の括り。そんな中に、数字カウントされない世界がある。
「“異世界【不明界群】”は、他の異世界と違って、解析放棄となった唯一の異世界……」
世界に対する名前とは、別の世界を知っていてその行き来が可能な者と、その者に名付けられた存在だけが持つもの。
世界の名前がない世界は二つある。まずは私が生まれた魔法の存在する世界。その昔、偉大な魔法使い“パドラクスン”が、全ての世界の始まりから終わりまでの旅をして、それらの世界に名前を付けた。魔法使いは自分の故郷である世界を、全ての中心と考えたため……そこに名前を付けなかった。偉大な魔法使いが名付けられなかったもう一つの世界がこの【不明界群】こと――……“名称不明異界群”。
大魔法使いパドラクスンは、その異世界を解き明かすことを諦めた。【不明界群】は魔法がないが故に分裂、複雑に進化・発展した途方もない世界。そこには魔法を構成する元素がなく、これまでと同じ方法で【不明界群】の全てを旅することが不可能だった。
「ふむ。異世界内における異界というのはパラレルワールドのような物で。違う成長、文明が進んだ同じ時代の世界……ということですね」
「えっと……そんな感じです」
辺りの解析魔法を終了し、私は小さく溜め息。ここがイケブクロでないことが、私にとっては大きな負担だ。
(来ようと思っても来られない。帰りたくても帰れない)
【不明界群】は異世界の中でも特殊な世界。他の異世界に比べて異界の数があまりに多い。彼らの世界まるごとが、巨大な【30・40連合王領国】のようなもの。彼らの世界は成長も衰退も早いことが特色で、日々移ろいその座標は常に定まらず、狙って行ける場所じゃない。ロットちゃんがイケブクロへ飛べるのも、腐川さんという契約済みの召喚獣がいるためだ。
しかし今、腐川先生は私と共に異界アキハバラに居る。それも、ロットちゃんの召喚ゲートを使わずにここへとやって来た。イケブクロとの縁が切れ、ロットちゃんは自力で異界イケブクロに帰れない。ロットちゃんが把握していたのは、異界イケブクロから私達の世界へと繋がる帰り道。つまり……イケブクロに帰れなければ、私達は元の世界にすら帰れないと言うこと。
(早乙女さんを、舐めていました……)
移動するにしても、イケブクロ内のどこかだと思い込んでいた。異界間移動を使うような相手だと思わなかった。いくらロットちゃんが心配だからって、不用意に魔方陣に踏み込んではいけなかった。私はゲートを開く移動魔法を使えない。自力で世界を移動することが出来ないのに……勝手に動いてしまうなんて。
「マリーさん」
「きゃっ、……先生?」
すっかり気持ちが沈んでいた私は。名前を呼ばれたことも気付かずに、肩を叩かれ飛び上がる。
「そんなに不安になっていたら、見つかるものも見つからない。魔法は心の強さだってダイヤちゃんが言ってましたよ」
少し休憩しましょう。先生はそう言って、上方……ホームの椅子を指差した。灯り魔法は線路に残し、光に集まって来た魔物を上から攻撃すれば、しばらく楽が出来ると。
「さっき聞いた“異界条約”だっけ? あれに矛盾が出るよね。穴があるというか。うん……魔法世界が補足しきれず諦めた異世界が不明界群であるとするなら、不明界群内での魔法犯罪を、魔法世界が裁くことは不可能。梦華はそこに気がついたと言える」
ホームで体を休めていると、先生は自問するよう次々に疑問を投げかける。
「ああ見えて、小心者なんだあの子は。今回のことも、彼女なりの完全犯罪プランが仕上がってのことだろう」
先生の呟きを聞き、私はぞっとする。……この骨達は、私達が盗み聞きされた後に殺された可能性があるのだと。
「あの骨達が、イケブクロの人かアキハバラの人かは解らないけれど。あの子の性格を考えて、足が付くようなことはしないはずだ……倒したオーガも妙だ。殴っても手応えがないんだよ。マリーちゃんの世界の魔物が、別の世界へ行くことって……よくある事なのかな?」
「意図的には違法ですし、私達の世界自体に結界が張ってあります。魔王が不在の現代では、魔に属する者が結界を越えて異世界・異界へ行くことはほぼ不可能です」
「なるほど。それじゃああのオーガは実体があるわけではない? 精神だけが逃げ出すと言うことは可能?」
「……解りません。今回のことがそうであるなら、それは可能なのかもしれません」
先生の質問に、私は次第に答えられなくなる。考えたこともなかった。魔王が封印された世界で、結界を越える者がいるはずがない。そう……無条件に信じていた。私達の世界が持つ、魔法という力について。
「ははは、あんまり気分転換にならなくてごめんねマリーちゃん。……どうしてだろうな。色々考えちゃうんだ。私達、不明界群の人間は魔法が使えない。だからその代わりに力があると、私は思ってて」
「……力、ですか?」
「それは想像する力。その一派が腐術。私達は何もないから、夢を見る。無いからこそ作り出そうとする。生きるために必要のない物を。心を生かすために生み出し続ける」
魔法がない世界の人は、精神の死が肉体の死。故に生きるために娯楽が必要――……とは腐川先生が教えてくれたこと。
魔法は心の強さであるが、私達の世界では精神は重視されない。肉体的にも精神的にも弱い者から死んで行く。そんな風に自然淘汰される世界では、生きているだけで強いのだ。だから強いのは当たり前で、這い上がれない、立ち直れない奴は死ぬだけで……心を潤すことなど考えない。恐らく……私達には、死以外の想像がないんだ。死の想像を回避するために動き、生き延びる。魔法があるがために、想像力を欠如した。それが私達……魔法使いの世界。
「…………あの子の事を思うに。ここは異界であって異界じゃないと私は思うよ。あの子はオーガよりも臆病だからね。あの子は夢の世界で、人々の精神を殺すつもりだ。夢の世界を、其方の世界では何と分類するだろう? 異世界かな、異界かな?」
「こ、ここが夢……!?」
その発想はなかった。私は思いきり自分の頬を抓る。痛い。
「それは現実のマリーちゃんが、寝ながら自分の頬を抓っているんだと思うな」
先生の苦笑が辺りに響いた。ひとしきり笑ったと、先生は眼鏡をかけ直す。
「何もかも、あの子の思い通りになるはずさ。あの子だけが知っていたんだ。ここが……いや、イケブクロでの数日でさえあの子の夢の中ならば…………私達は目覚めなければならない」
いせかいってなんだ。どこからどこまでがいせかいなんだ。
それは世界の層か。パラレルワールド? なんかちがう。
それならそれは国か、惑星か。それとも宇宙か。わたしはそれは、宇宙だと思う。思いました。




