007 迷子
コカルがゲッツェンペルス、という街で商人と別れて数十分、昼前の道の大通りでものの見事に迷っていた。
冒険者街、ゲッツェンペルス。土を踏み固めただけの地面に、石造りの建物。おおよそ自然というものが見受けられないここは、荒くれ共のたまり場。
当然そんなところで、見ず知らずの人に道を聞けるほどコカルのメンタルは強くない。殺すのならば問題は無いが、この街での法律を知らぬ間は下手にそんな事もできない。
何より、文字を読めないのに文字で名前を書かれてもわかる訳が無い。
都会では文字を読めるのは当たり前らしいが、田舎ではそうでもないのだ。
よって田舎娘丸出しに、背中にバッグを背負い、街の見取り図の前で佇んでいた。
「……文字が読めないというのは、やはり不便だな」
もし仮に、憑依したのが街の人間だった場合は読めたのだろうか? もし、たら、ればと、全くの無関係の仮定が浮かぶ。
そして、そこで考えるのをやめた。今となってはどうしようもないし、そもそも知識は前の世界のものと共有だし、計算やらは恐らく同じ。この世界で最初から持っている知識なんて、言語くらいだろう。数字にまだ触れていないので、どうとも言えないが。
「まずは換金だな」
バッグの中に入っている三日月刀。多少錆びてはいるが、売り払えば今日の宿代と食事代程度にはなるだろう。
元の世界でも屑鉄は売れた。であれば、三日月刀が売れない道理が無い。溶かせば再利用できるだろうし、研げばまだ使える。
その為にもまず、鍛冶屋を探さなければならない。辺りを見回してみると、様々な看板をかけられた店が目に移る。
瓶に入った液体が描かれた看板、草や木の枝が描かれた看板、様々な食べ物の描かれた看板、女性が描かれた看板等々。
しかし、そこに鍛冶屋らしき看板は見当たらない。
そして地図には当然の事ながら、看板なんて書いている筈もない。全部、全て文字だ。
「……こんな事なら、あの冒険者たちから文字を教えてもらうんだった」
後悔先に立たず、とはまさにこの事を意味するのかもしれない。
冒険者たちに頼んだ際は困った様子で辞退されたが、無理にでも頼んでおくべきだった。少なくとも、鍛冶屋とギルドの名前、それだけでも教えて貰えていたら、少しは状況は変わったやもしれん。
否、確実に変わっていただろう。事実、文字を全く知らないからこんな状況になっているのだ。
一応村長夫人からは、自分の名前だけは教えてもらった。だが、それだけ。たったそれだけ。
世界に興味あるというのに、街すら知れずに終わるのかもしれない。そんな薄ら寒い悪い考えが、頭をよぎる。
ふと、壁際で寝ている浮浪者を見る。
汚らしい恰好をした浮浪者。ボロボロの布としか見えない服を着て、生やし放題の髭。蠅が常に集っており、目に悪い。視界にも入れたくない。
もし自分があんなのになってしまうのであれば、即座に夢も諦めて田舎(というにはコカルの記憶には思い出が六日程度しかないが)に帰るのを選択するだろう。そこにプライドなんてものは存在しない。ただ、生きる為だけに。
見ると浮浪者は、文字の書かれた木の板を持っている。足は包帯を巻いてあり、膝の部分がすっぽりと無くなっていた。
冒険者の成れの果て、という事だろうか。とはいえ五体満足な浮浪者もいるのだから、そういうのもいたりするものなのだろう。
「さて、どうするかな」
このまま地図や浮浪者とにらめっこしていても何も始まらない。取りあえず腹が減ったので林檎を取り出し、齧る。
干し肉は夕食に使うのだ。旨味を凝縮させた肉と硬いパン、田舎者にとってこれ以上の贅沢は無い。とはいえ都会であれば、それ以上の贅沢もできるかもしれない。
当然、コカルのいた世界に比べれば質素だろう。だが、それでも構わない。むしろそれを楽しみにしている自分がいる。
とはいえその食事も、まずは文字を読む事からというのに回帰してしまう。
林檎を齧りながら地図とにらめっこをしていると、声をかけられた。
流石に邪魔になったのだろうか、と声のした方を向くと、そこには一人の女性が立っていた。
「もしかして新入りちゃん候補っすか?」
「貴女は……?」
林檎を齧っているコカルに声をかけてきたのは、ホットパンツに薄手の黒い布だけで胸を隠した、ふんわりとした茶色の長い髪の女性。
身長はコカルより顔一個分上だろうか。顔に横一直線の傷があるものの威圧感というものは感じず、気さくそうな笑みを浮かべている。
腰には鞭とナイフ、彼女の得物だろう。首には指輪を繋げたチェーンがかけられていた。
「うちはマナマナ。あんたの探しているギルドに所属している、Eランクの先輩さんっすよ」
「私はコカル、ギルドを探している」
「あはは、だろうと思ったっすよ。こんなかわいい後輩ができるなんて、感無量っす!」
ぎゅーっ、とコカルを抱きしめるマナマナ。コカルは面倒くさそうにそれを黙って受け入れる。
胸が大きいので、そこに顔が埋まってしまう。汗とマナマナの臭い、同性であるコカルは何も感じない。
彼女にとってこの街は未知の世界。案内人が多少変でも、我慢しなくてはならないのだ。流石に急に狂ったように笑いだすような情緒不安定な奴は御免だ。
もっとも、まだ彼女を、信用も信頼もしていないが。初対面の人を信用しろというのも無理な話だ。
「さて、コカルちゃんはどっちのギルドに所属するつもりっすか? あっ、掛け持ちは色々と面倒なんでやめといた方がいいっすよー。これ経験談ね」
パッ、と離れたマナマナはえっへん、と胸を張る。
そんな露骨に先輩風を吹かすマナマナに、コカルは尋ねた。
「ギルドは複数あるのか?」
「あー、上都してきたばっかだからわかんないっすよね。まあ、色々っす。王族貴族暗殺の裏ギルドもあれば、まともな依頼しかない表ギルド、医療を追及する医療ギルドに魔法の深淵を覗く事を目的とした魔法ギルド等々……まっ、色々っす」
随分と様々なギルドがあるのだな、とコカルは感心した。
実際にはこれ以外にも、鍛冶やらパンやら、多種多様なギルドが存在しているのだが、態々そこまで知る必要は、冒険者になるには必要ない。
「マナマナと一緒の所に行く」
「了解。んじゃ、道案内もかねて遠回りするっすよー!!」
オーッ! と腕を大きく上げて意気込むマナマナ。しかしいざ歩き出そうとするマナマナを、コカルは止めた。
「まずは換金しておきたい。ギルドの登録には、お金がいると聞いた」
「了解っす。んじゃ、とっとと行きますよ!」
元気いっぱいに、コカルの手を掴み走り出すマナマナ。コカルはそれを「元気だな」と他人事のように考えながら、若干駆け足に付いて行った。