ランダムお題「メジャーな空」
制限時間1時間(56分使用) お題「メジャーな空」
糾弾の青空
卒業式が終わった。三年間通い続けた高校とも、今日を境に来ることは無くなるだろう。僕は県外の大学に合格し、寮での生活を決めていた。部活も不真面目で仲の良い後輩も居ないから学校祭に来たりすることも無い。本当に、ただの部外者になる。それがなんだか嬉しくて、けれど反面寂しくて、ちょっとアンニュイになりながらも僕は振り返ることなく校門を出た。
三月の頭。青空が空に広がる清々しいい天気で、雪は残ってないにしてもまだ肌寒い。桜が咲く入学式なんてのは最近ではなかなか滅多に無いような気がする。あと一ヶ月でそんなに暖かくなるかが心配になる。別に桜が咲いてないからどうってわけでもないのだけれど。
こんな日だというのに両親は仕事の関係で式に来ることが叶わず、僕は独りで歩いていた。卒業証書が入った鞄を手に、卒業式に一人で帰る。うん、我ながら寂しい生活を送ってきたもんだ。あまり他人に興味が無くて、ぼんやりと過ごしてきた。それは自分が悪いだけで、他の誰の所為でもないのはよくわかっているつもりだった。つもりだけれど、誰かひとりくらい、僕のことを気にしていてくれてもいいような気がしないでもない。今更、今更。考えたって虚しくなるだけだ。
まだみんな集まって話しているんだろう、騒がしい校舎から離れるにつれて声が遠くなっていく。僕を巻き込むことなく終わったその騒々しさが、少し心に痛い。
しばらく歩いていると、携帯が震えた。メールが一通、届いていた。知らないアドレスだ。件名は空白で、誰からかは分からない。開いてみると『島崎です。西山君、もう帰っちゃった?』と一行だけ書かれていた。島崎、っていうと、クラスの女子の一人で割と大人しい子だったっけ。殆ど喋ったことはないしなんで僕のメアド知ってるのかもわからないけど、気にかけてくれる人っていたんだなぁと少し嬉しい自分が居た。今学校最寄のローソン前、とだけ書いて返信する。すぐに『待ってて』とだけ書かれたメールが返ってきた。え、何。来るの? なんで?
ほどなくして島崎さんは自転車に乗って来た。少し息を切らす島崎さんに、僕はこの人はこんなアクティブだったんだとかそんなことくらいしか思っていなかった。
「びっくりした」
「え、なんで?」僕もびっくりしてます。今。
「だって式終わってすぐいなくなるんだもん」
「あぁ…だって別に話すこと無いし」
島崎さんは少しの間黙って僕の顔をじっと見た。
「……乗って?」
自転車の荷台を指さして言われる。
「え、でも二人乗りってダメなんじゃ」
「いいから」
有無を言わさぬ迫力で押し切られる。大人しい印象だったんだけどなぁ。
固い自転車の荷台に腰を下ろす。「捕まって」と言われるが、女の子の身体に捕まるのは気が引けたので肩に控えめに手を乗せさせて貰うことにする。
ゆっくりと走り出した自転車は凹凸が所々にある道路にふらつきながら進み続ける。学校に戻るかと思ったが、学校とは違う方向に進んでいるのに気付いた。
「……ねぇ、どこ行くの? なんで僕を連れてくの?」
尋ねてみるけど、島崎さんは答えてくれない。なんだか僕がすぐに帰ろうとしたことで島崎さんまでみんなと話す時間を失くしちゃったように感じて申し訳ない気持ちになる。
やがて自転車はふらつきが大きくなる。坂道を登ろうとしていたのだ。
「降りようか。自転車押すよ」
僕の申し出に、島崎さんが首を振る。
「いい。私が連れて行きたいだけだから、私が漕ぐ」
って言われても今にも倒れそうだし危ないし、女の子には無理だと思う。
「じゃぁ僕だってついていくんだから力にならないとね」
言って、まだゆっくり坂を上る自転車から飛び降りて荷台を押しながら走る。
「……耳をすませばみたい」
島崎さんが笑いながら言う。あぁ、あったねこんなシーン。
坂道を登り切って、再び荷台に乗る。自転車は細い道に入り、僕が知らない道を進んでいく。やがて自転車は止まる。すぐ横に下に降りる階段がある。
「こっち」
島崎さんに言われるままついて行く。階段を下りたところにあったのは、狭い、滑り台とシーソーだけがある寂れた公園だった。
「昔ここでよく遊んだんだ」
懐かしそうに島崎さんは言う。今でも子供達はこんなところに来るんだろうか? と思ってしまうほど遊具は錆びつき、雑草が自由に伸び生い茂っている。
「…で、なんで僕をここに連れてきたの?」
問いかけると、ため息をつかれる。はぁ、すんません。
「いいよ。わかってるから」
僕が何もわかってません。ごめんなさい。申し訳なさそうな僕の顔を見て、島崎さんは苦笑した。
「ね、覚えてる? 一回だけ、席が隣になったよね」
記憶の糸を辿ってみる。確かに、去年に一回だけ席が隣同士になったことがあった気がする。
「覚えてないかもしれないけど、西山君、私が物を落とすとすぐに拾ってくれたんだよ。他の人の時でもそうだったし。いつも一番に誰かの為にちょっとしたことしてあげてた」
そこまで言われて、僕はようやく理解する。好かれていなかったから、せめて嫌われない努力をしていたつもりだった。ただそれだけのことだったのに。
「くだらない、そんなことって思われるかもしれないけど、私は、そんな西山君だからずっと見てたよ」
恥ずかしそうに言う島崎さんと、視線が交差する。
「後悔したくないから伝えます。私はあなたが好きです」
月並みの告白の台詞。初めて言われた、そんなこと。誰も気にかけてくれてないと思っていたのに。
「……でも西山君ってば、何もないまま帰っちゃうんだもんね。わざわざ答えなくていいよ。ゴメンね」
笑顔のまま言う姿に、少し胸が居たくなる。僕は島崎さんが「好き」じゃないどころか、自分のことを気にしてくれていることにすら気づかずにいた。答えはもう伝わってしまっていた。
「ね、最近じゃあんまり聞かないけどさ、第二ボタン、貰えないかな」
言われるままに第二ボタンを制服から切り離し、島崎さんに渡す。ぎゅっと両手で包み込んだ島崎さんは「ありがとう」と満面の笑みを浮かべた。
なんて声をかければいいのかわからなかった。ごめんね? 違う。答えなくていいって言った。全部伝わってしまっている。傷口に塩を塗るようなことをしたくない。ありがとう? それも違う。だってその言葉に続くのはイエスじゃない。同じだ。
「……ごめんね、困らせて。ごめんなさい」
「……謝らなくていいよ」
沈黙が重苦しい。僕は、どうしていいかわからない。
「……私、まだしばらくここに居ていいかな? 帰り道、わかる?」
頷いて答える。
「じゃ、気を付けてね。無理矢理連れてきてこんな話してごめんね」
笑顔のまま、手を振る。気丈に振る舞う島崎さんに心を痛めながら、僕は踵を返して帰路につく。
「さよならー!」
背中に明るく繕った声を受け、それが重しになって僕の足取りをさらに重くする。
地に縛りつけられた足から目を逸らして空を仰ぐ。ありふれた空模様のはずなのに、嫌がらせのように清々しい青色だった。