天界での一夜
眼前の空中に浮遊している老人。こいつはただものではない。オブサーバーを傷一つ負うことなく撤退させるほどの実力の持ち主だ。そして、不可侵の領域であるはずの楽園へと侵入ができた。もちろんオブサーバーも侵入してきたが、おそらくアレは宝物庫の性質を逆利用したものだろう。オブサーバーが持つのは深淵に存在する宝物庫。つまり、その内部からなら偽アーサー王と同様に楽園に入ることができるというわけだ。だが、それにはおそらく大量のヴンダーを消費する。自らが武器召喚の根幹部分へと侵入することになるのだから。それ故、オブサーバーは疲弊していた。先の戦いで援護射撃として投射された武器群の数が減っていたり、老人に向かって加えた攻撃の数がかなり少なかったのもそれが原因だろう。それでも、オブサーバーの戦力は一対一において完全とはいわないまでも、有利をとれる状況だった。しかし、あの老人は顔色一つ変えずに攻撃をさばききったばかりか、オブサーバーを楽園から追放することさえできたのだ。その力は計り知れない、いや、神にすら到達しているといわれても信じるだろう。
「儂はの・・・おや、儂の正体に気づいておるではないか」
「――――ッ!」
全体を見回していた視線が一点で止まる。そう、俺のほうを向いて。老人はどこからともなく杖を取り出すと先端を一方へとむける。その先にいるのは・・・俺だ。
「ほれ、そこの少年じゃ・・・ん?おやおや、儂の気配に気圧されておるのか・・・ふぉふぉふぉ」
言葉にならない声しか発することのできない俺たちの状況に気づいたのだろう。老人はさも面白いものを見たように笑いながら言葉を続ける。最後に一笑い、老人によく見られるふぉふぉふぉ笑いをした後、老人はその表情を柔らかいものへと変えた。たったそれだけのことで、体に自由が戻る。真名を解放した際のヴンダー消費による疲労で仰向けの状態から立ち上がることはできないが、それでも首を動かしたりする程度のことはできるようになった。
「僕の想像が正しいとあなたは言いました。ならば・・・ならば、あなたは神様なのですか?」
俺の問いかけ、それはいつもの口調ではない。正体不明の相手にいきなり敬語を使うのはおかしいと思うのだが、それでも口から出たのは敬語だった。それほど、目の前の老人からは、何とも言い難い雰囲気が醸し出されていたのだ。
「いかにもその通り。儂は、この世界で神をやっておる者じゃ」
天使たちが息をのむ音が聞こえる。天使とはいえ、神と交信できるのはほんの一握り。さらに、交信できるものでさえその姿を拝謁することは能わず、声を聞くことができるだけだと、前にサンダルフォンが言っていたことを思い出す。そんな神様が絶対不可侵の領域から出て、楽園へとやってきたのだ。加えて自分たちにその姿をさらしているとなれば、天使たちがこうなるのは仕方ないのだろう。当の天使たちはというと、神様が名乗った瞬間、早送りのテープを見ているかのごときスピードで全員服従の姿勢をとっていた。化け物を拘束するにあたってかなりの力を消費し、俺たち同様動くことすら厳しいという状況なのにも関わらずだ。
「神よ、我らが非礼をお許しください」
その中で守護天使の筆頭格に当たるメタトロンが、神様に対して謝罪する。その顔は下を向いたままで、神様のほうは向いていない。直視してよい存在ではないという判断だろう。
「メタトロンよ、それは何に対して許しを乞うておるのだ」
「まずはあなた様を見てしまった非礼、次に言葉を発した非礼、そして最後に我らが守護天使の使命たるセフィラを守れなかった非礼でございます」
「ふむ、先の二つは構わん。問題は最後のものじゃ。セフィラの守護の失敗だけでなく、他人を巻き込んだの。それに、その者らに神に等しき力を与えた」
天使全員の頭がさらに下がる。それは叱責されて落ち込んだ子供のような姿だが、二つの非礼に対する許しへの感謝と、最も重大なミスを責められたことに関する行動だと考えれば納得できるものだ。天使たちは気づいている、自分たちのミスがどれほど大変なものなのか。そして俺たちを巻き込んだことが、どれほどの禁忌であるのか。でも、天使たちは俺たちを頼った、いや、頼らざるを得ない状況だったはずだ。俺も雪穂もそのことには気づいていた。さらに、この件は同じファイントの力を持つ、俺たちの力が必要であることも。そして、いくつもの死地を乗り越え、俺たちは成し遂げたのだ。そんな彼らに叱責だけというのは違うだろう。
「なあ神様、彼らはできる限りのことをやったんだ。俺たちは役に立てて嬉しく思ってるぜ。そんなに彼らを責めんなよ」
仰向けに倒れたまま、神様に声をかける。この行動と口調は、神様に対して不敬なものだろう。実際それがわかって、俺はさっきまで敬語を使っていた。でも正直な気持ちを伝えるのに、へりくだりすぎるのも何か違うと思ったのだ。それ故にいつもの口調で言葉を紡いだ。その言葉に、雪穂も頷きをもって肯定の意を示す。天使たちは予想外のところからの援護に一瞬驚いたが、それよりも口調や態度に焦りを覚えているようだった。また叱責されるのではないかと、天使たちが身構える。
「ふぉふぉふぉ!少年と少女よ、おぬしらはなかなか面白いことをいうの。そこまでの覚悟があるのなら・・・よかろう。メタトロン、儀式の準備じゃ。これより太陽が十度天頂に達したときに執り行う。ここまで来たら、おぬしらも最後まで責任を取るのじゃぞ。では、後程また会おう」
「神よ、ですがそれは!」
言っていることがてんで理解できない俺たちを置いて、神様は天使たちに言葉を残すと、そのまま幽霊が消えるかのように透明になっていく。見ることも非礼と言っていたメタトロンがそれすら構わずに顔を上げて抗議の声を上げるが、その言葉は聞き届けられず、笑い声を残しながら神様は俺たちの目の前から消失した。あとに残されたのは、狼狽を隠し切れない天使たちと、状況が一切理解できない俺たち。その時、神より直接儀式とやらの開催を宣言されたメタトロンが、俺たちに少し時間がほしいと言ってきた。何やら先ほどの儀式はかなり重要なものらしく、天使全員で会議を開くとのことだ。そのため、大天使たちの住居等、必要なものが存在する第六天へと移動するらしい。第六天の管理者はザドキエル、第4のセフィラであるケセドの守護天使だ。彼はケセド回収の際に一緒に戦った仲間であり、ケセドと同色の青色をした長い髪が特徴だ。男ではあるが女性とも見間違う容貌をしており、主に癒し等を専門としていた。脳筋プレイが常の俺と雪穂にとって、ありがたい回復者となったのは言うまでもないだろう。
「では、参りましょう。第六天へ接続、天界梯子展開!」
ザドキエルの声とともに、あたり一帯が光に包まれる。そして光が収まったとき、俺たちは第六天へと転移していた。そこにあったのは、一際大きく城のように見える建物とその周りに立つ住居群。その周囲では柔らかな風が吹き、あたりは一面緑に覆われている。動物たちこそいないが、俺たちがいた地上と変わらないような空間だった。ここには住居のほかに参謀本部が存在すると聞いていたが、おそらく城のようなものがそれに当たるのだろう。実際、天使たちは動けない俺たちを二人がかりで運びながら、城を目指しているようだ。麗らかな日差しが差す第六天を飛ぶこと数分、俺たちはついに城へと到着した。
「ゼブル、サバト!門を開け!」
20メートルほどにもなろうかという、荘厳な装飾が施された城の門の前まで来ると、ザドキエルが声をあげる。その声にこたえるように大きな扉が開くと、中から二人の天使が現れ、恭しく礼をした。その容貌は双子のように似通っているが、髪の色が違っている。一人が太陽を表すかのような金髪なのに対し、もう一人は夜の闇のような黒髪なのだ。ザドキエルの視線などから考えるに、金髪の子がゼブル、黒髪の子がサバトらしい。
「「おかえりなさいませ、ザドキエル様。そして、ようこそお客人方」」
さらに一歩を踏み出した俺たちに挨拶がかけられる。完全にシンクロしたタイミング、二人の信頼関係が故に成せるものだろう。そしてそのまま城の中に通されると、背後で扉がゆっくりと閉じ始めた。その扉が完全に閉まったのを確認すると、ザドキエルはゼブルとサバトを自身のもとに呼び寄せ、二人だけに聞こえるような声量で耳打ちをする。その瞬間、二人の表情が豹変した。例の件を話したことは明らかだが、本当にここまでのものなのか。何をさせられるか全く分からないこっちとしては、少々心配になる反応ではあるが、天使たちが答えてくれないのだから仕方ない。どのみち会議とやらが終わればわかること。俺はそう割り切ることにした。その後、会議の間はゆっくり休んでおいてくれと言われ、俺たちは寝室に連れてこられていた。そこにはベッドが四つあり、一つを残した残り三つにそれぞれが寝かされる。それはまるで天にも昇るような心地よさを与え、疲弊していた俺たちは一瞬で眠りへといざなわれた。
どれほどの時間眠っていたのだろう。俺が目を覚ますと、部屋の窓から差す光は太陽の煌々とした光ではなく、月が醸し出す優しい光へと変化していた。ベッドの横にあった窓から空を見上げると、どこにも欠けたところがないきれいな満月が空に昇っている。それに加え、多くの星々までもが見て取れた。発達した文明の明かりが存在しない天界では、その星の壮大さたるや、言葉に言い表せないほど美しい。天国があるのなら、このような空なのかもしれない。いや、ここはまさにその天国なのだが。それはそうと、月も太陽も天界に存在するものとは思えない。なにしろ、俺たちの世界で月と太陽といえば天体の一種であり、自転公転をすることによって見え方が変わったりするものなのだ。天界が地上界の上に作られ、第七天まで存在するものなのだとしたら、惑星であるとは考えにくい。上部に見える空は、次の階層の底ということになるのだから。それでもこういった景色が見られるのは、天使たちが地上に赴く際、違和感を覚えないためなのだろうか。細かいことはどうでもいいか。この素晴らしい景色が見られるのだから、文句はない。
「綺麗だね、夜空」
「ああ」
ふいに耳元で声が聞こえた。その声に俺は何の警戒心もなく返事を返す。どうやら俺の隣で寝ていた雪穂が起きたらしい。別々のベッドに寝かされたはずなのに気づけば同じベッドに寝ていた。そんなことに驚くようなことはもう無くなっている。なにせこんなこと日常茶飯事だ。宿で二人部屋をとっても朝には隣に雪穂がいる、ということが10回ほど続いたあたりで、もう一人部屋以外取らなくなったほどなのだから。もちろん、宿の人には変な目で見られるが、気にしなければどうということはない。俺は後ろに手を伸ばすと、そのまま雪穂の頭を撫でた。
「おにいちゃん、うふふ」
雪穂はそのまま手を前に回してくる。後ろから抱きついてきた形だ。俺は回されてきた手を取ると、そのままギュッと握った。強すぎはしないが、弱くもないそんな強さで。それに気持ちよさそうな声を出した雪穂も手を握り返してくる。
「おにいちゃん、私たちは何をすることになるんだろう」
「わからない。でも、たとえ何があろうと切り抜けられるさ。俺たちなら・・・」
「うん」
少し不安そうな雪穂の声、でも俺たちならできるだろう。これまでがそうであったように。俺は雪穂とともに、夜空を見上げながらたわいのない話を続ける。そして、お互いの温もりを感じながら、どちらからともなくもう一度夢の世界へと落ちていった。