第9話 そして準備は整った②
「本当に、倒してしまうのでしょうか?」
ダートは胸に手を当て、息苦しそうに呟いた。
「魔王が攻撃をやめないのなら、あいつはやるんだろうな。魔王だけを倒せるのか、世界もろとも消すことになるのかはわからねえが」
額から汗が流れた。
魔王が勝つにしても、リレットが勝つにしても、どのみち世界は滅ぶのだろう。
街の人々は魔王に立ちはだかる勇敢なリレットに淡い希望を抱き、祈っていた。
残念だがあんたらどっちみち死ぬんだよと言いたくなる。
ここ数日で何度もう終わりだと思わされていることか。
平和だったころが遠い昔のことのようだ。
「駄目です。そんなことをしたら……」
ダートは何やらブツブツと考え事をしているようだ。
だが俺たちが何をしても、もうどうにもならない。
魔王の手の輝きが増していく。
リレットに目をやると、手が震えているように見えた。世界を滅ぼす魔法を使うつもりか?
「死ね」
魔王がそう言うと、光が――。
光が、フッと消えた。
死を覚悟し、抱き合っていた人々は、どうしたのかとお互い顔を見合わせる。
魔王はというと、自身の手を見つめ、固まっていた。
確か、魔王の屋敷でも同じような光景を見たな。
みんなが戸惑っているなか、リレットだけが満足そうに微笑んでいた。
「どうしたの? やらないの? やらないなら、わたしからやってもいいのかな?」
リレットの言葉に魔王は一歩後ろへ下がった。魔王は「なぜだ」と手のひらを見つめるも、手は震えるだけでそこからは何もでてこなかった。
「くそっ!」
無理だと判断したようで、そのまま一目散に街の外へと逃げていった。
俺はあっけにとられてしまい、追いかけることをしなかったが、俺だけでなく、誰もが去っていく魔王を無言で見ていた。
黒いマントが見えなくなったのを見計らい、リレットは口を開いた。
「みなさん、魔王はわたしに勝てないと判断し、逃げました。すぐにでも追いかけたいところですが、この街の被害は甚大です。まずは怪我人の手当と、街の復興にかかりましょう。魔王のことは心配しないでください。居場所も把握していますし、この街が襲われることはありません。魔王は、必ず捕まえます。魔王に怯える日々は、あと少しで終わります。どうか、希望を捨てず、前を向いてください」
リレットの力強い声が響きわたり、それを称えるように赤い髪とスカートが風で揺れた。
「ほんとに、魔王を、やっつけられるの?」
「はい。誓います」
「そんなことができるの?」
「できます。魔王が逃げ出したのが、その証拠です」
「ああっ! ありがとうございます!」
「あなたはこの街の救世主だ」
「助かった! 生きてる!」
「よかった……。死ぬかと、思った」
人々は歓喜の声をあげ、魔王が去ったことを喜びあった。リレットに感謝の言葉を投げかけ、何度も頭を下げている。
あそこに立っているのは、本当に十五歳の少女なのだろうか? どんな人生をおくれば、その自信と度胸が身につくんだ。
俺にはこの光景が、なんだか異様なものに見えてならなかった。
とりあえず、世界が滅ぶのは延期されたようだ。
「意外だな」
「何が?」
リレットは崩れた瓦礫に腰掛けていた。
街の人々が「どうぞ休んでください」「何か必要なものがあったら言ってください」などとリレットを英雄扱いするもんだから、こいつはお言葉に甘えて本当にゆっくりしていた。
リレットは誰かが持ってきてくれた飲み物を片手に、忙しなく動く人々をながめていた。
夜なので手元が見えづらく、作業しにくそうだ。
「何飲んでんだよ」
「紅茶だよ」
リレットは持っているカップを持ち上げた。
「この忙しいときに紅茶を淹れさせたのかあ?」
「この忙しいときに紅茶を淹れてくれたんだよ」
呆れた。
だがリレットはどうだすごいだろうと言わんばかりに鼻の穴を膨らませていた。
「いい匂いの紅茶だけど、お姉ちゃんの好みとは違うかなあ」
クンクンと匂いを確かめながら足をパタパタさせている。
こうやって見ていると、ただの子供にしか見えない。魔王の前に立ちはだかった少女とは思えないな。
「おまえがあんなこと言うなんて。『希望を捨てず、前を向いて』とかなんとか、街の人を元気づけてただろ? 他人なんてどうでもよさそうに見えるのに」
「家族は大事だけど、それ以外の人は確かにどうでもいいかも。今は仕方なく助けてるだけで」
なかなか辛辣だな。
さっきまでの勇敢な姿とはえらい違いだ。
「じゃあ関係ない人が死んでもいいっていうのか?」
俺の言葉に、リレットは口に運ぼうとしたカップを下げた。
「ローさんはさ、大切な家族を守るためなら、他人が死んでもいいと思ってるでしょ? それとおんなじだよ」
ギクッとした。
心の奥深くをのぞかれた気分だった。
リレットの言ったことはあたっている。
家族と他人、どちらかしか生き残れないとしたら、俺は迷わず家族を救う道を選ぶ。
それは別に恥ずかしいことでも卑怯なことでもないはずだ。誰だってそう選択するんじゃないのか? 大切なほうを守りたいのは当たり前だ。
けど、いざこうして「あなたはそういう人間でしょう?」と言われたら、迷わずそれを選べる自分がとても残酷で冷たい人間のように思えてならなかった。
リレットは瓦礫に立てかけている剣を手に取る。
「おまえ、別に剣を杖代わりにしなくても歩けるんだろ? あんだけ歩きにくい道をすいすいおりてるんだから」
「歩けるよ。けど剣を杖代わりに使ってるとさ、相手を油断させるのにちょうどいいんだよね」
やっぱ計算だったか。
「そだ、ダートさん」
「はっ、はい! な、なんで、しょうか?」
いきなり声をかけられたからなのか、ダートの声は裏返っていた。
ダートは先ほどから近くにいて、会話には加わらなかったがソワソワチラチラこちらを見ていた。
「わたしたち、明日の朝ここを発つから、それまでに考えておいてね」
「あっ……、は、はい」
「ローさん、行こ」
リレットは瓦礫からヒョイッと降りスカートをパンパンとはたく。そのまま剣を担ぎ歩き始めたので、俺も後をついて行った。
ちらっとダートを見ると、かなり深刻な顔をしていた。
「なあ、何を考えとくんだ?」
気になってリレットに尋ねてみた。
「ダートさんに、仲間になってってお願いしたの」
「あいつ、強いのか?」
「うん。まあまあかなあ。でもややこしい条件がなくても普通に魔法を使える人だから、便利だよ」
「ややこしい条件って?」
「ローさん、魔法にはいろいろあるんだよ。ローさんも、魔法について勉強しといたほうがいいかもね」
げっ、なんでだよ。
めんどくさそうだから、返事はしないでおいた。
しかし今のところ俺の目にはダートはそれほど頼りになる感じにはうつっていない。ずっと怯えていて、気弱そうだ。
まあ、リレットがあいつで良いというなら俺が口を出す権利はないのだが。
「これで、準備は整ったね」
リレットはペンダントを握りしめ意味ありげに呟いたが、俺にはなんのことだかさっぱりかわらなかった。
だが聞いても答えてくれないのだろうという確信だけはあった。
その晩、俺たちは街の人が用意してくれた立派な宿に泊まった。英雄はリレットだけのはずだが、なぜか俺までいい部屋に泊まらせてもらえた。リレットが口添えでもしてくれたのだろうか。そんなことしそうにないが。
そして翌朝、宿を出るやいなやダートが現れた。「仲間になる」と伝えに来たのだそうだ。
シワのない白い長袖シャツに、瞳の色と似ている水色のズボン、肩下くらいまである髪は青いリボンで一つに結んである。
俺と違って、清潔できちっとした格好だな。
「ローさんと違って、清潔できちっとした格好だね」
「……」
「……」
ダートが気まずそうにこちらを見てくるも、引きつった俺の顔を見てすっと目を逸らした。
俺はリレットに近づき、頭のてっぺんを手のひらでぐっと押さえる。
「見、え、て、ね、え、だ、ろ、う、が」
地面に埋めようと(まあ冗談だが)頭をグリグリすると、リレットはそれが楽しいみたいで無邪気に笑った。
「頭の花むしりとってやろうか」
「冗談だってば。当てずっぽうで言ってみただけだよ。あははは」
当たってるからムカつくんだよ。
「じゃあ、ダートさん。これからよろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
リレットは笑顔でダートの仲間入りを歓迎したが、ダートはどこか浮かない顔をしていた。
「なあ、なんで仲間になったんだ? なんか良いことあんのか?」
前を歩くリレットに聞かれないよう、小声でダートに訪ねてみた。
「ええと、なんというか……。すみません。理由は、今は言えません」
ダートは申し訳なさそうに頭を下げた。
ま、会ったばかりの他人に事情を説明できないのは仕方ないか。
だがそうなると、リレットはどうやってこいつを説得したんだ?
「とりあえず、俺たちの味方っていう認識でいいんだよな?」
「どうでしょうか……」
「えっ? そこ曖昧な感じなのか?」
「はい。申し訳ございません」
ダートは気まずそうに下を向いた。
おいおい。敵の可能性があるのか。俺は少しだけダートと距離をとった。
だが、俺らの敵って、どういうやつのことを言うんだ?
敵は魔王だよな? てことは、こいつ魔王の手下の可能性がるのか?
俺はリレットの背中を睨んだ。
いったい何考えてんだ、あいつは。