023 纏わぬ逃避
アガンザルド領周辺の村、ガルド村。瓦屋根の上で下の様子を窺うマナマナ。息は切れ、ベッドのシーツだけを纏っているだけという娼婦でもやらなそうな恰好だ。
下では村人達が、松明片手に時折怒号を上げている。マナマナのせいだ。
家々の影に隠れ、時に屋根に上り、やっとこさ一息ついたところだ。とはいえ、ここでじっとしていても見つかるのは時間の問題。適当な廃家に入ろうにも、二階建てなんて豪勢なものは村長の家以外存在しない。
服も武器も何もかもを、村長の家に置いてきてしまった。畜生、とマナマナは思わず毒づく。どうしてこうなったかと問われれば、まあ彼女の自業自得である。
村長がナイスミドルで、割と激しくってデカかったのが全部いけない! と自己弁護するが、だとしても彼女の罪は消えない。
「助けてコカルちゃん……」
プルプルと震えながら助けを乞うも、それに応えてくれる人はいない。
ああ、沢山の人にレイプされて山に捨てられてしまうんだ。四股ちょん切られて、魔物にゆっくりと食べさせるつもりなんだ……村人ってそういうの好きそうだもんね。と、偏見に満ち溢れた未来予想をするが、それが無かったとしてもひどい目に合わされてしまうのは確実。
「うう、魔物に食われて死ぬのは嫌っす、袋叩きも嫌っすよ……」
「大変そうだね、お姉さん」
「んうぇっ!?」
突然マナマナの隣から声をかけてきたのは、グラールだった。夜の空に溶け込むような黒い髪と、対照的に無垢な赤子の記憶のように白いワンピースが、夜風に揺れる。
グラールはマナマナの置かれた状況に、指を噛みながらくすくすと笑う。
さっきまで誰もいなかった筈なのに、いつの間に……と驚いているマナマナの唯一裸体を隠すシーツを、グラールは軽く引っ張った。滲み出た血がシーツを紅く汚す。
慌てて手に力を入れ、取られまいとするマナマナ。
「なっ、何するんすか!?」
「ナニしてたのは君でしょうに……まっ、いいや。詳しい話は馬車の中で」
何を上手い事言ってんすか、と呆れるマナマナだが、そもそもの騒動の原因は彼女だ。
とっとと先を走るグラールの後を、マナマナが追う。足音も無く、かつ素早く移動する様は流石Bランク冒険者といったところだ。
三軒か四軒ほどの屋根を飛び越え、魔物を通さない柵の向こう側に停めてある、奴隷を数十人まとめて運べるくらい大きな馬車に、ほぼ転がり込むように乗り込む。揺れると同時に御者は鞭を打ち、首の無い馬を走らせた。
マナマナは入って早々少しばかり異様な光景を見て目を丸くしたが、まずグラールから渡された服に着替える。
Yシャツのみ、というのは少しばかり落ち着かない。できれば下にも何かが欲しいところだが、まあどうせここにいるのは女のみ。御者は流石に男だろうが、あの程度であれば何とか撃退できるだろう。
流石に魔物退避の魔法は使えないだろうが、Bランク冒険者が二人も護衛にいれば、相当なものが来ない限りは大丈夫だ。
「で、どういう状況っすかこれ」
「どういう、とは?」
荒縄でまとめられた、乾燥させた草の壁の前。そこで何故か、グリーラの膝の上に頭を乗せ、頭を撫でられているコカルがいた。無表情なのがまた、言葉に言い表せないシュールさを醸し出している。
対してグリーラは満面の笑みだ。これ以上無いってくらいに。
「このシュールな光景は何なんすか」
「うちの姉が変な性癖に目覚めたんだよ……」
違和感しか覚えない光景に、グラールが代わりに答える。しかし声には呆れが混じっている辺り、未だ受け入れてはいないようだ。諦めてはいるようだが。
指を噛む力も苛立ちを押さえるように強くなっているようで、血が床に、まるでトマトを握りつぶしたかのように溢れ落ちていく。
マナマナとしても、母性があるというのはわかる。少し危なっかしいコカルに、それが刺激されていないといえば嘘にはなる。だが、ここまでなるものなのだろうか。というより、なんでそれを甘んじて受け入れているのだコカルは。
「コカルちゃんは、いいんすか? それで」
「動けないのだから仕方がないだろう」
言われてみれば、コカルの左脚には頑丈に包帯で巻かれた副木が。床や幌にも、大量の血が飛び散っている。
血まみれな剣はまだ乾ききってなく、つい先ほど抜いたのだろうと割り出した。腕にも当然のように包帯が巻かれており、血で濡れていた。あの下には大量のリストカットのような痕があるのだろう。あのスキルを使ったとは、容易に推測できた。
だが、マナマナは別に同情もしない。彼女はそれを欲していないし、そうなってしまったのも自業自得なのだから。自分が言えた立場ではないけれども。
「まあいいっすけど……その様だと、レベルもかなり下がってそうっすね」
「Dよ」
「あっ、変わりないんすか。……うわっ、本当だし」
普通あそこまで血を流せば、レベルがE程度になるかもしくは死ぬというのに、コカルのレベルはD。マナマナと別れた時と同じレベルだ。
きっと原因は、コカルをずっと撫でている少女なのだろう。だが追究しても良い事は無いので、マナマナはあえてそれには触れない。
「グラールさん、もう指を噛むのはやめてほしいっす。見てて痛々しいっすよ……」
「そうかな? ……仕方ないなあ」
普段からこれ以上のやってるくせに、と小声で付け足してから、グラールは指から口を放した。血の混じった唾液が、仄かに赤い透明な糸を伸ばす。
それをぺろりと舐め取り、幌に立てかけてあった波打つような形状の鉈を手に取った。
「ちょっと、この子お願いしても大丈夫?」
「えっ、まあ……いいっすけど」
言われた通りグリーラの隣に座る。するとグリーラは、コカルの頭をマナマナの膝の上に移動させた。さらりとした髪と、男とはまた違う体温がマナマナの膝を伝う。
一瞬目を丸くし、恐る恐るコカルの頭を撫でるマナマナ。そんな様子を見てグリーラは頬を緩めると、グラールから投げ渡された鉈を手に取った。
「えっと、これから何をするつもりなんすか?」
「害獣駆除」
頭を撫でながら尋ねたマナマナの問いに、グリーラはその年に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。
魔物でも出るのだろうか、と不思議がるマナマナだが、背中を擽る草の臭いを嗅ぎ、大体拝察した。そして、自分はどうもかなり危ないものに乗っているのだと自覚したマナマナは、井戸の闇より深いため息を溢すのであった。
「最後に一つだけ、なんでここまでやってくれるんすか? 正直、うち達を助けても、何のメリットも無いように思えるんすけど」
「……うふふ、我が神のご期待に添えるの。貴女達は生きているだけで」
宗教的な意味合いだろう、その言葉をマナマナは全く持って理解できなかったが、どうせ尋ねても理解できるとは到底思えない。
コカルが撫でられるがまま、大きく欠伸を洩らした。