第10話 そして準備は整った③
「まーさん、おはよう。はいこれ、パン。お腹すいてるでしょ? あの街の人たちからもらったんだよ。ぐちゃぐちゃになった街の片付けを手伝ってくれたお礼だってさ。わたしは何もしてないけどね」
立ち寄った街から少し離れた洞窟の中に、魔王はいた。
リレットに声をかけられるまで、魔王はうずくまって地面を見つめていた。
はじめて会った時はあんなに威圧的で大きく見えていた魔王が、今では少し、いやかなり小さく見える。
「なぜ、オレの居場所がわかった?」
魔王は差し出されたパンを受け取らず、まるで噛みつく寸前の犬のように警戒していた。
「縄だよ」
リレットは魔王の手首に巻かれている縄を指差す。縄は六メートルほどの長さがあるが、魔王が引きずって歩いていたためかなり汚れていた。
「どれだけ離れてても、その縄があれば居場所がわかるの」
「なんだと!?」
ただの縄じゃなかったのか、と魔王は自身の手首に巻かれた縄を見つめる。
そして当然のことながら、それを解こうとしはじめた。だが魔王の力が弱いのか、縄が硬すぎるのか、いっこうに外せなかった。
「くっ、どうすれば外せる」
「手首を切り落とせば」
怖えな。
「他の方法を教えろ」
「わたしが死んだら」
「ほお、それは一番手っ取り早そうだな」
「そう? 手首を切るほうが早いと思うけど」
リレットは少し面白がっているようで、ニヤニヤしていた。なんだが魔王が哀れだな。
「魔法ってすげえのな」
「あの縄は魔道具なのでしょうね」
俺とダートはそんな二人のやり取りを眺めていた。
「どーやって作るんだ?」
「ほとんどの場合は、術式を組み込んで作ります。簡単な用途のものは力を注ぎ込むだけで完成することもありますが、複雑な条件を設定する場合、術式が必要です」
何やら難しそうだな。
「ほとんどの場合ってことは、他の方法もあるのか?」
「そう、ですね。あるにはあるのですが、なかなか大変ですし、時間がかかるので、その方法で魔道具を作る人はめったにいません。そもそもその方法を知っている人も少ないです」
「へえ。そんな大変なのに、そうするやつもいるのか?」
「ええ。うまくいけば、術式では不可能なことも、可能になりますから」
手間はかかるが、その分効果は絶大ということか。
ダートは魔法に関してかなり物知りなようだ。話し方はいたって穏やかで、まるで頭の良い先生に質問をしている気分だ。
茶色の種族かつ魔法の知識ゼロな俺に対しても高圧的な態度をとることもなく、普通に話をしてくれる。
「それはどんな方法なんだ?」
「言霊の魔法です」
「言霊? どういう魔法だ?」
「簡単に言えば、信じる力です」
信じる力?
なんだそりゃ。
「どーいうことだ?」
「すみません。それ以上はお答えできません」
「え、なんだよ。気になるな」
「すみません。あまり知られてしまうと、ちょっと、いろいろとマズイので」
ダートは頬をかき、苦笑する。
「何に対してマズイんだ?」
「いろいろ、です」
またこいつは、曖昧なことしか言わないな。
「おい、何考えてんだよ」
リレットの隣に座り、声をひそめる。
「なあに?」
「あいつ、俺らの味方かどうかわからねえって言ったぞ?」
俺はダートに目をやる。
ダートは魔王とパンを食べていた。
魔王は空腹には勝てなかったようだ。固そうなパンをダートがちぎり、魔王に与えていた。母鳥が雛にエサをあげてるみたいだな。
「それがどうかしたの?」
「大事なことだろ! 襲われたらどーすんだよ」
「大丈夫だよ」
「おまえは強いから大丈夫なのかもしれねえが、俺はなんにもできねえんだよ」
「何言ってるの。ローさんにはわたしがいるじゃない」
リレットは柔らかそうなまるパンを一口かじりる。
「はっ。俺がピンチになったら守ってくれんのか?」
俺は鼻で笑った。とてもそんなことをするとは思えない。
むしろ「わたしはこの人とは無関係です」とか言いそうだ。
「違うよ。ローさんがピンチになったら、銃でわたしを撃てばいいの。持ってきてるでしょ? 銃」
「……は?」
「撃つフリでもいいけど、優秀な魔法使い相手じゃハッタリってばれちゃうから、やるならちゃんと撃ったほうがいいよ」
こいつはまた何を言い出すんだ。
「おまえを撃とうとしたらおまえは抵抗するから、世界が滅ぶじゃねーか」
「そだよ」
そだよって。
「それを利用すればいいの。殺したい人がいれば、もれなくわたしが殺してあげられるんだよ。その引き金を一番近くで引けるのは、ローさんなの」
「あいつらもいるじゃねえか」
俺はあごで魔王とダートを指す。
「まーさんとダーさんはできないよ」
「なんで俺にはできるんだよ」
「ローさんはそういう人だからだよ。だから一緒にいるの」
「どーいうことだよ」
「いつかわかるよ」
どいつもこいつも肝心なことは何一つ言ってくれない。
こいつの姉を探しているだけのはずなのに、ものすごい面倒事に巻き込まれている。
「だけど、確かに今のローさんは弱いから、不安になるのは仕方ないね。そこで、提案があります」
リレットは残りのパンを口に突っ込み、手についたパンくずを払って立ち上がった。
「はいこれ」
リレットが岩に立てかけていた剣を渡してきたので、俺も立ち上がった。
「まさか、剣術を覚えろっていううおっ!?」
予想外の剣の重さに前へ倒れそうになった。
「なんだよこれ、こんな重かったのか?」
信じらんねえ。
こいつ、ずっとこんなの持ちながら歩いてたのか? この華奢な体で?
「今日からローさんが背負ってて。少しは体力がつくはずだよ」
「背負っててって、剣術を身に着けろって話じゃねえのか?」
「じゃない。剣術は一朝一夕で身につくものじゃないから、すぐには役に立たない。でも剣を持ってて損はないでしょう? 現に今、ローさんは身の危険を感じているからいろいろと不安なわけだし、お守りだと思って持っててよ」
「つっても、これおまえの姉ちゃんのだろ?」
「お姉ちゃんがいたら、もちろんお姉ちゃんが持つべきだけど、いなかったらローさんが持ってていいよ。わたしそれなくても別に不自由しないんだよね」
いやそれはとっくに気づいてるよ。
「わたしが提案したいのは、ダーさんに魔法について教えてもらうのはどうかなってこと」
魔法? なんで魔法なんだ。
「いやいや、それなら剣術のほうがまだ可能性あるだろ。前にも言ったが、俺は魔法は使えないんだ」
「魔法の使い方というより、魔法を使った戦い方を知ってほしいって感じかな」
「戦い方?」
「どんな魔法があるのかとか、どうやったら効果的に相手を倒せるかとか、魔法の相性とか、そういうのを知っておくだけでも全然違うんだよ」
そんなの教わって意味があるのか?
「その知識を活かすことになる状況ってどんなだよ」
「ローさんが一人になっちゃって、魔法使いと戦わないといけないときとか」
そんなことになったら何が何でも逃げるけどな。
「つまりは知識とハッタリで勝負するってことか?」
「そうそう。そういうこと。強くみせるのがコツだよ。胸を張って、まっすぐ前をみて、この世界で誰よりも強いんだぞっていう顔するの。そしたらもう、無敵なんだから」
リレットはえへんと胸を張り、自信に満ちあふれた顔をしてみせた。
魔法のことなど学んでどうにかなるとは思えなかった。
けど、リレットは必要のないことは提案しないやつだ。こいつがそのほうがいいと言うのなら、のっかってみてもいいのかもしれない。
「まあ、何も知らねえよりはマシか。そんな機会が来ないことを願うがな」
俺は剣を両手で握り、試しに振り下ろしてみる。
ブンッと風を切る音がしたが、やはり重くて何度も振れる気がしない。こりゃ、前途多難だな。
「来るよ。いつか、必ず、ね」
ポツリと呟いたリレットの言葉は、預言者のように確信に満ちていた。