第3話 世界を滅ぼせる少女③
「ついたね」
両サイドを岩山に囲まれた道を進み、俺たちはついにそこに着いてしまった。
道が終わった先には、岩山を削って作られた街があった。道を抜けた瞬間風向きが変わり、生ぬるい風が肌にあたる。
「ねえ、どんな感じ?」
「何が?」
「街。どんなふうに見える?」
「あ、ああ、ええーっと。建物が多いな。道は割と狭くて、家がたくさん並んでる。ところどころに広場みたいなのがあるみたいだ。きっと市場とか祭りとかしてたんだろうな」
「見たままを言ってくれていいんだよ?」
「……」
こいつには、嘘はつけないな。
「建物は、ほとんど崩れてる。瓦礫の山だ。道もまともに歩けたもんじゃねえな。あっちこっちにいろんな物が散乱してるが、全部燃えて灰になってる」
魔王が住みついてからここには誰も来ることはなくなり、今では廃墟と化していた。
俺は昔、何度かこの街に来たことがあったが、変わり果てた姿に胸が締め付けられた。赤褐色の街は色を失い、灰色だけになっていた。
魔王の攻撃を受けたこの街は、一日で滅んだ。
突如現れた魔王になすすべなく、住人はみな死に、遺体もすべて燃えたそうだ。
五年前のその日のことをよく覚えている。
とてつもなく大きな爆発音が聞こえ、地面が何度も揺れた。
村近くの岩山に登ると、街から火の手が上がっているのが見えた。その炎は街すべてを焼き尽くすまで消えなかった。
「無事な建物はある?」
「ああ」
一箇所だけ、残っている建物があった。街の奥に大きな屋敷があり、かつてこの街で一番偉い人が住んでいた場所だった。
そこだけがまだ、残っていた。
「それじゃ、そこにいるね」
そういうことになるのだろう。
地面は足の踏み場もない状態だが、目を凝らすと少し瓦礫がどかされ、わずかに整えられた一本の道が見える。
その道は、城へと続いていた。
「魔王って、手下とかいるのか?」
「さあ? どうだろうね」
道は細い。
少女は俺の手を離し、剣を杖代わりに足場を確認しながら進もうとした。
「待て。俺が先に進む」
「いいの? わたしより前にいたら逃げられないよ?」
「いや、もうしねえって。そうじゃなくて、足場が大丈夫かどうか俺が先に確認しながら進むから、後をついてこいってことだよ」
「……ありがとう」
少女は俺の言葉が意外だったというような様子でお礼を言った。
一目散に帰りたい気持ちは変わってない。
だが、こいつの落ち着き様を見ていると、大丈夫なんじゃないかと思えてくるから不思議だ。
俺は少女の歩幅に合わせてゆっくりと先を行く。
屋敷は外から見るぶんには魔王がいるかどうかわからなかった。
俺には魔法は使えないし、魔力を感知することもできない。親もそうだったし、そういう才能は今後も開花しないのだろう。
だから俺には何もできない。できることと言ったら、先を歩いてやることくらいだ。
『役に立ちそうだから』
少女は先程そう言ったが、こんな俺が、いったい何の役に立つのだろう。
俺たちは屋敷の前に来た。
扉は、少しだけ開いていた。
「扉、ちょっと開いてるぞ」
俺は声をひそめる。
「閉め忘れかなあ」
「閉め忘れ? 魔王がそんなヘマすんのか?」
と思ったが、扉が開いていたところで誰も寄り付かないのだから、どっちでもいいことか。
少女は躊躇せず、扉の取っ手を握った。
「うぉっ! おい! 開けるのか!?」
「もちろん。ここまで来て開けないわけないでしょう」
俺はゴクリとつばをのむ。
さすがに怖い。いきなり襲われたりしないか?
そんな俺の心配をよそに、少女は扉を開けた。
ぎーっと音がなり、それが屋敷の中に響いた。
扉の向こうは、広いホールのようになっていた。ホールを囲むようにいくつもの柱が立っていて、正面奥には二階へと続く階段があった。
外のように物が倒れたり壊されたりもしておらず、ここだけが場違いなくらい形を保っていた。
床にホコリが溜まっているが、その中にいくつかの足跡があるのがわかった。
誰かいる――。
心臓の鼓動が速くなった。
「静かだね。一階にはいないのかな。ごめんくださーい!!」
「げっ!!」
少女は知り合いの家に来たかのように大声を出した。
「おまえ! 魔王がでてきたらどーすんだよ!」
小声で少女を怒鳴りつける。
「出てきてほしいから呼んでるんだけど」
少女は何を言っているんだと首を傾げた。
「もう少し慎重になれ! いきなり攻撃されたらどーするんだ!? 魔王なんだから、俺たちが来たことくらいもう気がついているだろ!? きっと仲間を呼んでるんだ」
「ここには仲間はいないよ。それに、呼ばないとわたしたちには気が付かないよ」
「なんで、言い切れるんだよ」
「だってたいしたことないんだもん」
魔王がたいしたことないわけないだろう。
「すみませーん!!」
少女はなおも呼びかける。
いっそ留守であってくれと祈った。
だがその祈りも虚しく、階段の上に黒い影がすーっと現れた。
「ようやく来たみたいだね」
少女は何かを感じとったのか、顔を影のほうへと向ける。
「あ……」
声が震えた。
震えは次第に体中に広がっていき、俺はその場から動けなくなった。
黒いマントがひらりと揺れ、影が階段をゆっくりと降りてくる。顔はフードで見えない。
闇が近づいてくる――。
影は俺たちに近づいてきて、五メートルほど離れたところで止まった。
俺は魔王から目をそらすことすらできず、恐怖が全身を覆っていた。
「こんにちは」
だが少女はそんなそぶりを一切見せず、魔王にあいさつをした。
「……何者だ?」
魔王が喋った。
想像していたより、高い声だった。男の声であることは間違いないと思うが、高い、というか、若い、と言ったほうがいいかもしれない。
もっと低くて威圧感のある声かと思っていた。
魔王が現れてから十七年くらいたつが、魔王は何歳なのだろう。そもそも人間なのか?
俺は必死に頭を働かせた。動かない体の変わりに、頭だけでも思考を停止させまいとしていた。そうでもしていないと、今にも気絶してしまいそうだった。
「ただの女の子と、ただの……おじさん?」
おじさんじゃねえわ。
と言いたかったが、声はまだでない。
だが少しだけ恐怖が和らいだ気がした。
「何の用だ」
「あなたに会いたかったの」
「会ってどうする? オレを殺すのか?」
「ううん。会いたかっただけだから。だからもう用は終わり」
えっ……?
予想外の言葉に、思わず少女の服を掴んだ。
少女が「どうしたの?」と俺を見上げる。
「ちょ、ちょっと待て。おまえ、姉ちゃんを、探してるんじゃ、ないのか?」
声はカラカラだった。
「そだよ」
「魔王に、何も聞かないのか?」
「だって、ここにはいないもん」
「は? だっておまえ……。えっ……? じゃあ、何しにここに来たんだ?」
「あの人に会いに来たんだよ?」
何か問題でもと言いたげに首を傾ける少女。その体はすでに扉のほうを向いていた。
「え、マジで、もう帰るのか?」
「うん。マジで帰る」
「……そうか」
俺はあっけにとられた。聞きたいことはたくさんあったのに、それ以上追求できなかった。
「お邪魔しました」
少女はもう一度魔王へと向き直り、ペコっと頭を下げる。
訳がわからなかったが、俺もとりあえず下げた。
「待て」
魔王に背中を向けると、魔王が俺たちを呼び止める。
まあ、そりゃそうだよな。
「生きて帰れると思っているのか?」
言われると思った。
「うん」
「なぜだ?」
「だって、わたしあなたより強いから」
おいおいおい。言っちゃったよ。
「オレより? オマエが?」
「うん」
「オマエはオレが怖くないのか?」
「全然怖くない。この人と同じくらい怖くない」
少女は俺を指差す。
ヤメロ。巻き込むな。
「オレが、そこのニンゲンと同じだと? オマエは魔王を知らないのか?」
「知ってるよ。だけど、わたしはあなたより強いの」
「……どうやら、本物のバカのようだな。少し痛めつけて、わからせる必要があるな」
そう言うと、魔王は右手を前に出し、少女に向けた。
「おっ、おい! どうすんだよ!」
まずい。
このままじゃ殺される。
「大丈夫だよ」
だが少女に焦りはなかった。いたって普通だ。
「そんなわけないだろ! 早く逃げないと」
「大丈夫なの。見てて」
見ててって、そんな呑気な……。
俺は逃げる場所はないかとあたりをキョロキョロしていたが、ふと、魔王が手を引っ込めるのが見えた。
どうしたんだ?
魔王は自身の右手をじっと見つめ、何やら考えこんでいた。
「なんだ? どう、したんだ?」
「攻撃できないんだよ」
「なんで?」
「弱いから」
どういうことだ?
「それはつまり、相手が自分より強かったら、魔法って使えないのか?」
俺は魔法には疎い。
魔法の常識とかルールみたいなものはからっきしだ。
だがこいつが本当に魔王より強いのだとしたら、そういう現象が起こる可能性があるのだろうか。
「んー、そういうこともなくはないかな。あまりにも力の差があるときとか、何にもできなくなっちゃうことはある」
えっ、じゃあ、今、まさにその状態ってことか?
「おまえ……本当に、魔王より強い、のか?」
「ずっとそう言ってるじゃない」
正直、全く信じていなかったのだが、今まさにそれが証明されているのか?
魔王はまだ動かなかった。
いや、動けなかった、というほうが正しいのか。
「どうなっている……」
魔王は両手を見つめ、戸惑いの声を発した。何やら力を練ろうとしているように見えるが、相変わらず何も起きはしなかった。
魔王より強いというのは、本当に本当だったのか?