003 襲撃
キャロガットの家に泊まって、二日目の朝。
毎朝スープを作ったりと働く村長の娘。コカルはぼんやりと、キャロガットにかけられた毛皮に包まれながら、村長夫人と一緒に椅子に座っている。
初日は手伝おうとしたのだが全く勝手がわからず、それを見かねたキャロガットが「もうあんたは座ってて」という事で、こんな奇妙な事態となったのだ。
村長夫妻は血まみれのコカルに少しばかり驚愕していたが、キャロガットの説明で納得したのか、歓迎してくれた。その後他愛ない雑談でコカルの、自身の両親が死んでいる事と一人暮らしという事が判明した。
ちなみに村長は村の見回りやらがあって、早朝に出かけて行った。
「ところで、何故娘さんが料理を?」
「私、料理が下手なのよ。それに見かねた娘がね」
おほほと笑う村長夫人。カールの効いた赤い髪、右目には泣き黒子がある。
キャロガットの作るスープは肉と野菜の旨味が染み出ており、とても美味い。肉や野菜の名前は聞いた事の無い種類だが、味は美味いので何の問題も無い。
やがて黄金色に輝くスープが入ったお椀と、硬い雑穀パンの乗った皿が並べられていく。食器やらは台所にあり、キャロガット曰く「台所はあたしの聖域」だとか。それ故にコカルはおろか村長夫妻でも立ち入る事ができないのだ。
この世界では食事前の挨拶というものがない。コカルがそれをやろうとして「なにそれ?」と首を傾げられた。
異世界に降り立った際まずすべき事は、目立たない事だ。強いとか特別とかではなく、異端者と見られかねない行動を慎む。元の世界で礼儀がなっていない行為でも、この世界でもそうとは限らない。
キャロガットがコカルの向かい側の席に座る。それを見るとコカルはまず、スープを一口飲む。肉の旨味と程よい塩加減、そこに野菜から染み出た旨味。実に美味。
「美味しい」
「当然!」
フフン、と胸を張るキャロガット。
次はパンを食べる。小さくちぎって、中の肉をパンで掬い、一緒に食べる。口の中で崩れる。パンは硬いので、スープに浸けてふやかすのが一般的な食べ方だ。
そのまま黙々と食べる。パンをちぎっては浸けて食べ、ちぎっては浸けて食べの繰り返し。美味しいからか手が止まらない。
もっとも、コカルの目の前に座るキャロガットは味わう暇もないかのように、パンを全部ちぎって、それをスプーンのように使い口の中に詰め込んでいっている。
そのまま口の中に入ったパンをスープで流し込み、ごくんと喉を脈動させる。そしてゲップを1つ。田舎娘は礼儀や作法といったものが皆無なのだ。
コカルはそれを見て不作法にするのが自然なのだろうかと思うが、隣の村長夫人はそんな事はなく、普通に食べていた。
コカルと村長夫人はゆっくりと食べるのを尻目に、キャロガットは台所に香辛料を付けた肉を吊るしていく。
「コカルちゃんはゆっくり食べていいのよ。早く食べても体に悪いだけなのに」
「時間は有効活用しなきゃ、でしょ?」
村長の言葉通り、コカルはゆっくりと、しっかりと噛んで食べる。一気食いも早食いも体に悪いから、というのを意識しているのではなく、ただ単にパンが、ふやかしたとしても硬いだけだ。
これをあんなに早く飲み込むのは凄い技術だ、とコカルは、しかしこんな田舎で時間を余らせたとしてもやる事が無いだろうに、とコカルは口に出さずに思う。実際彼女は昨日も暇そうに空を眺めているコカルに、どうでもいい話を延々聞かせていた。コカルはそれを聞き流しながら、空飛ぶ鳥やらを観察していたが。
ちぎったパンに野菜を救い乗せる。白い乱切りにされた、かぶのような、ヘンラフクと呼ばれる野菜だ。
名前を聞いた際「江戸時代の野菜?」と思わず口に出してしまい、質問攻めを浴びせられたのは苦い記憶。
ヘンラフクを乗せたパンを食べる。食感は大根に似ており、味がよく染みている。ヘンラフクは他の野菜に比べ味が染みやすい、故に短時間でも美味しく調理できるのだ。
「そういえばコカル、食べ終わったら何か予定ある?」
キャロガットが肉を吊るしながら問うてくる。キャロガットはそれに、即座に答えた。
「何も」
「ならさ、釣りに行かない?」
「今日は勝つ」
「おおっ、やる気だねーコカル。燃えてきた! んじゃ、練習が終わったら前行ったあそこで、どちらが大物釣りあげるか競争よ!」
今日も何も予定が無く、キャロガットとコカルは楽しく語り合い、それを村長夫人は微笑ましく見守る。そんないつもの、平和な日常。今日も、それが、ずっと続いていくかと思われた。
だが、それを打ち消すように、かき消すように外から響いてきた、大きな悲鳴。それと混じる、痰と酒焼けを混ぜたような、言葉になっていない汚い声の雄叫び。
「冒険者がいない時に……ママッ! コカルをお願い!!」
その悲鳴を聴き、早口に村長夫人にコカルを託す。
キャロガットは早足に外へと出て行った。村長夫人はそれを見送り、顔を真っ青にしながら、コカルの腕を引っ張る。
「何事?」
「コカルちゃんは忘れちゃってるからわからないかもしれないけど、ゴブリンが攻めてきたみたいなの。一緒に逃げるわよ」
「……強い?」
ぶるぶる震える村長夫人の目をじっと見つめ、コカルは問いかける。
すると村長夫人の目が一瞬幾何学的な模様を描きながら光ったかと思うと、途端にそれは消え去る。これを見てコカルは、やっとここが異世界であると認識した。
「……貴方のレベルなら対処できるわね。お願い、できる?」
村長夫人の決意を固めたような、そして申し訳なさそうな表情。コカルはそれに一つ頷くと、台所にある包丁を手に取った。
武器はこれと、もう一つ。敵──ゴブリン程度であれば、コカルの腕でも倒せるレベルらしい。どう判断したかは不明だが、コカルには関係のない話。
台所に置いてある包丁を手に取り、頭に付けている針を外す。準備は万全にしていかなければ、無駄死にに終わる。
流石にまだ死ぬのは御免だ。この世界の何も知らずに死ぬなんて、コカル自身が許せない。だが、ゴブリンに勝てねば知る事もできずに死ぬ。それも嫌だ。
「これと同じ形状の針を五本欲しい」
血と薬草が塊、頭にこびりついている包帯を強引に外す。
赤く染まっている包帯を捨て、コカルは村長夫人に針を見せる。
「ちょっ、ちょっと待ってて」
慌ただしく奥の部屋に行く村長夫人。そしてすぐに、厚紙に包まれた五本の針がコカルに手渡された。
コカルは厚紙を開き、掌に三本ずつ刺していく。プチッ、と痛みが走り、血が床に落ちた。
「ちょっ、ちょっと何を──」
「大丈夫。すぐに、戻る」
突然の奇行に目を見開く村長夫人を置いて、コカルは扉を蹴開けて外へと繰り出した。