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幽影の少女と嘘つき鏡の王国  作者: 桧原愛織
1章 ふしぎの世界
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1

「……め……さい。ごめん、なさい──お母さん」


 うわごとのようにそう呟いて、彼女の世界は光を失った。



   ◇*◇*◇



 どん、と何か大きなものが落ちたような激しい音がして、優和は目を覚ました。

 身体を揺らすかすかな振動に、腕や足に伝わる硬く冷たい感触。

 視界に広がるのは、濃密な闇とその中に浮かび上がる木板の連なりだった。

 古びてはいるものの、丁寧な造りで組まれた木材が優和の身体をぴったりと四角く取り囲み、せせこましい空間を作り出している。まるで、何かを納めるための箱のようだ。


「なに、ここ……いたっ!」


 起き上がろうとして、全身が鋭く痛む。特にお腹から背中にかけて、胴体を引き裂かれるような激痛が走った。

 とっさに痛む部分を押さえようとしたが、なぜかすぐに痛みは引いた。身体のどこにも異常はないし、服の上から触ったり少し押したりしてみても、なんてことはない。セーラー服も見慣れた姿のままだ。

 いろいろと変に思いながら、そろそろと身体を起こす。

 そうして、優和は自分が本当に箱のような形をした方舟の中にいることに気づいた。


 真っ暗な闇の中を細くまっすぐな小川が続き、きしむ音を立てながら、ただ水の流れに任せて方舟は進んでいる。どこからか、かすかにお香のような匂いがしていた。

 直線を描く舷に手をつき、優和は身を乗り出して水面を覗き込んだ。


「わあ……きれい」


 闇の中に光源となるものは何もないのに、澄んだ水面はきらきらと輝いている。さらさらと川の音が耳をくすぐるのが心地よかった。

 川底には色とりどりのガラス細工みたいな石が散らばっていて、優和は目を奪われる。


 思わず手を伸ばしかけた、そのときだった。

 突然、川がごうと低く(うな)るような音を立てた。

 それを合図に、穏やかだった川面は一変し、水流はみるみるうちに勢いを増していく。舟体がだんだん大きく傾いていき、優和はとっさに舷にしがみついた。


「え、え……?」

 

 わけもわからないまま、困惑と不安がない交ぜになってただ呆然と、下へ下へと傾いていく舟の前部を見る。

 そして、何十メートルも離れた川の下方に、巨大な鏡が現れた。

 一見、恐ろしく澄んだ水鏡かと思えたが、勢いよく川の水が流れ落ちているというのに、水面は不自然なまでに静穏としている。それどころか、川の水が鏡の中に吸い込まれるように消えている様子が見て取れた。


「まさか……っ」


 嫌な予感がした、直後のことだ。──ジェットコースターのような勢いで、方舟が川を急降下し始めたのは。


 優和は高い悲鳴を上げた。だが、それも激しい水の音でかき消される。

 振り子のようにぐわんぐわんと身体を激しく揺さぶられ、酔いそうだ。振り落とされないよう、優和は必死に舟の舷に身体ごとしがみくことしかできない。

 風が髪を乱し、冷たい水しぶきが全身を打つ。

 その度に、水が何度も目に入りそうになる。それでも目をつぶるのが怖くて、眉元に力を入れて目を細め、優和は前を見続けた。


 巨大な鏡が高速で近づいてくる。鏡面に映る自分の姿が、どんどん大きく鮮明になっていく。

 距離が数メートルに縮まった時、はっきりと鏡の中の自分と目が合った。


 その瞬間、方舟は鏡の中へ吸い込まれた。世界がやわらかな黄白の光に包まれる。

 川の流れや舟体の傾きは、あっという間におだやかになった。激しい風や水の音もない。ただ、ほっとするような、まろやかな光に満たされる。

 その心地いい感覚をもっと感じたくて、優和は静かに目を閉じた。

 不思議なことに、大量の水を浴びてびしょ濡れになっていた全身を、光がやさしく乾かしていき、水の重みがすっと消えた。冷えた身体にあたたかさが戻ってくる。

 直後、役目は終わったとでもいうように光が空気に溶けていく。


 優和が目を開けると、世界は一変していた。


「わあ……!」


 視界いっぱいに広がる光景に、優和は感嘆の声を上げる。

 方舟の舷に手をついたまま周囲を見渡せば、見たこともない不思議で美しい森が広がっていた。

 方舟の流れる川を囲むように、巨大な樹々が連なっている。だが、その姿は優和のよく知る姿とはまるで違っていた。

 両岸に生えている樹々は、幹や枝がガラス細工のように半透明で透き通っている。葉はひとつひとつが小さな宝石みたいに色鮮やかで、ゆるやかなアーチを描き、左右対称のトンネルを形作っている。葉の隙間からこぼれ落ちる日の光が幹や枝、そして水面にきらきらと反射して、とりどりの色彩を生み出していた。

 ゆらゆらと方舟が川を流れ、優和の身体は異なる色の光に照らされる。でも、眩しさは感じなくて、むしろ鏡の中に入り込んだ時と同じ、やわらかく、あたかい光に満ちていた。

 目線を動かす度に景色は躍るようにきらめき、まるで万華鏡の中の世界だ。


 優和はうっとりと見入った。周囲をぐるりと見渡し、振り返って後ろを見る。そこに巨大な鏡の姿はどこにもなかった。


 光の回廊のような川を方舟は静かに進んでいく。水の中を覗くと、不思議な魚たちが元気に泳いでいて、なんだか微笑ましく思った。


 やがて、前方から陽気な音楽が聞こえてきた。

 方舟が進むにつれて、楽器を奏でるような音や、小鳥がさえずる声、たくさんの笑い声なんかも大きくはっきりと聞こえてくる。お香のような匂いも濃くなっていた。

 優和が静かに耳を澄ませていると、森の開けた場所に出た。

 川は巨大な湖に繋がっていて、茶色い幹と枝に緑色の葉が豊かな普通の木が、湖を囲むように生い茂っている。一部の木々は小さなアーチのようになっており、その間からは複数の分岐路が続いている。

 それだけならまだ普通の森の景色に違いない。

 だが、優和は目の前に現れた光景に再び目を丸くしていた。

 

「ぱんぱかぱーん! 渡り人ご入来ー!」


 小さな男の子のような無邪気な声が聞こえてくる。けれど、そこに人の姿はひとつもない。


 まず、湖と木々の間の地面に広がる芝生の上で、楽しそうに踊っている風変わりな動物たちがいた。それだけでもおかしいのに、人間みたいに二本足で立って、人間みたいに服を着ている。手を取り合って踊るものもいれば、ひとりでくるくると回っているものもいる。

 湖の中央には石造りのそこそこ大きな足場があって、その上には風変わりな楽器らしきものを奏でる、同じように風変わりな動物たちがいた。

 さらに、木々のこずえに留まる小鳥たちの姿も、ファンタジー世界のいきものみたいに不思議なもので、優和は先程からずっと続く現実離れした出来事に、いよいよ頭が追いつかずにぽかんとした。


 方舟に乗っている優和を見て、とたんに不思議ないきものたちがしゃべり出す。


「これまた変わった格好の渡り人だな」

「ずいぶん前にもあんな感じの格好の子いなかったっけ? ほら、確かセー服ってやつだよ」

「びっくりしてるのかな? おとぼけハシビロコウのじいやみたいに、ちっとも動かないよ」

「なんだか普通って感じの子だねえ」

「まだまだ若そうなのに、人間の旅っつーもんはおっかないなぁ」


 一斉に視線が集まって、優和はさらに困惑した。

 きっと夢を見ているのかもしれない、と思い、ほおをつねってみる。少しだけつねるつもりが、力加減を間違えてつい強くつねりすぎてしまって、「いたっ」と慌てて手を放す。ほおが赤くなり、じんじんとした。


 一連の優和の行動に、「何変なことしてるんだろう?」「人間ってやっぱりおかしいね」と、口々にいきものたちが言う声が聞こえる。

 おかしいのはあなたたちの方だ、とほおをさすりながら優和は内心思った。

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