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9:精神分離と異世界転生

「あっちは何やら色々話がでかくなってきたわね。これは目が離せないわ」

「そうですね。ところでロットちゃん……原稿の方は」


 本の向こうが一段落したところで、私はロットちゃんに聞いてみた。私のかけ声により、彼女は机に突っ伏し痙攣している。


「ぐぅうう……言うようになったわね、マリー……」

「早く終わらせないと向こう帰れないじゃないですか。何かヒントは見つかりました?」

「げ、原稿は二の次よ。原稿と名声は落とせても、あんたを落とすわけにはいかないじゃない。奴さんが尻尾出すまで不安だし、原稿関係ないしそんな簡単には帰れないわよ」


 言い訳じみて聞こえるが、それもわざとなのだろう。もっともらしい理由で……いやそれも事実なのだろう理由で彼女は私を連れ出した。ロットちゃんは腐術での不意打ちを得意とする魔法使い。正々堂々では勝てない格上と戦うために編み出した戦闘スタイル。


「ええ、解っています。でも、だからこそなんです」


 ロットちゃんは不安なんですよね。残してきた二人じゃない。私でもない。ロットちゃん自身のことが。今の腐術で、私を狙うような相手と戦えるか不安なのだ。かつて彼女が戦ったのは、自身の命を狙う者達。今回狙われているのか彼女ではなく仲間……頼りないこの私なのだから。


(自分自身は何とかなっても、私は駄目だと思ってる。だから万が一、私が窮地に陥っても一人でも戦えるように……私に腐術を学ばせようとした)


 彼方に帰るためには、私とロットちゃんがそれぞれ強くならなきゃいけない。


「魔法は心の強さだってロットちゃん、言いましたよね。試練を越えて本を仕上げること、それって多分私達の心を鍛えてくれることなんです。簡単には行かないと思います。それでもあのロットちゃんが師と認めた方からの試練なのでしょう? 何の意味も無い無理難題とは思いません」

「それは……まぁ、そう…………なんだけどなんかその、行き詰まっちゃって。やらなきゃって思えば思うほど、何描いてもつまらないような気がしてくるのよ」


 ロットちゃんの言葉はどうにも歯切れが悪い。


「くっそーコントのバカー!! ネタ寄越せー!! なんであんな一つ屋根の下に野郎共しかいないのに何も起こらないはずもないのに起こらないのよどちくしょう」


 十分色々あった風に思うのだけれど、ロットちゃん的には何もなかった範疇らしい。


「せめてキスの一つくらいしろー!! 私だって前作で結構キスくらいしてやったってのにサービス精神のない野郎共ね!!」

「あ、あはは……アデルさんがレー君にキスしてましたけど」

「手の甲はノーカン!!」


 彼方側が真面目な話になって来て、ロットちゃんは欲求不満気味。よく考えると、私の命が狙われていたりコントさんの貞操が狙われていたりするのにこのテンションなのだから……修羅場徹夜テンションとは恐ろしい。


「なんかさ」

「はい」

「あんなに変わらないと思わなかったのよ」

「変わらない……ですか?」


 やがてロットちゃんが吐き出した、弱音めいた言葉。私にだけ彼女が教えてくれること。


「コントの奴さ、女になったら色々さ……マリスへの気持ちとか変わると思ったんだけど」

「変わって欲しかったんですか?」

「さぁね。唯あいつはあれで誠実だから……嘘を一つ吐く分、他の所で嘘をつけなくなるはずなのよ。同時に何個も器用に嘘吐けるような奴じゃないし」


 信用されているのかいないのか。しているのかいないのか。ロットちゃんとコントさん……二人の関係は簡単そうに見え、本当は複雑なのだ。ある側面では誰よりの理解者なのに、どうしてかすれ違ってばかり。


「あいつ何でも思ったこと口にするし、顔に出るし嘘が吐けない奴よね。でもマリスには過去の負い目引け目で言えない言葉が多いのよ。そういうの見てて苛々するし、ちゃんと言いたいこと言ったなら、もうちょいマシな関係になれるでしょあいつら。なのにコントの馬鹿、呪われても馬鹿のままなのよ。マリスへの気持ちって、男の時から何にも変わってないの」

「それって尊くないですか? なんだか憧れます」

「それもそうだけど! なんかマリスの方だけ純情少年下心添えな反応されて、良心の呵責と性癖の天秤が私の心を苛むのよマリー!! 美味しい展開あってもこれ、本当にネタにしちゃっていいのかなって!」


 コントさんのことを、オークレスリングに放り投げて置いて今更この人は何を言っているのだろう。コントさんは良くて、兄様は駄目? 兄様にこそ酷い目に遭わされたのだから色々やってしまえば良いのに。ロットちゃんの心を蝕んでいるのは、あろうことか兄様の方だとは。


「マリスの阿呆があんなにベタ惚れすると思わなかったのよ……元々ベタ惚れだと思ってたから衝撃展開なのよ…………今コントの正体あいつに知られたら、私達全員あいつに殺される未来しか見えない」


 ああ、そういうことか。迷いない殺意なら、絆されやすいコントさんより圧倒的に兄様だ。良心の呵責より、ロットちゃんは殺意を感じている。それにしたって、コントさんは一度……私達も一度兄様を撃退してるのだから、そんなに怖がらなくても良いのに。

 毛布を被りガタガタ震えだした彼女に寄り添って、落ち着かせようと努力した。


「大丈夫ですよ、私が傍に居ますから」


 兄様なんかにもう負けない。私がはっきり言い切ると、彼女が毛布の中から顔を出す。蓑虫みたいで可愛い。


「…………あのね」


 悩みの種は他にもあるのか。ロットちゃんはか細い声でポツリポツリと話し始めた。


「ネタは閃いたしプロットも固まって来ているのよ。私が悩んでいるのはオチなのよ、マリー……」

「オチ君?」

「ではなく話の結末の方。今回のジャンルはね、男女どちらにも好きな層がそれなりにいる特殊なジャンルなの。だけど結末の好みって、個人差はあれど方向性として結構性差あるもなのよ。絵が好みなら話好きじゃなくても読んでくれたりもあるけどさ」

「つまり……」

「どんな結末のどんな話を書いても、一定数敵が増える。裏切られたーって思う人が出て来るのよ」

「それなら別名義でそれぞれ描いたらよくありません? 画風もちょっと変えて」

「それだわマリー!! あんた天才ね!!」

「あの、私何も言ってませんけど……」


 名案登場! 素晴らしいわとロットちゃんが手を握ったのは、私ではなかった。掴んだ手の持ち主を、彼女が寝不足眼で観察して奇声を発し退いた。


「あ、盛り上がっている所済みません。ノックしても返事がなかったので勝手に上がっちゃいました」


 長い黒髪に黒目……この世界の住人なのだろう。何処か陰のある微笑を浮かべた女性の姿。小柄な姿から、年齢はよく分からない。声とテンションは高く、仕草も可愛らしいためか……外見だけなら少女に見えるのだが、すれた大人の表情のため見ようによっては大人にも見える。


「ご挨拶がまだでしたよね? 私、隣室の者で、A子先輩の代わりに入った新入りアシスタントのM花こと早乙女 梦華(ムゥカ)です、初めまして! あのダイヤ先輩が戻られたなんて、感激です!」

「あ、それはご丁寧にありがとう、ございます」


 発するオーラは明らかに闇属性。しかしながら社交性は高い謎の少女? 早乙女さん。勢いのある訪問者によって、ロットちゃんが壁際まで追いやられている。私はどうするべきか狼狽えていた。


「私、隣の部屋を借りてるんです。先生の原稿も仕上がって、しばらく暇しているので先輩のお手伝いが出来たらなってお邪魔しに来ました」

「気持ちは本当に嬉しいんだけど、今回はとても私的な本のことなの。原稿に集中したくて缶詰のため、先生のご厚意に甘えちゃっているだけで……アシスタントさんにそんなことまでさせられないわ。お引き取り下さい」


 ノーと言えるロットちゃん。格好いい! 格好いいです!! けれども早乙女さんは諦めない。


「先程外食されていたでしょう? 炊事洗濯は私がやりますから、先輩は原稿に集中なさって下さい」

「いや本当にそんなこと、初対面の人にさせられないの。ごめんなさい」

「私、腐川先生の作風が変わってからファンになって。アシスタントに入ってから知ったんです。それはダイヤ先輩のおかげだって!! だから私、ダイヤ先生のファンでもあるんです!!」


 有無を言わさぬ暗いオーラの迫力と、キラキラと輝く少女? の瞳。光闇の二属性精神攻撃にロットちゃんは劣勢だ。慌てて私がフォローに入る。


「ロットちゃんの身の回りのお世話は私がやるので大丈夫ですよ、ね? ロットちゃん」

「え、ええそうなの。昔からの相方にヘルプ頼んだから大丈夫なのよ。本当、気持ちはとっても嬉しかったわ。ありがとうね早乙女さん」

「……そうですか。無理を言ってすみません。私、迷惑でしたよね」

「いや、あの……うん」

「やっぱり迷惑でしたか。私、駄目ですね。死んじゃった方が良いですよね。私のお手伝いなんてこの世の誰も必要としていないんですね解りますw……」


 ロットちゃん正直! でも相手が上手です。早乙女さんは悲しみの余り今にも自殺を死そうな悲壮感を漂わせている。根は悪人ではないロットちゃんには荷が重い? 見る見る内に彼女の顔が青冷める。


「えっと……自分たちで出来るとは思うんだけど、確かに食事は疎かになりがちだし…………たまにね? 作り過ぎちゃったおかずとか、そういうの……あの、お裾分けとか……頂けたら、とっても助かるなー……なんて。ほら、マリーって外国出身だからさ、味付けとか結構違かったりするわけよ」


 私のような外見の人を街では見かけなかった。なるほど、イケブクロ国には私に似た人種がいないのか。


「そうなんですか? 嬉しいです……また後でお邪魔しますね、ふふふ」


 ロットちゃんの言葉で持ち直した早乙女さん。可愛らしく不気味に笑い、ようやく退室してくれた。ロットちゃんは音を立てないよう素早く施錠をし、防音魔法を室内に展開。


「なんか……女版マリスみたいなのが来た…………怖い…………地雷臭がプンプンするわ。やべーわあれ……何で…………私別にあの人に何もしてないのに」

「人を呪わば穴二つって言いますからね」


 上手いことを言ったつもりはないのだけれども、振り向くロットちゃんは涙目だ。「ファンだぞ、喜べよ」なんて冗談でも言える雰囲気ではない。


「マリー、早く原稿仕上げて帰りましょう! ここも安住の地、終の棲家ではなくなったわ」


 私達が間借りしているのは、腐川先生宅の一室。早乙女さんは、先生のアシスタント。家には自由に出入りが出来る。私達の部屋は幸い鍵が付いてはいるが……扉一枚隔てた向こうまで、彼女は自由にやって来る。


「先生、そんなに人手不足だったのかしら。それとも腕は良いのかしら……なんであんな危なそうなの雇っちゃったの。いや、怪しいのは面白いって言う所あるけど先生は。だから怪しすぎる私なんか保護してくれたわけだし」

「ロットちゃんがアシスタントに入ってから、そんなに先生の作風変わったんですか?」

「ファンタジー路線に移行したのは事実ね。私から受けるインスピレーションとか、契約のあれこれでこれまでとは違うネタが降って来たんでしょう。私が推測するにあの地雷女は、多分あれよ。街で見たあれよ。あの、異世界転生とやらをしたい阿呆よ」

「は、はぁ……なるほど。だからあんなに死にたがりなんですね」

「多分どうしようもない妄想クソ女よあいつ。そのクソ妄想と不幸なことに私の秘密が重なったと見て間違いないわ。私を見る目、目的のための手段っていうか、便利な物を見るような目だったわ」


 持論を力説するロットちゃん。それこそ被害妄想じみているが、私が否定する理由は特にない。


「あの女、私が魔法使いなのを妄想で察知しているわ。何の証拠もないのに妄想がそれを補っていて確信に至っているのよ」

「…………妄想って怖いですね」

「以前は気付かなかったけど、やばいわねこの世界。レイン絶対この世界に連れて来られないわ。十中八九、尻が使い物にならなくなるわ、排泄機能まともに機能しなくなるレベルで」

「少年好きの犯罪者予備軍全部消しちゃ駄目ですかねロットちゃん」

「うん、駄目ね」


 私の決意を一蹴し、ロットちゃんが脱線した話を正す。


「とにかく、あいつの前で私達がボロを出すわけにはいかないわ。異界条約の最大禁忌に触れる恐れがあるから」

「最大禁忌……」


 召喚魔法には制限が掛けられている。違法にその制限を破った者が、ダンジョン封印されたような魔物達を世界に留まらせたために。

 魔法を扱えない無害な腐川さんでさえ、一時的に召喚することしか出来ないことからも明らかなように……異界の存在を永続的に存続させることは禁忌である。オチ君の常時召喚は、同一世界に存在するからこそ許される芸当。


「最大禁忌に触れたら最後、私達は魔法を使えなくなる。……あっちに二度と帰ることも出来なくなるわ」


 【異界条約・最大禁忌】とは、異界の住人を別の世界に持ち込むこと。俗に言う“異世界行きたがり”なはた迷惑人々を、ゲート移動で移動させてしまうことだ。異物が入り込んだ時点で、移動魔法は失敗し元の世界に帰れるかも非常に怪しい。運良く帰還できても、その罪を問われ魔力と記憶を失った状態で訪問先の異界に落とされる。慣れない過酷な環境で、無力な存在として命を終えなければならない。魔法を知る者にとって、それは死よりも恐ろしい罪。

 召喚魔法を扱えない私には、他人事であった異界条約。こうして淡々と語られることで、私も早乙女危機を肌で感じるようになる。


「あのさ、私がどういう人間かあんたはよく知ってるでしょ? その私が異界ではひっそりと生息していたのを見て解るわよね? 先生とは契約したから少し事情が異なるけど、基本的に私達は異界で目立っちゃいけないし、双方とも精神的なこと以外で利することがあってもならないの。持ち帰れるのは、己が為したことに見合う報酬だけ」


 自身の知識、技を使い別の世界で成功すること。異物である存在が身勝手な行動を行えば、その世界は歪んでしまう。私利私欲のために異界を用いてはならない。これが異界条約の根底にある。


「あーもう! 馬鹿言ってんじゃないわ、あんなクソ異物。万が一でも何処かの世界に移動したらああ言う奴が魔王になりかねないわ本当に」

「契約者以外に知られてはならないって、そういうことだったんですね」


 此方の妄想がどの程度当たっているかはまず置いて。それでも警戒するに越したことはない。気を引き締めて、私達は原稿に向き直る。


「マリー、書き直したプロットちょっと読んでみてくれる?」

「解りました、読ませて頂きます!」


 私が原稿を手にした刹那、ドンドンと部屋の扉が殴打され……彼女の名を叫ぶ者が現れた。


「ダイヤ先輩、ダイヤ様! いいえ、ダイヤお姉様!!」

「(帰って来るの早ぇえ!! しかも心理的距離詰めて来やがった!!)」

「お風呂が沸きましたので、気分転換に如何ですか? ネタに困ったときのリフレッシュに良いかと。香りの良い、肌にも良い入浴剤が手に入ったので是非」

「へ、へぇ。それは楽しみね。でも先生に一番風呂に入って貰わなきゃ」

「ああ、それはご心配なく。先生が上がられた後に掃除をし、また湯を張り直しました」

「(あんた人様ん家の水道代なんだと思ってんの。しかも先生が汚れているみたいな扱い失礼過ぎんわよ!)そ、そう。それじゃあ折角だし私から行って来ようかしら」


 ロットちゃんの心の声が私には手に取るように伝わってくる。


「(マリー、私達の根城防衛は任せたわよ!)」

「(はい、ロットちゃん!)」


 彼女からの目配せに、私はコクリと頷いてロットちゃんを送り出す。不在時に侵入されても困ると、ロットちゃんは私を部屋に残したかったのだ。任せて下さいと胸を張ったところで……侵入者が現れないことに気が付いた。早乙女さんはロットちゃんを追いかけていったのだ。遠離る二つの足音と「背中を流させて下さいお姉様」などという明るい声が廊下に響いていた。


「えっと……」


 これはこれで不味いのでは。私はここから離れられないし、無防備なロットちゃんが不審者に質問責めにされるのではないか? 良くない想像してしまう。


(あの人……最初からそれが狙いで?)


 魔法を知らない異界人に、魔法と気付かれるような魔法は使えない。窮地に陥ってもロットちゃんは持ち前の話術だけで乗り切らなければならない。大丈夫なのだろうか? 不安に襲われた私は、室内を改める。勿論施錠はしていたが、外出した際に侵入された恐れがあった。少しでも変わったところがないか、徹底的に確認しなければならないだろう。


「マリー様!」

「ひっ!」


 扉に背を向けたところで、コンコンと響いた音と彼女の声。恐る恐る声を掛けると何のことはない、私への挨拶を忘れていたということだった。


「私、マリー様とも仲良くなりたいんです。これからよろしくお願いしますね! 私料理は得意なんです、リクエストがあったら何でも仰って下さいね」

「は、はい……ありがとうございます」


 扉の隙間から私が軽く会釈をすると、早乙女さんは上機嫌で走り去る。逃げたロットちゃんを追うためだ。ロットちゃんは、物を見るような目と言ったが……彼女の瞳は獲物を狙うハンターの目のようだ。私に向けられた視線は、好意的ではあったのだ。ハンターと言っても獲物を食い殺すのではなく……罠を仕掛けるような? 生かして捕らえようとするかのように、餌付けをしようと此方の隙を窺っている。


(私達が滞在して数日が過ぎている。彼女もここで寝泊まりをしていたはずなのに……急に近付いて来たのが妙です)


 挨拶ならば別のタイミングでも可能だったと思われる。私達の不在時に、早乙女さんは何かを知ってしまった? 要注意人物だ。一言二言交わしただけで、私より彼女の方が籠絡しやすいと看破した、見抜く力も持っている。


(……ここは発想を切り替えましょう)


 恐らくあの女は、私やロットちゃんがこの異界人とは違う存在だという決定的な証拠を掴みたい。そのために身体を調べるために風呂へと誘った。彼女はどうにか突破し浴室まで侵入しようとするだろう。必要とあればまた自殺を仄めかし……。

(そこも妙です。ロットちゃんは優しいけど……みんなにそうしていたら身体が持たない。普段のロットちゃんなら見ず知らずの人なら、勝手にしなさいって見捨てそうなものなのに)


 ロットちゃんは高飛車に見え、自己評価が低い。いや、冷静に自分を客観視出来ている。彼女自身、Twin Beloteには及ばない有り触れた魔法職だと自認している。彼女の行動原理はその前提により成り立っているのだ。それなのに、恩人の弟子だから……? 初対面の人間の顔色を窺うなんて、どうにも彼女らしかぬ行動。私にまだ、何かを隠している?


「…………あれを、使うしかないですね」



「ダイヤお姉様は綺麗な髪色ですね、黒なのに……光の角度でダークレッドにも見えて。どうやって染めているんですか? 私も同じ色に染めようかなぁ。トリートメントは何処の使ってます?」

「…………」

「それに瞳もあまり見かけません。カラコンのクオリティが高すぎます! 何処で買ったんですか? それともダイヤお姉様も、外国の方? もしかしてハーフ?! 凄いですねご出身はどちらなんですか?」

「……あのさ、早乙女さん。原稿で疲れてるからあんまりガンガン喋らないで欲しいんだけど」


 さらば我が安息の地、第二の故郷……異界イケブクロ。こんな魔物のような妖怪じみた女がいるなんて。競歩で脱衣所まで向かったのに、施錠をした扉をこの女が叩き続け……無視をするとそのまま扉の前で手首を切り始める勢いだった。変な遺書でも残されたら大事になる。先生には迷惑を掛けられないし、私自身異界ではイレギュラーな存在だ。戸籍や身分証明書なんてないのだから。渋々鍵を外すと、スライムのように室内に入り込む魔物もとい早乙女さん。


「あと、人のプライバシーを聞いてくるのは失礼よ」

「わかりました、この場で死にます」

「風呂掃除大変だからやめて」


 剃刀を手に手首を見せて来る魔物。女版マリスと言ったが、まだマリスの方が可愛く思えて来るのは何故だろう。私に実害が迫っているからなのか。


(まぁこっちは女だし、コントの阿呆みたいに貞操狙われてないだけマシだけど。私も魔妃の防具とか欲しいくらいだわ)

「ではせめてものお詫びに、お背中流させて下さい」


 どさくさに紛れてこいつ胸でも触るつもりじゃないでしょうね。警戒しつつ背を向けると、思いのほか心地良い刺激。ボディブラシの強さも加減も丁度良い。


「私、ダイヤ様が憧れなんです。腐川先生の新作のヒロインが、先輩にそっくりで」

「え……? 先生そんな新作描いてたの?」

「『不食のダイヤ』まだ読んでませんか? 箒タクシーをしている美食家の魔女ダイヤ・グラムが、ご飯食べようとするところで依頼が舞い込み、いつも食いっぱぐれるって言う……グルメ漫画×魔法×人情ファンタジーで今密かに人気急上昇中なんですよ」


 私と目を合わせないことで、彼女はより饒舌になる。鏡越しに観察した顔は、嘘を語っている風には見えない。


「へぇ……それ聞いた限りではクソつまんなそうだから、きっと面白いのよね。つまんなそうなあらすじ、タイトルでそれでも面白いと思わせるのがプロだもの」

「解って頂けますか!? そうなんです!! ダイヤへの依頼は時代や世界を越えて届くので、終電を逃して泣いている学生を助けたり、死の前に愛する人にもう一度会いたい……そんな歴史上の人物に一時の夢を見せたりと、心が温まるんです」

「そんな過労死しそうな女の何処に憧れるのか解らないけど」

「ふふふふふ、それは私もそう思います。唯、実物を見た時、これだって思ったんです」

「……?」

「私がダイヤみたいになれるよう、ダイヤお姉様から色々お話を聞きたいなって。ご迷惑でしたか?」

「いや……まぁ、そこまででもないけど。先生に聞いた方が早くない? あくまで話を考えているのは先生なんだから、一部私がモデルみたいなキャラクターが出て来ても、それは完全にフィクションよ」

「次は御髪を失礼します。このトリートメントすごく指通りが良くてキューティクルがですね」

「聞いちゃいねー……」


 危険な側面もあるが、何かに憧れるくらいの純粋さは持ち合わせている? 好きな物を語る彼女は普通の女の子に見えた。深入りされないよう、時間を見つけ適当な嘘で話に付き合うべきか。どうしたものかと悩む私の傍らで、彼女は私の髪を愛おしそうに触れていた。


「マリー……?」


 脱衣所に持っていった着替えがなく(犯人は当然早乙女さんだろう)、新品だという彼女の趣味のフリフリ寝間着や下着を押しつけられ、似合わない着飾りをした私が部屋に戻ると、正座姿でマリーは蒼白の面持ちでいた。


「原稿チェック終わりました。八割方あれでいけます。っていうか早く仕上げましょう帰りましょうあの人とんでもなくヤバイ人です」


 私が施錠した後で、室内の防音魔法が効いていることを確認した途端、堰を切ったようにマリーが喋る。


「それはまぁ、身に染みて解っているけど……何かあったの?」


 私の問いかけに、マリーは涙目でコクコクと頷いた。


「皆には教えていなかった、私の二枚目の切り札なんですけれども……《精神分離》で彼女の部屋を覗いてみました」



 白魔法の極意の一つ、禁術とも呼ばれる《精神分離》。身体から精神を切り離し、自在に移動する魔法。身体が拘束された後も自在に味方の回復が可能という、それはとても便利な魔法で、心が強い者ならば……肉体の死が精神の死に直結せず、魔力を使い切るまでは死後も同様に戦うことが出来る。なんなら死体を乗り継いで、或いは同様に《精神分離》で抜け殻となった肉体を奪い、戦い続けることも不可能ではない。

 命を賭して戦えと、魔の封印を任じられた私にとって、長く戦い続けられる《精神分離》は一つの強み。そんな凄い魔法であるのに何故一般的には禁止されているかと言うと、精神不在となった高貴な者の肉体に魔物の精神体が入り込み、国を惑わせた例があるためだ。


「精神分離……!? あ、あんたそんな幻の技を……よくもまぁ。やっぱりお姫様は格が違うわ…………」

「いえ、そんな凄いことじゃないです。基本的には禁術ですから。私の身の上だから許されているだけで……」


 私の告白に、ロットちゃんは恐れ戦く。それは私の血筋による魔術の血統だと誤解されているが、事実は異なる。

 奇しくも私は、師匠に何度も殺されかける内……《精神分離》を会得してしまった。いや、私が白の魔女の元に送り込まれたのは……《精神分離》を会得せよとの城の思惑があったのか。


「……あんたが怖がらずに《神の子羊(サクリファイサー)》使えるのって、《精神分離》をマスターしていたからなのね」


 捨て身ならではの強みだと、悲しそうにロットちゃんが言う。そんな彼女を見るのは辛かったが、否定する言葉が私にはなかった。


「この異界には魔物も魔法も存在しない。だから使っても大丈夫、そんな打算はありました……精神分離も成功し、私はここに居ながら情報を得られました」


 魔法の才能が無い人間に、精神体は見えない。両隣の部屋にまず飛ぶと、何の変哲も無い飽き部屋。一方は資料の本置き場、もう一報はアシスタントの仮眠室。原稿に追われる私達の隣室に人が居れば、気が散るだろうとの配慮がなされている。それなら隣とは向かいの部屋のことか? 精神体で向かいの部屋に入ってみると、その場所こそが正解だった。

 あの場所で見たこと全てをロットちゃんに告げるのは、なかなか勇気が要ることだった。


「あの人が、ロットちゃんに憧れているのは……その、本当みたいです」

「らしいわね。それは風呂場でも感じたわよ。先生の新作の主人公のモデルが私らしくて、その子が好きなんだって」

「そんなんじゃありません。ロットちゃんの推測は……もっと悪い意味で当たってたんです。その、……異世界物っていうのが流行っているのは本当みたいなんですが、その中の一つに……一見悪役っぽい主人公が~っていうジャンルが幾つかあるようで」

「あーあるわねー……」

「それです」

「え?」

「早乙女さんは、……ロットちゃんに転生するつもりなんです」

「えっと、前世でみた作品の悪役に転生しちゃって死亡フラグ回避してたらなんかモテまくった系の悪役令嬢系乙女ゲー的な異世界転生物……?」


 私の下手な説明に、ロットちゃんが専門用語で返してくれる。


「ですですそれです! この契約の本を彼女は見てしまったんです」


 それを目にした時の、衝撃を想像して欲しい。侵入したら私は私と目が合ったのだ。早乙女さんの画力自体は素晴らしく、私達を絵として表現出来ていた。だからこそ恐ろしい。彼女が描いた本の中で、私達が呼んでいる名前はロットちゃんの物では無くて……“ムゥカ”。彼女が名乗った名前を、ロットちゃんに捧げているのだ。私と仲良くなりたいというのは、転生後に親友ポジションとして色々支えてくれと言うことらしい。


「早乙女さんの部屋には……コントさん、レー君、兄様、ロアにちやほやされるロットちゃん的な絵や本が、これでもかってくらい飾られてたんですよ!!」

「何それおぞましい。何らかの呪いでそんなクソ煩わしい状況なったら私は世を儚なんで自害するわよ」


 基本は人間嫌いのロットちゃん。人に興味を持たれることが嫌いな彼女は、心底嫌そうな表情になる。私だって嫌だ。私のロットちゃんが、別の誰かに入れ替わってしまうだなんて。私の好きなロットちゃんは何処へ行ってしまうの? 第三者に、私達が過ごした時間全てを否定されるようで嫌。


「つまり何? あのクソアマは私をアバターとして見ているわけ? 冗談じゃないわよ。あんなべたべた私に触って来たのも、これが新しい自分の体なんだって思ってたわけでしょ?」


 自身を抱き締めながら、ロットちゃんは恐怖で奥歯をカタカタ鳴らした。別の世界に行きたい……を跳び越え、別の世界に生まれ直したいとは。深い。業が深すぎる。


「ガチでやべー奴来ちゃったじゃないの…………どんな化け物よあいつ。なんでもう生きている私に転生できると思うわけ?」

「彼女の本を読む限りだと……ロットちゃんが黒塗りの高級車に轢かれそうになった早乙女さんを庇って二人とも死んじゃうんですよね。ロットちゃんと心中すれば、世界とか時間とか跳び越えてロットちゃんに転生できると思ってるみたいです」

「思考回路がやばすぎる……私なんかよりマリーの方がヒロインっぽくて良いじゃない。可愛いし」

「ロットちゃん……」

「そこで赤くならないでよ…………」


 見ず知らずの相手に殺害計画を練られていたロットちゃん。前回は確執がある相手からの殺意だったが、今回の展開には流石の彼女も参ってしまっている。


「私だと抱えてる物が重いじゃないですか。しかも今の所バッドエンド直通っぽいですし」

「今時? の異界人はメンタルくそスライムだって先生も言ってたわねぇ……苦労せずモテてハピエンしたいって。失礼しちゃうわー私だって私なりに苦労してるのにさ。あいつ、マリスよりやばい……魔王の一部とかなんじゃないの?」

「あはははは……怖いですねー」

「こうしちゃいられないわ。マリー、死ぬ気で仕上げるわよ。最悪ネトゲ廃人的排泄方針も辞さない」



 【異界条約】――……それは、魔法こそが最も優れた技術であり、我々の文明が最高の物だと言う前提で取り決められた約束事である。言うなれば哀れみだ。魔法文明も持たない哀れな世界の住人、彼らの持った文明を慈しみ保護しようという上から目線の哀れみなのだ。けれども条約の裏そこに渦巻く思惑について、多くの人は気にも留めない。魔法……所謂人智を超えた力に手を伸ばす者は、総じて身勝手な生き物。


「このとっても可愛くて有能でお嫁さんにするならNo.1のミザリーちゃんにも捕捉出来ないとなると、あのクソアマ共は異界に行ってる可能性が高いですの」

「召喚ゲート跡の解析は出来そうか?」


 召喚魔法というと己の前科のため頭が痛くなる話題だ。口にするのも気が引ける。回復や攻撃魔法は私にも覚えがあるが、潜在的な魔力量は多くないため、一度に大量の魔力が必要となる召喚魔法は得意ではない。魔法痕の解析もミザリーに任せた方が正確で早い。私の問いに、彼女は苛立ちながらも答えを返す。


「あの女、無い知恵絞って考えやがったようですわアリュエット。異界へ飛ぶ前に何十箇所も移動をして、完璧な追跡が出来ないようにしてやがります」


 自室から直通で飛んだなら追跡は容易い。しかし此方の世界でまず十数カ所移動をし、そこからいくつかの異界を経由して目的地へと向かったらしい。その一つ一つを辿れば彼女の所まで辿り着けるがここまで用意周到なのだ。何か理由があるのだろう。


「経由地として選ばれた異界は危険な場所である可能性が高い。追跡は断念するのが賢明だな」

「ちっ、残念ですがそういうことですわ」

「これだけ無茶なやり方なら、魔力も枯渇するだろう。しばらく召喚ゲートを開くこともままならない。簡単には帰って来ないと見るべきか、それが判明しただけでも十分だ」


 ダイヤ達が消えてから、突如現れた謎の女。ダイヤ達の失踪にも一枚噛んでいるのでは? 何か事情を聞けないか? そう思ったが甘かった。厄介事に巻き込まれがちなあいつのことだ。何かの事件が関わっているのなら、罪滅ぼしも兼ねて力になりたいところだが……本人がここまで隠すのだ。無理に関われば迷惑になろう。今は自分たちの問題に専念すべしと私は頷く。


「……それにしても、凄い無駄遣いですの。結構貴重品でお高いのに」


 室内に積み上げられたそれを見て、ミザリーは呆れと感嘆の言葉を漏らす。


「我が家の家計には全く響かん。問題ない」


 近隣諸国から我がキャヴァリエレ家の財力とコネを持ってして買い集めた、この薬品! そして今期の原材料も収穫させた。むこう一年は性転換秘薬を作ることは不可能。我々以外は何人たりとも! 如何にマリスと言えど、惚れた女が男になれば百年の恋も冷めるだろう。

てつはあついうちにうて。ねたははやいうちにやれ。それいじょうでもいかでもありません。

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