傍線だけが残った
本作は「戦記」を題材にした短編です。
戦争の中で「正しい判断」をされたとき、
それが救いになるとは限らない。
これは、生き残ってしまった人の話です。
※同じ出来事の“裏側”を描いた短編があります。
『傍線しか残せなかった』
「ユアンさん。私はここから別行動を取ります。あなたの使命を思い出してください。私たちを逃がすことですよね?確率は高いほうがいいでしょう」
「ああ。わかった。きみは一人でも生き抜ける確率がある」
――私の周りで勝手に話が進んでいく。
そう、彼らの決断が正しい。
最後まで、声を出せなかった。
◇◇◇
最前線に配置された小隊、その後方支援をする「アンジー隊」。女性七人で構成された、衛生兵の部隊だった。
そこに所属する、最年少の私――ミア。
戦況は厳しく、毎日のように怪我人が運ばれてくる。
止血をし、包帯を巻き、ベッドに寝かせる。
指示通りに仕事をこなせるまでには時間を要した。
今も、足を負傷してテントに運ばれてくる兵士。
悲鳴が途切れない、救護所。
血の匂いがこもっている。
彼を一瞥しただけで、別の作業に向かっていく先輩たち。
同僚の指示を待ったが、誰も動かなかった。
――ある日。
昨日まで元気だった同僚が、表情を失っていた。
話しかけても、視線は合わなかった。
怪我人は毎日、運ばれてくる。
数も、間隔も、もう覚えていない。
その子は、やがて会話をしなくなった。
私は、そっと目を閉じた。
◇◇◇
淡々と、銃の整備をしていく兵士たち。誰もが無言だった。
戦況が悪化している。
そして、アンジー部隊長は、机にずっと座っていた。
その後、アンジー隊に召集がかかった。
誰もが口を引き結んでいる。
部屋に集まるメンバー。
アンジー部隊長は、会議用のテーブルに紙を並べた。ここにいる人数分だけだ。そして、その上にペンを置く。
「撤退命令だ。三ルートで脱出する」
その一言で、空気がひりついた。
誰もが無言でペンを取った。
ただ、自分の名前と年齢、所属を書き込んでいく。
アンジー部隊長が提示したルートは分散されていたが、戦場に近いルートもあった。
「ミア、ケイト。お前たちは第三ルートだ。ユアンお前が付け」
誰もが口を挟まなかった。
私も何も言えなかった。
隣に立つケイトを見上げる。
「……弟と妹がいる。
だから、ここで止まるわけにはいかない」
明日、私たちは撤退する。
◇◇◇
「大丈夫。俺が二人をあそこへ連れて行くよ」
命令通りに、第三ルート、森の中を突き抜ける私たちに声をかける彼は、アンジー隊の警備担当の兵士だった。
前線を退いて一年。
彼は、足を引きずっている。
「囮なら適任だ。銃を持った軍人のほうが、追われやすい」
三人で逃げているときに、彼の軍服が破れていた。
気づかれないように、破って懐に忍ばせた。
「ユアンさん。私はここから別行動を取ります。あなたの使命を思い出してください。確率は高いほうがいいでしょう」
「ああ。わかった。きみは一人でも生き抜ける確率がある」
――私の周りで勝手に話が進んでいく。声が出せない。私は、ここまで役に立たないのか。
そう、彼らの決断が正しい。私はここでは一番若い。それだけの理由だった。
ケイトが手紙を差し出した。
その目を見つめ返す。
迷いは見つからなかった。
――黙って受け取るしかなかった。
ケイトと別れて一日目の夜。
休憩を挟むために、地面に座っていた。
銃の整備をしていたユアンさんが、静かに弾倉を閉じる。
乾いた音が、ほど近くで響いた。
彼の声が鋭くなり、その視線が私を射抜く。
「今から、俺は引き返して敵を引きつける。これは命令だ、振り返らずに真っ直ぐに走れ」
彼は私の懐から手紙を抜き出した。
そして、自分の胸元からペンを取り出す。
一回だけインクがポタリと落ちた。そして、傍線だけ書かれた。
「またな」
「はい」
彼は帽子を深くかぶり直し、銃を手に持って走っていく。
直後に背後から銃声が聞こえた。
足がもつれて地面に転がる。
だが、すぐ後ろから、また銃声が聞こえる。
私は立ち上がるために足に力を入れて、前を向く。
振り返らない。真っ直ぐに街へ。
銃声が遠ざかっていく。
一発、二発――。
その後、何発も続く銃声。
私はただ、走る。
足を動かす。
どこまで行けばいいのか。
まだ私は判断ができない。
だから、身体が動かなくなるまで走り続けた。
――銃声が、止まった。
続く、静寂。
森を抜け、無事に街にたどり着いた。
その直後に、胸に押し寄せてくるものがあった。
重い、罪悪感。
私は、今、自分が生き残ったことに安堵してしまった。
なにを残してきたのか、全て覚えているはずなのに。
ケイトの手紙を家族へ届ける。
これは、私の使命だ。
――生き残ってしまった理由。それを何度も何度も考えた。でも、ずっと答えは出てこない。
それでも、毎日が流れていて。
外からはあの戦場からは想像もできなかった、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
あの戦争は一時的にでも終わったのだと聞いた。
この平和だけは守られたのだ。
まだこれからも紛争は続くかもしれない。
でも、今はこの子たちが笑えている。
それは、きっと素晴らしいことだ。
そう。素晴らしいことのはずなのに。
なぜか私は、笑えなかった。
あの日から、ずっと手放せなくて持ち歩いている彼の服の切れ端。それを握りしめた。
――コンコン。
するとノックの音が、私の思考を遮る。
「……だれ」
「……わたし。――わからない?」
「ケイト……!!」
◇◇◇
あの戦場から生き残り、負傷兵が運ばれる病院の前に立つ私たち。
二人の目線が静かに絡まり、頷きあった。
手をつなぎ、同時に歩き出す。
――知っている顔もいるかもしれない。いないかもしれない。
ポケットの中の切れ端を握る。
でも、それが私たちの選んだ道だった。
その夜。
引き出しを開けた。
私が、触ることさえ許されない気がしていた、手紙。
彼の傍線。
何も残してくれなかった彼の、言葉。
ありもしない温もりを感じたくなって。
だが、触れられなかった。
――私はそっと、引き出しを閉めた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この物語は、誰かの犠牲の上に成り立つ「正しさ」と、
それを受け取ってしまった側の感情を書きました。
答えは出ません。
それでも、生きていく人の物語です。




