第13話 屍の道の先へ
オーレルはただ何もない真っ暗な空間にいた。オーレル自身にもここがどこなのかはわからない。でも1つわかることはあった。オーレルの足を誰かが掴んでいる。大勢の手だ。足元で蠢いている。死肉にへばりついた蛆のような蠢き。濡れている。生臭い。血の匂いだろうか? 所々焦げ臭く腐敗臭もする。その手が誰のものか、既にオーレルは察しがついていた。
無数の屍の連なる道を進んだ。何も見えない。でもわかっている。自分がどこへ向かうべきか、どこへ向かっているのかは。人や魔族、魔物。数多の命を奪ってきた自身の行きつく先、なれの果て。人生という迷路にどれだけ迷おうとその終着地は決まっている。そこに至るまでのレールは既に敷かれている。
ただ人より優れた魔術を持って産まれただけ。だがその産まれ持った才は大勢の人間、魔族が欲したもの。自分の命すらも顧みずに必死に手を伸ばした先にあるもの。数えきれぬ者たちが命を投げ打ち、血を流し、狂ったように手を伸ばして尚手に入らなかったもの。
「そんなものを手に入れたって、何もいいことないですよ・・・。」
オーレルは呟いた。自身へと手を伸ばし藻搔き苦しむ屍の群れに向けて。自身の手で殺した屍、また自身を追い求めた者たちの行きつく先へと。
ふと辺りは照らされた。オーレルの目の前に謎の光が現れる。光の先では炎が燃え滾っていた。やはりそこが終着地なのだろうか。
「わかっています。」
オーレルは焼野原に向けて歩みだす。
突然誰かがオーレルの肩を掴む。誰かはわからない。今までの屍たちとは違う。その手は優しくて暖かい、ほんのりと温もりのこもった手だ。
オーレルは振り返った。そこにいたのはヴィレヤだった。オーレルと目が合うと、彼女はふっと笑った。まるで、街角で偶然友人に出会った時のような、あたたかく、ごく自然な笑顔だった。そんな笑顔を知らないオーレルは少し戸惑いつつ引きつった笑みを浮かべた。
ヴィレヤはオーレルを置いて、ただ1人焼野原へと向かっていった。オーレルもすぐに後を追おうとした。だが急に力が入らなくなりうまく歩けなかった。ヴィレヤは駆けていく。大きく腕を広げて。幼子のような足取りで。離れていくその背中は生き生きとしていて嬉しそうだった。何が嬉しいんだろうか。彼女はどこへ向かっているのか。
オーレルはふと空を見上げた。月も太陽もない。そんな暗闇でも、星々は常に輝いていた。
目が覚めた。じりじりと照り付ける陽光が、さっきまで見ていたそれを悪夢だということを気づかせた。オーレルは辺りを見渡した。近くの木陰でヴィレヤとエルドが話している。オーレルが起きたことに気づいたのか2人はすぐにこちらへ向かってきた。
「お前、流石によ。少し寝すぎだろ。もう午後だぞ。」
エルドが呆れたように言う。
「なんだ・・・まだ午後じゃないですか・・・では、もう少し寝かせてください。」
オーレルは再び目を瞑る。まだ眠くて仕方なかった。頭が痛い。起きた時はいつもそうだ。特に悪夢を見た後は。あんな夢を見てまだ眠いと言うのは少し悪夢に慣れてしまったからだろうか。
オーレルはふとヴィレヤのことを思い出した。その瞬間、オーレルはすぐ飛び起きた。
「おーなんだ? 急に起きたな。」
エルドが呟く。そんなエルドを差し置いてオーレルはヴィレヤに視線を向ける。
「あっ、えーっと・・・。」
オーレルはヴィレヤを前にして急に言葉が出なくなった。彼女に聞きたいこと、話したいことは山程あったのに。何故だかうまく話せない。そもそも彼女をどうするべきなのか。殺すのか。同じ魔術師であるエルドは何故彼女を生かしているのか。何故2人が一緒にいるのか。オーレルは混乱状態に陥っていた。
慌てふためくオーレルを見てヴィレヤはくすっと微笑んだ。
「そんなに焦らなくていいんだよ。私も少し人と話すのは苦手だし。」
その言葉は心外だった。オーレルは人と話すことが苦手というわけでもなかった。ただ少し図星なところもあった。思い返せば彼女は普通の人らしい会話をしたことがあまりなかった。当たり前のように友人と談話したり、両親に今日あった出来事を話したり。そんな経験はまるでなかった。
「えーっと、まずは。ずっと言い忘れちゃってたけど、この前は、助けてくれてありがとね。」
ヴィレヤは視線を泳がせながら、頬をほんのり赤らめて口を開いた。一瞬こちらを見たが、すぐに目を逸らし、つま先をいじるように地面を見つめた。
まさかの言葉にオーレルは更に戸惑った。自分が彼女を助けた? 確かにオーレルはヴィレヤを襲っていた魔族を倒しある意味では彼女を救ったかもしれない。ただそれは一時的なものだ。あの時自分は、救えたはずの命をまた、奪おうとしたのだから。
「・・・いえ。そのことはいいんです。魔術師として当然のことです。」
言ってからオーレルは後悔した。なぜ彼女に真実を打ち明けなかったのか。それを話すために彼女を追ってきたというのに。
「それでっ、あの・・・。」
そわそわとした様子のヴィレヤの肩をエルドは優しく叩いた。
「そのことは俺から言うよ。オーレル、俺から頼みがある。こいつの名前はヴィレヤ。俺たちは魔族に捕らえられていたところでたまたま出会った。・・・こいつは魔術師ではなかった。というか魔術の才能が無さ過ぎて少しびびったよ。」
エルドの言葉にヴィレヤは眉を潜め若干睨みつけた。そんなヴィレヤの様子からエルドは自分の失言に気づき、背筋に小さく汗をかいた。彼女の恐ろしさは身に染みて理解していたからだ。
エルドは一瞬固まったがすぐに咳ばらいをし話を続けた。
「ただ驚くべきことにな。こいつは魔術を覚え、俺と共に脱獄し、途中で出会った魔族を倒しちまった。しかも俺の協力なしのタイマンで。びっくりだろ?」
エルドの言葉にオーレルは目を見開いた。彼女の魔術の才のなさは一目でわかっていた。魔力の流れが少し歪だ。これは先天的なものだが病気や体質とも少し違う。誰もが生まれつき備えた魔力を操作するという能力が欠けていたのだ。そんな彼女が魔族を倒したなどにわかには信じがたい話だった。
「俺1人じゃそもそも脱獄できなかったし、できたとしてすぐに魔族共にやられていただろう。俺が今ここにいるのは彼女のお陰だ。彼女がいなきゃ研究所の爆発で死んでいただろうからな。本当すげえ奴だぜ。」
照れ隠しのつもりか。ヴィレヤはその場で俯いた。
「こいつは、魔術の才能はないが。それでもなんつうか。俺たちにはない能力を持っている。なんて言えばいいのかわかんねえけど。勇敢で賢い。俺はこいつを魔術師にしようと思っているんだが・・・残念なことに俺はもう魔術が使えない。」
エルドは自分の右腕を見つめた。そしてまたオーレルの方へ振り返る。
「なあオーレル・・・あんたもずっと、」
エルドが言いかけたところでヴィレヤはエルドの袖を引っ張る。
「ありがとうエルド。でもここからは、自分で言うよ。」
ヴィレヤはそう言うとオーレルに向き直った。
「私は、初めてあなたの魔術を見た時、なんていうか・・・すっごい感動した! あまりに綺麗で、心の全部が吸い尽くされちゃうような・・・そんな気持ちになった!」
ヴィレヤは何かを言いかけて、視線を落とした。
「……でも、やっぱり、私なんかが。」
オーレルの表情は変わらなかった。その沈黙に耐えられず、ヴィレヤは続けた。
「私も、あなたのようになりたい。例え無理でも、わかってる。それでも・・・何年かけても。例え死んでも。何百年でも何千年でも、寝る間も割いて魔術を覚える! そしていつか・・・いつか絶対! あなたと並べるような魔術師になる!」
ヴィレヤの言葉は少し意外だった。今まで何百、下手をすれば何千という人間がオーレルの魔術に心酔し、彼女に憧憬の眼差しを向けてきた。その瞳には嫉妬、逆恨み、畏敬など様々な思いが交差していた。そんな目がオーレルは少し怖かった。
だがヴィレヤは違った。彼女の目に映る光は紛れもない希望そのものだった。夜空の星でも見ているかのような。一体何が彼女をここまでさせるのか。自分の魔術のどこがいいのか。命を奪う炎の、演じさせられた姿のどこがいいというのだ。
でもそれを聞くのはもう少し後でいい。何故だかわからないが、この時オーレルはそう思えた。不思議な気持ちだった。こんな目で見られたことなんてなかった。
嬉しかった。でもその嬉しさにはどこかモヤがあった。嬉しさの中に、毒でも盛られたかのような。そんな気分だった。
「……教える気はありません」
一拍置いて、オーレルは視線を逸らす。あの羨望の眼差しが失望に変わるのが恐ろしかった。
「ただの憧れで、私のような魔術師になれると思わないことです。」
オーレルはヴィレヤに向き直った。彼女は決して失望などしていなかった。その翠色の瞳はただまっすぐとオーレルを見つめていた。彼女は何を考えているのか。この時のオーレルには見当もつかなかった。
「・・・それでも、やりたい?」
「当然よ。」
ヴィレヤは答えた。オーレルはしばらく目を瞑った。心がほんのりと温かくなるような気持ち。この気持ちを手放すのが恐ろしかった。例えその先に待ち受けるのが地獄だろうと。今はこの気持ちに浸かっていたかった。毒のことなんて忘れてしまおうと。そう思った。
「・・・いいですよ。ただしはっきり言っておきますが。あんまり足手纏いになるようなら容赦なく見捨てます。今回の魔族はほとんどが下級魔族。はっきり言って相手が良かっただけです。もしあなたが本気で私のような魔術師を目指すとなれば。想像を絶する修羅の道になりますよ。」
「望むところっ!」
ヴィレヤは満面の笑みで即答した。
「・・・わかりました。わかっているでしょうが、ここから先は死地です。いざという時、私はあなたを助けられませんし、もしかしたら・・・私の身に何かあるかもしれません。」
「大丈夫、その時は私がオーレルを守るから! 絶対に。」
「・・・そう言って貰えるのは嬉しいです。」
オーレルはそう言うと目線を少し遠くへ移した。ヴィレヤとエルドは振り返った。遠くから男が歩いてくる。身長は2mを超える巨漢。肩幅が広く、全身の筋肉は岩のように硬く盛り上がっている。肌は深い褐色で黒に近い焦げ茶のドレッドヘアを後ろでまとめている。髭は顎だけ伸ばしており、丁寧に整えている。肩と胸元を露出した魔術用バトルローブ。布は厚手の黒地に金や赤の刺繍が施され胸元には小さなペンダントをかけている。
雰囲気によるものか。一見すると強面だが、その表情からはどこか優しさを感じられた。
「あなたは・・・ファリオン導士!?」
オーレルが仰天した様子を見せる。
「おっ、生きてた生きてた。まあ嬢ちゃんなら平気だろうが、ヴァルトランさんがあんまり心配するもんだからさ。にしても今回は派手にやったな・・・。まあ後始末は俺たち大人に任せといてくれ。それよりそこの2人は誰だ?」
ファリオンはエルドとヴィレヤを指さした。
「俺は、じゃなくて・・・僕はエルドと言います。階級は術士。半年前に魔族に捕らえられ、この地にずっと幽閉されていました。あなたは、導士なんですよね? 魔族についてお話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「そうか・・・それは災難だったな・・・。心得た。それで、それはいいがそっちの彼女は誰なんだ?」
ファリオンはヴィレヤに目を向ける。ヴィレヤが戸惑いを見せる中、オーレルは即答した。
「私の弟子です。」
「弟子? そうか・・・えーっと。嬢ちゃん、まだ術士じゃなかったか? いつの間にか出世したのか?」
張りのある低音が、どこかたじろぐように揺れていた。
「ええ。ですから、帰ったら出世の件も含めて師匠と話してみようと思います。」
オーレルはヴィレヤを見つめ突然微笑んだ。急な微笑みにヴィレヤは頬を赤くし、恥じらいながら俯いた。