10:秘密の夜
「あのさ……ちょっと、良い?」
「何だ、眠れないのか?」
夜中に部屋の戸を叩くのは、寝間着姿の友だった。腕にはキャロット製の呪術人形を抱えている。人に聞かれては困る話なのだろう。ならば尚更ロアやマリス、アデルに見咎められてはまずい。俺は即座にレインを招き入れた。
入浴中、俺の愚痴を聞き流すレインは訳あり顔のまま、あまり目を合わせなかった。人は俺を馬鹿正直など時に褒め、時によっては愚弄する。しかしレインも存外、嘘が下手だ。他人には上手く嘘を吐くが、俺達三人にはそれが出来ない。何かあるな、とは思った。彼が言いたくないならば、無理に聞こうとは思わなかったが。
「レイン?」
招かれるや否や、彼は俺を追い越しさっと毛布に包まった。普段物怖じしないレインが珍しい。俺も寝台に腰を下ろして背中越しに……もう一度彼の名を呼んでみる。
「……レイン、どうしたんだ?」
怖い夢でも見たのか? なんて茶化してやろうか。そうだな。あと十秒くらい待ってやろう。五秒が過ぎた辺りでようやく彼が話し始める。少し残念だ。俺の苦笑を不審に思っているだろうか。俺の心も読めないくらい、一杯一杯になっているとは本当に珍しい。
「えっと、さ。にーちゃんが嘘は下手なの知ってるけど、状況が変わって来たから教えとこうと思って」
毛布からこそっと顔を覗かせる彼。歯切れの悪い物言いは、迷いの表れか。こうして口にしながらも、それが正解なのかまだ解らない。そんな物憂げな表情。
「……ああ、聞こう。全ては俺を信頼してくれてのことだろう? なら、俺はお前を責めたりしない」
「……ありがとな、コントにーちゃん。何処から言えば良いか解らないけど話すよ。…………俺とダイヤねーちゃんはちょっと不味い状況にあるんだ。マリーねーちゃんよりはマシだけど」
そうして彼の口から語られた言葉に、俺は暫し絶句する。返り討ちとは言え、パーティメンバーが殺人に加担するとは。相手が魔物なら兎も角、勇者と言えど人殺しが看過される法はない。仕掛けた側が悪である証明、或いは此方が正義であることを示せなければ……彼らは特級勇者の身分を剥奪される。事情が事情だ、極刑を免れたとしても……懲役か国外追放か。それとも《烙印勇者》――……目的は同じでも、名誉ではなく贖罪のために命を費やす奴隷となるか。
俺やマリーの命が狙われていた。レインとキャロットの暗躍は、俺達を守るため。それならそうと早く言えと言ってやりたいが、レインの言葉は否定できない。早々に事実を知れば、俺は早くにボロを出していた。自分の事ながら、何とも情けない。
「災難だったな。しかし……ま、まさかうちの庭に埋めたのか?」
「ああ、そこはねーちゃんが魔法で上手いことしてくれたから。世界の何処かにはあるよ」
悪しき召喚獣に食わせることは出来るが、間者の正体が判明した場合、何も残らないのは問題になるか。異界へ死体を運ぶこと……それも理論上は可能。しかし悪用されてしまうため、ゲート制限が掛けられているはずだ。俺達の世界の何処か。あの女のことだから親しいオークの巣穴のいずれかが隠し場所なのだろう。
「でももし、あの時の刺客が赤領国の人間だったら……アデルが来た理由もちょっと違ってくるのかも」
「そうだな。不可抗力であるのだし……赤領国の差し金だという証拠さえ掴めれば、城や陛下に正直に申し開きをしても。駄目か…………、あの方が絵に描いたような聖人君子なら、俺も昔と変わらない生活をしていたな」
貴族達の権力争い。大義のために俺が冒した愚行は、家と殿下を傷付けた。悪意が付け入る隙を与えた。陛下はそれを庇うこともしなかった。あの人が何をお考えなのか。今でも俺には推し量れない。
「一応この国と赤領国は同盟関係なんだろ? 末端の死に騒ぎ立てたりはないと思うけど、国家間で波風立てるより……俺達始末した方が簡単だよな。まぁ、俺はこの国に拘る必要ないし……本当にやばくなったら逃げればいいし。国外での仕事なら影ながら支援も出来ると思うから、別に良いんだけど」
根無し草ってこう言う時便利だよなと渇いた笑い。強がり半分、本音も半分。レインにとって縁とは、灰領国への未練は俺達とのパーティだけだ。
「参ったな。此方が被害者ではあるが、それを証明出来なければ……此方が国外追放も有り得る。それこそマリーと変わらぬ身の上に」
「その位なら俺は別に良いよ。此処に二度と戻ってこなければ良いんだろ? それか大手柄立てて恩赦を狙うとか……って言っても、にーちゃんはそうはいかない。だから万が一、俺達が釈明は出来なくとも……にーちゃんだけは巻き込まない。何も知らなかったって言ってくれ。それを約束して欲しいんだ」
「無茶を言うな。俺はこのパーティのリーダーだ。責任なら俺が」
「ねーちゃんは逃げるの嫌がるかもしれない。それなら、潔白出来なかったらそれはそれで。俺は烙印勇者でも良いんだ。にーちゃん達と旅する理由にはなるだろ。他人からの評価が変わっても俺の気持ちは変わらないし、やることも同じだから」
彼が思ってくれる程、多くを俺達は返せているだろうか? 不安になる。端から見れば、お前の善意を好意を利用していると誹られても仕方の無いことをしている。元はと言えば俺を助けるために、二人はそんな状況になったと言うのに。
「レイン…………お前が。お前達が本当に追い詰められたなら、その時は俺が」
「あのね、にーちゃん。俺はにーちゃん自身も好きだけど、にーちゃんの一部は勇者なんだ。切っても切り離せないくらい、そうなんだ」
俺の言わんとしたことを察したレインは、それ以上を俺に語らせない。しーっと俺の唇を押さえた彼の人差し指は、温かな温もりを残す。実年齢は数歳しか違わなくとも、まだ小さな子供に見える。そんな姿の彼に、罪をなすりつけること。身代わりの、呪術人形のように使い捨てること。それが正しい勇者の在り方か?
「だから俺達は、騎士の……ううん。勇者のにーちゃんが好きだし、にーちゃんには勇者でいて欲しい。魔女のねーちゃんも同じ気持ちだよ」
言い返そうとした言葉が出ない。
「俺もねーちゃんもなくして困る物はあんまりないけど、にーちゃん達にはまだ取り戻せる物があるだろ? そーいうの、大事にしろよな」
例えばそれは、家とか家族という物。言外に彼が伝える彼らの背景。……彼ら?
「灰領国出身じゃない、俺とダイヤねーちゃんはにーちゃん達ほどここに柵とかないからさ」
「……お前だけでなくあいつも他領出身なのか?」
初耳だと口にすると、レインはさっと視線を逸らす。やべっという心の声が聞こえたぞ。俺にはそんな力はないのにな。寝台に寝転ぶ俺の目の端、慌てたレインの姿に少し心が安らいだ。
「そ、そんな落ち込むなってコントにーちゃん。あの人自分のこと語りたがらない人だし、俺も聞いた訳じゃなくて、そうかなって思っただけで」
「確信がないままお前が口にするか?」
「……ダイヤねーちゃんから、家族の話さ。一回でも聞いたことはある?」
*
「マリー、そこの消しゴムかけ終わった? 終わったらそれスキャンして取り込んで……ってどうしたの?」
「はうわっ! びっくりさせないでくださいよロットちゃん!」
「あーもーよだれー……あんたやっぱ疲れてるでしょ? 今日は徹夜に付き合わなくて良いから先に寝なさい」
「……すみません。何かあったら起こしてください。ごめんなさいロットちゃん」
机で寝落ちしていた私を労るロットちゃん。その優しさが胸を刺す。
(これ、どういうこと……なんでしょうか?)
仕事をしつつ契約の本を見ていた私は、ロットちゃんにはまずい展開と知り、本に被さり寝た振りをしたのだ。
(咄嗟に持って来ちゃいました……)
布団に丸まり、私はそっと本を開いた。コントさんとレー君も就寝時間。絵面だけならロットちゃんにも教えてあげたい良い雰囲気。しかし彼らの会話は緊迫している。その内容はやがて、ロットちゃんの秘密に迫り出す。
(ロットちゃんが話したくないこと……私が勝手に知っていいはずがない。でも……だけど)
もっと知りたい。貴女のことが。どうして私なんかに優しくしてくれたの? どうして私を見限らずにいてくれたの? 不安なんだ。私にはそんな資格がないから。
(ロットちゃんの目……)
私の師匠と同じ目。いつかロットちゃんもあんな風に狂人になってしまうのだろうか? それなら戦って欲しくない。魔法を使って欲しくない。ロットちゃんは嫌だろうけど、ロットちゃんは此方の世界で生きていた方がずっと健康に長生きできる。
(駄目……本当に疲れてるんだ。こんな馬鹿なこと考えるなんて)
禁忌に触れて、二人で罪を犯したら。魔法を使えなくなって、使命もなくして……ああ馬鹿げている。本当に。どんなにロットちゃんが大事でも、私も一緒に幸せになんてなっちゃいけない。それは私だけの幸せなんだ。ロットちゃんの本当の望みを、私は知らないのだから。
誘惑を振り切るよう、本を閉じ……瞼の支配を手渡した。
*
あの女の家族構成。レインに話題を振られるまで、気にしたこともなかった。いつもあいつのペースに振り回されて、口論では俺が負ける。状況によっては俺やマリーが奴を折れさせることも出来たが、核心に迫ること……奴の個人情報について俺達は何も知らない。精々知っていることは、はた迷惑な趣味を保つ黒魔術性悪魔法使いオーク召喚師。金に五月蠅く意地汚いが、意外にも友情を重んじる義理堅い女。そう、その程度なのだ。
「俺達みんなそれぞれ色々抱えてただろ? 詳細は話せなくてもぼんやりとは知ってる。でも魔女のねーちゃんだけは、それを言ったことがないんだ」
あいつのことを詮索せずとも信頼していた。俺達は皆。皆それなりに……奴に振り回され多大な迷惑を被って来たが、それに勝る好意をあいつはパーティに寄せていた。
「…………確かに。俺はあいつが何故勇者になったか。その理由も知らないな。聞いたところで金のためだと返って来るのが目に見える」
「ねーちゃん、言う程金好きじゃないよな。本当のケチは人のために使ったりしないもん。ある程度稼いだらパーティに還元してくれるだろ? それも先行投資だとか誤魔化すけどさ」
此方の事情に深入りしない。俺達が触れられたくないことに首を突っ込まない。故に俺達も奴の背景を何も知らずに過ごしていた。聞けば話さなければいけない。話せないから聞かない。聞けなかったのだ。それが状況の変化により、キャロット以外のメンバーの秘密が明るみに出始め……奴だけが未だに謎のまま。
「俺と魔女のねーちゃんは程良い距離感があったわけだけど。俺も段々さ。前よりねーちゃんのことが好きになったんだ。仲間として信頼が増したって言うのかな。だからこれまで何とも思わなかったことが、今になって気になり始めた」
レインもキャロットも、互いに対してグイグイ押して行くことはない。パーティ内で一番大人な関係? ビジネスパートナー? そんなさばさばした付き合いの二人が仲間として親しくなるにつれ、見えて来た物があるらしい。
「多分……ねーちゃんのルーツは赤領国だと思う。綺麗に明るい赤だから……元々は《魔違病者》か《水晶病者》だと思うんだよなぁ」
ここに来て、新しい単語が飛び出しす始末。俺自身魔法はあまり使えなくとも教養程度の知識はある。それでも初めて耳にする。その言葉自体、領国外の概念なのか?
「魔違病に水晶病……それはどういうものなんだ?」
「魔に通じる魔法は使えば使うほど魔に魅入られて、その証に目がどんどん赤くなる《赤眼化》。それは誰でも知ってる常識らしいじゃん? 俺は知らなかったけど。えっと……だからこれもさっき読んだんだけど、闇系の魔法職は退職が早いらしくて。ねーちゃんがその後の人生設計をしてるのもそういうこと。自分が自分で在る内に、引退しないと魔職はやばい」
眼が赤くなる弊害。己の目を魔物に明け渡す、支配されることにも繋がる。闇の魔法は強力だが、狂気に落ちて魔の手先になる者も現れた。その者自身が魔物と認定され、ダンジョンに封印された事例もあるだろう。
闇の魔法の副作用……その後、召喚魔法が強さの代名詞として普及した理由に繋がる。契約次第で魔の汚染を防ぎ、力を酷使することも可能であるから。
「《魔違病者》は、呪いか神様の悪戯か……魔物の身体の一部を持って生まれてしまうこと。それが目に出る症状もある。《水晶病者》は、透明な目を持って生まれること。ミストテイカーは普通の同族より強い魔力を持ってて……クラルハイターは、何にも無いから……ダンジョンと同じように使われる。体を魔物の檻に……された人。封印することで目の色が変わるんだ。それで魔物の属性によっては赤くなる場合もあって……」
どちらにせよ、体の一部に魔が巣くった人間ということらしい。キャロットはそのどちらかだろうとレインは言うが……
「レイン……何故お前がそんなことを? 随分と詳しいじゃないか」
「あ、言ってなかった? 寝付けなくて読んでみたロアの日記……あれで知ったんだ。俺の親父がミストテイカーで、お袋がクラルハイターだったんだって」
レインのご両親は、それぞれ壮絶な身の上のよう。そんな二人が結ばれてハッピーエンドだったというのに、命を落としたのがあんな胸糞悪い事件だとは心が痛む。せめてその二人の宝であるレインだけは、不幸になって欲しくない。心の底からそう思う。俺のような人間が……こんな風にずっと、彼を傍に置いていてはいけないのだと。
「ロアがあの日記帳で魔女のねーちゃんに目を付けたのって、偶然じゃないんだと思う。もしかしてのもしかして、なんだけど……アリュエットの誤解って誤解じゃないのかも」
俺がレインとの別離に苦悩する中、当の本人は真面目な顔でシリアスモードを脱却していた。
「な、何を言ってるんだレイン?」
「ロア、剣だけじゃなくて……その、にーちゃんの恋敵になるかもしれない」
「……………………はい?」
「ダイヤねーちゃん、かーさんと同じ……《水晶病者》かもしんない」
貰った日記から出て来たという写真をレインが俺へと突き付ける。レイン似女性の写真の他に、あった女性の写真は……キャロットの物だけだった。




