021 同業者
頭上からの不意打ちを確認した時、首謀者の男──グラッシュは、勝ったと確信していた。
コツコツと、この日の為に金を溜めて雇ったCランク冒険者、ンヴァル。暗殺のスペシャリストの一撃。すぐにあの女の首から、鮮血が噴き出る事だろう。そう思っていた。
だからだろう。金属のぶつかり合う音が鳴り響き、ンヴァルがコカルから距離を放したという事実は、グラッシュの希望が打ち破られたようになってしまったのは。
山羊の角のようにねじれたナイフをコカルに向け、警戒を怠らないンヴァル。真っ黒なローブには瞳の模様が印されている。ンヴァルは、コカルの持っている剣を蹴り、距離を取った。足が斬れなかったのは、靴底に鉄板を仕込んでいるからだ。
「俺の一撃を防ぐか……やはり、レベルというのは信用ならんな」
「世辞は不要だ」
コカルの肩は、浅く切られていた。血が少し滲み出ている。
別に殺気を感じた訳でも無く、ただ空気の流れの変化と微かに聞こえてきた足音を感じ取っただけだ。殺気を感じるというのはぶっちゃけて言うと感のようなもの、故に反応は早いがコカルはどうも、その非科学的なものを信用できなかったのだ。
コカルのやり方は、少しばかり反応が遅れてしまう。故に、肩を少し切ってしまったのだ。
「おっ、おい! 本当に大丈夫なんだろうな!?」
「割に合わない仕事だ、クソッ。受けるんじゃなかった」
グラッシュの言葉を無視し悪態を一つ付いてから、ンヴァルは視線を低くし、ジグザグにコカルへと接近し、ナイフで斬り上げる。
コカルは後ろへと下がり、それを咄嗟に躱す。顎が少し切れ、血が滲み出た。後ろへと移動させた銃身そのまま、体を回転させ剣を薙ぎ払う。
しかし、ンヴァルもそれを読んでいたのか、更に体をかがめ、地面に手を突きながらコカルの足を狙い、ナイフで突きの一閃。
それはコカルの肉に深々と突き刺さる。ニヤリ、と笑みを浮かべるンヴァルの頭上から、大量の剣が落ちてきた。
咄嗟に地面を殴り、横へと移動する。何本かの刃で腕を切ったりはしたものの、戦闘に支障は無い。
「スキルとは認識する事、か。ぶっつけ本番にしては上手く行ったな」
「上手く行ったってのは、最低でも深い傷を負わない時に言うもんだぜ」
ンヴァルの言う通り、コカルの両腕からはだくだくと血が垂れ流れていた。致命傷ではなくとも、これだけの血を流せば動きは鈍る。それに移動の軸となる足も奪った、この勝負はンヴァルのものだ。
鑑定を使うと、コカルのレベルはCからDへと下がっている。最初に入って来た時はDだったが、入口の二人を斬った瞬間にレベルが上がっていた。血とは即ち経験値、それが尽きればすぐに動かぬ骸になる。そしてンヴァルは、コカルを動かぬ骸にできると確信していた。
しかし、コカルはまるで痛みを感じてないかのように地面を蹴ると、手元に新たに呼び寄せた、石製の剣を右逆袈裟に斬り上げた。ンヴァルは咄嗟に左へと下がると、背の付いていた柱に刃がめり込んだ。
素早く柱に固定された剣から手を放し、新たに剣を呼び寄せ、袈裟に斬り下げる。ンヴァルは体勢を崩した状態でそれをナイフで受け、コカルの左足に蹴りを浴びせた。
ゴキッ、と骨の折れる音が鳴り、コカルが体勢を崩す。手元から落ちた剣が、木製の床へと落ちる。
ンヴァルは腹這いのまま後ろへと下がり、コカルから距離を取ってから、柱に手を当てゆっくりと立ち上がる。まるで魔物と戦っているようだ、と毒づきたくなるも、その言葉は飲み込んだ。
ンヴァルは対人専門、魔物退治なんでここ数年全くやっていない。その折にこんな、化け物女とのエンカウント。洒落にもならない。
「クソッ、グラッシュ! テメェ後でもっと金寄越せ! こんな強い奴がいるとか聞いてねーぞ畜生!」
「ふっ、ふざけるな! お前にいくらつぎ込んだと思ってるんだ、もうそんな金なんかね──」
グラッシュの言葉は最後まで続かず、まるで化け物のような動きで迫ったコカルの手によって、その首を経たれていた。
折れた脚に剣を突きさし、無理矢理固定している。そのまま痛みを感じさせないように弧を描くように剣を振るい、残る奴らを殺す。
首を、胴体を。死ねなくても血に沈み、うめき声をあげる。どうせ時期に死ぬ、であれば止めを刺してあげる必要なんてない。
油断しきっていた。もう動けないだろうと、高を括っていた。その結果が、これだ。
「化け物かよお前……痛みも何もないってか!?」
「死ぬ程痛いが、死ぬよりはマシだ」
血に塗れた様子で、当たり前のように言うコカル。確かにそうかもしれないが、ここまで機敏に動けるものではない。いくら高レベルの冒険者でも、骨折すれば確実に殺されてしまう。動きの主軸である足を奪われるのだから、それが当然だ。当然な筈だ。
だというのに、まるで骨折してないように動くコカル。ンヴァルの常識が一切当てはまらない。
ユニークスキル程度はンヴァルも知っていた、それに関してはさして驚かない。珍しいが、あり得なくはないのだから。しかし、ンヴァルの動きはあり得ない。あってはならない。
剣についた血を振り、コカルは切っ先をンヴァルに向ける。既にコカルは、視点が合っているとは言い難い状況。できればこれで引き下がってほしい所だが、世の中はどうもコカルに意地悪なようだ。
「貴様の雇い主は死んだ、続けるか?」
「……確かに、もうここにいる理由は無くなった。だがな──」
ンヴァルはナイフを逆手に持ち、腰をかがめ、クラウチングスタートのような体制を取る。
そして射殺すような目でコカルを睨み付ける。
「依頼失敗の元凶を生かす訳にはいかない」
「そうか」
音も無く一気に最高速度へと到達し、ンヴァルは滅多に出さない本気でコカルに詰め寄る。
あわよくば奴隷として売り払おうと思っていたが、予定変更。依頼を失敗させた元凶を、生かしておく訳にはいかない。
逆手に持ったナイフを、斜めに斬り上げようとした瞬間、足下が滑り思い切りこけてしまった。
「なっ──!?」
足下には、コカルが出した大量の剣。それががしゃりと音を立てて、ンヴァルの足を奪ったのだ。
ひれ伏すように倒れたンヴァルを、コカルが見下ろす。その表情には慈悲も、勝利への嬉しさも、苦痛も感じさせない。人形とはまた違う、鉄皮面。
そして脳天に突き刺さる剣は、頭蓋骨を貫通し、脳味噌と脳漿をまき散らす。
「依頼……達成……」
コカルはそう呟くと同時、ほぼ崩れ落ちるように地面へと座り込んだ。視界も暗くなっていく。他人の血と自分の血が混ざり合った溜りに沈み、ゆっくりと瞼を閉じた。