第5話 命より大切な村②
ペンダントには二人の女の子の絵が入っていた。かなり色あせているが、そのうちの一人がリレットなのはすぐにわかった。
「こっちはリレットだね。隣の子も、綺麗な女の子だねえ」
確かに。
「わたしの姉なんです」
この人が。
リレットとはあまり似ていないな。
リレットは可愛らしいという雰囲気だが、姉のほうは綺麗な女性といった感じだ。
「見たことないねえ」
「いつもこの剣を持ち歩いていたんです」
そう言うと、リレットは杖代わりに握っている剣を持ち上げた。
「うーん。それも見たことはないねえ。ごめんよ」
「いえ、すぐに会えるとは思っていませんから。あの、他の方にも聞いて回ってかまいませんか?」
リレットはとくに残念がる様子は見せなかった。
「いいけど、たぶんみんなも知らないと思うよ?」
「いいんです。姉の顔を見てもらうだけでも」
リレットはそっと絵をなでた。
「そうかい。ロジ、案内してあげな」
「え!? いや、俺見張りを」
「少しくらい離れても大丈夫さ! もうあれから五年経つけど、一度も魔王が村に来たことはないだろ?」
「いやでも今日こそ来るかも」
なんたってさっき会ってきたんだから。
「あんた毎日それ言ってるじゃないか。いいから! ついて行ってあげな」
母さんは俺の背中をバンと叩く。
「……わかったよ」
しぶしぶリレットとともに村を歩き、一人一人に絵を見せてまわった。案の定、リレットの姉について知っているやつは誰もいなかった。
だがみんな終始楽しそうにリレットと話をしていた。この村に客が来るなんて、めったにないからな。
この村に住んでいる人間は五十人もいない。
岩山に囲まれた小さな村だ。
みんなそれぞれ畑を持っていて、自給自足の生活をしている。
ここでは金を使うことはほとんどない。お互いの農作物を交換したり、困ったことがあったら助け合って、生活している。
村の真ん中には井戸があり、井戸を囲うよう石の椅子が並んでいた。
みんなここで談笑したり、休憩したりする。
決して豊かな生活ではない。
何もない。だけど、のどかで平和な村。
俺の、大好きな場所だ。
その夜、母さんはリレットを家に招待し、手料理を振る舞った。
俺も久しぶりに家で食事をした。
俺がいるからなのか、リレットがいるからなのかはわからないが、母はとても嬉しそうだった。
普段は無愛想な父が今日はなんだか顔つきが穏やかだったし、いつも早く寝るじいちゃんばあちゃんは珍しく遅くまで起きていた。
「ごちそーさん」
夕飯を食べ終えた俺は、一人でまた見張り場所に戻った。母さんが何か言いたげな様子だったが、それを聞く前にそそくさと家を出た。
魔王があっちの街に居座ってから、俺はずっとその街へと続く道を見張っている。リレットと出会ったのもそこだ。
もういいよとみんなは言うが、決してやめなかった。
いつか魔王が来て、俺からすべてを奪っていくのではないか。
そう思うと、毎日怖くて仕方がなかった。
「笑いたきゃ笑えよ」
座り込む俺の背後に、リレットが立っていた。
「俺にはおまえみたいな奥の手はない。できることと言えば、少しでも早くみんなに危機を伝えることだ。ま、みんな年寄りだからな。早く伝えたところで、逃げられるわけじゃねえだろうが。それでも、知らない間に殺されるよりはマシだ」
「笑わないよ」
そう言うと、リレットは俺の隣に腰をおろした。
「何してんだよ」
「座ってるの」
いやそれは見れはわかるが。
これは同情されているのか?
リレットの意図がわからず、少し困惑した。
「いい村だね」
リレットは両手で膝を抱え込み、優しく呟いた。
リレットの言葉がおせじではなく本心なのだとすぐにわかった。
だが俺は、素直に喜べなかった。
なぜなら。
「おまえは目が見えねえからわからねえだろうが、言っておくことがある。この村のことについてだ。この村の人間はな、髪と瞳が茶色なんだ」
リレットは顔をこちらに向けたが、俺は顔を合わすのが嫌で、まっすぐ前を見たまま話を続けた。
「知ってると思うが、この世界には七つの国がある。赤、青、緑、黄、紫、水、白。緑の国には緑の瞳と緑の髪の人間が、青の国には青い瞳と青い髪の人間が集まっている。おまえのその赤髪も、赤の国の人間の特徴だ」
リレットは赤い毛先を触る。
「だが世界には、その七色以外の人間も存在する。茶、灰色、名前は知らないが青より暗い色、柑橘の果物に似た色。きっと他にもいろいろと。もちろん数は圧倒的に少ないが、世界は七色だけでできているわけじゃない。なのに」
俺はそこで一度言葉を切った。感情にまかせてしゃべると、ろくなことを言いかねないとわかっているからだ。
息を吐き、心を落ち着かせた。
「俺たちのような人間は、七つの国の人間には受け入れてもらえない。『私たちのほうが格上なんだ」と言わんばかりの態度をとられるんだ。いつも蔑まれて、相手にされない」
この村が魔王の住処のすぐそばに位置しているというのに騎士や手練の魔法使いすら派遣されないのは、誰も俺たちのことなど気にしていないからだ。
この村が消えようが、誰かが死のうが、誰も何も思わない。むしろ魔王がこっちに居座ってくれてよかったとすら思っているだろう。
「つまりローさんは、虐げられている人たちのために何かしたいの? この世界から差別意識をなくしたいの?」
「いや別に。言っとくが、俺は村以外のやつらのことはどうでもいいんだ。よそにも同じ茶色の人間はいるだろうが、そいつらを助けたいとは思わねえ。あいにくと俺にできることは限られてるんでね。七国の人間の認識を変えたいなんて思っちゃいねえよ。そんなの無理だからな」
そう。
自分と関係のないやつらのことなど気にしてられない。この世界に俺たちを認めさせるなんて不可能なのだから、それと戦っても仕方がないのだ。
村のやつらと平凡に過ごす、それだけで満足だ。
「みんなの目も見えなくなればいいのにね」
いたって真剣そうな顔でなんとも怖いことを言うもんだから、少しゾワッとした。まだ十五歳の少女の横顔が、とても大人びて見えた。
「ねえ、星が見える?」
「……星?」
急に話題を変えられて戸惑ったが、俺は空を見上げた。
空には数え切れないほどの星が浮かんでいた。いつもの光景だ。
「きれい?」
「おまえ、知らないのか? 夜は魔王の黒を連想させるから、たいていのやつにとっては恐怖の時間なんだぞ」
「あなたも怖いの?」
「いや、俺は全く。どっちかといえば好きなほうだ」
「へえ、どうして?」
「俺にとって夜空は黒じゃないからだ。とくにこんなふうに星がたくさんでている夜なんかはなおさら黒には見えねえ」
「じゃあ、何色に見えるの?」
「それは、わからねえけど」
確かに、この色は何と言うのだろう。
たくさんある色には名前がつくが、認知されていなかったり、それがごく少数の場合には、名前なんてついていないものだ。
夜の空がどんなかは誰もが知っているが、みんな黒としか言わないので、他の呼び方があるのかはわからない。
「いつか、名前がつくのかな」
どこか寂しそうに話すリレットに、かける言葉が見つからなかった。
「リレットー! もう遅いから寝ないとダメだよ」
後ろから母さんの大声が聞こえてきた。
なかなか戻らないリレットを心配して呼びに来たようだ。
リレットはゆっくりと立ち上がり空を見上げた。
「わたしも夜が好き」
ぼそっと呟いたリレットは、母さんのもとへと歩いていった。
夜が明け、あたりが明るくなり始めたころ、それは起こった。
道の向こうに、黒い影が見えた。
魔王が、この村に向かっていた。