謎の扉
俺が目を覚ますと、隣で雪穂が気持ちよさそうに寝ているのが目に入った。昨日は一緒に夜空を見上げながらいろんな話をしていたんだっけ。既に部屋の中に差し込む優しい月の光は消え去り、代わりに黄金の太陽の力強い光が窓から降り注いでいた。大事なことを決定する会議とはいえど、儀式まで日はない。それを鑑みるにそろそろ終わってもいいころだろう。そんなことを考えていた時だった。寝室の扉が遠慮がちにゆっくりと開き始める。その向こう側から姿を現したのは金髪の小柄な男の子、ゼブルだった。ゼブルはあたりを見回し、俺が起きているのに気が付いたようで、こちらへ向かってゆっくりと歩いてくる。それは、他の皆が寝ていることを考えてのことだろう。よくできた子である。しかし、俺の考えをぶち壊すように、その歩みは途中の姉ちゃんのベッドの前で止まった。そのままベッドの上に躊躇いがちに手を伸ばす。いやいや、確かに姉ちゃんは綺麗な人だが、寝込みを襲うのはちょっとまずいんじゃないのか。天使でもそういうことはするんだ・・・というかそのために息を殺して入ってきたのかよ。と、いくらでも突っ込んでしまいそうになるのをこらえ、俺は彼に注意するため、ベッドから降りる。そして、彼の肩に手を置こうとしたところで様子がおかしいことに気づいた。彼の手に握られていたのは姉ちゃんの体ではなく、一通の手紙だったのだ。
「おい、その手紙は!」
「うわぁぁぁ!」
手紙を見てどうしようか思案していたゼブルは両手をあげて、10センチほど飛び上がった。考え事をしているときに急に話しかけられたら驚くのは当然だ。そのまま、なになに言いながら手紙をもってダンスのようなものを踊り始める。もっとも、それはダンスではなく、たんに驚いてよくわからない動きをしているだけなのだが、かわいい顔をしているゼブルがやるとダンスをしているように見えてしまうのだ。
「あ、すまん。俺は悠樹、神永悠樹だ。君は・・・」
「すぅー・・・はー・・・びっくりしました。すみません悠樹様。僕はゼブルと言います。ここにはザドキエル様から伝言を預かってきました。その途中でお手紙を見つけてしまったので・・・あ、この手紙悠樹様・・と雪穂様?宛てですね、お渡ししておきます」
慌てて驚かせてしまったことを謝ると、彼は深呼吸をして自己紹介とここに来た理由を話してくれた。どうやら完全に俺の勘違いだったようだ。いや、俺がそんな風に思ったのも、普段からそんなことがあるかもしれないと、どこかで考えていてしまっていたせいなのかもしれない。そう思ってしまうほど、ゼブルの笑顔には純粋さがあった。
「ああ、ありがとうゼブル。それで、伝言っていうのは?」
「はい、食事の支度が出来たので、お三方ご一緒に一階の食堂に来てほしいとのことです。詳しい話はそこでと・・・」
それだけを言うと、ゼブルは部屋から出て行った。どうやら会議が終わったようだ。おそらくこれから話されることは、人生を大きく変えることなのだろう。それでも、俺と雪穂と姉ちゃんと、三人で乗り切っていこう。まずは、手紙の内容を確認するところからだな。雪穂は気持ちよさそうに寝ているんだし、もう少しゆっくり寝かせてやろう。そう考え、俺が開いた手紙の中には一枚の便せんが入っていた。その上には綺麗な字で文章がつづられている。
悠ちゃん・雪ちゃん、この手紙を読んでいる時、私はおそらくここにはいません。どうやらヴンダーの使い過ぎがたたったみたい。この体を現実の世界に繋ぎ留めておくのが難しくなってきました。おそらく今夜が最後だと思います。私は儀式に参加できそうにありません。最後の最後で手伝えなくてごめんね。それでも、悠ちゃんと雪ちゃんならできると信じています。今回はいろいろできて楽しかったです。それでは、さようなら。
うそだろ、姉ちゃんが・・・昨日俺たち三人でと思ったのに。雪穂と俺と、そして姉ちゃんと三人で今回の困難は乗り切っていこうと、そう思ってたのに。思考がぐちゃぐちゃになりながらも、俺は姉ちゃんが寝ていたベッドを確認する。しかし、そこにあるのは無情にも誰も寝ていないという現実。かすかにたわんだベッドからは、誰かがここにいたことがわかる。それがとどめの一撃だった。俺はひざを折って泣いた。姉ちゃんが寝ていたベッドに顔を埋めて。どれほど泣いただろうか、ふいに俺の頭に手が載せられた。その手は何も言わずに優しく頭を撫で続ける。その手に救われ、ようやくあげた顔の先には優しい表情をした雪穂が立っていた。どうやら、目が覚めたようだ。
「おにいちゃん、どうしたの?」
優しく問いかけてくる雪穂、そして伸ばされた手に俺は姉ちゃんからの手紙を渡した。手紙を読み進めていくうちに、雪穂もどんどん同じような状態になっていく。それこそ、膝から崩れ落ちるかと思ったその時だった。
「ぷふっ!」
雪穂が笑ったのだ。俺はどういうことだと雪穂を見返す。姉ちゃんのこんな手紙を見て笑うなんてことはあり得ない。そんな俺の目の前に手紙を突き出した雪穂は、ある一文を指さす。そこには米印とともに、こんなことが書かれていた。
※あ、別に死なないよ~。理想郷に戻るだけだからしんぱいしないでね~♪
姉ちゃんの声が聞こえてきそうなほど話し方をトレースしたその一文は、これまでの手紙文は文体が全く違う。これは・・・
「狙ったな・・・」
「たぶんね、でもあの人らしいんじゃない?最後には笑っていて欲しいっていうメッセージを感じる気がするよ」
「ああ、何があるか分からねえけど、やり切れってことだろう」
一度は悲しみと絶望に陥りはしたが、おそらくこれが最善だと判断したのは事実だろう。普通の文体で帰ったことを伝えられたら、俺はもっと立ち直りに時間がかかっていたはずだ。これでよかった、それは果たして妥協なのかどうか。しかしそんなことを考える暇も与えず、雪穂が手を握ってくる。気づいているのだろう、俺が悪い方向に物事を考えそうになっていることに。雪穂の手の温もりにだんだん落ち着いてきた俺は、ふとゼブルの伝言を思い出した。天使たちから食事に誘われているアレだ。その件を伝えると、雪穂は俺の手を引いて、天使たちに呼ばれた食堂へと駆けて行った。
食堂というからそれなりの見た目をしているだろうと思ったのだが、認識が甘かったようだ。いや、それなりの見た目をしているのかはまだ分からないといったほうが正しいだろう。そう、目下俺たちは道に迷っているのだ。建物の中で迷うような経験をすることになるとは思っていなかった。寝起きと姉ちゃんの手紙で忘れていたが、ここはかなりの大きさを誇る城の中なのだ。昨日来たばかりの、それも動けなくて運んでもらったような人間が、全体を把握しているわけがない。俺は自分の浅はかさを呪った。もう既に方向感覚は狂い、進んでいるのか、同じところを回り続けているのか、それすら分からない。何かひときわ違うものが見つかれば気も楽になるのだが、行き着く先全てで扉ばかり。それも表札のようなものもない、同じつくりの扉である。どんどん気がめいっていく中、俺たちはやっとずっと続いていた同じ扉以外のものを見つけた。それも扉は扉なのだが、今まで見てきた木製のホテルの部屋の扉のようなものとは一線を画している。それは黒色で金属のような光沢があり、少し威圧感のようなものを感じる扉だった。さらにその扉には、赤い魔法陣のような幾何学模様が浮かび上がっている。絶対に開けてはいけない扉だ。それはだれが見てもそういうだろう。ここを開けて中を見たが最後、この世界にはいられないと言われれば信じてしまう。それほどのおどろおどろしさがこの扉からは感じられた。しかし、これまで代わり映えのしない道をずっと歩いてきて、俺たちの精神は冷静な判断力を失っている。開けないわけがなかった。たとえ何が眠っていてもいい。ここまで来て何の成果もなく、もう一度同じ光景を見続けるのは嫌だったのだ。無意識のうちにドアノブに手が伸びていく。その視界にはもう一本の手。雪穂も同じことを考えていたようだ。互いに頷きあった俺たちは、そのまま手を伸ばしていき・・・
「そこは・・・開けちゃダメ・・・」
「「ウビョルホ!」」
扉に手が触れかけたところで突然出現した向こう側が透けて見える黒髪の少女によって、扉を開くという野望は阻止されてしまう。さらにそれだけでなく、俺たちは変な悲鳴を上げながら後ろへ倒れこんでしまった。しかし、視線は少女から外すことができない。何か見えない力で固定されているかのようだ。そのため気づいてしまった、そしてそれが見間違いではないということを確認させられてしまった。視線が固定されていなければ気づくには気づいたにしろ、間違いだと割り切ってもう見ないという選択ができただろう。少女の体は透けていてさながら幽霊のようだ、ということはどうでもいい。そもそも幽霊のようなものならこれまでも見てきた。それこそ、ファイントなんてその類だろうし、俺たちの武器だって召喚すれば突然現れることを考えると、幽霊と似たようなものだろう。耐性は付いているはずだし、自分でも今更驚くようなことではないと分かっている。しかし、それはとても似ていたのだ。武器召喚士としての最初の仲間であり、俺の後輩でもある彼女に・・・
「穂乃香・・・どうして・・・」
「この城・・・全ての役割を担う・・・それ故・・・来てはいけない・・・」
いや、何か様子がおかしい。目はうつろでどこを見ているかもわからないし、口から出ている言葉は俺の呼び声に対する返事ではない。なおもブツブツと呪文を唱えるように訳の分からないことを言い続ける穂乃香に、雪穂も声をかける。しかし、結果は同じ。一人で話しているばかりで、俺たちに気づいたそぶりも見せない。
「宝珠・・・我・・・命・・・これより先・・・め」
言葉の途中で、そのヴィジョンは唐突に終わった。テレビが消えるようにプツンとだ。おそらく話していたのは一分ほど、しかしその一分は俺の中では一時間にも思えた。有用な情報はほとんどなく、ただの独り言のようであったが、最後に言おうとしていた言葉だけが気になって仕方ない。「これより先め」の続きは何なのだ?迷宮とかそこらへんだろうか。
「なあ、ゆきh・・・」
「あー、やっと見つけました!」
疑問の種を雪穂とともに考えようとした矢先だった。突然明るい声が廊下に響いたかと思うと、廊下の向こうからゼブルが走ってくるのが見える。かなりの距離を移動してきたようだ、疲れ切った顔をしていた。それでも、俺たちを見つけたことで少しは回復したのか、ここまで駆け足でやってくる。
「あまりにも遅いから、道に迷ってるんじゃないかってザドキエル様が仰って。それで僕探しに来たんです」
「ありがとう、ゼブル。実際迷っていてな・・・これ以上は歩きたくないと思うほどだったんだ」
俺はできる限り動揺を見せないようにふるまう。当事者であるゼブルやザドキエルに聞くのが一番早いような気がしたが、何か話すべきではないと、そう感じてしまった。それは俺の本能なのか、それとも別の何かなのだろうか・・・。雪穂も同じものを感じているのだろう、話す気はなさそうだ。
「案内してくれるの、ゼブルくん?」
「はい、そのようにザドキエル様か・・・ら・・・」
突然ゼブルの言葉尻がゆっくりとなる。その視線の先にあるのは例の扉。その瞬間、ゼブルの視線が優しいものから一変し、憎悪に満ちたような鋭いものへと変化した。そして、風が吹き荒れたかと思うと目の前のゼブルの背中に羽が現れ、巨大化していく。一枚がゼブル一人分はあろうかというところまで大きくなったところで巨大化は収まり、また風もやんだ。しかし、ゼブルの表情は険しいままだ。
「二人とも、その中を見ましたか?」
「え?」
低いドスのきいた声、先ほどまでのゼブルの少年声とは正反対の声に驚きを隠せず、答えがうまく出てこなかった。質問に対して質問で返す典型的な答え方。さらにまずいことに、この答え方は相手からすればかなり嫌なものだ。案の定舌打ちが返ってきた。もちろんこれも、少年声ゼブルでは考えられない振る舞いだ。
「私は見たのかと聞いているのだ!答えよ、さもなくば・・・」
「見てないよ。私たちは扉を開けることができなかった。開けようとしたところにあなたが来たから」
さらなる問いかけに、俺は驚きのあまり何もできなかった。しかし、すかさず雪穂が答える。それは的確に俺たちの行動を示しつつ、伏せるべき部分は伏せる完ぺきな回答だった。どうやら、雪穂に救われたようだ。数秒の沈黙の後、答えを信じたのだろう、ゼブルは羽をしまい元の優しい顔へと戻る。
「さて、食堂に行きましょうか。ザドキエル様方が待っておられます!」
そう、明るい少年声で俺たちに手を差し伸べるゼブルには、先ほどの面影は一切なかった。そのまま俺たちを立ち上がらせると、先導して食堂へと案内を始める。そのあとは特に何のトラブルもなく、簡単に食堂前にたどり着くことができた。
「先ほどの扉の件はこれ以上詮索なしでお願いします」
扉の前で振り返ったゼブルの顔は、先ほどの天使モードの時のものだった。しかし、その一言を言い終えるとすぐに表情を元に戻す。そして、先ほどの黒い扉とは違う意味で威圧感をおぼえる、豪奢な食堂の扉を開け放った。
「では、どうぞお入りくださいませ!」
俺たちはゼブルの深いおじぎに見送られながら、天使たちの待つ食堂へと足を踏み入れた。