第8話 そして準備は整った
「わたし、さきに行って街の様子みてくるから、ローさんはまーさんとここに隠れてて」
街に着いたのは予定通り夜だった。
リレットは魔王を繋いでいる縄を俺に渡し、一人街に入った。
俺と魔王は入り口近くにある岩山の裏に身を隠し、リレットが戻るのを待つこととなった。
街の中は赤レンガの建物が並び、壁に灯されたいくつもの火が建物や人々をゆらゆらと照らしていた。平屋の建物がほとんどで、そこまで大きな街ではないが、このあたりでは一番多くの人が住んでいる。
この街には何度か来たことがあるが、夜は初めてだったため、昼間とは違った雰囲気があった。
俺はよっこいせと腰をおろす。疲れていたが、まだ体力は残っていた。
一方、魔王の体力は限界だった。
ゼェゼェハァハァと粗い呼吸が絶え間なく聞こえてくる。岩にもたれかかってドサリと座り、立ち上がる元気もないようだ。
夜になると少し気温は下がるが、今日は蒸し蒸ししている。マントを羽織っている魔王の体温はかなり上がっているだろう。
魔王と二人きりになんてしてほしくなかったのだが、さすがにこの状態の魔王なら、最悪殴ればなんとかなるのではないかと思った。
リレットが行ってから三十分ほどたったころ、魔王が突然バッと体を起こした。
俺は縄の先を持ちながら、魔王とは五メートルほど離れた位置に座っていたのだが、魔王の様子がおかしいことに気がつき、恐る恐る立ち上がった。
魔王は自分の手のひらをまじまじと見つめると、「チカラが使える」と呟いた。
力?
なんだ、どうしたんだ?
「これであいつをコロせる」
魔王は俺がいることなど忘れてしまったようで、スタスタと街へ歩いていった。
あれ、縄を持ってたはずじゃ……はっ!
縄の端っこをつかんでいたはずなのに、手の中に縄はなかった。
しまった!
いつの間にか手放してしまっていた。
俺も急いで街へ向かった。
魔王は、リレットを殺すつもりだ。早く伝えなければ。
街の入り口はいくつかある。俺は魔王が向かった入り口とは別の場所へと向かい、リレットを探し始めた。先回りできてるといいんだが。
「うおっ!」
街に入るやいなや、大きな爆発音が聞こえ、地面が揺れた。
まさか、魔王はもうリレットを見つけたのか?
どこかから悲鳴が聞こえてくる。叫び声のするほうへと走り出した時、横道からリレットが出てきた。
「やばい! あいつが暴れてる!」
リレットは俺の声に反応し、顔をこちらに向けた。隣には見知らぬ男がいた。
「ローさん。縄を離したの?」
「そ、それは悪い……。思わず」
「まあ、ローさんが持ってたら今頃体を穴だらけにされて死んでただろうから、離して正解だったと思うよ」
さらっと怖いこというなよ。
「あの、あいつってまさか」
気の弱そうな男がリレットに尋ねる。
水色の瞳に、水色の髪を後で一つに束ねている。歳は二十歳前後だろうか。ひょろっとした小柄な男だ。
「黒いマントの人だよ」
男は目を見開いた。
「本当に……」
「そのことについて詳しくお話したいところだけど、その前になんとかしに行かないと。まーさんは音のするほうにいるのかな?」
「ああ。たぶんもう攻撃を始めてる。止められるか?」
「はあー、仕方ないね。わかったよ」
リレットはそう言うと、「じゃ、わたし行ってくるね。ダートさん」と一緒にいた男に声をかけた。
ダート? こいつは誰だ?
リレットの知り合いか?
リレットは魔王の元へと向かっていった。
俺も行こうとしたが、ダートとかいう男に声をかけられた。
「あの、止めてくれっていうのは、どういうことですか? 彼女は、そんなことができるんですか?」
なんだ?
リレットの知り合いじゃないのか?
「ああ、あいつ、魔王より強いんだ」
「なっ!? 本当ですか!?」
ダートは驚愕する。
「いや、まあ、見たことはねえんだ。本人が言ってるだけで。信じがたい話だが、魔王より強いってのはこれまでの出来事から本当なんだろうとは思ってる。見たことはないが」
自信がなくて、言い訳してるみたいになってしまった。
「か、彼女が、リレットさんが本気を出せば、本当に魔王は死ぬと思いますか?」
水色の瞳が揺れている。
「まあ、そうだな」
そのはずだ。たぶんだけど。
「そんな! どうすれば……!」
ダートは急にオロオロし始めた。
なんで慌ててるんだ?
魔王を倒してもらったら嬉しいんじゃねのか?
「えーっと、とりあえず、魔王のとこ行ってもいいか?」
聞きたいことはあったが、今はリレットと魔王のもとへ急がなければ。
リレットの元へと向かう途中、魔王の攻撃の形跡がいたるところにあった。
地面がえぐれ、建物は倒壊している。
人々は必死に逃げようとしているが、けが人や死者も多そうだ。
建物が崩れていることで見晴らしがよくなっていた。そのため、リレットと魔王を見つけるのは難しくはなかった。
魔王は広場の隅に集まっている人々を追い詰めていた。
広場には飛ばされたテントや食べ物などが散乱しており、活気のある市場が見るも無残な姿になっていた。
そして、魔王と怯える人々の間には、リレットがいた。
「今までのオレとはチガウぞ。力を使える」
「そうかなあ。そんなに強くなったようには見えないけど」
リレットは首をかしげる。
「全力には程遠い力だが、この街くらいなら、簡単に壊せる」
「ふーん。まーさんができると思うなら、できるのかもね」
リレットは剣を抜くことすらせず、ただ立っていた。
「まずはオマエからコロス。邪魔なのはオマエだ」
「わたし、あなたより強いって、何度も言ってるよね?」
「どうせただのハッタリだろう。現に今、オマエからは強い魔力を感じない」
「魔力を制限するなんて、わたしくらいの魔法使いなら朝飯前なんだよ。それを見抜けないようじゃ、あなたはまだまだってことだよ」
「ウルサイ」
あいつ、また魔王を煽ってやがる。
魔王はリレットの言葉にイラついたのか、右手を真横に伸ばし、砲撃した。
そちらにあった建物が吹き飛び、瓦礫が宙を舞う。
悲鳴や泣き声が聞こえ、リレットの後ろにいる人たちは恐怖で震えていた。
俺は今日、初めて魔王の力を目の当たりにした。リレットがいたから、いまいち魔王のすごさを測りかねていたが、今はっきりとわかった。
こいつは、正真正銘、魔王なのだ。
人が死んでもおかまいなし。
軽く攻撃するだけで、そこら一帯が平らになる。
よくこんなのと一緒にいたものだ。
これまでのことを思い返すと、寒気がした。
「どうだ? オレの強さがわかったか? オマエもこの瓦礫のように粉々にしてやる。後ろのやつらもろとも殺してやる」
魔王の言葉に人々は絶望し、泣きわめいた。
するとリレットはくるっと振り返り、彼らに声をかけた。
「大丈夫ですよ。わたし、魔王より強いので」
リレットはそう言って微笑んだ。
リレットが笑いかけると、人々はきょとんとして静かになった。
こんな女の子に何ができるのかと言いたくなりそうだが、不思議と誰も声をあげなかった。
そればかりか、少し落ち着いたようにも見える。
「わたしを殺すつもりなら、わたしは抵抗しないといけない。ということは、あなたを殺すことになるけど、それでもいい?」
「……やってみろ。オマエなどにやられない」
魔王は自分自身に言い聞かせるように唸った。
「そう。わかった。お別れを言いたい人はいないの? 大切な人とか」
「そんなモノはいない。オレは魔王だ。うまれたときからずっと独りだ。他人などどうでもいい。オレはオレだけのために生きている」
「そう。あなたにはローさんの代わりはできなそうだね」
リレットはため息をつく。
つーか、なんでそこで俺の名前がでてくるんだよ。
魔王は右手をリレットに向け、攻撃態勢に入った。
「このままじゃ、ここで終わりかな」
リレットがぼそっと呟いた。
「あいつ、力を調節する気はなさそうだな……。全力でやったら、世界は終わっちまうぞ」
リレットは依然として余裕そうだった。それが俺の不安を駆り立てた。
あいつは自分が助かるためなら世界なんてどうでもいいと思っているんじゃなかろうか。
世界を滅ぼしたら探してる姉も死んでしまうというのに、それすらも仕方ないと思っているのか?