決着
最後まで言い切ると同時に、神の姿が俺たちの目前から消滅する。その瞬間、ここにいてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。とっさに縮地を使ってその場を離脱…
「―――――ッ!」
しかし、縮地が発動されることはなかった。さらにまずいことに、この状況は縮地が発動できないだけではない。体が縫い付けられたかのようにその場から動くことができないのだ。俺だけでなく、雪穂も、そして後ろにいる守護天使たちまでもが同様の状態になっている。しかし何故?さっきまでは問題なく動くこともできたし、武器も振るうことができた。それ故、守護天使たちの自害も止められたのだ。だが、今は考えている暇はない。おそらくすぐにでも神は俺たちを容赦なく殺すだろう。姿が見えなくなったのが透明化ではなく縮地と同原理だとするならばすぐにでも眼前に神が現れることに……来た!もちろん縮地中はほぼ目視は不可能の状態になるので、見えているわけではない。しかし、縮地にも動きが存在する。そのため空気の流れさえ読んでしまえば、どこにいるかはわかるのだ。そして今回感じる風は、神が俺の後ろにいることを示していた。だが、場所が分かったところで、体が動かせない以上、攻撃を止めるすべを俺は持っていない。そして、神の一撃はおそらく必殺、それだけで決着がついてしまうだろう。動かなくともできることはないのか?自問自答をするが答えはなかなか出てこない。高速で脳を動かしてはいるが、神の一撃まであとほんのわずかしか余裕はないだろう。くそっ、この動けない原理さえわかれば…
「先輩、固有結界を!」
突然、頭の中に声が響いた。その声の主は昨夜の夢に出てきた少女のもの。最初の戦友であり、後輩でもある穂乃香だ。その言葉にヒントを得て一つの結論を導き出した俺は、固有結界を自分の中に展開した。瞬間、さっきまでが夢だったかのように体にかかっていた重圧が消失。同時に縮地を使い、数メートル後方へと退避行動をとる。そのコンマ数秒後、神の拳がさっきまで俺の頭があったところを寸分の狂いなく打ち抜いた。その直後に衝撃波が拡散する。音速を超えたものの周囲に発生するといわれるソニックブームだ。今の拳は音速を超えていたということ。やはり、一撃でももらったら死は避けられない。しかし、音速の拳は自分自身にもそれなりの負荷がかかるようだ。一瞬神の動きが止まる。その隙を俺は見逃さなかった。再び縮地を使って今度は神との距離を詰める。その間は数メートルだが、縮地の影響で剣にのる重みは十分なものになっているはずだ。後ろから狙うことも考えたが、その前に硬直が解けてしまえば物も子もない。時間重視でその懐に真正面から突っ込んだ俺は、そのまま自由たる聖十字を振りぬく。平行に二つ刻まれた軌跡は、そのまま神の体を両断するはずだった。しかし、その刃は神の体に届く前に止まってしまう。そもそも体にすら届かなかった。振りぬいた右の拳ではなく、使っていなかった左手でそのまま剣を防いだのだ。自由たる聖十字は神の創造の力によって生み出された武器。それを片手で、しかも掴むわけでもなく腕そのもので防ぐとは、さすがは神といったところだろうか。いや、まさか…
「ふん、その武器では儂を殺すことはできんぞ!」
不敵に笑う神。その言葉で確信を得た。間違いない、神の力で作った武器であるがゆえに、神に対しては効力を全く持たないのだ。となれば他の武器を使わざるを得ないわけだが、今ここでアレを出すのは早すぎる。確実に一点を狙い、崩し切れる自信がある場合にしか使うことは出来ない。かといってアレ以外の武器は俺のもとに無い。愛剣だった黄昏の聖十字は先の戦いで折れてしまっている。俺に残された武器は、切り札を除いて存在しない。となれば…俺は無理やり剣を押し込んで、一瞬の隙を作ると縮地を使って雪穂のもとへと向かう。通り過ぎる瞬間に雪穂にも固有結界を展開し、さらに後ろへと撤退する。そこは守護天使たちのいるところ。神は慈悲のあるやつだと思いたいが、こと戦闘においては無慈悲そうだということはここまででも分かっている。となれば守護天使たちを人質にされる可能性もあるのだ。そうなる前に、彼らには撤退してもらわなくてはいけない。ただし、10人に固有結界を展開するとなると、おそらく俺の力が持たない。一人ずつでも撤退させたいが、それには時間が足りない。何度詰まればいいのだこの戦いは。何かいい案があれば…いや、あるじゃないか。あいつらなら神と縁を切っているはず、半分神になりつつある俺たちや守護天使たちのように、神の意のままにされることはないだろう。この固有結界において動ける人員となりえるのだ。俺は懐から一本の角笛を取り出すと、空へ向かって大きく吹き鳴らした。それと同時にブォォという低い音が周囲へと広がる。それは不気味で背筋が凍るような音。実際、観客として見に来ていた天使たちは耳をふさいだり、地面に伏したりしていて、これまでの歓声は嘘のように止んでいた。同時に闘技場の壁面に新しい扉が浮かび上がる。それは第六天から第七天へと上げた扉。グリゴリたちが幽閉されている場所と繋がっているものだ。おぞましい響きに呼応したように、その扉は嫌な音を響かせながらこちらへ向かって開き始める。
「何を呼び出しおった!」
その時、闇があふれた。扉から出てきたのはもちろん俺のもとに付き従うグリゴリの長たち。筆頭シェムハザを含め、20人の堕天使集団は俺を見ると嬉しそうな顔を見せたが、その緊迫した表情と俺の目の前にいる神に気づいたのだろう、すぐにその表情を引き締める。そして、何も言わずとも俺の意図を理解したようで軽くお辞儀だけすると、すぐに神のほうへと進路をとった。思った通りだ、グリゴリの天使たちは神の陣地の影響を受けない。少なからず神と同等の属性を持つようにあの力は働いているようだ。そう、この第七天の力、いや、神の固有結界の力は。基本的に固有結界とは、自身の思った通りの世界を作り出し、その中に敵を閉じ込めることによって自分たちに有利な戦闘を展開することができるという、ある意味でチートじみた力だ。もちろん俺の場合もできないことはない。しかし、やればそれだけヴンダーを消費し、戦闘に支障をきたしてしまうのでこれまでほとんど行ってこなかっただけだ。しかし、神は違った。ほぼ無尽蔵のヴンダーを持つであろう神は、あろうことか第七天そのものを自身の固有結界としたのだ。そのため、伝承とは異なる形で第七天は俺たちの前に現れたのだ。そういうことにすればこれまでのすべてに説明がつく。普通ではここまで上がってこられないはずの下級天使たちが上がってきていることや、笛を吹くまでグリゴリたちの扉が存在しなかったことまで。神とグリゴリたちの相性はおそらく最悪、共に相反する存在であるが故に。さらに数も20対1と圧倒的に違う。そのせいもあってか、ギリギリではあるもののグリゴリたちは、何とか神を抑え込んでいる。さて、今のうちにやるべきことをするとしようか。俺は守護天使たちのほうへ向き直ると、一人ずつその中に固有結界を展開していった。ただし、雪穂と違って彼らは体の構造が異なるのだ。奇跡の力であるヴンダーは人間以上に持っていて、それを本当の奇跡のように扱うことは出来る。しかし、ファイントのようにただの力としてのヴンダーを許容できるようには作られていないのだ。それは、神の視点を一つ持った今だからこそわかること。つまり、神に反逆ができないようにするための枷のような機構が備わってしまっているのである。そのため、短時間は耐えることができても、長時間にわたって体内に固有結界を持つことは出来ない。おそらく長くても10分が限界だろう。加えて、グリゴリたちの防戦がいつ突破されるかもわからない。早めに行動をしなければ…
「少し辛いかもしれないけど我慢してくれ…次元破壊」
予想通り、守護天使たちは固有結界が発動されるとともに、苦悶の表情を浮かべる。力の本流は繊細な技能を有する者にとってはただの毒でしかないのだ。しかし、その苦しみと引き換えに守護天使たちは神の呪縛から解き放たれ、行動が可能になっている。今のうちに、俺たちが最初に飛ばされた部屋に入ってさえしまえば、再度呪縛されることはないだろう。俺と雪穂は手分けして5人ずつを介抱しながら、扉のほうへと歩みを進める。できる限り速く、神がグリゴリの包囲陣を突破してしまう前に!その祈りが届いたのか、数分後、俺たちは無事に守護天使10人を扉の中へと連れ込むことに成功した。扉に入ってすぐ固有結界は解除したので、命に別状はないはずだ。命に別状がないだけであって、数時間はまともに動くことができないかもしれないが、それは我慢してもらうことにしよう。
戦線に復帰すると、グリゴリたちはまだ全員健在のようだった。さすがは一度神のもとを去るだけの決断を下した者たちだ。しかし、さすがに神相手はこれまでとはわけが違うのだろう。チームワーク等で補いはしているものの、かなり疲労がたまっているようだ。
「グリゴリの長たち、一度退避を!その間の戦闘は俺たちが引き受ける!」
「御意」
そもそも俺たちの戦いだ。巻き込んでさらに死者を出すわけにはいかない。俺は一度グリゴリたちを退避させると、改めて神と向き合う。そこで俺は神の目の真剣さに気が付いた。いや、最初から真剣であったのはあったのだが、その度合いがかなり強くなっているのだ。最初の、試してやろうといった雰囲気はすでに消え去っており、代わりに殺すべき対象への殺気が満ち満ちている。
「お主と戦闘を再開する前に、問うておかねばならぬことがある」
「だろうな。だが、俺たちは引かないぞ?」
「構わん。答えよ、かの堕天使たちを使役する理由はいかに?」
「天使だろうが堕天使だろうが、そして人間だろうが、神は全てを統べねばならないと思ってるからだよ。そしてそれは、力が全てでは無い。信頼というものもあるというわけさ」
神の気迫を込めた問いに、俺は思っていたことをそのまま伝える。きれいごとかもしれない、決して全てを信頼することが正しいとは限らない。でも、それでも俺は、疑ってかかるより、本心でぶつかった後の信頼をもって関係を築いていくことが重要だと思っている。そして、そのような人間になりたいとも。
「くふ、ふぉふぉふぉふぉ!面白い、実に面白いではないか!やはり儂が見込んだだけのことはあるの………よろしい、お主たちを勝者と認めよう!」
「へ?」
「ウソ…」
突然のことに驚きを禁じ得ない俺と雪穂。もちろんブラフの可能性も十分にあるため、武装解除は行わず、戦闘態勢も維持したままだが…そんな俺たちを見て、もう一度面白そうに笑った神は両手を上げるという降参のポーズをとった。どうやら本当に勝利を与えてくれるようだ。しかし、こんな信念を語っただけで勝利してしまってもよいのだろうか。そもそも、儀式とは神を一人にするために殺しあうのではなかったのか…
「驚いておるの。実はの、儀式なんざありゃせんのだ。あれは儂が勝手に言っていただけの事。天使たちをだますような真似をしてまでもな。だが、お主の信念を聞いてハッとさせられたわ。信頼こそが大切…か。はたまた口先だけでなく、行動にまで移しおって。良いではないか、誇るべきことだと思うぞ?」
なんだか騙された気分だ。いや、実際に騙されていたのだが…それでも、そうか、俺の信念が神のお眼鏡にかなったらしい。それは神の言う通り誇ってもいいことなのだろう。これは俺たちが掲げてきた願いが、勝利したということだ。俺は雪穂と向き合うと、その手を取り、そしてそのまま抱きしめた。同様に、雪穂も俺を抱きしめ返してくる。そう、決して一人ではたどり着けなかった道、二人で、いや、たくさんの仲間の助けを経て、俺たちはここまで来た。これから神になるための話やらなんやらがあるのだろう。それでも今は、こんな時間があってもいいんじゃないだろうか。観客席にいた天使たちも、俺たちの姿を見て歓声を上げてくれていた。最初は罵ってばっかりだった天使たちがだ。あの天使たちにも、俺の信念は伝わったらしい。
「最後までこれを使うことは無かった…でも、これで良かったと思ってるよ」
雪穂との抱擁をといた俺は、神に一つの宝石を見せる。4色に輝くその石はマルクト。サンダルフォンに神との戦闘の間だけ貸してくれるようにお願いしていたものだ。そう、俺の切り札はマルクトの神格開放だったというわけだ。
「しかし、お主がこれを使えば反転は避けられんはずだったのでは?反転してしまえば信念も消滅し、ただ荒れ狂う獣と化していただろうに」
「いや、ここのやつが、もう一人の守護者でね」
自分の頭を指さしながらそう笑いかけた俺に、神は一瞬理解できないような顔を見せたが、すぐに顔をほころばせる。
「なるほどの、誰かがお主の頭にいることは分かっておったが、シェキナーじゃったのか。マルクトのもう一人の守護者、シェキナーであれば確かに神格開放しても問題なかろう。そこまで考えておったとは、さすがじゃの。やはり、お主を選んで正解だったようじゃ」
決してこれですべてが終わったわけではない。いや、むしろこれから始まるのだろう。永い永い神としての生活が。それでも俺は雪穂とともにいる限り、信念を貫き通しその目的を果たし続けるんだろうと思う。これが俺の選択なのだから!