第二話
なんとなく更新。
彼は気がついた場所からしばらくの間動けなかった。いや動くという考えが浮ぶ前にパニック状態になっていた。
(何だこれ何だこれ何だこれ何だよこれはあああーーーー!!)
しゃがみ込み頭を抱える彼。ガタガタと振るえ呼吸が荒れてくる。
(一体何が起きたんだ!?自分は家に、自分の部屋にいたはずなのになんでこんな森の中にいるんだよ!!)
5年間碌に外に出る事無く引き篭もっていた彼にとって明るい外の世界はすでに別世界といっても過言ではなかった。
そんな彼が、訳も分からず見知らぬ場所に放り出され、冷静になれるはずがなかった。
(なんでどうして、訳がわからない。誰か助けてよ)
しゃがみながらもガタガタ震える彼。そんな彼に追い討ちをかけるかのように後ろの茂みから物音が聞こえた。
「ヒッ」
彼は物音が聞こえた所に顔を向ける。彼の視線の先、茂みの中から現れたのは三つの目を持った狼のような生き物だった。しかもあきらかに大きさがおかしかった。
彼がしゃがんでいるせいもあるかもしれなかったが、それでも目測で3・4メートルは有りそうな大きさだった。
「あ、ああぁ……」
涎を垂らしながらゆっくりと近寄ってくるその生き物を見て逃げ出そうとするも体が上手く動いてくれず、尻餅をついてしまう。そして尻餅をついた状態で後ずさる彼だったが背中が森の巨木に当たってしまいそれ以上下がる事ができなくなってしまった。
しかも移動した場所の両脇には太い根が地面から飛び出しており横に逃げるにしても根が邪魔ですぐさま逃げる事などできなかった。
「グルルウウゥゥ」
ポタポタと開いた口から涎を垂らしながらゆっくりと近づいてくる三つ目の狼。彼はパニックになった状態で碌に考える事もできずただ恐怖に怯える事しかできなかった。そして三つ目の狼は彼の顔目掛けて大きく口を開けて飛び掛った。
彼は飛び掛ってくる三つ目の狼の牙がゆっくりと、スローモーションのように見え、そして頭の中にこれまでの人生の出来事が浮かび上がった。
(ハ、ハハ……走馬灯ってやつかな、これ)
周りの子が楽しく笑って話しているのを羨ましそうに見つめているくせに自分からは何も行動しなかった場面から始まりいつも一人ぼっちだった日常。そして引き篭もってから親とも碌に話すことすらできない5年間の記憶が浮いては消えていく。どの記憶も楽しさも嬉しさもなくただ後悔しているだけの記憶だった。
が、途中から明らかに別の物に変わって言った。
それは1人の少年の記憶だった。黒髪黒目を持って生まれた少年は生まれた時から迫害の対象だった。残飯のような食事を食べさせられ、暗い地下室に閉じ込められ、碌に教育すら受けさてもらえなかった毎日。家族であるはずの母親や父親、兄妹からは罵倒の言葉と動じに魔法と思わしき現象で虐待されて、最低限の治療だけされて放置される。
そんな最低の生活の中必死に生き抜く物の、少年はある日後頭部を殴られたのち、森の奥深くに捨てられた。
捨てられた森でたった一人になりながら少年は生にしがみついた。虐待時に聞いた魔法の詠唱を唱えて最低限の自衛手段を手に入れ、野生の生き物を殺しその血肉を食べて生き抜いていった。
だが、碌に食事もできず教育も受けてこなかった少年。毎日がギリギリの生活で何日も食べ物がなかった日もあった。凶暴な生き物に殺されかけたこともあった。それでも何とか、何とか生き抜いていた少年にさらに悲劇が襲う。
魔族の襲撃である。
どうやって少年の事を知ったのかは分からないが、一体の魔族が少年を攫いにやってきたのだ。魔族にとって黒髪黒目と言う不吉な色は魔族が信仰する邪神に対しての生贄に最適であった。だからその魔族は少年を攫いにきたのだった。
その魔族は最下層の魔族であったがその力は少年を軽く上回る。抵抗むなしく散々嬲られ、捕まり攫われそうになった時、少年は近づき担ごうとした魔族の口に自分の右手を押し込みそのまま右手から少年が持つ最強の魔法を放った。
油断していた魔族は口の中で発動した魔法によって頭部を爆砕されて死んだ。その死体を少年は近くに有った石を使って殴りつけた。石が壊れたら他の石を取り何度も何度も魔族の原型がなくなるまで殴り続けそして地面が魔族の血肉で染まった時その上に倒れこんだ。
その時から少年は狂ってしまったのだろう。
毎日毎日何かに見られ、監視されているかのように感じては体中を血が出るまで掻き毟り、獲物を殺したらそのまま獣のように血肉を食す。その姿はボロボロの服と姿が相まって異形の化け物のように見えていた。
だが、そんな生活も続かなかった。もともとギリギリで生活していた少年が魔族の襲撃で体も精神もボロボロになり、そんな中で治療もせずに生活できるわけもなく一月立たずに満足に動く事ができなくなった。
体中に膿んだ傷を作り右手は壊死しかけた少年。もはや死ぬのを待つだけの状態となった少年の頭に浮んだのは少年を襲った魔族が言っていた邪神の召喚という言葉だった。
録に動かない体を無理やり動かし、地面に自分の血を使い召喚のための魔方陣を描いていく少年。無論召喚の魔方陣など知らないし、そもそも召喚できるかどうかも分からなかった。だが少年は何かに取り付かれたかのように魔法人を書いていく。そして出来上がった魔方陣の中心に倒れこみ、魔方陣に魔力を流し込む。
呼び出すは邪神
願いは世界の滅び
対価は自分の血肉全てと魂
成功するかどうかなんて考えなかった。ただ、自分を生み出したこの世界が憎かった。愛する事も愛される事もなくただ惨めに汚く、誰にも知られることなく死んでいくのが嫌だった。
少年はもはや光を感じる事しかできなくなった瞳で空を見上げて呟いた。
「もっと、生きたかった」
少年の最後の言葉を聞いた彼。その時カチリと何かが合わさった音が聞こえ、それと同時に右手が勝手に動き迫り来る三つ目の狼の前に出た。
そして彼は分かっていたかのように呟いた。「滅べ」と。
黒い光が一瞬辺りを包み込む。その黒い光が収まった後、彼の目の前には見つめの狼の姿はなく、ただその三つ目の狼の骨らしきものだけが残っていた。だがその骨も触る事無く崩れ落ち砂と化した。
「ヒャ、ハハ……ヒャハハハハ!!」
彼は顔を両手で隠し狂った笑い声を上げた。そしてその場で吐いた。何度も何度もえずきながら胃の中のものが何もなくなるまで吐いた。
「ハ、ハハ……なんだよこれは」
虚ろな瞳で呟く彼。
「なんだよ、あの記憶は……」
グルグルと少年の記憶が彼の頭の中を回る。
「……」
ゆっくりと立ち上がりフラフラと歩き出す彼。その姿は虚ろながらも黒く、暗い瘴気を放っていた。そして彼の瞳は光を映さず暗闇を切り出したように真っ黒であった。
この日、この世界に邪なる神が現れた。愛する事も愛される事も知らずただ世界を憎んだ少年によって異なる世界から呼び出された神。
後にこの邪なる神はこの世界に住むあらゆる種族を巻き込んだ戦いを引き起こす事となる。
この世界がどうなるのかは、まだ誰にも分からない。