第1話 世界を滅ぼせる少女
俺は今、世界の運命を握っているらしい。
目の前に、少女がいた。
十代半ばくらいだろうか。
あご下あたりの長さの赤い髪。
少し癖っ毛なのか、毛先がぴょんぴょんと外側に跳ねている。
左耳の上には白色の大きな花の髪飾り、首からはくすんだ黄色のペンダントをさげていた。
目は固く閉ざされていて、瞳の色はわからないが、長いまつげに整った顔立ち、白すぎる肌。
美少女であることは一目瞭然だ。
俺はというと、そんな可憐な少女に銃を向けていた。
「ちょっと、理解できなかったんだが。もう一度言ってくれるか?」
銃を持つ手を下ろさず会話を続けたが、目の見えない少女に銃を向ける意味はあるのだろうか。
「わたし、世界を滅ぼせるの」
少女は落ち着いた様子で、再度その言葉を口にした。なんとも可愛らしい声だが、言っていることは全くもって可愛げのないものだった。
こいつは何を言ってるんだ。
俺は呆れた目で少女を見る。
「金目の物を置いて立ち去れと言っているんだが? 聞いていたか?」
「うん。だけどわたしはこの道の先にいる人に会いたいから、どうしてもそこを通してもらいたいの」
少女は俺の後ろを指差す。
「この先にいるのは魔王だ。何の用があるってんだ? 死にに行くようなもんだろ?」
「大丈夫だよ。わたし、その魔王より強いから」
「とてもそうは見えねえがな」
「でも、そうなんだもん」
「おまえがどれだけ腕に自信があるのか知らんが、まず金をよこせ」
「お金になるようなものは持ってない。だけど、ここ以外に道がないから、どうしても通りたいの」
俺たちが今立っているのは、両サイドを大きな赤褐色の岩山に挟まれた一本道だ。
このあたりは岩石地帯で、村や街へ続く安全な道は一つしかない。
岩山を登ったり魔法で移動できるなら他にも方法はあるだろうが、目が見えなくてそういった魔法も使えないのなら、この道を行くほかないだろう。
「そこを通して?」
「どうしても通りたいなら、何か置いていけ」
「その銃でわたしを撃つの?」
「銃を出してるってわかるのか?」
「音でね。だけど銃なんて珍しいね。持ってる人ってほとんどいないもん」
わかっていたのか。
それにしては、慌てる様子もなく淡々と話をしているな。
子供にしては肝が座りすぎている気がする。
「おまえが抵抗するなら、撃つかもしれねえな。こんなご時世だ。みんな生きるのに必死なんだ。悪く思うなよ、お嬢ちゃん」
「思わないよ。よくあることだから。ただ、撃つ前に一ついい?」
「おっ? なんだなんだ、やっぱり怖くなったか? 命乞いするならやめてやってもいいんだぞ」
「ううん。そうじゃないの。さっきも言ったけど、わたし、強いよ?」
「おまえ、目が見えないんだろ? そんなやつに何ができるって?」
「わたし、剣を持ってるよ?」
少女は持っていた剣を俺に見せるように両手で持ち上げると、右手の小指にはめている黄色の指輪がキラッと光った。
白いブラウスに、髪と同じ色のロングスカート。その可憐な姿には似使わない、背丈とほぼ同じ長さの剣。
「杖の変わりに使ってるだけじゃねえか。鞘から抜いてもいねえし」
鞘の先は土で汚れていた。
「ふん。そんなもん持ってたってなんの脅しにもなんねえよ」
俺は鼻で笑った。
身なりはいいとこのお嬢さまといった感じで、とても戦闘ができるようには見えない。
穴があいたズボンに首元ヨレヨレの服を着ている俺のほうが、よほど戦いに慣れているように見えるだろう。
「わたしは、この世界の誰よりも強いの」
「へぇー」
「わたしが本気でやれば、この世界だって滅ぼせるんだから」
「それはさっきも聞いた」
俺は聞く耳を持たなかった。
「仕方ないね」
少女ははあーっと息を吐く。
「今から、世界は滅びます」
「……今から?」
少女の予言めいた言葉に、俺は眉をひそめた。
「そう。今から。あなたがわたしを殺すのなら、わたしは抵抗しないといけない。わたしには、唯一使える魔法があるの。たった一度しか使えないんだけど、その魔法を使えば、この世界は滅んでしまうの」
あまりにも突拍子もない話に、少しもそれが真実だとは思わなかった。
「もうちょいマシな嘘はつけねえのか」
俺は頭をかく。さっきから何を聞かされているんだ。
「じゃあ、やるよ? 家族に挨拶しなくてもいい? お別れになるけど」
「……は?」
なんだって?
「だから、わたしが今から世界を滅ぼすから、もうみんな死ぬけど、大切な人に何か伝えたいことはないの?」
俺の目は点になった。
「おまえ、頭おかしいんじゃねえか? なんかの魔法の儀式かなんかか?」
「殺されそうになっているから、抵抗するしかない。だから、世界を滅ぼすの」
「なんでそんなことする必要あんだよ。他の魔法を使えばいいだろ」
「だから、この魔法しか使えないの」
なんじゃそりゃ。
「世界を滅ぼしてどーすんだよ。お前だけ生きてんのか?」
「うん。そだよ」
「それでいいのかよ?」
「仕方のないことだから」
「おまえ、やっぱ頭おかしいだろ」
「そうかもね」
少女は依然として表情を変えず、顔はまっすぐ俺に向いている。
少女は目をつぶっているのに、じっと見られているような気持ちになり、次第に胸のあたりがソワソワしてきた。
風が止み、空気が重くなった気がする。
それが余計に少女の言葉の真実味を後押ししているように思えてきて、俺は少し怖くなった。
「そ……、そんなの嘘に決まってんだろ。そんな魔法聞いたことねえよ。誰か使ったことあんのか?」
内心ビクついていたが、なんとか平静を装った。
「あったかもしれないけど、あったとしても誰も見てないよ。だって、使ったっていうことは、みんな、死んでるってことだから」
「うっ……」
少女が右手を前にだす。
「じゃあ、やるよ」
「そんな、わけ」
謎のプレッシャーが襲ってくる。
そんなことできるわけがないと自分に言い聞かせるが、言いようもない不安が押し寄せ、思わず後ずさった。
少女の手が微かに光りだす。
そして世界は――。
「う、わあああー! ストップ!ストップ!ストーーーップ! ちょっと待ってくれ! 待ってーーー!」
思わず叫んだ。
「ウソだウソ! 殺すつもりはないんだ! 俺はここから先に人がいかないように見張ってるんだよ! 向こうには魔王がいて危ないから注意するためにいるんだ!
おまえをビビらせたら大人しく帰ると思ってデタラメ言っちまったんだ! 本当だ! なんならあっちの村に行ってみんなに聞いてくれ! 俺の村があるんだ!」
俺は必死に訴えた。
少女は少し間をおいてから、「そう」と言って手をおろしてくれた。
「はあっ」
俺はその場にへたりこんだ。
かなり緊張していたようで、どっと汗が吹き出してきた。
「もし、もしも本当に世界を滅ぼせるんなら、どうして魔王を倒さないんだ? そんな力があるなら、なんでやらない?」
みっともなくうなだれながら、弱々しく尋ねた。
「さっきから言ってるでしょ? 今から会いに行くんだよ」
「……本気か?」
どんな神経してんだよ。
「そだよ。あなたも一緒に来るんだよ」
「はあ!? 俺!? なんで!?」
「役に立ちそうだから」
「じょ、冗談だろ!? 俺は魔法なんて使えないんだ! 役に立たねえよ! 魔王のとこいくなら一人で行ってこい!」
俺は慌てて立ち上がった。
なんでそんなとこ行かなきゃなんねえんだ!
「そっか。仕方ないね。一緒に来てくれないなら、世界を滅ぼすしかないか」
少女は残念そうな声をだすと、再び手を前に出した。
「お、おまえ! ずるいぞそれ! ただの脅しじゃねえか! そういうのはここぞと言うときだけ言えよ!」
「ここぞと言うときだもん」
少女の言葉が嘘なのか本当なのか、俺にはわかるはずもなかった。だが確かめるすべがないのだから、どのみち従うしかなかった。
「勘弁してくれ……」
俺は両手で顔を覆った。
平穏だった俺の生活は、この日を境に一変した。