第2話
最初に感じたのは、硬く冷たい床の感触だった。それから重なるいくつものゲーム音。
智花はゆっくりと目を開けた。先ほどと同じ、ゲームセンターの端っこだ。
だけどやけに静かだった。先ほどまで聞こえていたはずの、人の声が一切ない。
地面に手をついて体を起こす。智花の隣で、さっきの女の子が倒れ込んでいた。スクールバッグを持ったまま目を閉じている。
その胸がゆっくり上下しているのを見て、智花の体の力がほんの少しぬけた。
しかし辺りを見回した瞬間、智花は動きを止めた。
人の声もそうだが、それ以前に景色が違う。
左手にあったはずのクレーンゲームは右手に移動し、床のタイルの向きも右から左へと変わっている。隣で動く気配がし、女の子が起き上がった。智花の顔を見てあっと声を上げる。
「よかった、どうなっちゃったかと思った…」
その呟きに、智花は目を見開いた。
さきほど自分を引っ張ってくれたことを思い返し、じっと彼女の横顔を見つめた。
「あの…」
「ねえ、ここなんか変じゃない…ですか?」
智花は口を閉じ、再びゲームセンターの中に目をやった。
「さっきと違うっていうか…左右反対になってるっていうか……全然人の声聞こえないし」
彼女はスクールバッグを体の前に持ち直し、後ろのクレーンゲームを振り返った。
「ここのガラス…」
智花も振り返る。クレーンゲームは紫とピンク色に交互に光って、レバーや景品の位置が逆なこと以外は変わったことがない。
だけどついさっき、二人はこのガラスに引き込まれた。智花の腕にはまだその感触が残っている。
彼女が立ち上がると、つられるように智花も腰を上げた。
「変なこと言うけど、私たちさっきこの中に入りましたよね?」
智花がこくこく頷く。彼女がう〜んと頭を捻らせて鏡を突いている間、智花は足を進めてアームゲームの間を歩いた。
どこにも人の姿がない。
奥まで見ても、誰もいない。
足音だけがやけに響いて、智花は早足で引き返した。
「だ、誰もいなかったです…奥にも誰も…」
「でも……まさか、もう閉店しちゃったとか?」
彼女はスカートのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。画面を見下ろして眉間に皺を寄せ、智花にも見えるようにスマホを傾けた。
午後六時十二分。
まだ夕方。店が閉店するには早すぎる。
智花は顔をあげようとして止まった。
ワイファイマークの横は「圏外」___。
さっと血の気が引いていくのを感じる。
「こっこれ、圏外になってます、スマホ」
「え?」
智花もカバンからスマホを取りだして電源を入れた。
こっちも圏外。二人は顔を見合わせた。
「なんで?なんかこれヤバくない?」
彼女はロックを解いてメッセージアプリをタップした。
クルクル待機マークが回っている間、せわしなく指が画面を撫でている。
三十秒ほど、その場には電子音だけが流れていた。妙に背中が気になって、智花はクレーンゲームにもたれかかった。
結局アプリには入れず、二人はスマホを持ったまま立ち尽くす。
また数秒が経過する。ふいに彼女が口を開いた。
「私…亜咲美って言います。中二です」
智花は彼女の顔を見る。ワンテンポ遅れて自己紹介をした。
「…智花です。………私も、中二。よろしくお願いします」
「えっ!じゃあ同い年ってこと?」
「う、うん」
亜咲美の顔がぱっと綻んだ。
「うそ!めっちゃ嬉しい!ねえ、ともちゃんって呼んでいい?」
「と、ともちゃん?」
智花はくすぐったくなって、足元に目線を落とした。
「いいよ…私もあさみちゃんって呼んでもいい?」
「もちろん!」
ゲーム音が遠くなり、智花と亜咲美の間の空気があたたかくなった。
「ともちゃんはさ、どこ中なの?私は海桜中」
「えっと…」
智花は言葉に詰まる。答えを待つ視線が痛かった。
「ご、ごめん」
言いたくないのだと察すると、亜咲美は前のめり気味だった姿勢を正した。
「ううん、私も急に距離詰めすぎたよね、ごめん」
気まずい沈黙が降りる前に、ぱん、と両手を合わせる。
「よしっ…じゃあ、このままじっとしてても仕方ないし、ひとまずゲームセンターの外に出よ」
「…うん」
亜咲美はスクールバッグを肩にかけ直した。先に歩き出した彼女のあとを、智花は少し遅れて追いかけた。




