022 新たな目覚め
血に汚れたワンピースに満足げな表情を浮かべた双子は、製靴工場へと向かっていた。
雇い主が、入国の際に連れてきた者──コカルの、出国の手続きまでしてくれるというのだ。そろそろ依頼も終わっている頃合いだろう、時折適当な浮浪者や物乞いを殺しながら、グリーラとグラールは街を歩く。
コカルの仕事はもう終わっただろうか、死んでいたらその時はその時だ。そう思いながら、人が詰め寄り警備隊だろう兵士が行き交う製靴工場へとたどり着いた。
「何の騒ぎ?」
グリーラが、透けたネグリジェのような服を着た売春婦に尋ねた。売春婦は二人の恰好を見て一瞬悲鳴を上げかけるが、すぐに首元の赤い指輪を見て察しがつき、二人に説明をする。
「何でも、あの製靴工場で大量殺人が起きたらしいわ。元々ストライキ集団が立てこもってたんだけど……」
「教えてくれてありがとう、お姉ちゃん」
にっこりと人懐っこそうな笑みで感謝をグリーラが言うと、グラールを連れてその人ごみの中へと突っ込む。
風呂というものが存在しないので、二人の鼻は、主に男が占める集団の出す鼻のねじ曲がりそうな臭いになんとか耐えながら、かき分けて進む。
一瞬殺して進もうかとも思ったが、ここで問題を起こしては雇い主にも、ギルドにも迷惑がかかる。それらは巡り巡って、彼女達の人生を蝕んでいくのだ。
何とかその臭い集団を通り抜け、製靴工場がやっとこさ見えてきた。縦に強引に切り裂かれたバリケードには、見張りらしき警備隊の姿。
青く、きちっと着た制服。長い帽子に、手元には長槍。髭は生えていない。
「冒険者、Bランクのグリーラ」
「冒険者、Bランクのグラール」
「私達は友達を迎えに来たの」
「兵士さん、誰か中にいる?」
血に塗れた双子を怪しんだ兵士だが、首元にぶら下がる指輪を見て、慌てて二人を中へと入れる。
双子の女冒険者。下手に逆らえば殺され、逆らわなくとも殺される。その実力は英雄をも凌駕すると言われている、邪教の娘。
脂汗を流し、訝しまれないよう作り上げたスマイルを顔の下では恐怖でどうにかなりそうになっているとは露とも知らず、二人は血の匂いが充満する工場へと入る。
その蠱惑な香りに思わず、双子は口角を上げてしまう。作業をしている兵士達の顔色は悪く、中には吐瀉物をぶちまけている者もいる。双子は、それに対しは苦い顔をした。
「わかってないなー、吐瀉物と血の匂いは全くの別物なのに」
「仕方ないわよ、私達は特別なんだから。古の神に認められた私達は、特別なんだから……」
首の無い二つの死体を、手を繋いで二人で飛び越える。まずグリーラが飛び、グリーラの胸にグラールが飛び込む。
受け止めたグリーラは数歩たたらを踏み、尻もちを付いた。床に広がっていた血が、二人のワンピースを紅く冒す。
服も顔も血まみれになりながら、二人はまるで、遊んでいる子供の様に無邪気に笑い合う。兵士達は彼女達を見て見ぬふりだ。
「しっかし、派手にやったわねあの子……いい新人ね」
グリーラの上から、大量の死体が散らばる殺人現場を眺めながら、グラールは微笑む。グリーラには白いワンピースしか見えないのだが、彼女達──双子特有のスキルによって、ある程度の情報はわかるので、同じように笑みを浮かべた。
さながら地震の巻き起こったマネキン置き場のように、子供が遊んで片づけていない玩具のように散らばる無数の死体。
それらが作り出したであろう元凶の、死んだのかどうか判別の付かない赤髪の少女。人形のように壁にもたれ、血の海に沈んでいる。腕は力なく床へと垂れており、だくだくと血が流れ続けている。
グリーラがまず立ち、グラールを抱き起してから、死んだかどうか確かめるように槍の柄で突いている兵士を退かせ、コカルへと駆け寄った。
腕からは血が大量に流れ、脚には深々と剣が刺さっており、足首の一部は床に落ちている。死んでいるようにしか見えないが、息は微かにしている。
グリーラは鑑定を行った。
「レベルE……まだ生きてるけれど、このままじゃ死んじゃうのも時間の問題だね」
「あら、それは大変」
「どうする? 供物にしちゃう?」
グリーラとグラールは双子だが、信仰する神が違う。とはいえどちらも、邪神に分類されてしまうもので、本人も自らが信仰する神がそうであると知っているのだが。
その供物──グリーラに捧げる分であれば、どのような人間でも構わない。故に、殺すのに躊躇いは無い。首の骨を折ってしまえば、それで終わりだ。
だが、グラールは首を横に振った。
「彼女はきっと、これからも混沌を巻き起こしてくれる筈。ここは生かしておく事こそが、私達の神の信仰心の表れとなる筈よ」
「……あー、なるほど。確かに、こいつよりも極悪人だね」
グリーラが足元で、釘で打ちつけられたウナギのように転がっているンヴァルの頭を足で叩きながら言った。
ンヴァルは対人専門の冒険者で、その筋ではかなりの有名人だった。故に何度か出会い、暗殺依頼も舞い込んできたのだが、そのたびに見逃していたのだ。
さて、とグラールがワンピースのポケットから、深緑色の液体を取り出す。歯でコルクを抜き、コカルの首を起こす。
「……だ、れ」
「貴女を助ける女神、とでも言っておこうかしら?」
その言葉を聞いた瞬間、グラールが後ろで噴き出すように笑った。
失礼しちゃう、と小声で悪態を付いてから、コカルの口をしなやかな指で、隙間を空ける。
「ちょっと苦いけど、我慢してね」
言いつけられた子供のように頷いたコカルの頭を優しく撫で、グリーラによって空けられた口に、深緑色の、いやに粘性の高い液体が流し込まれる。口の端から零れ落ち、服に緑色の染みを作った。
噎せ返るほど青臭く、そうでなくともゴーヤを濃縮したような苦みがコカルの味覚を刺激する。苦くて臭いが、死にたくないので我慢して飲む。仄かに温かいというのが、また妙に嫌だ。
不快な液体を半分ほど飲んだのを確認すると、グラールはコカルの口元から瓶を放した。そしてグリーラはナイフを取り出し、指先を少し切る。
「三十分くらいで傷は塞がる筈、でも血と一緒に流れ出た経験値までは戻らないの。だから、私が少し分けてあげる」
「……何をする、つもりだ」
「この指を咥えて。血を飲むの」
さながら初雪のように白い指からぷっくりと浮き出る、真っ赤な血液。それをコカルの顔に付きつける少女の笑みは、血に汚れてさえなければ人形のように愛らしかっただろう。
コカルは視線だけでグリーラに助けを求め、ニヨニヨと笑みを浮かべているのを見て諦める。では兵士は、いつの間にかいた兵士の方に向けると、露骨に顔を逸らされてしまった。
仕方ない、と諦め、少女から差しのべられた指を咥える。「あっ」と小さい声を洩らし、何故か頬を朱に染めながら、グリーラは必死に、まるで乳飲み子のように自分の血を吸うコカルを眺め、背筋に稲妻のようなものが走ったのを感じた。
「……ろうひた?」
「……グラール、これ予想以上にイイわ」
指を吸うコカルの頭を撫で、表情を崩して危ない人の笑みを浮かべるグリーラ。年上相手に母性本能を目覚めさせてしまった相方に、一抹の不安を覚えるグラールであった。