第3話 彼女は仕様を理解している
宿の扉をノックする音は、控えめだった。
だが一度きり。
迷いのない、仕事のノックだ。
「どうぞ」
扉が開き、入ってきたのは一人の女性だった。
王城の魔導技師用ローブを着ているが、装飾は最低限。
年の頃は二十代後半。切れ長の目が、真っ直ぐこちらを見ている。
「突然すみません。佐倉直人さんですね」
「……そうだけど」
俺が頷くと、彼女は一礼した。
「王城魔導技術局所属、リーネ・ヴァイスです。
以前、結界網の再構成でご一緒しました」
「ああ。あの時、負荷分散の話を理解してくれた人か」
彼女の口元が、わずかに緩む。
「“理解した”というより、
唯一、仕様を正しく読めた、が正しいですね」
その一言で分かった。
この人は、分かっている側だ。
「王城が今どうなっているか、説明は不要ですよね」
「外周結界は部分崩壊寸前。
魔導炉は安全側に倒れて出力低下。
召喚系は全部停止中」
淡々と答えると、リーネは小さく息を吸った。
「……完璧です」
彼女は懐から魔導端末を取り出し、俺に見せる。
表示されているログは、俺が想定した通りのものだった。
「管理者権限が消えた瞬間から、
全システムがフェイルセーフに入りました。
止まっているのではなく、“止められている”」
「仕様通りだ」
「ええ。あなたが正しかった」
王城では今頃、責任のなすりつけ合いが始まっているだろう。
だが彼女は、そこに興味がない。
「それで、今日は“連れ戻し”?」
「いいえ」
リーネは首を横に振った。
「私は、あなたを説得しに来たわけでも、
命令を伝えに来たわけでもありません」
一拍置いて、こう続けた。
「お願いに来ました」
頭を下げる。
王城の技術者が、個人の判断で。
「このままでは、二時間後に結界が落ちます。
民間被害が出る。
……それは、あなたの本意ではないはずです」
確かに、その通りだ。
「ただし」
彼女は顔を上げ、はっきりと言った。
「条件を、あなたが提示してください。
王城は、もう“選ぶ立場”ではありません」
俺は少しだけ、考える。
「……話が早いな」
「無駄な交渉は、システムにも人にも負荷ですから」
思わず、口元が緩んだ。
「いいね。君」
「光栄です」
俺は立ち上がり、端末をしまう。
「じゃあまず一つ。
俺はもう、保守課には戻らない」
リーネは即答した。
「想定内です」
「次に、管理権限は“個人”に紐づける。
貴族承認は不要」
「……通します」
「最後に」
窓の外で、結界の光がまた一段、弱く揺れた。
「世界を守る仕事を、
“地味”なんて言わせない」
彼女は、はっきりと頷いた。
「はい。
そのために、私はここに来ました」
交渉は、もう始まっている。
そして王城は、
自分たちが何を失ったのかを、
ようやく理解し始めていた。




