072 考察
コカル達の乗る馬車は、ガルザバルト、バスカヴィル侯爵領へと向かっている。
積み荷は大量の覚醒剤と、生け捕りにされている魔物達と売り物にならない様な奴隷。馬車の数は八両、そしてそれを護る冒険者の人数は僅か十人足らずだ。
クロは、檻の中に閉じ込められているオークを鼻歌を口ずさみながら眺め、時折ツンツンとナイフで軽く刺していた。
上質な布団に倒れ込みながら、マナマナはぐでーっと呟く。
「休む間もなく仕事に放りだされるって……休みたいっす、めっちゃ休みたいっす」
「クグァルで十分休んだだろう」
コカルは、最近になってようやく文字を読む事ができるようになったので、退屈しのぎに読んでいた本から目線だけをコカルの方に向け、指摘した。
本のタイトルは『魔法の初歩』、魔法使いには教科書みたいなものなのだが、どうも専門用語が多すぎてコカルは理解できなかった。とはいえ、ひょっとすればそれはこの世界での一般常識かもしれないので、おいそれと訊ける訳では無い。
「遊び疲れを癒したいんすよー」
贅沢な話ではあるが、コカル達は本来それを許されるくらい金を儲けているのだ。
とはいえこの依頼を断れば、次の依頼を回してもらえないという可能性もある。金が尽きた際の事を考えれば、受けるのが最善ではあるのだ。まあコカルは釣りばかりしていたので、マナマナ達ほど疲れてはいないが。とはいえ確かに、長距離移動の疲れはある。
クロがつんつんとオークをつつくたびに、汚い叫び声が上がる。既にかなり、己の血で汚れているが、その都度クロが回復魔法で治療を施している。まるで拷問のようだが、拷問の方がまだ終わりがある分マシと言えよう。
クロのそれは、子供がバッタの足を全部もぎ取るようなものと似ていた。
「クロちゃーん、程ほどにするっすよー」
クロは、マナマナの言葉にこくりと頷いてから、またしても目的の無い拷問を行う。
満面の笑みでそれを行う様子はまさに異質ではあるが、コカルもマナマナも別に咎める事は無い。コカルもマナマナも前に殺した事があるし、そもそも基本は、他者が死のうが苦しもうがどうでもいいというスタンスだ。
流石にオークが死ぬのは、今回の依頼内容的に止めなければならないが。
「しっかし、何に使うんすかねー。魔物達なんて」
「恐らくだが──」
コカルは魔法の初歩を閉じてから、ぽつりと呟く。
「生物兵器でも作るるんじゃないか?」
「生物兵器、っすか?」
マナマナが布団から顔だけを上げ、コカルの言った単語をオウム返しする。まあコカルの顔は、マナマナ自身の胸で隠れて半分見えなかったが。
マナマナの口ぶりと、クロがオークから目を離しコカルに疑問の目線を送ってくる。
そして、いざ説明するとなるとあまり良い言葉が思い浮かんでこない。何よりわかりやすく説明するというのは、一番難しい事なのだ。
「……キメラやマンティコア、といった言葉に聞き覚えはあるか?」
「架空の魔物っすよね?」
コカルの確認に、マナマナが答える。
この世界でも架空として扱われているのか、とコカルは驚いた。とはいえそれも顔に出る事はないが。とはいえ、知っていたのなら説明は容易だ。
「キメラやマンティコアは、様々な動物の特徴を持っている。人の顔だったり蠍の毒だったり。それを仮に、人の手で作れるとしたらどうだ?」
「んなの無理に決まってるっすよ。そんなの、神でもない限り」
マナマナの言葉に、クロもうんうんと頷いていた。
道徳や倫理感というのは、宗教からの影響を受ける。もし無神論者だとしても、何らかの形で必ずや宗教と接触する筈だ。例えば教師や、店の主人、店員や知人といったものから。
以上の者に影響され人格は形成され、人の世界にルールが生まれる。稀にコカルのような、ルールから逸れた者もいるが、逸れたと自覚するにしてもまずは普通の論理感・価値観を知る。知らなければ、生きられないからだ。
そしてクロとマナマナもその例に漏れず、宗教の影響を、本人は無自覚だろうが受けていた。
「生物の遺伝子情報を書き換えれば人間でも可能だ」
生物は一つのコンピューターである。様々な情報が交差し、死滅し、再生を繰り返す事で動くコンピューターだ。そしてコンピューターを動かすにはプログラムが必要だ。プログラムが無ければ、PCもただの箱に過ぎない。
とはいえこの例えは、この世界では通じないだろう。故に簡潔に、簡素に応えたのだ。
しかしそれでも、マナマナには難しかったようで首を傾げている。クロに至っては目を回しそうだ。
「遺伝子情報……?」
「建物の設計みたいなものだ。生物というのは目に見えない塵のような物の集合体で、それらを形成している組織の総称……みたいなものだ」
コカルも実は、それほど詳しいという訳では無い。というより、昔ちょっと調べてすぐに飽きた口だ。故に単語一つや二つは知っているが、詳しく説明するとなるとどうしても力量不足になる。
そもそもその知識もネットに転がっていたものと、SF小説のものばかり。とても正確とは言えない。
「それらを書き換えれば、例えば私の腕を蜥蜴人のようにする事や、耳をエルフにする事だって可能だ」
「なるほど……つまりこいつらは、それの材料って事っすか」
カンッカンッ、と檻を蹴りながらマナマナが、自分の中で組み立てた結論を口に出した。檻の中でオークが威嚇するが、少々キツい口臭が漂ってくるだけで何の効果も無い。
材料、バスカヴィルが何をするつもりかはコカルも知らないが、どのような非人道的な実験を行うのか。神の逆鱗に触れるような事をしでかすのかの予測を述べただけだ。ひょっとしたら間違っているかもしれない。
魔物の踊り食いとか、生き血を飲むとか、そういう類の可能性も……まあ低いが、コカルの中にはあった。食人というのは相手の力を自らの物にするという宗教的な意味合いを持つのもある。あの時、オークの肉を喰らったのはそういう意味合いが強かった。となれば、強ちあり得ない話ではない。
とはいえ、それでは面白くないのだ。コカルは再び本を開き、そちらに目線を向けながら思った。
そしてそのページの一行を読み終えた瞬間、馬車が止まった。