041 思わぬ出会い
「うう、先輩としての威厳丸つぶれっす……」
「最初から無いぞ」
「えっ、マジすか!?」
黄ばんだシーツで仕切りのされた室内、粗末な寝台の上で威厳なんて無かったと無情に告げられたマナマナは、そこそこ大きなショックを受けていた。
ガルザバルトの裏路地にある、貴族が経営しているという闇医者の診療所。貴族が経営している割にぼろっちいが、趣味にそこまで金を掛けられないというのだ。
それにマナマナの治療を任せるのは、クロとしては不安だったが、ただ製造した回復薬を渡すだけであれば、医者件貴族でも容易にできた。そんな訳で今クロは、診療所内を眺めていた。
さて、何故ギルドに向かっていた筈なのにこんな場所にいるのかというと、それは御者に停められたせいである。
御者曰く、今他所から来た冒険者がガルザバルト支部のギルドへ行くのは、命を捨てるような行為だという。
「しばらくは安静にしておくことだね。ああ、黒髪のお嬢ちゃん、あまり触らないでくれよ。僕にもよくわからない薬品とかいっぱいあるからね」
戸棚を興味津々に観察していたクロに、医者であるガールが注意を入れる。別に寒い地域でもないというのに酷く毛皮を羽織っており、顔は仄かに赤く見える。少しばかり痩せぎすな男、といった感じだ。
医療器具、薬品共に高品質なものを揃えているが、当の本人の知識はそれらを使いこなせるほど高等なものではない。精々、糸で縫合する程度だ。
それ故しょっちゅう患者を殺しているのだが、まあ闇医者なのでそれも致し方なし、といったところだろう。
一瞬コカルの目が袖の方に向いているのに気付いた医者は、そこを隠すように手で押さえてから質問をした。
「君達、他所からの冒険者だろう? 何の依頼を受けて、ここに来たのかな?」
「守備依頼を受けてな。しかし、なぜ今はここのギルドには行かない方が良いんだ?」
「それは俺から説明しよう」
奥にある寝台から声をかけてきたのは、エルフの青年、サボン。その後ろには左腕の無い蜥蜴の女、グララル。マナマナとクロはこの二人に覚えはないが、コカルはちゃんと覚えていた。
最も、それを二人が表情から察するのは不可能だし、そもそもコカルも二人の名前を知らないのだが。
表情を一切変えないコカルの様子に溜息をつき、がしがしと頭をかいてから、寝台に腰を下ろす。
「やりにくいな……何かこう、言う事ぐらいあるだろう」
「仕事に私情は禁物だ」
そんな事もわからないのか、とでも言いたげなコカルに、サボンは呆れたように溜息をつく。
そうまで仕事にストイックになれるというのは、サボンからしてみれば異常に過ぎる。自分の身を顧みない人間は長生きしないか、それともとんでもない化け物になっているかのどちらかだ。
果たしてこの女はどちらなのか。どちらにせよ、今は味方だ。
サボンの後ろからグララルが、笑いながら背中をバシバシと叩く。思わずサボンは涙目になってしまった。
「あっはっはっはっ! 気に入った! 気に入ったよ赤髪の! その仕事に対する姿勢に免じて、この腕の事は許してやろう!」
「それは自業自得だ、油断した貴様のな」
「ううっ、言い返せない……」
コカルの火傷は、あの火事によるもの。あの火事によってコカルは火傷を負ったが、それも生き抜くために取った最善の行動。対してグララルのは、油断か判断ミスか、どちらにせよ、本来ではする必要の無かった怪我だ。
グララルはあの火事を、エルフを遠ざけるのも兼ねたものだと予測していたので、コカルの判断はすべて正しい、と思っているのだ。勿論実際は、狼煙ついでに炎による目くらまし、希望的観測に二人を焼き殺せればいいなと思っての行動で、エルフの習性なんて全く知らなかったのだが。
「えっと、もしかしてあの二人、この前うちらを襲った奴らっすか?」
「そうだ」
呆気からんと、当然のように言い放たれた言葉にしばし茫然としていたが、すぐにマナマナがコカルを守るように抱き、二人をキッ、と睨み付けた。
クロもいつの間にか、室内で扱いやすいナイフを抜いており、臨戦態勢だ。それにサボンとグララルは揃ってため息をついた。
責められないのには違和感はあるが、こういう反応をされるのは非常に面倒くさいのだ。
「コカルちゃんは殺らせないっす!!」
「揉め事なら外でやってくれないかな」
闇医者がうんざりした表情で言った言葉は、コカル以外の耳には入らない。当然コカルが何をする訳でも無く、抱きしめられるがまま。
「今回は敵じゃない。それに、もう二人が襲われる事も無いだろうさ」
「……どういう事っすか」
サボンは自分の気分を落ち着かせる為に煙草を咥え、火を付ける。
室内の、しかも病室内での喫煙だが、闇医者なのでその辺は割と適当なのか、特に注意をする様子は無い。
サボンの口から吐かれた煙が渦を巻き、虚空に消える。
「俺達はこれでも暗殺のスペシャリストなんでな、その俺らが失敗したって事に連中は尻込みしている。つまりはおたくら、物凄い厄介な化け物と思われてるって事だ」
「危ない藪をつつくのは、新入りか底抜けの馬鹿しかいないからね~」
要するにそういう奴ら以外は、既にコカルとマナマナの二人を仕留める、というのを諦めているのだという。
当然、その言葉を全て信じられはしない。二人より強い者で二人を狙わない者がいないとは限らないのだから。
取りあえず今は、異種族の二人は味方だという事だ。信頼こそできないが、信用はできる。その実力はコカルも、マナマナもよく実感している。何せコカルの顔に火傷を刻み込んだ原因は、この二人なのだから。
「さて、なぜ今はギルドに行かない方がいいか、という理由だが……ここのギルド長は奴隷反対派で、支部には依頼を出せない。そして今現在、そういう奴らが奴隷解放運動を企ててる。そこにはギルドの連中も多数いるし、他所からの冒険者は十中八九それの反対、奴隷の防衛を目的に来ただろうと思われるだろう」
「要するにここのギルドは全員敵って事」
サボンの説明をグララルが短く、わかりやすく要約する。ギルドの中には、奴隷解放に興味も無い者もいるだろうが、それが味方をしてくれる訳では無い。確実に第三者となるだろう。
つまりは、ここの冒険者は信用ならん相手という事だ。
「で、俺達がここのいる理由は──」
「ここが奴隷市場の入り口か、それとも奴隷店か、って所か」
「大正解」
そう言ってグララルが部屋の隅に行き、つま先をめり込ませ床を強く蹴り上げた。するとそこに、地下へと続く階段が現れた。
もう少し丁寧に扱ってくれないかね、と闇医者の嘆くような願いは、きっと天にも届かず消えてしまうだろう。サボンの吐いた、煙草の煙のように。