第14話 またあう日まで
「はあ・・・はあ・・・。」
ハルザムは真っ暗な地下道を必死で歩んだ。研究所の爆発に巻き込まれ拉げた右足を引きずり、両手にはNo.2382から回収した研究のデータを抱えていた。
地下道は大事の際に博士が研究所から脱出するために作られたものだ。明り1つなく、床は崩れかけた素掘りの土で、歩けば小石が転がり、地面がぐにゃりと沈む。湿気がこもり、天井からは絶え間なく冷たい水が滴り落ちている。支えとなる柱や補強の梁は一切なく、むしろよく崩れないものだと感心すら覚える。空虚なその道には、死にかけた老年の男の荒い吐息だけが響き渡る。
「やはり生きていたか・・・。」
地下道の向かい側から若い男の声が響く。男が手に持つ松明により辺りは照らされる。
骨のように細い体を全身黒ずくめの中世風魔術師装束で覆っている。漆黒のストレートロング。無造作に背中まで垂れており、前髪は片目を隠す。背中に魔術用の杖や細剣を背負い、黒の手袋は薄く指先が見えるタイプで、爪は黒く染まっている。人間の姿をしているがその正体は擬態能力を使った魔族だ。
「おぉ、ディアムか! よく来てくれた! 危うく死ぬところだったぞ!」
ハルザムは目を輝かせて言う。安堵からの脱力でその場に倒れ込んだ。
「足、怪我をしているようだな・・・。」
ディアムは手袋を外す。黒くそまった鍵爪が松明の光を反射し黒光りしている。
「まっ、待て・・・何の真似だ?」
「残念だけど、あなたもう助からないよ・・・。魔術師の連中がこの北部に現れた・・・。ここもまもなく見つかるだろう・・・。あんたは人間。その傷じゃ逃げ切れないよ。」
「お・・・落ち着け! お前がワシを運んでいけばいいだけだ! ワシをここで殺すなど、あってはならん! あの方もこんな愚行を許しはしないだろう!」
「残念・・・マレヴァント様はあなたのことを用済みと判断したよ・・・。」
ハルザムの呼吸が更に荒くなる。全身から血の気が引いていく。ただ眼前の魔族に震えるしかなかった。
「まあ、人間の分際でここまで我らに貢献したこと・・・そのことは凄いお褒めになってたよ・・・。まあ俺からしたら心底どうでもいいけど・・・。」
「はっ・・・ははっ・・・。きっと、公開するぞ。いつか、ワシの力が必要だったと、後悔するぞ。」
「かもね・・・まあそれもどうでもいいけど・・・。」
ディアムは鋭い鍵爪でハルザムの頭を引き裂いた。即死だった。ハルザムの死体を貪り喰い、そして彼の持っていた研究データを回収した。
「これでいいんだよね・・・まあよくわかんないけど・・・。とりあえずお疲れ様・・・。せいぜい、ゆっくり眠ってくれ。研究者殿・・・。あんたのデータはちゃんと使わせて貰うよ・・・。」
ディアムは地下道の暗闇の中へと消えていった。
魔術師たちの本拠地は王都にある。従弟は王都で魔術を学び、術士の称号を師より与えられることで各地の任務へ赴く。魔術師の拠点は各地に点在しており、東西南にそれぞれ巨大な1つの拠点が存在する。
北部の地は発展途上で且ノル=ヴェルカ教団の影響力も大きい為、拠点はどれも小さくそれ程数も多くなかった。だが今回の騒動を受けて改めて魔術師の勢力を北部に拡大することが決まった。決断はヴァルトランとファリオンの独断によるものが大きかった。事態は一刻を争う。王族らやノル=ヴェルカ教団に意見を挟ませれば拠点完成がいつになるかわかったものでない。
「いやあ、しばらくはまともに寝れそうにないなぁ。しょうがないことだけどよ。」
ファリオンはため息混じりに呟く。北部地域の拠点拡大はファリオンを中心に行われる。何人かの魔術師は王都から北部の地に移り住むことになる。エルドも北部の地に残るとのことだ。
ファリオンと共に北部までやって来た部下はグラウ=ベルク跡地に一時的な簡易拠点を建設した。完成までの間はしばらく野宿となる。
「あーっ!?」
1人の少女が金切り声を上げる。オーレルよりやや背が高く、小柄でスレンダー。ややなで肩で、頼りなげな体格。銀白色のセミロング。艶のあるストレートで毛先だけ内巻き。前髪は重ためでぱっつん気味。小ぶりな 楕円形の金縁眼鏡に大きめでクリアな藤紫色の瞳が特徴的な魔術師の少女だ。
少女は息を荒くしながらもオーレルに駆け寄る。
「えっと、あの・・・。オ、オーレルさんですよね!? 私、あなたの大ファンなんです! サインとか貰えちゃったりしますか?」
興奮からかやや早口気味なリュミエルを諭すように1人の少年が肩を叩く。短めの無造作茶髪。軽く寝癖がついており瞳は深い群青色。引き締まった痩せ型。鍛えてはいるが、まだ成長途中の少年体型だ。
「リュミエル、いきなり失礼だろう。」
「はっ!? 確かに、キエルの言う通りだわ!? ごめんなさい・・・つい実物を前に興奮しちゃって・・・。」
リュミエルは頬を赤らめる。キエルは溜め息混じりに彼女を見つめ、オーレルに向き直り深々と頭を下げた。
「どうもうちのものがすみません。」
「いえいえお気になさらず。サインくらいならいつでも書きますよ。ただペンを持っていないのでお貸しして頂ければありがたいのですが・・・。」
オーレルの言葉にリュミエルは自身のポケットを弄る。
「あれーペンあったっけ・・・。」
「おい! お前ら! 何持ち場離れてんだ!」
強面な男がリュミエルとキエルに向けて怒鳴り上げる。
「あー怒られちゃった・・・。すみません! すぐ戻ります! ほら行くぞ。」
キエルはリュミエルの手を引っ張る。
「あー。折角サイン貰えるチャンスだったのに・・・。」
「大丈夫ですよ。サインならまたお会いした時に書きますから。ですからお2人共、また会う日まで、どうか、ご無事で。」
「・・・うん! 私、絶対生きてみせる! 絶対に!」
リュミエルは笑顔で大げさなくらい大きく手を振り、キエルは小さく礼をした。オーレルは小さく手を振り2人を見送った。
「やっぱ人気者だな。あんたは。それで、もう帰るのか? 王都まで。」
通りがかったエルドがオーレルに尋ねた。
「ええ。元より、ここまで長居するつもりはなかったので。」
「そうか。達者でな。・・・ところで、ヴィレヤは? 最後に話しておきたいんだが。」
オーレルはうなずき、森の方へとエルドを案内した。
ヴィレヤは、ひと気のない森の中で、風の魔術を繰り返し練習していた。オーレルに口頭で教わった術式を、何度も何度も、丁寧に。
彼女はオーレルから少しの間、指導を受けていたが、今は一人で黙々と、空に手を伸ばしていた。途中ファリオンへの報告でオーレルが呼び出しを受けたためだ。
「じゃあな、ヴィレヤ。短い間だったが、お前のおかげで色々助かったぜ。」
エルドが歩み寄って声をかけると、ヴィレヤは振り返り、ぱっと顔を明るくした。
「私の方こそ。あなたがいなかったら、今頃どうなってたか・・・。ありがとね、エルド。」
「・・・それじゃあ、元気でな。」
彼は少しの間、ヴィレヤの顔を見つめ、それから静かに言った。
「・・・期待してる。俺は・・・お前しかいないと思ってるよ。」
ヴィレヤは目を丸くし何か言いかけたが、結局何も言わずにただ笑って頷いた。
それ以上の言葉は、互いに必要なかったのかもしれない。
風の音だけが、二人の間を吹き抜けた。
そして、オーレルとヴィレヤは王都への帰路についた。見送るエルドはしばらくその場に立ち尽くし、それから無言で背を向けた。
歩き出す足音が、少しだけ重たかった。
「ここにいたのかエルド。」
突如目の前に現れたファリオンにエルドは声をあげて仰天した。ファリオンは目の前に現れたわけではない。元からそこにいたことにエルドが気づかなかっただけだ。エルドもこれ程の大男に背後を取られるとは思っていなかった。
「おぉ、びっくりさせてすまなかった。いやぁバタバタしてて話せてなかったからな。・・・それで、今朝言っていた話しておきたいこととはなんだ?」
ファリオンの問いにエルドはしばらく沈黙した。ファリオンは焦らされることに怒ることもなくただその沈黙を受け入れた。その様子を見てエルドは大きく息を吸うとようやく重い口を開いた。
「詳しくは後々話します。今は簡潔に。今回の敵は魔族だけでありませんでした。ハルザムという研究者と魔族らが組んで街を懐柔し水面下で動いていました。」
「ハルザム・・・聞いたことはあるな。非人道的な研究を責められ失踪したとか・・・。」
「ええ。彼は失踪後、魔族と行動を共にしていたようです。ですが、ここで1つ気がかりなことが。」
「何だ?」
「……今回の魔族は、単独ではなく集団で動いていました。人数は7名。冥刻の狩人と名乗る、下級魔族の一団です。彼らの戦闘力は決して高くありません。擬態能力や魔力性質の変化によって人間社会に紛れ込むことはできても、中規模都市を丸ごと懐柔するのはまず不可能です。一体だけ中級魔族に匹敵する力を持つ魔族が確認されました。しかし、それ一体だけで、ここまでの規模の事件を起こせたとは考えにくい。裏にハルザムがいたことは間違いありませんが、彼はあくまで人間です。確かに彼の実験は非道で恐るべきものでした。けれど家も資産も失った彼が、自力でここまで仕組めるとは思えません。」
「・・・裏で糸を引くものがいると?」
「可能性は十分考えられます。」
「そうか。ではそうなのだろうな。オーレルも同じことを言っていった。それで、お前の考えるこの事件の黒幕は誰だ?」
「・・・もし生きているならですが。数年前、あの魔宴教団を率い10の都市を血に染めた・・・最低最悪の魔族。」
「マレヴァントか・・・可能性は十分考えられるな。」
これはまだ序章に過ぎなかった。そして悪夢は、再び始まろうとしていた。人類と魔族の戦争が。世界中が血に包まれたあの惨劇が。