第17話 魔王信仰②
ドゥール教の男に案内され、俺たちは森の中を進んでいく。子供のほうは少し離れたところで走り回っていた。
夢にまで見た森にいるというのに、俺はそれを堪能するどころではなくなってしまった。
「信じられません。彼らの隠れ家を知っているなんて」
ダートの声がかすかに震える。
「つっても、ここがどのあたりなのか、全くわかんねえがな。緑の国のどこかではあるんだろうが」
「ええ。見つかりにくくするために、魔法で隠されているはずですから。きちんと手順を踏まなければ、たどり着けない場所です」
「それを、あいつは知ってたっていうのか」
「そうなります、ね」
誰かに聞いたのか、はたまた来たことがあるのか。
男性の「そっちの三人は、我々の仲間になりに来たのか」という言葉が引っかかった。
リレット以外の三人という意味だとしたら、リレットはすでにドゥール教徒ということになる。
リレットが魔王を倒そうとしないのは、まさか自分がドゥール教だからか?
「あの男と子供、この姿の魔王をみても、とくに無反応だったよな?」
「はい」
魔王は今黒いマントを羽織っていて、正真正銘魔王の姿だ。それに怯えないのは、ドゥール教だからなのか?
リレットは、いったいここで何をするつもりなんだ。
少し進んだところに家が一軒建っていた。木でできた家は温かみがあり、中に入ると森の中にいたときよりさらに木の香りがした。
案内された部屋には丸いテーブルがあった。まるで巨大な木を切ってそのまま置いたみたいな形で、表面にはいくつもの輪のような模様があった。
俺たちは椅子に座ったが、男の子は興味がないのか部屋の隅っこにある本棚を眺めていた。
「それで、何から知りたい?」
男性はテーブルの上で手を組む。低く重たい声が、ずんと胸の中に響いてくる。
「まずはドゥール教とは何なのかについて、お願いします」
リレットが軽く頭を下げる。
「わかった。といっても知っていると思うが。ドゥール教とは、魔王を敬い、魔王のために命を捧げる者たちの集まりだ」
魔王を敬う。
そこからまずおかしいんだがな。
「ローさん、そんなに疑ってるなら、いろいろと聞いてみたら?」
俺はよほど何か言いたげな顔でもしていたのだろうか。こいつらのことを胡散臭いと思っていることはリレットにはバレているようだ。
まあいい、この際だ。俺は思い切って聞いてみることにした。
「えっとだな、そもそも、なぜ魔王を敬う? これまでどれだけの人間が魔王に殺されたか、知らないわけじゃないだろう? 関係のない人々を殺しまくる魔王を、どうやったら敬えるんだ?」
「もっともな質問だ」
男は穏やかな笑みを浮かべた。
「確かに過去、魔王は多くの人を殺してきた。だがそれは、元はと言えば我々人間のせいなんだ」
人間のせい?
「魔王は、人間の負の感情を吸い込んでしまうんだ。怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ、様々な負の感情が、魔王へと流れていく。そしてそれは次第に大きくなり、魔王自身もコントロールできなくなっていくんだ。そのエネルギーこそが、魔王の力の源であり、魔王が世界を破壊してしまう理由なんだ」
「じゃ、世界が平和で、その負の感情ってのがあんまりなかったら、魔王は生まれないってのか?」
「そうだ。だが、平和は永遠には続かない。きれいになった水は、長い年月をかけて、再び汚れていく。そしてその水が黒く染まったころ、魔王はうまれる。
世間的には、魔王は世界を地獄に変える化物として恐れられているが、我々にとっては逆だ。魔王とは、汚れた世界を浄化するために現れた救世主なのだ。魔王は世界の汚れを一手に引き受け、ずっと苦しみに耐えているのだ」
魔王の行いを、どうやったらそんなふうに解釈できるのか、理解できない。
魔王が苦しんでいる?
なぜ苦しんでいると思うんだ。人を殺すことに何も感じないから魔王なのではないのか。
俺は灰の村で敵を殺した魔王の姿を思い出した。
「なあ、その話ってどのくらい信憑性があるんだ? 魔王から直接聞いたのか? 『実は私は苦しんでいるんです』って言ったのか?」
「過去の魔王の記録を持つ者から聞いた話だ」
そんなやついんのかよ。
「けど過去の魔王と今の魔王は別人だろ? だって過去の魔王は死んでるんだから。今回の魔王に当てはまる話なのか?」
「魔王は過去、何度も生まれ、そして死んでいる。だが、どの時代の魔王も、実は同じなのだ」
「同じ?」
「同一人物、といったほうがいいか。魔王は、何度も生まれ変わっているのだ。魔王の魂は、死んでもなお、次もまた、魔王として生まれる。姿形は違えど、その魂は、心は、同じなのだ」
男性は人差し指でテーブルにくるくると何度も円を描く。繰り返される歴史をあらわすかのように。
「そういう魔法があるのか? 生まれ変わる魔法が?」
「それについては詳しくはわからない。だが、生まれ変わっているというのは本当だ」
「それは……、それも、その魔王の記録を持つ人に聞いたのですか?」
ダートがおずおずと尋ねる。
「ああ、そうだ」
「それって、魔王本人は前世のことを覚えてるってとになるよな?」
俺はちらりと魔王に目をやる。
マントのせいで表情は読み取れないが、これまでの行動から、とても前世を覚えているようには見えない。
「覚えている場合もあれば、そうでない場合もあるらしい」
なんじゃそりゃ。
それはまたえらく都合のいい話だな。
「けど、それとあんたらドゥール教が魔王に命を捧げるのと、どう関係するんだよ。命を捧げることに、何か意味があるのか?」
「ある」
男性は鋭い眼光を向ける。先ほどまでの柔らかな雰囲気が一変し、戦士のような気迫が感じられた。
「先ほども言ったが、魔王は、人間のエネルギーを吸い取ることができるんだ。多くの命を吸収することで力は増していき、より早く、世界を浄化することができる」
男性は、『より早く』を強調する。
「浄化って、世界を滅ぼすってことだろ? どのみち滅ぼすんなら、早かろうが、遅かろうが、どっちでもいいんじゃないのか?」
男性の言い方は、早く世界を滅ぼすことに意味があるような感じだった。
「我々は、いっこくも魔王を解放してさしあげたいのだ」
解放という言葉に引っかかりを感じ、目を細める。
「それは、さっきの苦しんでる、とかいう話のことか?」
「そうだ。生まれながらにしてずっと苦しみ続ける魔王を、解放したい。我々人間のせいで、ただ一人その役目を負わされ、世界を再構築するために戦っているのだ。いったいどれほどの苦痛だろう」
男性の目には悲しみの色が見えた。
「あんたらからしたら魔王は、『本当はやさしくて良い人』って認識なのか?」
「まあ、そういうことになるな。本来の魔王は、我々と同じ普通の人間なのだ」
普通の人間、ねえ。
世界を滅ぼせるような力を持つやつが普通の人間だっていうなら、普通ってなんなんだ。
まあ、リレットみたいなやつもいるが。
俺は横目でリレットを見るも、リレットは無表情で男性のほうを向いていた。
「他に質問はあるかな?」
うーん。
正直に言って、俺は今の話をほとんど信じていない。こいつらが魔王のことをいいように解釈してるだけなんじゃねえか?
もしくは、誰かにそそのかされているか。
「ねえねえ!」
大人しくしているのはもう限界だと言わんばかりに、男の子が魔王に近寄り、話しかけた。
マントの袖をくいっと引っ張られ、魔王は「なんだ」と苛立ちの声を出す。
「これ、かっこいいね!」
男の子は魔王のマントをジロジロ見て、目を輝かせていた。
「か、かっこいい?」
予想外の言葉に、魔王の声が裏返る。
「かっこいいよ! ぼくもほしいな!」
「これが、こわく、ないのか?」
「どうして?」
男の子はキョトンとして首をかしげる。
まさかこいつらはこいつが魔王だとわかってないのか? だからなんにも言わねえのか?
「ドゥールの者は、魔王の象徴である黒が好きなんだ。だからみな、何かしら黒い物を身につけている。髪や耳の飾り、服なんかに、黒を取り入れることが多い。かくいう私も、ほら」
男性が薄緑色の袖をまくり手首のブレスレットを見せる。黒い石のようなものがいくつかついていた。
「とはいえ、そこまで魔王と同じ姿で出歩くのはさすがに無謀だと思うぞ。殺してくれと言っているようなものだからな。信仰心が強いのは良いことだが」
男性は魔王を見て苦笑いする。
やっぱり、彼らはこいつを魔王だと思っていないんだ。同じドゥール教の仲間だと思っているようだ。
なら、「そっちの三人は、我々の仲間になりに来たのか」の三人は、俺とダートとリレットを指していたのか。
「ねえ! 一緒に探検しない? ぼくが案内してあげるよ」
男の子は窓の外を指差す。
「まあ、どうしてもと言うなら、行ってやってもいいが」
魔王には今までの話は難しかったのか、退屈だったのか、とにかくじっとしているのが嫌になったようで、男の子の誘いをすんなり受け入れた。
「うん!」
魔王が椅子から立ち上がろうとした。
だが自分でマントの裾を踏んでしまい、地面にバタンと倒れてしまった。
ダートと男の子が駆け寄り「大丈夫?」と声をかける。
魔王はおでこをぶつけたのか、「うっ」と唸りながら顔をさすったが、そのさいあやまって顔のフードをめくってしまった。
魔王の顔が見えた。