手にした力
ダアトを取り込んで化け物と化したアーサー王、その体は膨張をつづけ、10階建てのビル程の大きさまで巨大化する。その姿は異形、とてもこの世のものとは思えないようなものだ。それこそ、見ているだけでSAN値がどんどん削られていくような感覚にとらわれるほどのものである。しかし、こいつを倒さなければセフィラを樹に戻すことが出来ないのも事実。セフィラが樹に戻らないこと、それは星の壊滅が避けられないことを意味する。深淵の存在となってしまった以上、対応できるのは神だけなのかもしれない。それでも、やらなければならない。それがここまでやってきた者としての務めでもある。というのは建前だ。正直な話、それよりも俺の中に湧き出る感情があった。それは決して、戦闘の中で出すべきものではないのだろうが、知ったことか。その感情は怒り、まぎれもない憤怒だった。俺は、いや俺たちは文字通り命を懸けてこの星を守ろうとしてきた。そのために円卓の騎士団と同等の力を持ったファイントとも戦闘を行ってきたのだ。それほど窮地に陥らなかったとはいっても、円卓の騎士団もどきとの戦いは生半可なものではなかった。それを様々な時代を渡り歩きながら10戦も行い、その旅路の果てにやっとたどり着いた先で、これである。加えて、相手がとっていた様相はアーサー王そのもの。仮にも俺の姉となったアーサー王を模倣するなど愚弄にもほどがある。これらをもってして、怒りを持たないはずがないのだ。だが、戦場では怒りに任せて立ち振る舞った者ほど早く死ぬ。これは紛れもない事実であり、これを回避するためにはどんな状況でも冷静で、客観的に物事を見られる能力が必要となる。しかし、今の俺にそんな考えは一切なかった。自覚はしていなかったが、それほどにまで激高していたのだろう。
「バラバラになる覚悟は出来てるんだろうなぁ!」
一声咆えると、俺は地面を蹴って目の前の生命体へと駆ける。それに気づいたのか、最後の剣が俺に向けてその切っ先の位置を調節してくる。もちろんそれは想定済みだ。俺も負けじと黄昏の聖十字を展開し、迎撃にあたる。相手の剣は一本、対するこちらの剣は二本だ。黄昏の聖十字をはるかにしのぐ大きさとはいえども、Sランクとの判定を受けたカオスカリバーよりも強化されている規格外の剣で防げないことはない。一本で防ぎ、その反動をも利用してもう一本を叩き込む。そう頭の中で作戦を立て、まずは迎撃と出した剣は、その刀身を半分にして俺に答えを見せつけた。こいつに人間もどきごときでは敵うことがないと。剣を切られた反動は全く感じなかった。それほどにまであっさりと、愛剣は破壊されたのだ。そして、その返す剣の一撃でもう一方の剣もあっけなく両断された。戸惑いを隠せず動くことすらできない俺の体は、最初勢いを殺されることなくそのまま敵の懐へ吸い込まれていく。そこへさらに一撃、最後の剣による攻撃が放たれた。しかしそれは直接的な攻撃ではなく、俺の進行方向に剣を立てるというもの。つまり自ら剣に突っ込んで死ねと、そういうことだろう。これまで刃こぼれすらしたことが無かった黄昏の聖十字でさえ豆腐を切るように両断したあの剣の切れ味だ、触れれば間違いなく真っ二つになる。それが頭の中で分かっていても、剣が無くなったことについていけなくて、体は言うことを聞かない。その時、一迅の風が吹き抜けた。その風は俺の体を空中で掴むと、そのまま致死領域から離脱する。間一髪のところだった。あともう少し遅ければきれいな二枚おろしになっていただろう。
「悠ちゃん、大丈夫?」
俺を抱え上げる人物が俺に聞いてくる。その声には聞き覚えがあった、それもさっき聞いたばかりの声だ。その最後の一言は神格開放の言葉だった。腰まで伸びる銀の髪に白い肌、そう、まぎれもないアーサー王である。その事実に気付いた瞬間、俺は反射的にその手の中から逃れようと体をひねった。
「放せ、この化け物め!」
しかし、彼女の手はそれを許さない。より強くその手を締め付けてくる。
「逃げないで!今落ちたら、死ぬわよ!」
いつものフワフワしたアーサー王からは考えられないきつい口調、だがこちらを振り向いた瞳に敵意の色はなかった。そこだけはいつもと同じく、優しく俺を見つめていた。それに気づいた俺は逃げるのをやめた。それは、疑いが晴れ確信がもてたから、この人は間違いなく姉であると。それと共に、俺の中に湧き上がっていた怒りが消えてゆく。姉という存在が出すオーラのようなもののせいだろうか。そして、急速に冷静になっていく頭の中で、俺がどれほど無謀な賭けに出たのかを思い知ることとなった。それに悶絶しそうになったその時、背後から殺意に似た何かを感じた。ふと視線を向けると、剣を振り上げた巨大生命体が目に入る。どうやら俺が逃げたことに怒りを感じているらしい。その巨体に似合わぬ速さで、俺たちめがけて何度も剣が振るわれる。しかし、飛んでくる位置が分かっているかのように、姉ちゃんは最低限の動作でことごとくを避けていく。その姿は、天に咲く花のような美しさを誇る舞となって見えたであろう。ダアトというものの本来の意味を知っているがゆえに、恐怖心で金縛りにあっていた彼らが順々にその意識を取り戻していく。そして、俺に代わって怒り狂った化け物に向かって手をかざす。
「「「天より下すは聖なる鉄槌、封殺の一撃、破邪の光をもって、我らが敵を繋ぎ止めよ、誅裁の鎖!」」」
10人の息があった詠唱、それとともに天に数多の鎖が出現する。それらは全て金の光を帯びており、狙いたがわず化け物へと殺到すると、その体に幾重にも巻き付いた。それとともに、俺たちを襲っていた攻撃も止んだ。
グオォォォォォォォッ!
大地が割れるような咆哮が化け物から放たれる。必死に体をゆすり、巻き付いた鎖をほどこうとするが、上手くいかないようだ。さすがは守護天使総出の一撃、黄昏の聖十字をいともたやすく切り裂いた最後の剣すら、その鎖にとらえ動きを完全に封じている。だが、それほどの威力を持つ一撃だ。使用者が受ける負担は相当のものになるだろう。実際、守護天使の面々の顔は必死のそれで、掲げた手も軽く震えている。おそらく長くはもたない。
「悠樹様!雪穂様!私たちは鎖を抑えることで精いっぱいです!加えて、大変心苦しいのですが長くは持たないと思われます!そこであなた方にお願いがございます!」
メタトロンの苦しそうな声が頭上から響いてくる。それは悲痛な叫びのようで、聞いているこちらでも、アレを抑え込むのがどれほどの力を使うのか分かるほどだ。俺たちは雪穂と合流すると、そろって頭上のメタトロンに目を向ける。それは肯定の意を告げる行動としてとられたようだ。
「今から果実をお渡しします!そちらを召し上がって下さい!」
そう言うと共に、頭上ら何か物体が落下してくる。それはこの世のものとは思えない様相をした何か。メタトロンが果実と言わなければ決してそうは取れなかったであろう物体だった。目に映っているのかいないのか、形は一定なのかそうでないのか、果たして存在するのかどうかも不明だったのだ。脳がそれを理解していない、いや理解できないのだろう。落とされた果実はそういったものだった。しかしその数は二つ、俺たち三人には一つ足りない。
「そちらの銀髪の方の分はございません!なにせ生死が不安定なもので、生者しか口にできないものを渡すわけには!」
訝しげな目になった俺たちに気づいたのだろう、メタトロンが補足説明を投げてくる。しかし、どういうことだ?姉ちゃんの生死が不明?まぎれもなくここに存在するのに、と思い姉ちゃんのほうを見ると、どうやら納得しているようだった。一人でうなづいている。
「一体どういう・・・」
「悠ちゃん、無駄話はそこまでよ。早く食べなさい、その生命の木の実を・・・」
「「――――ッ」」
俺と雪穂は息をのむ。それもそうだ、今告げられたのは手の中にある果実の正体。生命の木の実、これは人間が手にしていいものではない。古い記録には、生命の樹と善悪を知る木は連立して存在していたことが書かれている。善悪を知る木の実は言わずとも知れた、アダムとイヴが食べたとされるものだ。楽園を追放されたきっかけである。それは、人間が掟を破って木の実を食べたからだとされるが、それは正確ではない。もちろんそれも追放の原因の一つだが、神には一つの恐れがあったのだ。善悪を知る木の実と生命の木の実、この二つを食べれば神と同等の存在になる。善悪を知る木の実のほうを食べた人間であれば、生命の木の実をいつか食べるかもしれない。そうなったら大変だと、神は人間を追放し道を封じたのだ。メタトロンたち守護天使はあくまで天使であり、人間よりも先に神に創造されているため、善悪を知る木の実は食べていない。つまり、自分たちが食べてもどうしようもないのだ。しかしそれに対し、俺と雪穂は半分とはいえど人間だ。そんな人間の血を引く俺たちが、この木の実を食べればどうなるか・・・それは、つまり・・・そんなためらいを見せる俺に、雪穂が話しかけてくる。
「おにいちゃん、たぶんこの方法しか残ってない」
「でもこれは・・・この方法は・・・姉ちゃんはどうする?」
「お姉なら大丈夫。だって、鞘を持ってきてるんでしょ?」
「ええ、鞘はあるわ。だから私も戦える。攻撃は通らないかもしれないけれど、囮ぐらいにはなれるわ」
こちらに向けて笑いかける姉ちゃんの笑顔を見て、拒絶することはできなかった。だって、この人はこうなったら話を聞かないから。一つの正しさを見つけたら、絶対に曲げない人なのだから。仕方ない、ここまで来たらもう信じることしかできない。俺も頬を緩ませ、姉ちゃんに笑いかける。そして雪穂に視線を移すと、頷き合い果実を口に運んだ。明確な大きさを判断できなかった果実は、口の中に入れたとたん小さな球体へと姿を変えた。そして次の瞬間、口の中で溶けるように一瞬で消え去り体の中に取り込まれた。それは食べたというよりも、吸収したといった方が正しいかもしれない。そして、俺と雪穂の二人の体があの鎖と同じ金色に輝き始めた。一瞬強く光が瞬いたかと思うと、その光は俺たちに吸収されて消えていった。しかし、服装から体つきまで特段何か変わったようには思えない。だが、何か頭の中がすっきりしているような気がする。これが神のようになったということなのだろうか。それならと剣を出そうとして思い出した、俺の剣は真っ二つにされてしまったということを。どうしようかと考えていると、その思考を読んだかのように雪穂から声がかかる。
「おにいちゃん、無いなら作ればいいんだよ。そもそも、私たちの武器じゃ、あれには対抗できないだろうしね。私も作るよ」
「その手があったか・・・なら!」
意識を集中させて俺が使いやすい武器を想定する。そして脳内に絵を描き、現実世界へと再現する。これこそが、神の万物創造の力。俺たちの手から黄金の光が立ち昇り、それが収まった時、そこには武器が握られていた。その武器の切っ先を化け物に向ける。その瞬間、天使たちの鎖がはじけ飛んだ。
「後は任せます・・・」
メタトロンの疲れ切った声が聞こえる。ここまでよく耐えてくれた。こっから先は俺たち兄妹が預かろう。
「さあ、始めようか!」
「この戦いが全ての終わりをもたらすことを祈って!」
「あなた方に勝利を!」
俺と雪穂、そして姉ちゃんが一斉に駆け出す。こうして戦いの火蓋が、改めて切って落とされた。